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本編
114.「あぁ……これなら、紅姉さんも……負けちゃうのも……わかる……」
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自身の身体を貫く氷の棘。それを見て白狐は全身の痛みに悶える。
「うっ……くうぅ!!」
……痛い。寒い。身体中が痛い。その痛みで、白狐は意識を手放しそうになる。
「……」
蛇雪の白く、だが闇のように底知れぬ瞳と白狐の視線が交差した。
冷たい。その瞳は、白狐の体温を一気に奪い去るかのような冷たさだ。その瞳に見つめられ、白狐は死の恐怖に襲われた。
恐らくこの戦いは彼女にとっては数ある戦いの一つなのだろう。他愛もない、集ってくる虫を払うような、そんな感覚なのかもしれない。
蛇雪の瞳は白狐の未来を暗示していた。ここで自分は死ぬのだと、その瞳が語っているのだ。
「……」
身体が凍り付き、血がドクドクと流れ出ていくのが分かる。身体はとうに限界を超えていて、もう指一本たりとも動かす事は出来ないだろう。
狐王拳を発動して尚、彼女には敵わない。白狐は己の弱さを呪った。
彼女の瞳が映し出す未来で自分は命を落とすだろう。だがそれでも、最後まで足掻き、足搔き、この一瞬に全てを捧げよう。
どうせ死ぬのなら、差し違えてやる。それがみんなの命を救う事になるのなら、躊躇はなかった。
「狐王拳」
ポツリと。白狐の口からその技が紡がれる。
彼女は動く事なく、ただ白狐を見つめ続けていた。まるで白狐の出方を窺っているかのように。
身体中に走る痛みを気合で捻じ伏せ、白狐は咆哮する。そして尻尾の毛を逆立たせた。
「駟!!」
命が燃える。四倍もの力を引き出す代償は必ずやってくる。それは今かもしれないし、後の事かもしれない。
だが、それでも良い。
己の魂を、命を燃やす事なんて何でもない。大切な人達を護れるのならば、何だって使うのだ。
「……」
無言で蛇雪が口を開く。するとその口から吐き出されるのは猛吹雪だった。彼女の唇から生み出される氷結の息吹が白狐に襲いかかる。
迫り来る凍てつく風に対して白狐は四倍となった速度で踏み込んだ。全身に走る痛みなど関係ない。ただ歯を食いしばり、前へと突き進む。
「はっっ!!」
己の身を投げ出すように白狐は拳を突きだした。その拳が氷結の息吹を真っ向から打ち砕く。
拳を突き出す事によって、全身から血が噴き出す。だが構わない。どれだけ血が流れようとも、身体が壊れようとも構わない。
蛇雪の目の前まで一気に踏み込んだ白狐は、そのまま彼女の腹部へと手刀を叩き込んだ。
「……!?」
蛇雪は咄嗟に自信に氷の膜を張った。
彼女の身体を覆う氷壁がその手刀の勢いを止める。だが、白狐の追撃は止まらない。
全身から噴き出す血潮で身体を濡らしながら、白狐はもう片方の腕を突き出した。
咆哮と共に突き出された拳が蛇雪の腹部に迫る。だがそれでもまだ足りない。
もっとだ。もっと強く、もっと速く! この一撃に全てを乗せる!
「う……あああああああ!!!」
白狐の咆哮と共に突き出された四本の尻尾によって、氷壁を突き抜け蛇雪の身体へと衝撃が走る。
ピシピシと蛇雪の身体が凍り付いていく。それは白狐の身体も同じだった。
身体から血が噴き出し、視界が真っ赤に染まる。意識が飛びそうになった時、ふと蛇雪が微笑んだ気がした。
「あぁ……これなら、紅姉さんも……負けちゃうのも……わかる……」
その言葉を最期に、蛇雪と白狐を隔てていた氷は砕けた。その氷の粒子はキラキラと煌めきながら消滅していく。
ようやく。ようやく、拳が届いた。彼女にようやく、一撃を与える事が出来たのだ。
「はっ……かはっ……」
白狐の口から大量の血が吐き出される。全ての力を使い果たし、限界を超えてなお戦ったその身体はもうとっくに限界を迎えている。
だが、これで終わりではない。まだ彼にはやる事があるのだから。
「でも……私には……届かない……」
蛇雪の白い瞳がカッと開かれる。蛇の瞳孔のように縦長に開いたその瞳は、死神の如く白狐を睨みつけた。
彼女の身体から凄まじい妖気の奔流が溢れ出す。それは白狐を絶望の淵に堕とすのに十分な妖力であった。
「(まだ、本気じゃ、なかったのか)」
白狐の渾身の一撃を受けてなお、蛇雪は殆ど傷を負っていない。それどころかようやく力を出し始めたといった有様だ。
身体の奥底から絶望が迫り上がってくる。彼女の妖気は、白狐がこれまで感じた事のないほど強大なものであった。
「シュルル……」
蛇雪の口から長い舌がチロチロとはみ出たその瞬間であった。白狐には到底反応し得ぬ速度で蛇雪の腕が振るわれる。
「おぶ……っ!?」
白狐の首を鷲掴みにし、蛇雪はそのまま地面へと叩き付けた。そしてそのまま白狐の身体に馬乗りになると、その首をゆっくりと絞めあげる。
「に゛ゃ゛……!!!」
万力の力で喉を押し潰され、白狐は顔を真っ赤にしながら喘ぐ。
その瞳には涙が浮かび上がり、今にも意識を失いそうになる。
「死ね」
───その時であった。
不意に、周囲の温度が急激に上昇する。それは蛇雪の放つ妖気が生み出した冷気とはまた違う、まさに炎のように燃え盛る灼熱の炎であった。
「!?」
咄嗟に蛇雪が白狐から跳び退く。するとその瞬間、地面から灼熱の柱が噴き出した。激しい熱風が辺り一面に吹き荒ぶ中、一人の女が現れる。
「───あぁ、全く」
「……っ!!」
そこには凛とした表情をした信葉の姿があった。その瞳には明確な怒りの色が浮かんでいる。右手に握られていた灼熱を滾らせた刀をくるりと回すと、彼女はその切っ先を蛇雪へと向けた。
「こんなにも愉しい戦なのに。どうしてこんなにイラつくのかしら」
織波信葉。この織波軍を率いる大将であり、織波の姫。
彼女は血塗れになって横たわる白狐を見て、目を細める。そして、その視線を蛇雪に向けた。
「織波……信葉……」
蛇雪がそう呟くと同時に、地面から無数の氷柱が突き出す。だがそれらは信葉へ届く事なく砕け散った。
彼女の周囲に発生した灼熱の炎がそれを許さなかったのである。
氷獄の領域に構う事なく、信葉は歩を進め倒れている白狐を抱き上げる。その身体は血に塗れ、キツネの耳や尻尾も凍り付いてしまっている。
信葉はそんな白狐の頰を優しく撫でると、優しく微笑みかけた。
「アンタが時間を稼いでくれたお陰で織波の兵は態勢を整える事が出来て、無事に退避出来たわ」
「……」
「よくやったわ、白狐。後は私に任せない」
凍り付いた白狐は動かないが、微かにその瞳が揺らいだような気がした。
そんな様子を見ていた蛇雪は口を三日月のように歪める。その瞳にはもう油断はなく、ただ目の前に現れた『敵』を見定めているようであった。
「お前を殺せば……私たちの……勝ち……」
蛇雪の瞳が怪しく光る。だが信葉は狼狽える事なく、彼女へと向き直った。
「私を殺す?お前ごときが?やってみろ、下郎」
「……」
蛇雪の蛇の尾が地面を揺らす。その瞬間、辺り一面に冷気が充満していく。凍てつくようなその空気はやがて地面を覆い尽くし氷の大地へと姿を変えていった。
そして同時に、蛇雪の身体がふわりと浮き上がり宙に舞う。天高く舞い上がった彼女は上空で両手を広げた。するとそこに凄まじい吹雪が巻き起こり、まるで竜巻のように渦を巻く。
凄まじい妖気と冷気が辺りを覆い尽くす。それは今までの比ではなく、空気そのものが凍り付いていくほどの強力なものであった。
「砕け散れ……」
そう叫び、彼女は両腕を振り下ろす。それと同時に竜巻は凍てつく暴風となって信葉へと襲いかかった。その威力たるや凄まじいもので、大地を抉りながら一直線に信葉へと向かっていく。
だが彼女はニヤリと笑い、刀を握る手に力を込めた。その瞬間に剣先から猛烈な炎が噴き出す。
「アンタは強い。強いけど……」
放たれた炎は凍てつく風を包み込み、溶かす。だがそれで終わりではなく、炎はさらに勢いを増し蛇雪の身体を呑み込んだ。
だが彼女は氷の壁を生み出す事でそれを防ごうと試みるが、炎はその氷の壁を容易く穿つ。そしてそのまま蛇雪の身体へと燃え移ったのだ。
「ぐ……っ!!」
苦悶の声を上げながら蛇雪は必死に身体をよじる。
そんな彼女の姿を見て信葉は感情の無い瞳のまま笑った。
「何故かしら。アンタと戦っても全然わくわくしないの。むしろ……怒りが湧いてくる」
「ッ……!?」
「あぁ、そっか。これが憎しみなのね」
蛇雪の身体から放出される冷気が炎を掻き消した。そして蛇雪は蛇の胴体をしならせ、信葉へと攻撃を仕掛ける。
鋭い爪から繰り出される氷の爪撃は斬り付けられた瞬間に傷口から氷漬けになる即死級の一撃。
しかし信葉はそれを読んでいたのか、まるで舞うかのように優雅に避けると、片手で刀を突き出した。
「!?」
炎とは比べ物にならない速度で突き出された刀の切っ先が蛇雪の蛇の胴体を貫く。傷口から噴き出した血が灼熱を反射し、煌めいた。
白狐を片手で抱き締めながらも信葉は蛇雪を圧倒していた。蛇雪は氷で身を護るが、まるで灼熱の炎に溶かされる氷のようにその身を焦がしていく。
「シャア……!!!」
「ぬるい」
刀に妖気を纏わせ、炎を放つ。すると蛇雪の身体を覆っていた氷が一瞬にして蒸発した。
信葉は容赦無く追撃を仕掛ける。その剣を炎で包み込み、彼女は上段から振り下ろした。
その一撃は確実に蛇雪の身体を斬り裂き、地面を大きく抉り取る。
「ぐっ……!?」
苦痛に顔を歪めた蛇雪は即座に氷で反撃を試みる。だがそれすらも読んでいたかのように彼女は背後へと跳躍し、避けた。
「なんなの……お前……!なんで、凍らないの……!」
蛇雪の敵意が膨れ上がる。それと同時に彼女の身体から吹き荒れる冷気は更に強さを増していった。
今まで無表情だった蛇雪の顔が憎悪と怒りに染まり、その目に憎しみの色が宿る。
「……」
一方的だった。信葉の刀が振るわれる度に蛇雪の冷気は砕かれ、彼女にダメージを与えていく。
炎を纏った刀は彼女の身を焦がし、氷の壁を打ち破り、蛇雪の身体を引き裂いた。
「アンタは私のモノを傷付けた」
そう呟き、彼女は刀を蛇雪へと向ける。そして次の瞬間にはその刃に炎が纏った。
それは灼熱の業火であり、全てを焼き尽くすまで消える事はない炎の刀。
その一撃は蛇雪の冷気を焼き尽くし、凍てつく大地をも溶かす。
「蔡藤家との戦なんて『前哨戦』のつもりだったけど。アンタは……お前は殺す。氷も、骨も、魂すら灼熱の炎で燃やし尽くしてやる」
「!!」
蛇雪の目が大きく見開かれる。彼女の全身から放たれる冷気の量が更に増した。
だが信葉は怯む事なく、炎を纏った刀を構え、そして地面を蹴った。
「食らいなさい。織波の秘儀を」
放たれたのは膨大な量の炎と斬撃を織り交ぜた『炎の渦』。それは周囲の氷を全て打ち砕き、そして蛇雪の身体を呑み込んだ。
「うっ……ぐぅぅぅ……」
凄まじい熱量と斬撃に飲み込まれながら、彼女は悲鳴を上げる。だがそれでも信葉の攻撃は止まらなかった。
更に炎は燃え上がり、まるで一つの巨大な火柱となるように燃え盛っていく。それはもはや人間一人が操る力ではない。
「何物も私のモノを傷付けるのは許さん。コイツの命も、毛の一本まで……全て私のものだ」
彼女は覇気と怒りを滾らせながら、そう呟いた。
「……」
白狐は瞳を閉じ、その闘いを肌で感じ取っていた。信葉の圧倒的な力の前に蛇雪が圧倒されている事は分かる。
彼女の戦闘をまともに見ていられる余裕もないが、それでも聞こえてくる音や妖気だけでおおよその状況は理解出来た。
白狐は朦朧とした意識の中、ギュっと信葉の腕を摑む。そして、意識を失う寸前に囁いた。
「信葉さま……ごめんね……」
白狐はそれしか言えなかったが、それだけで彼女に意図は伝わっただろう。
信葉は微かに微笑むと、その刀を蛇雪へと向けた。彼女の周囲には赤々と炎が燃え盛り、凄まじい熱気を放っている。
「だから言ったでしょ」
信葉は炎を宿した刀を構えると、白狐に言い放つ。
「危なくなったらすぐに私を呼びなさいって……」
信葉は白狐の手を握り返した。その表情は優しいものだったが、その瞳には殺意と怒りが宿っていた。
そして彼女はその刀を振りかぶり───炎を解き放った。
「!!」
凄まじい炎が蛇雪を包み込む。それは辺り一面の氷を一瞬で蒸発させ、巨大な火柱となった。
その炎は瞬く間に燃え広がり、巨大な球体へと姿を変える。それはまるで太陽のようであった。そしてその中心で蛇雪が苦悶の声を上げているのが分かる。
「う……あ……っ……!!」
炎の中に閉じ込められた蛇雪は必死に逃れようともがく。だがその炎は決して彼女を逃がさず、そして消える事もない。
蛇雪が脱出を試みれば試みるほど、彼女の肉体は焼かれていくのだ。
最早勝負は決した……と、思われたその瞬間であった。
「!?」
不意に戦場にバリバリと雷撃が鳴り響き始める。そして同時に蛇雪の周囲で凄まじい渦巻く炎が掻き消えた。
信葉が空を見ると快晴だった空は暗雲立ち込め、まるで嵐のように風が吹き荒れる。
雷が大地を穿ち、炎を打ち消してしまう。蛇雪が炎から逃れたその瞬間に、信葉は地面を蹴っていた。
信葉のいたところには稲妻が奔り、更に激しい暴風が吹き荒れる。その一撃は大地を抉り、融解させた。
「もう一人の『蛇』か……ちっ」
戦場に突如発生した雷を見て信葉は舌打ちをする。
雷の術を操る魔性の半化生……蔡藤家にいる三匹の忍びの一人が確かそんな術を使う筈だ。
普段の信葉ならば二匹同時に相手しても不足はないが、今、彼女は白狐を片手で抱えている。そんな状態で白狐を護りながら強敵と戦うのは不利にすぎる。
それに、蔡藤家の軍勢は奇襲の傷から早くも立ち直り既に態勢を整えている。だからこそ信葉は蛇雪の襲撃があった時点で織波軍を退避させたのだ。
故に彼女もまた素早くここから下がらなければならない。ここは退くしかなさそうだ……。
「覚えておけ、氷の蛇。この織波信葉の前に立ちふさがるのなら……お前も、周囲の者も全て焼き尽くす。この私が自ら、貴様らを無間地獄に堕としてやる」
「……く、ぁ……」
炎に焼かれながらも、蛇雪は信葉を睨みつける。その瞳には強い憎悪が宿っていた。
そんな彼女を見下しながら、信葉は馬に跨ると白狐を抱えたまま撤退を始めたのであった。
「織波……信葉……」
蛇雪の呟きが戦場に虚しく響く。彼女の手から氷の塊がするりと抜け落ちた。
「殺す……必ず……」
その言葉を残し、彼女はガクリと項垂れた。
バリバリと。雷の音だけが戦場に響いていた。
「うっ……くうぅ!!」
……痛い。寒い。身体中が痛い。その痛みで、白狐は意識を手放しそうになる。
「……」
蛇雪の白く、だが闇のように底知れぬ瞳と白狐の視線が交差した。
冷たい。その瞳は、白狐の体温を一気に奪い去るかのような冷たさだ。その瞳に見つめられ、白狐は死の恐怖に襲われた。
恐らくこの戦いは彼女にとっては数ある戦いの一つなのだろう。他愛もない、集ってくる虫を払うような、そんな感覚なのかもしれない。
蛇雪の瞳は白狐の未来を暗示していた。ここで自分は死ぬのだと、その瞳が語っているのだ。
「……」
身体が凍り付き、血がドクドクと流れ出ていくのが分かる。身体はとうに限界を超えていて、もう指一本たりとも動かす事は出来ないだろう。
狐王拳を発動して尚、彼女には敵わない。白狐は己の弱さを呪った。
彼女の瞳が映し出す未来で自分は命を落とすだろう。だがそれでも、最後まで足掻き、足搔き、この一瞬に全てを捧げよう。
どうせ死ぬのなら、差し違えてやる。それがみんなの命を救う事になるのなら、躊躇はなかった。
「狐王拳」
ポツリと。白狐の口からその技が紡がれる。
彼女は動く事なく、ただ白狐を見つめ続けていた。まるで白狐の出方を窺っているかのように。
身体中に走る痛みを気合で捻じ伏せ、白狐は咆哮する。そして尻尾の毛を逆立たせた。
「駟!!」
命が燃える。四倍もの力を引き出す代償は必ずやってくる。それは今かもしれないし、後の事かもしれない。
だが、それでも良い。
己の魂を、命を燃やす事なんて何でもない。大切な人達を護れるのならば、何だって使うのだ。
「……」
無言で蛇雪が口を開く。するとその口から吐き出されるのは猛吹雪だった。彼女の唇から生み出される氷結の息吹が白狐に襲いかかる。
迫り来る凍てつく風に対して白狐は四倍となった速度で踏み込んだ。全身に走る痛みなど関係ない。ただ歯を食いしばり、前へと突き進む。
「はっっ!!」
己の身を投げ出すように白狐は拳を突きだした。その拳が氷結の息吹を真っ向から打ち砕く。
拳を突き出す事によって、全身から血が噴き出す。だが構わない。どれだけ血が流れようとも、身体が壊れようとも構わない。
蛇雪の目の前まで一気に踏み込んだ白狐は、そのまま彼女の腹部へと手刀を叩き込んだ。
「……!?」
蛇雪は咄嗟に自信に氷の膜を張った。
彼女の身体を覆う氷壁がその手刀の勢いを止める。だが、白狐の追撃は止まらない。
全身から噴き出す血潮で身体を濡らしながら、白狐はもう片方の腕を突き出した。
咆哮と共に突き出された拳が蛇雪の腹部に迫る。だがそれでもまだ足りない。
もっとだ。もっと強く、もっと速く! この一撃に全てを乗せる!
「う……あああああああ!!!」
白狐の咆哮と共に突き出された四本の尻尾によって、氷壁を突き抜け蛇雪の身体へと衝撃が走る。
ピシピシと蛇雪の身体が凍り付いていく。それは白狐の身体も同じだった。
身体から血が噴き出し、視界が真っ赤に染まる。意識が飛びそうになった時、ふと蛇雪が微笑んだ気がした。
「あぁ……これなら、紅姉さんも……負けちゃうのも……わかる……」
その言葉を最期に、蛇雪と白狐を隔てていた氷は砕けた。その氷の粒子はキラキラと煌めきながら消滅していく。
ようやく。ようやく、拳が届いた。彼女にようやく、一撃を与える事が出来たのだ。
「はっ……かはっ……」
白狐の口から大量の血が吐き出される。全ての力を使い果たし、限界を超えてなお戦ったその身体はもうとっくに限界を迎えている。
だが、これで終わりではない。まだ彼にはやる事があるのだから。
「でも……私には……届かない……」
蛇雪の白い瞳がカッと開かれる。蛇の瞳孔のように縦長に開いたその瞳は、死神の如く白狐を睨みつけた。
彼女の身体から凄まじい妖気の奔流が溢れ出す。それは白狐を絶望の淵に堕とすのに十分な妖力であった。
「(まだ、本気じゃ、なかったのか)」
白狐の渾身の一撃を受けてなお、蛇雪は殆ど傷を負っていない。それどころかようやく力を出し始めたといった有様だ。
身体の奥底から絶望が迫り上がってくる。彼女の妖気は、白狐がこれまで感じた事のないほど強大なものであった。
「シュルル……」
蛇雪の口から長い舌がチロチロとはみ出たその瞬間であった。白狐には到底反応し得ぬ速度で蛇雪の腕が振るわれる。
「おぶ……っ!?」
白狐の首を鷲掴みにし、蛇雪はそのまま地面へと叩き付けた。そしてそのまま白狐の身体に馬乗りになると、その首をゆっくりと絞めあげる。
「に゛ゃ゛……!!!」
万力の力で喉を押し潰され、白狐は顔を真っ赤にしながら喘ぐ。
その瞳には涙が浮かび上がり、今にも意識を失いそうになる。
「死ね」
───その時であった。
不意に、周囲の温度が急激に上昇する。それは蛇雪の放つ妖気が生み出した冷気とはまた違う、まさに炎のように燃え盛る灼熱の炎であった。
「!?」
咄嗟に蛇雪が白狐から跳び退く。するとその瞬間、地面から灼熱の柱が噴き出した。激しい熱風が辺り一面に吹き荒ぶ中、一人の女が現れる。
「───あぁ、全く」
「……っ!!」
そこには凛とした表情をした信葉の姿があった。その瞳には明確な怒りの色が浮かんでいる。右手に握られていた灼熱を滾らせた刀をくるりと回すと、彼女はその切っ先を蛇雪へと向けた。
「こんなにも愉しい戦なのに。どうしてこんなにイラつくのかしら」
織波信葉。この織波軍を率いる大将であり、織波の姫。
彼女は血塗れになって横たわる白狐を見て、目を細める。そして、その視線を蛇雪に向けた。
「織波……信葉……」
蛇雪がそう呟くと同時に、地面から無数の氷柱が突き出す。だがそれらは信葉へ届く事なく砕け散った。
彼女の周囲に発生した灼熱の炎がそれを許さなかったのである。
氷獄の領域に構う事なく、信葉は歩を進め倒れている白狐を抱き上げる。その身体は血に塗れ、キツネの耳や尻尾も凍り付いてしまっている。
信葉はそんな白狐の頰を優しく撫でると、優しく微笑みかけた。
「アンタが時間を稼いでくれたお陰で織波の兵は態勢を整える事が出来て、無事に退避出来たわ」
「……」
「よくやったわ、白狐。後は私に任せない」
凍り付いた白狐は動かないが、微かにその瞳が揺らいだような気がした。
そんな様子を見ていた蛇雪は口を三日月のように歪める。その瞳にはもう油断はなく、ただ目の前に現れた『敵』を見定めているようであった。
「お前を殺せば……私たちの……勝ち……」
蛇雪の瞳が怪しく光る。だが信葉は狼狽える事なく、彼女へと向き直った。
「私を殺す?お前ごときが?やってみろ、下郎」
「……」
蛇雪の蛇の尾が地面を揺らす。その瞬間、辺り一面に冷気が充満していく。凍てつくようなその空気はやがて地面を覆い尽くし氷の大地へと姿を変えていった。
そして同時に、蛇雪の身体がふわりと浮き上がり宙に舞う。天高く舞い上がった彼女は上空で両手を広げた。するとそこに凄まじい吹雪が巻き起こり、まるで竜巻のように渦を巻く。
凄まじい妖気と冷気が辺りを覆い尽くす。それは今までの比ではなく、空気そのものが凍り付いていくほどの強力なものであった。
「砕け散れ……」
そう叫び、彼女は両腕を振り下ろす。それと同時に竜巻は凍てつく暴風となって信葉へと襲いかかった。その威力たるや凄まじいもので、大地を抉りながら一直線に信葉へと向かっていく。
だが彼女はニヤリと笑い、刀を握る手に力を込めた。その瞬間に剣先から猛烈な炎が噴き出す。
「アンタは強い。強いけど……」
放たれた炎は凍てつく風を包み込み、溶かす。だがそれで終わりではなく、炎はさらに勢いを増し蛇雪の身体を呑み込んだ。
だが彼女は氷の壁を生み出す事でそれを防ごうと試みるが、炎はその氷の壁を容易く穿つ。そしてそのまま蛇雪の身体へと燃え移ったのだ。
「ぐ……っ!!」
苦悶の声を上げながら蛇雪は必死に身体をよじる。
そんな彼女の姿を見て信葉は感情の無い瞳のまま笑った。
「何故かしら。アンタと戦っても全然わくわくしないの。むしろ……怒りが湧いてくる」
「ッ……!?」
「あぁ、そっか。これが憎しみなのね」
蛇雪の身体から放出される冷気が炎を掻き消した。そして蛇雪は蛇の胴体をしならせ、信葉へと攻撃を仕掛ける。
鋭い爪から繰り出される氷の爪撃は斬り付けられた瞬間に傷口から氷漬けになる即死級の一撃。
しかし信葉はそれを読んでいたのか、まるで舞うかのように優雅に避けると、片手で刀を突き出した。
「!?」
炎とは比べ物にならない速度で突き出された刀の切っ先が蛇雪の蛇の胴体を貫く。傷口から噴き出した血が灼熱を反射し、煌めいた。
白狐を片手で抱き締めながらも信葉は蛇雪を圧倒していた。蛇雪は氷で身を護るが、まるで灼熱の炎に溶かされる氷のようにその身を焦がしていく。
「シャア……!!!」
「ぬるい」
刀に妖気を纏わせ、炎を放つ。すると蛇雪の身体を覆っていた氷が一瞬にして蒸発した。
信葉は容赦無く追撃を仕掛ける。その剣を炎で包み込み、彼女は上段から振り下ろした。
その一撃は確実に蛇雪の身体を斬り裂き、地面を大きく抉り取る。
「ぐっ……!?」
苦痛に顔を歪めた蛇雪は即座に氷で反撃を試みる。だがそれすらも読んでいたかのように彼女は背後へと跳躍し、避けた。
「なんなの……お前……!なんで、凍らないの……!」
蛇雪の敵意が膨れ上がる。それと同時に彼女の身体から吹き荒れる冷気は更に強さを増していった。
今まで無表情だった蛇雪の顔が憎悪と怒りに染まり、その目に憎しみの色が宿る。
「……」
一方的だった。信葉の刀が振るわれる度に蛇雪の冷気は砕かれ、彼女にダメージを与えていく。
炎を纏った刀は彼女の身を焦がし、氷の壁を打ち破り、蛇雪の身体を引き裂いた。
「アンタは私のモノを傷付けた」
そう呟き、彼女は刀を蛇雪へと向ける。そして次の瞬間にはその刃に炎が纏った。
それは灼熱の業火であり、全てを焼き尽くすまで消える事はない炎の刀。
その一撃は蛇雪の冷気を焼き尽くし、凍てつく大地をも溶かす。
「蔡藤家との戦なんて『前哨戦』のつもりだったけど。アンタは……お前は殺す。氷も、骨も、魂すら灼熱の炎で燃やし尽くしてやる」
「!!」
蛇雪の目が大きく見開かれる。彼女の全身から放たれる冷気の量が更に増した。
だが信葉は怯む事なく、炎を纏った刀を構え、そして地面を蹴った。
「食らいなさい。織波の秘儀を」
放たれたのは膨大な量の炎と斬撃を織り交ぜた『炎の渦』。それは周囲の氷を全て打ち砕き、そして蛇雪の身体を呑み込んだ。
「うっ……ぐぅぅぅ……」
凄まじい熱量と斬撃に飲み込まれながら、彼女は悲鳴を上げる。だがそれでも信葉の攻撃は止まらなかった。
更に炎は燃え上がり、まるで一つの巨大な火柱となるように燃え盛っていく。それはもはや人間一人が操る力ではない。
「何物も私のモノを傷付けるのは許さん。コイツの命も、毛の一本まで……全て私のものだ」
彼女は覇気と怒りを滾らせながら、そう呟いた。
「……」
白狐は瞳を閉じ、その闘いを肌で感じ取っていた。信葉の圧倒的な力の前に蛇雪が圧倒されている事は分かる。
彼女の戦闘をまともに見ていられる余裕もないが、それでも聞こえてくる音や妖気だけでおおよその状況は理解出来た。
白狐は朦朧とした意識の中、ギュっと信葉の腕を摑む。そして、意識を失う寸前に囁いた。
「信葉さま……ごめんね……」
白狐はそれしか言えなかったが、それだけで彼女に意図は伝わっただろう。
信葉は微かに微笑むと、その刀を蛇雪へと向けた。彼女の周囲には赤々と炎が燃え盛り、凄まじい熱気を放っている。
「だから言ったでしょ」
信葉は炎を宿した刀を構えると、白狐に言い放つ。
「危なくなったらすぐに私を呼びなさいって……」
信葉は白狐の手を握り返した。その表情は優しいものだったが、その瞳には殺意と怒りが宿っていた。
そして彼女はその刀を振りかぶり───炎を解き放った。
「!!」
凄まじい炎が蛇雪を包み込む。それは辺り一面の氷を一瞬で蒸発させ、巨大な火柱となった。
その炎は瞬く間に燃え広がり、巨大な球体へと姿を変える。それはまるで太陽のようであった。そしてその中心で蛇雪が苦悶の声を上げているのが分かる。
「う……あ……っ……!!」
炎の中に閉じ込められた蛇雪は必死に逃れようともがく。だがその炎は決して彼女を逃がさず、そして消える事もない。
蛇雪が脱出を試みれば試みるほど、彼女の肉体は焼かれていくのだ。
最早勝負は決した……と、思われたその瞬間であった。
「!?」
不意に戦場にバリバリと雷撃が鳴り響き始める。そして同時に蛇雪の周囲で凄まじい渦巻く炎が掻き消えた。
信葉が空を見ると快晴だった空は暗雲立ち込め、まるで嵐のように風が吹き荒れる。
雷が大地を穿ち、炎を打ち消してしまう。蛇雪が炎から逃れたその瞬間に、信葉は地面を蹴っていた。
信葉のいたところには稲妻が奔り、更に激しい暴風が吹き荒れる。その一撃は大地を抉り、融解させた。
「もう一人の『蛇』か……ちっ」
戦場に突如発生した雷を見て信葉は舌打ちをする。
雷の術を操る魔性の半化生……蔡藤家にいる三匹の忍びの一人が確かそんな術を使う筈だ。
普段の信葉ならば二匹同時に相手しても不足はないが、今、彼女は白狐を片手で抱えている。そんな状態で白狐を護りながら強敵と戦うのは不利にすぎる。
それに、蔡藤家の軍勢は奇襲の傷から早くも立ち直り既に態勢を整えている。だからこそ信葉は蛇雪の襲撃があった時点で織波軍を退避させたのだ。
故に彼女もまた素早くここから下がらなければならない。ここは退くしかなさそうだ……。
「覚えておけ、氷の蛇。この織波信葉の前に立ちふさがるのなら……お前も、周囲の者も全て焼き尽くす。この私が自ら、貴様らを無間地獄に堕としてやる」
「……く、ぁ……」
炎に焼かれながらも、蛇雪は信葉を睨みつける。その瞳には強い憎悪が宿っていた。
そんな彼女を見下しながら、信葉は馬に跨ると白狐を抱えたまま撤退を始めたのであった。
「織波……信葉……」
蛇雪の呟きが戦場に虚しく響く。彼女の手から氷の塊がするりと抜け落ちた。
「殺す……必ず……」
その言葉を残し、彼女はガクリと項垂れた。
バリバリと。雷の音だけが戦場に響いていた。
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