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本編
95.「本当に変なキツネ」
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信葉という人物は桜の木の下で舞う事を好んだ。
今の季節は桜の花びらは散って、新緑が萌えている。だが、信葉にとっては、季節などは関係なくただ桜の木の下で舞うという事が重要らしい。
「……」
白狐には舞いの良し悪し等は分からなかった。
彼女の行う芸能がどういった類のものなのかも知らない。能というのか、曲舞というのか、はたまた雅楽という様式なのかも分からない。
だが、それでも白狐は信葉の舞いを見ると『美しい』と思うのだ。
普段は苛烈な性格の信葉だが、舞いを披露する時には神々しいとさえ思える空気を纏った。
そして、その空気を纏いながら舞う彼女はとても生き生きとしているのだ。
「ふぅ」
そして舞い終えると、彼女は満足したのか深呼吸をして息を整える。
白狐はすかさず持っていた手ぬぐいを彼女に手渡す。
「ありがとう」
すると、信葉は素直に感謝を言葉にして受け取り、顔や首など汗だくの部分を拭いていく。
その姿は妙に艶やかしく、彼女の美貌と相まっていつも近くで彼女を白狐ですら見惚れてしまう程だった。
「相変わらず見事な舞でございますね」
「そう? まあ、褒められて悪い気はしないわね」
素直に賞賛を送ると、彼女はまんざらでもなさそうに笑みを浮かべる。そして、彼女は「ふぅ」と息を吐いてから手ぬぐいを返してくる。
その手拭いはほんのりといい匂いがした。この匂いが白狐は好きだった。
何だか懐かしいような、安心できるようなそんな匂いがする。
そんな白狐の思惑を無視して隣に腰を下ろした信葉が問うてくる。
「白狐。鼓を打ちなさい」
信葉の言葉に、白狐は小首を傾げる。
「よろしいのですか?」
彼女は合いの手を入れられる事があまり好きではなかった筈だ。
どういう心境の変化かと白狐が首を傾げると信葉はこう言った。
「いいのよ。たまには」
白狐の疑問に答えるように、信葉は軽く微笑んで立ち上がる。
そして、舞いを披露する前に彼女が居た桜の木の下へと歩いていく。
そんな彼女の後姿を見ながら、白狐は側に置いてあった小さな鼓を肩に担ぎ、信葉に習うように舞いが始まる前の位置に移動する。
そして、舞が始まるまで少し時間を置くと、信葉が語り掛けるように言う。
「人間ってね。半化生と違って何百年も生きられないのよ」
「?」
突然そんな事を言う信葉に白狐はますます彼女が何を言いたいのか分からなくなる。
そして、信葉は白狐に顔を向けないまま言った。
「何百年後……アンタは私の事を覚えているか分からないけど、この舞いだけは忘れないようにしてあげる」
そう言うと信葉はゆっくりと舞いを舞う。白狐は慌てて鼓を奏でる。
すると、その旋律に乗って信葉は舞う。まるで天女のように美しく、儚い。まるで幻想でも見ているかのようなそんな錯覚すら覚える。
だが、これは紛れも無い現実で、彼女は天女でも幻想でもなく、現実に舞う姫なのだ。
それを強く実感しながら、白狐はいつまでも続くのではないかと思われた舞いを見届けた。
それは一瞬の事のようであり、永遠に続くような時間だ。時折なる鼓の合いの手が独創的な歌にすら聞こえてくる。
そして、舞い終えると、信葉は両手を組み、眼を閉じて頭を垂れる。
その一連の動作を見届けてから白狐が鼓を止めると、ゆっくりと息を吐き出した。
「……」
素晴らしい舞いであり、幻想的な光景だった。
ただ、惜しむらくは桜舞う時期であればより美しい光景だったろうと、思わずにいられない。
「戦が始まるわ」
白狐がそう思う中、不意にぽつりと信葉が言った。
ーーー戦。
その事を白狐は知っていた。密偵白狐からの情報で、近々この地方の北にある龍ヶ峰地方に織波家が攻め入るという噂……。
信葉が言っている戦とは、その事であると白狐は分かった。
「さようでございますか」
白狐は恭しく頭を下げる。
「なにも言わないのね」
「と申しますと?」
「アンタさ、戦が嫌いみたいだから」
信葉の言葉に白狐は身体をびくりと震わせる。
どうやらバレていたようだ。やはり彼女に隠し事は出来ないな、と白狐は思った。
信葉の言う通り白狐は戦が嫌いだ。
それもそうだろう、好き好んで命の奪い合いをしたい人物がいる筈がない。
いるとしたら狂人の類であり、それは白狐にとって到底理解し得ない存在だった。
……だが、それでも戦という行為がなくならないのは知性ある生物の性なのだろう。
その事自体を否定するつもりはない。だが白狐はどうしても無為な戦を歓迎する事が出来なかった。
「私は信葉様が戦場に行くと仰るならば何処へでも付いて行きましょう」
白狐は信葉の言葉を誤魔化すようにそう言った。
言外に戦が嫌いだと言っているようなものだが、信葉はそれを聞いて小さく笑みを零すと、白狐の側に座った。
「アンタってホント、変な半化生ね」
からかうようにそう言うと、彼女は白狐の頭を優しく撫でた。
信葉に撫でられると、自然と顔がにやけてしまいそうになる。
彼女の撫で方はとても上手いのだ。キツネ耳の撫で方も、キツネの尻尾の撫で方も、そして、顔の撫で方も上手い。
一見粗暴な印象を受ける信葉という人物だが(本当に粗暴だが)、意外に繊細なところもあるのだ。
そもそもの話、信葉自身も戦を好いていないという事は白狐は薄々気付いていた。
好いていない……というより興味がないと言った方がいいだろうか。
ただ、戦は信葉でも予想出来ないイレギュラーな出来事が発生するのでその事は楽しんでいるようだし、純粋に強い敵と戦うのは嫌いではないようだが戦という行為自体には彼女は興味を示していない。
小姓白狐は暫く信葉の近くで一緒に暮らし、その事に気付いた。
そして、そんな信葉に『戦が嫌いだ』と言ったところで、彼女は何も言わないだろうという事も分かっていた。
だから、白狐は言わなかった。信葉がわざわざ口にしないように、白狐もまた何も言わない。
「本当に変なキツネ」
信葉の言葉に答えるように、白狐は彼女の肩に頭を置くと目を閉じる。
しかし、それ以上会話が交わされる事はなかった。
桜の木が揺れる中、二人はただ静かに身を寄せ合ったのだった。
ーーーーーーーーー
清波城大広間。
そこでは織波家の家臣が一同に会していた。
広間の奥にある床は一段高くなっており、そこには織波家当主・織波秀菜がどかりと腰を下ろしている。
家臣たちは一段低い床に腰を下ろし、奥に鎮座する秀菜を無言で見つめている。
そんな異様な空気の中、秀菜は口を開いた。
「これより龍ヶ峰侵攻の軍議を行う」
その一言で場の空気が一気に張り詰める。数多の戦場を潜り抜けてきた秀菜の鋭くも猛々しい瞳が家臣たちを射抜いた。
緊張感が場を支配する中、織波家二大家老である芝村と林が秀菜の代わりに言葉を発する。
「今やこの蒼鷲地方は我等が主君、秀菜様の支配下にある」
それは周知の事実であった。宗家の軍勢は既になく、残党もほぼ駆逐し終えた今織波分家こそがこの地の支配者である事はもはや誰の目にも明らかである。
秀菜の手によってようやく平穏が訪れた蒼鷲地方であるが、未だ戦乱の種は燻っている。
龍ヶ峰地方の大名が蒼鷲地方の内乱を煽っていた事はこの場にいる全員が知るところであり、これを放置すると秀菜の……引いては織波家の威信に傷がつく。
それ故に、秀菜は大義名分を以って龍ヶ峰地方を攻め落とす命を発したのだ。
「宗家の背後にいたのは蔡藤家である事は、あの場に蛇紅がいた事からも明らかだ」
林が眼鏡を光らせながらそう言うと、他の家臣たちが相槌を打つ。
彼女は戦場にはいなかったが、その事は家臣たちの調べにより確認済みだ。
古来より織波家と蔡藤家は争い続けてきた。それこそ秀菜の祖母の代から、それこそ恵楽家がこの蒼鷲を支配していた頃からの因縁だ。
そして蛇紅という半化生は織波で知らぬ者はいない忍者だ。
あの化け蛇は何百年もの間、織波家を苦しめてきた。
神出鬼没の蛇紅によってどれだけの同胞が殺されたか、考えるだけで織波の諸将は怒りで腸が煮えくり返りそうになる。
だが、真に恐ろしいのはあの蛇と同等……いや、それ以上の実力を持つ蛇の半化生が後に二匹も存在する事であった。
『龍ヶ峰三忍衆』
それが蔡藤家に仕える蛇の忍に付いた二つ名である。
「ようやく蒼鷲の地を統一した我々であるが、蔡藤家を根絶しない限りは真の平穏は訪れぬ」
芝村がそう言うと、今度は家臣の一人が口を開く。
「しかし秀菜様、貴女様が今動かれると東の空川が黙ってはおりますまい」
「空川か……」
秀菜はその家臣の指摘を予想していたのか、険しい表情でその言葉を受け止める。
蒼鷲地方の東には空川家という勢力があり、こちらもまた同じく織波家との因縁を抱えている。
それも今回のような中途半端な戦いではなく、もっと大きな戦を幾度も行っているのだ。
空川家は蔡藤家以上の大敵であるが、今はとにかく北を目指す事が先決である。
龍ヶ峰地方の制圧を急ぐべきだと、秀菜はそう考えているのだ。
「目障りな宗家が潰えた今、私がここにいれば空川が侵攻してこようと跳ねのけられよう。あの忌々しい坊主も、もういない事だしな……」
そう言いくっくっと笑う秀菜。そんな彼女の様子を見て諸将は顔を見合わせる。
秀菜が龍ヶ峰侵攻軍を率いるのではないのか?では、誰が?
そう思った瞬間である。
不意に大広間の襖が開かれた。
勢い良く開かれた襖に家臣たちが驚きながらそちらに視線を向けると、そこには鎧を纏った信葉が仁王立ちしていた。
「侵攻軍の総大将は私よ」
突然現れた信葉の姿に家臣団がどよめく中、信葉は悠々と秀菜の前まで歩いていき、そして諸将の方へと鋭い眼差しを向ける。
「宗家との戦で蛇紅が暗躍していた事が判明したわ。それはつまり、私達織波が舐められているという事」
そう言うと、信葉は腰に差していた刀を抜いた。
鋭い切っ先が大広間の天井の明かりに照らされ怪しく輝く。その異様な雰囲気に家臣団たちは思わず息を呑み、自然と静まり返ってしまう。
そんな家臣たちの反応を見て、信葉は不敵に微笑むとゆっくりと刀を鞘に戻した。
「我々を舐めた事を後悔させてやる」
そう言い放った彼女の姿に家臣団は圧倒される。
それはこの場にいる全員が、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまうほどのものだった。
最上位格の英傑から放たれる圧がそうさせたのだ。
「……姫の仰せのままに」
そんな中、一番最初に反応を示したのは芝村だった。
彼女は表情を引き締めると、恭しく頭を下げる。それを受け、他の家臣たちも次々と頭を下げていく。
「信葉様直々に出られるのであれば、我らに異論はありません」
林と芝村の言葉に家臣団が大きく頷き、そして次に秀菜へと視線を向ける。
その視線を受けた秀菜は一度深く目を伏せると、静かに立ち上がって口を開いた。
「ではこれより戦の準備を始める。各々、兵を領地から集めよ!」
「ははーっ!」
号令に家臣たちが一斉に声を上げる。
こうして織波家の新たなる戦が幕を開けたのである。
「……」
いきり立つ家臣団を信葉は冷めた目で見つめていた。
ーーー戦を始める。それも、くだらない面子が原因の、くだらない戦。
それを何故こいつらはこうも楽し気に出来るのだろうか?
馬鹿馬鹿しい。秀菜に言われ、仕方なく信葉は侵攻軍の大将にもなったし、今こうして家臣達の士気を上げる発言もした。
しかし彼女の胸中にあるのは虚しさだけである。
戦を介して強者と戦えるのは信葉とて楽しみだ。しかし戦そのものを楽しむ気にはならない。
信葉も白狐と同じなのだ。だからこそ、彼女と白狐は互いに惹かれ合っている。
「馬鹿みたい」
信葉の放った小さな呟きは誰の耳にも入る事はなかった。
今の季節は桜の花びらは散って、新緑が萌えている。だが、信葉にとっては、季節などは関係なくただ桜の木の下で舞うという事が重要らしい。
「……」
白狐には舞いの良し悪し等は分からなかった。
彼女の行う芸能がどういった類のものなのかも知らない。能というのか、曲舞というのか、はたまた雅楽という様式なのかも分からない。
だが、それでも白狐は信葉の舞いを見ると『美しい』と思うのだ。
普段は苛烈な性格の信葉だが、舞いを披露する時には神々しいとさえ思える空気を纏った。
そして、その空気を纏いながら舞う彼女はとても生き生きとしているのだ。
「ふぅ」
そして舞い終えると、彼女は満足したのか深呼吸をして息を整える。
白狐はすかさず持っていた手ぬぐいを彼女に手渡す。
「ありがとう」
すると、信葉は素直に感謝を言葉にして受け取り、顔や首など汗だくの部分を拭いていく。
その姿は妙に艶やかしく、彼女の美貌と相まっていつも近くで彼女を白狐ですら見惚れてしまう程だった。
「相変わらず見事な舞でございますね」
「そう? まあ、褒められて悪い気はしないわね」
素直に賞賛を送ると、彼女はまんざらでもなさそうに笑みを浮かべる。そして、彼女は「ふぅ」と息を吐いてから手ぬぐいを返してくる。
その手拭いはほんのりといい匂いがした。この匂いが白狐は好きだった。
何だか懐かしいような、安心できるようなそんな匂いがする。
そんな白狐の思惑を無視して隣に腰を下ろした信葉が問うてくる。
「白狐。鼓を打ちなさい」
信葉の言葉に、白狐は小首を傾げる。
「よろしいのですか?」
彼女は合いの手を入れられる事があまり好きではなかった筈だ。
どういう心境の変化かと白狐が首を傾げると信葉はこう言った。
「いいのよ。たまには」
白狐の疑問に答えるように、信葉は軽く微笑んで立ち上がる。
そして、舞いを披露する前に彼女が居た桜の木の下へと歩いていく。
そんな彼女の後姿を見ながら、白狐は側に置いてあった小さな鼓を肩に担ぎ、信葉に習うように舞いが始まる前の位置に移動する。
そして、舞が始まるまで少し時間を置くと、信葉が語り掛けるように言う。
「人間ってね。半化生と違って何百年も生きられないのよ」
「?」
突然そんな事を言う信葉に白狐はますます彼女が何を言いたいのか分からなくなる。
そして、信葉は白狐に顔を向けないまま言った。
「何百年後……アンタは私の事を覚えているか分からないけど、この舞いだけは忘れないようにしてあげる」
そう言うと信葉はゆっくりと舞いを舞う。白狐は慌てて鼓を奏でる。
すると、その旋律に乗って信葉は舞う。まるで天女のように美しく、儚い。まるで幻想でも見ているかのようなそんな錯覚すら覚える。
だが、これは紛れも無い現実で、彼女は天女でも幻想でもなく、現実に舞う姫なのだ。
それを強く実感しながら、白狐はいつまでも続くのではないかと思われた舞いを見届けた。
それは一瞬の事のようであり、永遠に続くような時間だ。時折なる鼓の合いの手が独創的な歌にすら聞こえてくる。
そして、舞い終えると、信葉は両手を組み、眼を閉じて頭を垂れる。
その一連の動作を見届けてから白狐が鼓を止めると、ゆっくりと息を吐き出した。
「……」
素晴らしい舞いであり、幻想的な光景だった。
ただ、惜しむらくは桜舞う時期であればより美しい光景だったろうと、思わずにいられない。
「戦が始まるわ」
白狐がそう思う中、不意にぽつりと信葉が言った。
ーーー戦。
その事を白狐は知っていた。密偵白狐からの情報で、近々この地方の北にある龍ヶ峰地方に織波家が攻め入るという噂……。
信葉が言っている戦とは、その事であると白狐は分かった。
「さようでございますか」
白狐は恭しく頭を下げる。
「なにも言わないのね」
「と申しますと?」
「アンタさ、戦が嫌いみたいだから」
信葉の言葉に白狐は身体をびくりと震わせる。
どうやらバレていたようだ。やはり彼女に隠し事は出来ないな、と白狐は思った。
信葉の言う通り白狐は戦が嫌いだ。
それもそうだろう、好き好んで命の奪い合いをしたい人物がいる筈がない。
いるとしたら狂人の類であり、それは白狐にとって到底理解し得ない存在だった。
……だが、それでも戦という行為がなくならないのは知性ある生物の性なのだろう。
その事自体を否定するつもりはない。だが白狐はどうしても無為な戦を歓迎する事が出来なかった。
「私は信葉様が戦場に行くと仰るならば何処へでも付いて行きましょう」
白狐は信葉の言葉を誤魔化すようにそう言った。
言外に戦が嫌いだと言っているようなものだが、信葉はそれを聞いて小さく笑みを零すと、白狐の側に座った。
「アンタってホント、変な半化生ね」
からかうようにそう言うと、彼女は白狐の頭を優しく撫でた。
信葉に撫でられると、自然と顔がにやけてしまいそうになる。
彼女の撫で方はとても上手いのだ。キツネ耳の撫で方も、キツネの尻尾の撫で方も、そして、顔の撫で方も上手い。
一見粗暴な印象を受ける信葉という人物だが(本当に粗暴だが)、意外に繊細なところもあるのだ。
そもそもの話、信葉自身も戦を好いていないという事は白狐は薄々気付いていた。
好いていない……というより興味がないと言った方がいいだろうか。
ただ、戦は信葉でも予想出来ないイレギュラーな出来事が発生するのでその事は楽しんでいるようだし、純粋に強い敵と戦うのは嫌いではないようだが戦という行為自体には彼女は興味を示していない。
小姓白狐は暫く信葉の近くで一緒に暮らし、その事に気付いた。
そして、そんな信葉に『戦が嫌いだ』と言ったところで、彼女は何も言わないだろうという事も分かっていた。
だから、白狐は言わなかった。信葉がわざわざ口にしないように、白狐もまた何も言わない。
「本当に変なキツネ」
信葉の言葉に答えるように、白狐は彼女の肩に頭を置くと目を閉じる。
しかし、それ以上会話が交わされる事はなかった。
桜の木が揺れる中、二人はただ静かに身を寄せ合ったのだった。
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清波城大広間。
そこでは織波家の家臣が一同に会していた。
広間の奥にある床は一段高くなっており、そこには織波家当主・織波秀菜がどかりと腰を下ろしている。
家臣たちは一段低い床に腰を下ろし、奥に鎮座する秀菜を無言で見つめている。
そんな異様な空気の中、秀菜は口を開いた。
「これより龍ヶ峰侵攻の軍議を行う」
その一言で場の空気が一気に張り詰める。数多の戦場を潜り抜けてきた秀菜の鋭くも猛々しい瞳が家臣たちを射抜いた。
緊張感が場を支配する中、織波家二大家老である芝村と林が秀菜の代わりに言葉を発する。
「今やこの蒼鷲地方は我等が主君、秀菜様の支配下にある」
それは周知の事実であった。宗家の軍勢は既になく、残党もほぼ駆逐し終えた今織波分家こそがこの地の支配者である事はもはや誰の目にも明らかである。
秀菜の手によってようやく平穏が訪れた蒼鷲地方であるが、未だ戦乱の種は燻っている。
龍ヶ峰地方の大名が蒼鷲地方の内乱を煽っていた事はこの場にいる全員が知るところであり、これを放置すると秀菜の……引いては織波家の威信に傷がつく。
それ故に、秀菜は大義名分を以って龍ヶ峰地方を攻め落とす命を発したのだ。
「宗家の背後にいたのは蔡藤家である事は、あの場に蛇紅がいた事からも明らかだ」
林が眼鏡を光らせながらそう言うと、他の家臣たちが相槌を打つ。
彼女は戦場にはいなかったが、その事は家臣たちの調べにより確認済みだ。
古来より織波家と蔡藤家は争い続けてきた。それこそ秀菜の祖母の代から、それこそ恵楽家がこの蒼鷲を支配していた頃からの因縁だ。
そして蛇紅という半化生は織波で知らぬ者はいない忍者だ。
あの化け蛇は何百年もの間、織波家を苦しめてきた。
神出鬼没の蛇紅によってどれだけの同胞が殺されたか、考えるだけで織波の諸将は怒りで腸が煮えくり返りそうになる。
だが、真に恐ろしいのはあの蛇と同等……いや、それ以上の実力を持つ蛇の半化生が後に二匹も存在する事であった。
『龍ヶ峰三忍衆』
それが蔡藤家に仕える蛇の忍に付いた二つ名である。
「ようやく蒼鷲の地を統一した我々であるが、蔡藤家を根絶しない限りは真の平穏は訪れぬ」
芝村がそう言うと、今度は家臣の一人が口を開く。
「しかし秀菜様、貴女様が今動かれると東の空川が黙ってはおりますまい」
「空川か……」
秀菜はその家臣の指摘を予想していたのか、険しい表情でその言葉を受け止める。
蒼鷲地方の東には空川家という勢力があり、こちらもまた同じく織波家との因縁を抱えている。
それも今回のような中途半端な戦いではなく、もっと大きな戦を幾度も行っているのだ。
空川家は蔡藤家以上の大敵であるが、今はとにかく北を目指す事が先決である。
龍ヶ峰地方の制圧を急ぐべきだと、秀菜はそう考えているのだ。
「目障りな宗家が潰えた今、私がここにいれば空川が侵攻してこようと跳ねのけられよう。あの忌々しい坊主も、もういない事だしな……」
そう言いくっくっと笑う秀菜。そんな彼女の様子を見て諸将は顔を見合わせる。
秀菜が龍ヶ峰侵攻軍を率いるのではないのか?では、誰が?
そう思った瞬間である。
不意に大広間の襖が開かれた。
勢い良く開かれた襖に家臣たちが驚きながらそちらに視線を向けると、そこには鎧を纏った信葉が仁王立ちしていた。
「侵攻軍の総大将は私よ」
突然現れた信葉の姿に家臣団がどよめく中、信葉は悠々と秀菜の前まで歩いていき、そして諸将の方へと鋭い眼差しを向ける。
「宗家との戦で蛇紅が暗躍していた事が判明したわ。それはつまり、私達織波が舐められているという事」
そう言うと、信葉は腰に差していた刀を抜いた。
鋭い切っ先が大広間の天井の明かりに照らされ怪しく輝く。その異様な雰囲気に家臣団たちは思わず息を呑み、自然と静まり返ってしまう。
そんな家臣たちの反応を見て、信葉は不敵に微笑むとゆっくりと刀を鞘に戻した。
「我々を舐めた事を後悔させてやる」
そう言い放った彼女の姿に家臣団は圧倒される。
それはこの場にいる全員が、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまうほどのものだった。
最上位格の英傑から放たれる圧がそうさせたのだ。
「……姫の仰せのままに」
そんな中、一番最初に反応を示したのは芝村だった。
彼女は表情を引き締めると、恭しく頭を下げる。それを受け、他の家臣たちも次々と頭を下げていく。
「信葉様直々に出られるのであれば、我らに異論はありません」
林と芝村の言葉に家臣団が大きく頷き、そして次に秀菜へと視線を向ける。
その視線を受けた秀菜は一度深く目を伏せると、静かに立ち上がって口を開いた。
「ではこれより戦の準備を始める。各々、兵を領地から集めよ!」
「ははーっ!」
号令に家臣たちが一斉に声を上げる。
こうして織波家の新たなる戦が幕を開けたのである。
「……」
いきり立つ家臣団を信葉は冷めた目で見つめていた。
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それを何故こいつらはこうも楽し気に出来るのだろうか?
馬鹿馬鹿しい。秀菜に言われ、仕方なく信葉は侵攻軍の大将にもなったし、今こうして家臣達の士気を上げる発言もした。
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戦を介して強者と戦えるのは信葉とて楽しみだ。しかし戦そのものを楽しむ気にはならない。
信葉も白狐と同じなのだ。だからこそ、彼女と白狐は互いに惹かれ合っている。
「馬鹿みたい」
信葉の放った小さな呟きは誰の耳にも入る事はなかった。
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