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本編
107.「そ、村長さんって結構エッチなんだね……♡」
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蒼鷲地方のとある村にて……。
「おぉい、そこは刈り終わったかぁ?」
「いんや、まだだ」
「早く終わらせて次いくどー!」
数十人の農民が畑の収穫に取りかかっている。今は畑の収穫期であり、皆が畑仕事に精を出している。
黄金色に実った畑の中で、農作業に精を出しながら村人達は今日の仕事を終えていく。
そんな中、その内の一人が街道の奥から何かがやって来るのに気づいた。
「ん? なんだりゃ……?」
列をなした人の群れ。それも数十人という単位ではなく、数百人……いや、数千人という規模かもしれない。
あっという間に街道を埋め尽くしたその者達は、農作業の手を止めさせるほどの衝撃を村人に与えた。
「おい! ありゃなんだ!?」
「兵隊だ……ありゃきっと戦だぞ!!」
農民達はその手に鍬や鋤を持ちながら、何事かと畑から街道に出て行きその行軍に視線を向けた。
その先頭を行くのは十数騎ほどの騎兵達であり、それらの者達が掲げる旗印にはとある家紋が刻まれている。
そしてその家紋を目にした農民達にどよめきが起こる。それはこの地方の支配者にして、とある家の家紋であったからだ。
「こら織波のお殿様の軍勢かぁ!」
織波家。その大名の名は蒼鷲地方の民草にまで轟いていた。
この地方の支配者にして、長年の間蒼鷲地方を治めてきた名家である織波家。
最近織波家同士の内紛があり、戦の末に遂に一つの勢力に纏まったという話は農民達にも知れ渡っている。
織波の当主は家臣達から信望を集め、蒼鷲の民には良き殿様と慕われている。
旗印に織波の家紋が刻まれている事に農民たちは安堵し、手を振る者もいるくらいだ。
「おおーい!頑張ってこいよー!」
「お殿様ー! 戦に勝ってくだせぇ!」
農民たちは口々に農具を振り回し、馬に跨る武者達を激励する。それに手を振りながら応える武者達。
この光景は日常的に行われているものであり、織波と蒼鷲地方の関係を如実に表していた。
蒼鷲地方は面積こそ狭いが非常に豊かな土地であり、大港も有している事から様々な文化や技術が流入していた。
織波が長年善政を敷いている事も相まって、国力は周囲の地方と比較しても高い方だ。
「おや、あれは……」
そんな中、一人の農民がとある存在を見つける。それは手を振る農民達に手を振り返す小さい影……。
白い尻尾をゆらゆらと揺らし、蒼鷲の民達に微笑むのは一匹の半化生。
彼女(もしくは彼)は満面の笑みで手を振ると、すぐに背中を向けて街道の先へと駆けて行ってしまった。
「おぉ、ありゃ狐か?」
「忍者ってやつかな?えらいめんこいねぇ」
半化生。忍者として行軍に混じる白狐の半化生は、その農民達の視線を背中に浴びながら街道の先へと消えていった。
「あんな小さい子が戦に出るだなんてなぁ」
「半化生は歳が分かりにくいっていうからあれでも大人なんじゃねぇか?」
「そうは見えんけどねぇ」
「でも尻尾"四本"もあったど。結構強い半化生なんでねぇか?」
「"四本"?そういえばキツネやネコの半化生は強ければ強い程、尻尾が増えるっちゅー話を聞いた事あんなぁ」
「あんま強そうに見えんのう」
そんな農民達の話を他所に、織波の軍勢は街道を進んでいく。それはまるで戦が起こる事など嘘のように穏やかな光景であった。
─────────
「全隊、止まれ!本日はここで野営とする!」
街道を数日進み、日も暮れかけた頃。織波の軍は本日の行軍を終え、野営の準備を始めた。
周囲に開けた平地を見つけ、その地で陣幕を張ると兵糧ふぁだふぁせる。そして騎馬や歩兵は自らの天幕を用意し、野営の準備を始める。
皆慣れたもので、テキパキと動きながらも比較的和気あいあいとした雰囲気であった。
「ふーん、蔡藤家の軍勢は山間の平野部で軍勢を待機させている……ね」
そんな中、織波軍の大将……織波信葉は陣幕の中で配下の兵からの報告を受けていた。
彼女は物見からの報告を受けると頬杖を突きながら、気だるげな表情を浮かべそう言った。
「はっ!此度の戦には蔡藤家の軍の他に蒼織波の残党も合流しているそうで、その数は一万二千弱との事です!」
「一万二千……此方の数を大きく上回っているな……」
その数を聞き、信葉の横に侍る武将……瀬良がそう呟いた。彼女は信葉の腹心として今回の戦でも副将を務めていた。
今回信葉に与えられた織波の軍勢は八千。対して蔡藤家の軍勢は一万二千。数だけ見れば織波の方が圧倒的に不利だ。
しかも悪い事に蔡藤家もこれで全力ではない。後詰として更に数万単位の援軍を送ってくる事も十分あり得るだろう。
瀬良は眉をしかめながら、物見の報告を聞いていた。しかし、信葉は彼女とは対照的に気にした様子もなく、気だるげな表情のまま地図を見つめている。
信葉は机に置いてある地図上に駒を置いていく。蔡藤家の軍勢に対し、いくつかの駒を置きながら彼女なりの戦略を考えていた。
此方は寡兵。空川の備えも考えなければいけない以上、秀菜からの援軍も見込めない。
これは退く事も考えなければ、と瀬良は思っていた。
だが……
「ま、楽勝ね」
瀬良の主である信葉は事もなげにそう言った。
瀬良が驚きに目を見開きながら信葉を見る。すると信葉は地図上に置かれた駒の一つを蔡藤家の東に置く。
「背後の備えをしなければならないのは蔡藤家も同じ。奴等の後ろには武陽家が控えてるし」
「武陽……あぁそうか、この間の戦で武陽は領地を広げ、蔡藤家と領地を接する事になりましたな」
武陽家は今回の戦の相手である蔡藤家の隣に位置する、織波と同盟を結んでいる勢力だ。
同盟といっても強固なものではなく、敵の敵は味方……という程度の薄い繋がりではあるが、その存在は確かに蔡藤家の楔と成り得ている。
「そもそもね、今回に限っては私達の目的は蔡藤家の殲滅じゃないの」
「え?それは一体……」
「今回の戦ではね、蔡藤は織波にとっての"ついで"なの。私達の目的は……」
その時、陣幕の中に慌てた様子の兵が飛び込んできた。
「し、失礼致します!敵軍が此方に進軍してきました!」
「へぇ?」
その報告を聞いた信葉は口角を吊り上げ、にやりと微笑む。
「ま、所詮は残党って事ね。この期に及んで湾織波に歯向かう馬鹿だし、蔡藤家の本体が到着する前に仕掛けてくるなんて」
「如何致しますか?」
信葉はすくっと立ち上がると、そのまま外に向けて歩き始めた。彼女の後に瀬良が付き従う。
陣幕の外に出ると、青空が広がっていた。信葉は背伸びをすると、瀬良に向けて言葉を放つ。
「準備運動くらいにはなるでしょう。私の領地の兵……そう、私の兵だけで打って出るわ!」
信葉は腰に差してあった刀をポンと叩くと、自信満々にそう宣言した。
「信葉親衛隊の初陣よ!さぁ、蹴散らしてやろうじゃないの!」
─────────
織波軍の陣地では兵士達が野営の準備を整えていた。焚火をおこし、簡易的な陣幕を張り巡らせて敵襲に備える。
皆、てきぱきと野営の準備を行っておりそれを見るだけで兵の練度の高さが伺えるだろう。
そして、その中には信葉の領地の兵……。信葉親衛隊の兵達の姿もあった。
「おーい、笹!これどこに置けばいいー!?」
「それは向こうに置いてくれー!」
「弓兵はこっちなー!矢の手入れを忘れるんじゃないぞー!」
信葉の親衛隊……。元不良の少女達は手慣れた手付きで野営の準備をしていく。
この数か月、訓練を真面目に熟した結果不良達とは思えないほど練度も高く、そして統率がとれていた。
信葉の領地での厳しい訓練が彼女達を成長させ、猛者達に鍛え上げていた。
「おーう!おめーら、すぐに出陣出来るようにしておけよ!いつ敵さんが来るか分かんねぇんだからな!」
そして彼女達を育て上げた教官役でもあり、現場の隊長でもある力丸も部隊に激を飛ばしていた。
そしてその傍らには、信葉親衛隊の実質的な指揮官である人物……東条鈴華が控えていた。
彼女は鎧を全身に纏い、領地で見せるいつものおっとりとした姿とは一線を画す凛々しさと気高さを放っていた。
「皆さん、あまり気張らないように。厳しい訓練を耐え抜いてきた皆さんならば、きっとこの戦でも生き残れるはずです」
鈴華の凛とした声がその場にいる者達の耳に響く。
何故だか彼女の言葉は皆を安心させてくれる。そんな鈴華が前線に出ているという事実が、士気を高めるのに一役買っていた。
「な、なに言ってんだよ鈴華さん。まるで私達が緊張して怯えてるみたいじゃないか。そ、そんな事ないよな?」
「そ、そうッスよ!ウチらは姉御の親衛隊なんスから……ふ、ふひ……」
元不良達……前利や川知が声と脚を震わせてそう口にする。それが虚勢だというのは誰の目にも明らかだったのだが、皆似たようなものである。
しかしそれは仕方のない事なのだ。いくら訓練をしたところで訓練は訓練。本当の殺し合いを経験していない彼女達にとって戦というのは地獄の入り口にも似た存在なのだ。
鈴華はそんな元不良達に微笑みかけた。
「安心してください。皆さんの事は私が守ります」
そう言うと鈴華は一人一人の顔を見つめる。その瞳には強い慈愛の光が灯っており、不良達は頬を赤らめながら視線を外すのだった。
この鈴華という女性は領地にいる時はその生真面目っぷりから少し鬱陶しいと感じる事もあるが、その人の良さと面倒見の良さから領地の民から慕われている。
そんな彼女が自分達を守ると言っているのだ。その頼もしさに彼女達は不思議と安心感を得ていた。
鈴華の微笑みに、皆は少しだけ緊張が解れたようであった。
そんな時だった。鈴華達の野営に一人の人物が駆け込んでくる。
「みんなー、ちゃんとやれてるー!?」
白いキツネの尻尾に、キツネの耳を生やした半化生……。白狐である。
彼は太い尻尾をフリフリしながら、野営に駆け込んでくる。
「白狐くん、来てくれたのですね」
白狐の姿を認めた鈴華はにこりと微笑み、軽く頭を下げる。
白狐は手をぶんぶんと振って鈴華に挨拶をすると、野営の準備を的確に熟す前利や笹を見て目を輝かせた。
「わぁ、みんなすごいね!こんなに手際がいいなんて!」
白狐は彼女達がただの不良だった頃の姿を知っている。何に対してもやる気がなく、反抗的だった彼女達の姿を。
だからこそ今の彼女達は白狐の眼には輝いて見えた。
「へへ、私達ももう一人前なんだからなぁ、これくらい朝飯前よ!」
「そ、そうッスよ!ウチらだってやる時はやるんスよ!」
「見直した?尻尾くん?」
そんな白狐に対し元不良達は誇らしげに胸を張る。その姿が何だか可笑しくて鈴華はふふっと笑いをこぼした。
そしてそんなやり取りをしていると不意に鈴華はある事に気付いた。
「あれ……白狐くん、その尻尾は……」
鈴華は白狐のキツネの尻尾を見る。するとそこには"四本"の白い尻尾が生えているではないか。
四本……?確か彼の尻尾は三本だった筈である。それが何故四本に増えているのかと鈴華は首を傾げるが、その疑問に答えるように白狐は自らの尻尾を抱き締めながら満面の笑みを浮かべ言った。
「僕ね、三匹の分身から元に戻ったら尻尾が四本に増えてたの!」
「そうなのですか。分身を解除してたんですね」
───白狐の分身。
分身の術と言えるかどうか分からないが、白狐は分身によって分裂した身体を一つに戻したのだ。
分身をしていると各々の力が弱くなってしまう。それは身体が増える事以上に大きなデメリットであり、故に戦の際は一匹に戻る事にしたのだ。
するとどうした事か、もともと三本だった筈の尻尾が四本に増えているではないか。
何故増えたのかは皆目見当も付かないが、増えたならばそれはそれで良いかと白狐は納得した。
多分雑用経験値が溜まったのだろう。それかエッチな経験値かな……?
「これでもっとみんなの役に立てるよ!」
笑顔でそう口にする白狐を見て鈴華はなんだか心が暖かくなるのを感じていた。
このキツネの子は純真無垢で、そして人の役に立ちたいと心の底から思っているのだろう。
純粋であるが故に、その言葉には真実味がありそれが彼女達の心に響いていた。
「ところでどうやって分身を解除したのですか?」
三匹それぞれに自我があったようだが、どのようにして融合したのだろうか。
気になった鈴華はそれとなく聞いてみた。
「え……?それは……えっと……」
鈴華の問いに対して白狐は何故かモジモジし始める。その様子を見て、一体どうしたのだろうかと首を傾げる。
「そ、村長さんって結構エッチなんだね……♡」
「はい?」
急に意味不明な事を言われた鈴華は目を丸くして白狐を見た。彼は顔を赤らめるとそのまま顔を背けて走り去ってしまった。
「……」
呆然と彼の背中を見送る鈴華。力丸や他の不良も同様で、口を開けぽかんとした表情をしている。
自分との融合がエッチ……?一体どういう事なんだ?本当にどうやって一匹に戻ったのだろう……。
その場にいる面々が悶々と疑問を浮かべていたが、それを解決する者は誰も居なかった。
「あいつ何しに来たんだ?」
力丸がボソッとそう呟くが、答える者はいなかった。
しかし、その瞬間である。白狐が走り去った方向から再び彼がこちらに駆けてくる。
「白狐くん?どうしたんです……」
鈴華は彼に話し掛けようとしたが、その瞬間彼が叫んだ。
「ご、ごめんね皆!言うの忘れてたけど、信葉様から出陣の命令が来たのー!!!」
カチリと。その場にいた全員の動きが止まった。
「おぉい、そこは刈り終わったかぁ?」
「いんや、まだだ」
「早く終わらせて次いくどー!」
数十人の農民が畑の収穫に取りかかっている。今は畑の収穫期であり、皆が畑仕事に精を出している。
黄金色に実った畑の中で、農作業に精を出しながら村人達は今日の仕事を終えていく。
そんな中、その内の一人が街道の奥から何かがやって来るのに気づいた。
「ん? なんだりゃ……?」
列をなした人の群れ。それも数十人という単位ではなく、数百人……いや、数千人という規模かもしれない。
あっという間に街道を埋め尽くしたその者達は、農作業の手を止めさせるほどの衝撃を村人に与えた。
「おい! ありゃなんだ!?」
「兵隊だ……ありゃきっと戦だぞ!!」
農民達はその手に鍬や鋤を持ちながら、何事かと畑から街道に出て行きその行軍に視線を向けた。
その先頭を行くのは十数騎ほどの騎兵達であり、それらの者達が掲げる旗印にはとある家紋が刻まれている。
そしてその家紋を目にした農民達にどよめきが起こる。それはこの地方の支配者にして、とある家の家紋であったからだ。
「こら織波のお殿様の軍勢かぁ!」
織波家。その大名の名は蒼鷲地方の民草にまで轟いていた。
この地方の支配者にして、長年の間蒼鷲地方を治めてきた名家である織波家。
最近織波家同士の内紛があり、戦の末に遂に一つの勢力に纏まったという話は農民達にも知れ渡っている。
織波の当主は家臣達から信望を集め、蒼鷲の民には良き殿様と慕われている。
旗印に織波の家紋が刻まれている事に農民たちは安堵し、手を振る者もいるくらいだ。
「おおーい!頑張ってこいよー!」
「お殿様ー! 戦に勝ってくだせぇ!」
農民たちは口々に農具を振り回し、馬に跨る武者達を激励する。それに手を振りながら応える武者達。
この光景は日常的に行われているものであり、織波と蒼鷲地方の関係を如実に表していた。
蒼鷲地方は面積こそ狭いが非常に豊かな土地であり、大港も有している事から様々な文化や技術が流入していた。
織波が長年善政を敷いている事も相まって、国力は周囲の地方と比較しても高い方だ。
「おや、あれは……」
そんな中、一人の農民がとある存在を見つける。それは手を振る農民達に手を振り返す小さい影……。
白い尻尾をゆらゆらと揺らし、蒼鷲の民達に微笑むのは一匹の半化生。
彼女(もしくは彼)は満面の笑みで手を振ると、すぐに背中を向けて街道の先へと駆けて行ってしまった。
「おぉ、ありゃ狐か?」
「忍者ってやつかな?えらいめんこいねぇ」
半化生。忍者として行軍に混じる白狐の半化生は、その農民達の視線を背中に浴びながら街道の先へと消えていった。
「あんな小さい子が戦に出るだなんてなぁ」
「半化生は歳が分かりにくいっていうからあれでも大人なんじゃねぇか?」
「そうは見えんけどねぇ」
「でも尻尾"四本"もあったど。結構強い半化生なんでねぇか?」
「"四本"?そういえばキツネやネコの半化生は強ければ強い程、尻尾が増えるっちゅー話を聞いた事あんなぁ」
「あんま強そうに見えんのう」
そんな農民達の話を他所に、織波の軍勢は街道を進んでいく。それはまるで戦が起こる事など嘘のように穏やかな光景であった。
─────────
「全隊、止まれ!本日はここで野営とする!」
街道を数日進み、日も暮れかけた頃。織波の軍は本日の行軍を終え、野営の準備を始めた。
周囲に開けた平地を見つけ、その地で陣幕を張ると兵糧ふぁだふぁせる。そして騎馬や歩兵は自らの天幕を用意し、野営の準備を始める。
皆慣れたもので、テキパキと動きながらも比較的和気あいあいとした雰囲気であった。
「ふーん、蔡藤家の軍勢は山間の平野部で軍勢を待機させている……ね」
そんな中、織波軍の大将……織波信葉は陣幕の中で配下の兵からの報告を受けていた。
彼女は物見からの報告を受けると頬杖を突きながら、気だるげな表情を浮かべそう言った。
「はっ!此度の戦には蔡藤家の軍の他に蒼織波の残党も合流しているそうで、その数は一万二千弱との事です!」
「一万二千……此方の数を大きく上回っているな……」
その数を聞き、信葉の横に侍る武将……瀬良がそう呟いた。彼女は信葉の腹心として今回の戦でも副将を務めていた。
今回信葉に与えられた織波の軍勢は八千。対して蔡藤家の軍勢は一万二千。数だけ見れば織波の方が圧倒的に不利だ。
しかも悪い事に蔡藤家もこれで全力ではない。後詰として更に数万単位の援軍を送ってくる事も十分あり得るだろう。
瀬良は眉をしかめながら、物見の報告を聞いていた。しかし、信葉は彼女とは対照的に気にした様子もなく、気だるげな表情のまま地図を見つめている。
信葉は机に置いてある地図上に駒を置いていく。蔡藤家の軍勢に対し、いくつかの駒を置きながら彼女なりの戦略を考えていた。
此方は寡兵。空川の備えも考えなければいけない以上、秀菜からの援軍も見込めない。
これは退く事も考えなければ、と瀬良は思っていた。
だが……
「ま、楽勝ね」
瀬良の主である信葉は事もなげにそう言った。
瀬良が驚きに目を見開きながら信葉を見る。すると信葉は地図上に置かれた駒の一つを蔡藤家の東に置く。
「背後の備えをしなければならないのは蔡藤家も同じ。奴等の後ろには武陽家が控えてるし」
「武陽……あぁそうか、この間の戦で武陽は領地を広げ、蔡藤家と領地を接する事になりましたな」
武陽家は今回の戦の相手である蔡藤家の隣に位置する、織波と同盟を結んでいる勢力だ。
同盟といっても強固なものではなく、敵の敵は味方……という程度の薄い繋がりではあるが、その存在は確かに蔡藤家の楔と成り得ている。
「そもそもね、今回に限っては私達の目的は蔡藤家の殲滅じゃないの」
「え?それは一体……」
「今回の戦ではね、蔡藤は織波にとっての"ついで"なの。私達の目的は……」
その時、陣幕の中に慌てた様子の兵が飛び込んできた。
「し、失礼致します!敵軍が此方に進軍してきました!」
「へぇ?」
その報告を聞いた信葉は口角を吊り上げ、にやりと微笑む。
「ま、所詮は残党って事ね。この期に及んで湾織波に歯向かう馬鹿だし、蔡藤家の本体が到着する前に仕掛けてくるなんて」
「如何致しますか?」
信葉はすくっと立ち上がると、そのまま外に向けて歩き始めた。彼女の後に瀬良が付き従う。
陣幕の外に出ると、青空が広がっていた。信葉は背伸びをすると、瀬良に向けて言葉を放つ。
「準備運動くらいにはなるでしょう。私の領地の兵……そう、私の兵だけで打って出るわ!」
信葉は腰に差してあった刀をポンと叩くと、自信満々にそう宣言した。
「信葉親衛隊の初陣よ!さぁ、蹴散らしてやろうじゃないの!」
─────────
織波軍の陣地では兵士達が野営の準備を整えていた。焚火をおこし、簡易的な陣幕を張り巡らせて敵襲に備える。
皆、てきぱきと野営の準備を行っておりそれを見るだけで兵の練度の高さが伺えるだろう。
そして、その中には信葉の領地の兵……。信葉親衛隊の兵達の姿もあった。
「おーい、笹!これどこに置けばいいー!?」
「それは向こうに置いてくれー!」
「弓兵はこっちなー!矢の手入れを忘れるんじゃないぞー!」
信葉の親衛隊……。元不良の少女達は手慣れた手付きで野営の準備をしていく。
この数か月、訓練を真面目に熟した結果不良達とは思えないほど練度も高く、そして統率がとれていた。
信葉の領地での厳しい訓練が彼女達を成長させ、猛者達に鍛え上げていた。
「おーう!おめーら、すぐに出陣出来るようにしておけよ!いつ敵さんが来るか分かんねぇんだからな!」
そして彼女達を育て上げた教官役でもあり、現場の隊長でもある力丸も部隊に激を飛ばしていた。
そしてその傍らには、信葉親衛隊の実質的な指揮官である人物……東条鈴華が控えていた。
彼女は鎧を全身に纏い、領地で見せるいつものおっとりとした姿とは一線を画す凛々しさと気高さを放っていた。
「皆さん、あまり気張らないように。厳しい訓練を耐え抜いてきた皆さんならば、きっとこの戦でも生き残れるはずです」
鈴華の凛とした声がその場にいる者達の耳に響く。
何故だか彼女の言葉は皆を安心させてくれる。そんな鈴華が前線に出ているという事実が、士気を高めるのに一役買っていた。
「な、なに言ってんだよ鈴華さん。まるで私達が緊張して怯えてるみたいじゃないか。そ、そんな事ないよな?」
「そ、そうッスよ!ウチらは姉御の親衛隊なんスから……ふ、ふひ……」
元不良達……前利や川知が声と脚を震わせてそう口にする。それが虚勢だというのは誰の目にも明らかだったのだが、皆似たようなものである。
しかしそれは仕方のない事なのだ。いくら訓練をしたところで訓練は訓練。本当の殺し合いを経験していない彼女達にとって戦というのは地獄の入り口にも似た存在なのだ。
鈴華はそんな元不良達に微笑みかけた。
「安心してください。皆さんの事は私が守ります」
そう言うと鈴華は一人一人の顔を見つめる。その瞳には強い慈愛の光が灯っており、不良達は頬を赤らめながら視線を外すのだった。
この鈴華という女性は領地にいる時はその生真面目っぷりから少し鬱陶しいと感じる事もあるが、その人の良さと面倒見の良さから領地の民から慕われている。
そんな彼女が自分達を守ると言っているのだ。その頼もしさに彼女達は不思議と安心感を得ていた。
鈴華の微笑みに、皆は少しだけ緊張が解れたようであった。
そんな時だった。鈴華達の野営に一人の人物が駆け込んでくる。
「みんなー、ちゃんとやれてるー!?」
白いキツネの尻尾に、キツネの耳を生やした半化生……。白狐である。
彼は太い尻尾をフリフリしながら、野営に駆け込んでくる。
「白狐くん、来てくれたのですね」
白狐の姿を認めた鈴華はにこりと微笑み、軽く頭を下げる。
白狐は手をぶんぶんと振って鈴華に挨拶をすると、野営の準備を的確に熟す前利や笹を見て目を輝かせた。
「わぁ、みんなすごいね!こんなに手際がいいなんて!」
白狐は彼女達がただの不良だった頃の姿を知っている。何に対してもやる気がなく、反抗的だった彼女達の姿を。
だからこそ今の彼女達は白狐の眼には輝いて見えた。
「へへ、私達ももう一人前なんだからなぁ、これくらい朝飯前よ!」
「そ、そうッスよ!ウチらだってやる時はやるんスよ!」
「見直した?尻尾くん?」
そんな白狐に対し元不良達は誇らしげに胸を張る。その姿が何だか可笑しくて鈴華はふふっと笑いをこぼした。
そしてそんなやり取りをしていると不意に鈴華はある事に気付いた。
「あれ……白狐くん、その尻尾は……」
鈴華は白狐のキツネの尻尾を見る。するとそこには"四本"の白い尻尾が生えているではないか。
四本……?確か彼の尻尾は三本だった筈である。それが何故四本に増えているのかと鈴華は首を傾げるが、その疑問に答えるように白狐は自らの尻尾を抱き締めながら満面の笑みを浮かべ言った。
「僕ね、三匹の分身から元に戻ったら尻尾が四本に増えてたの!」
「そうなのですか。分身を解除してたんですね」
───白狐の分身。
分身の術と言えるかどうか分からないが、白狐は分身によって分裂した身体を一つに戻したのだ。
分身をしていると各々の力が弱くなってしまう。それは身体が増える事以上に大きなデメリットであり、故に戦の際は一匹に戻る事にしたのだ。
するとどうした事か、もともと三本だった筈の尻尾が四本に増えているではないか。
何故増えたのかは皆目見当も付かないが、増えたならばそれはそれで良いかと白狐は納得した。
多分雑用経験値が溜まったのだろう。それかエッチな経験値かな……?
「これでもっとみんなの役に立てるよ!」
笑顔でそう口にする白狐を見て鈴華はなんだか心が暖かくなるのを感じていた。
このキツネの子は純真無垢で、そして人の役に立ちたいと心の底から思っているのだろう。
純粋であるが故に、その言葉には真実味がありそれが彼女達の心に響いていた。
「ところでどうやって分身を解除したのですか?」
三匹それぞれに自我があったようだが、どのようにして融合したのだろうか。
気になった鈴華はそれとなく聞いてみた。
「え……?それは……えっと……」
鈴華の問いに対して白狐は何故かモジモジし始める。その様子を見て、一体どうしたのだろうかと首を傾げる。
「そ、村長さんって結構エッチなんだね……♡」
「はい?」
急に意味不明な事を言われた鈴華は目を丸くして白狐を見た。彼は顔を赤らめるとそのまま顔を背けて走り去ってしまった。
「……」
呆然と彼の背中を見送る鈴華。力丸や他の不良も同様で、口を開けぽかんとした表情をしている。
自分との融合がエッチ……?一体どういう事なんだ?本当にどうやって一匹に戻ったのだろう……。
その場にいる面々が悶々と疑問を浮かべていたが、それを解決する者は誰も居なかった。
「あいつ何しに来たんだ?」
力丸がボソッとそう呟くが、答える者はいなかった。
しかし、その瞬間である。白狐が走り去った方向から再び彼がこちらに駆けてくる。
「白狐くん?どうしたんです……」
鈴華は彼に話し掛けようとしたが、その瞬間彼が叫んだ。
「ご、ごめんね皆!言うの忘れてたけど、信葉様から出陣の命令が来たのー!!!」
カチリと。その場にいた全員の動きが止まった。
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男女比が1:720という世界に転生主人公、都道幸一改め天野大知。 男に生まれたという事で悠々自適な生活を送ろうとしていたが、ふとVtuberを思い出しVtuberになろうと考えだす。 ブラコンの姉妹に囲まれながら楽しく活動!
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勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
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最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
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※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
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月が導く異世界道中extra
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
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彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
こちらは月が導く異世界道中番外編になります。
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