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本編
69.「(葉脈衆頭領の僕にかかれば掃除なんて他愛も無い……)」
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織波家嫡女・織波信葉。
蒼鷲地方の支配者たる織波家の姫には直属の忍者部隊が存在した。
―――その名は葉脈衆。
織波信葉の命を忠実に実行し、その手足となって働く精強な忍者部隊だ。葉っぱの葉脈のよう張り巡らされた目に見えない程の細かい情報網は、信葉の意思を忠実に遂行する。
その数、現在……
一人である……
「ふんふんふ~ん♪」
そんな栄ある葉脈衆の頭領・白狐はご機嫌に鼻歌を歌いながら、ハタキで清波城の廊下を掃除していた。
――この清波城にやって来て数日。白狐は信葉から任命された仕事(雑用)を着々とこなし、その仕事ぶりを評価され始めていた。
「お藍さ~ん!終わったよ~!」
白狐はにこやかに笑って、掃除したばかりの綺麗な廊下を自慢げに眺めて女中長・お藍へと声を掛けた。
キヌより少し歳上の彼女は、清波城で働く女中の中で最年長の女性であり、この城の家事関連を統括する存在である。
最年長と言っても40代なのだが、妙に艷やかな外見は白狐の目線を惑わせ、お藍が経産婦である事を知っていても心がときめいてしまう。
特にチャーミングなのはその眼鏡だ。この世界に眼鏡が存在する事に白狐は驚いたがよく考えたら幻魔も時々眼鏡をしていたような覚えがある。
だから一般的なもの……とまではいわないが、裕福な人ならば眼鏡くらいは持っているのかもしれない。
「……」
そんな女中長・お藍であるが彼女はキリッとした目付きで白狐が掃除した箇所を見つめると眼鏡をクイッ、と上げた。
そして指を廊下の隅に沿わせると、その指先には埃一つ付着しておらずピカピカに磨かれている。
「(葉脈衆頭領の僕にかかれば掃除なんて他愛も無い……)」
ドヤ顔で胸を張りながら、心のなかでそんな事を考えている白狐の尻尾はフリフリと揺れていた。
そんな白狐を見て、お藍はフゥッと息を吐くと小さな笑みを浮かべてこう言った。
「素晴らしいですね、白狐殿。ここまで綺麗になるとは思ってはいませんでした」
ニコリと微笑む女中長に白狐は頬を赤くして照れ笑いを浮かべた。白狐の頭に彼女の手がぽん、と置かれる。
「信葉様から半化生を寄越された時はどうなるかと思いましたが……貴女は他の半化生と違って素直で、器用で、聞き分けが良く、手際がいい……」
女中長の知る半化生というのは雑用というものを一切しない者達であった。
無論忍者というのは雑用係として雇われている訳ではないので家事や炊事、掃除が出来なくてもいいのだが、半化生は人間とは比べ物にならない程に不器用で掃除をすれば何故か余計汚くなるわ、炊事をすればおぞましい味の料理(と言うのもおこがましいが)を作るわ、洗濯をすれば服を破いてしまうわで戦闘以外ではまるで役に立たないのだ。
そういった失敗をしても大抵の半化生は「こんなのは私の仕事ではない」とごねて責任転嫁し、自分の失敗に責任を取ろうとしなかった。
その点お藍は、白狐が他の半化生と比べて如何に優れているかを理解していた。
まず彼女は器用である、それは掃除の一つを取ってもそう言える事だし、何事にも直ぐに順応出来るのは素晴らしい才能だ。
そして白狐の尻尾はとても大きく、モフモフしている……。それも彼女の素直さ・真面目さを象徴しているのかもしれない……(気のせい)
「よろしいでしょう。ここはもういいので次の任務をお願いします」
「はい!」
女中長の言葉に白狐は元気よく敬礼し、そしてお藍は白狐の尻尾がフリフリする様を見ながら、やはりニコニコと微笑んでいた。
まだ幼い白狐の姿は清波の城の中で目立ち、そして話題になっていた。可愛らしい見た目に、素直な性格は女中達の噂話好きなお姉さん心を刺激しまくっていた。
「……頑張ったご褒美に蜜アメさんをあげましょう」
「やったぁ!僕蜜アメちゃん大好きです!ありがとうございます!」
かくいう女中長もまた、幼いながらも直向きに頑張る白狐を見ていると暖かい気持ちになり、ついつい白狐を甘やかしてしまう。
アメを受け取った白狐は早速それを頬張ると満面の笑みを浮かべながら尻尾を振っていた。その様子はまさにモフモフした可愛い子犬のようである。
「じゃあ次の任務に行ってきまーす!」
白狐は元気よく女中長に手を振ると廊下を走っていった。お藍はその姿を見送ると、はぁと溜息を吐く。
彼女は白狐と初めて会った時の事を思い出していた。数日前、信葉が唐突に幼い半化生を連れて自分の元にやって来たのだ。
―――――――――
『藍!コイツにこの城での仕事を教えてやんなさい!』
信葉は満面の笑みで白狐を押し付けてきた。それはまるで自分の玩具を友達に自慢する子供のようであった。
『よろしくお願いします!葉脈衆頭領の白狐です!』
『……ヨーミャクシュートーリョー?』
不思議な言葉を唱える白狐にお藍は訝しげな表情を浮かべるも、信葉が彼女に耳打ちした。
『コイツ自分の事を忍者だと思い込んでる精神異常狐なのよ。時々意味不明な事言うけど色々察してやって』
『まぁ、それは……』
恐らく何らかの事情で里から追い出されたのだろう、この戦乱の世では珍しくないが幼い半化生一人で生きていけるほどこの世界は甘くはない。
里から追い出された半化生は忍者の教育も受けれずに彷徨う事になる。だが忍者になる事を未だに夢見て、よく分からない事を口走ってしまうのだ……
お藍は白狐を哀れんだ。だが、それと仕事は話は別だ。半化生に人間の仕事が務まるのか……お藍は不安であったが、信葉姫のお達しならば仕方が無い。
『あ、それとコイツ私の側仕えにするからそのつもりでよろしくね』
『そ、側仕えで御座いますか?半化生を……?』
側仕えというのは主人の身の世話や仕事の補助をする者である。織波の姫の側仕えともなればそれ相応の教養と礼儀作法、そして家柄が要求されるのだが……
しかし半化生を側仕えにしろなどという命令は前代未聞であった。雑用すら苦手な半化生にそんな大任を任せるなんて……
お藍は信葉の真意を推し量れずにいた。しかし信葉の命令に否という返事は最初から用意されていない。
『……かしこまりました』
『それじゃ、頼んだわよ!』
お藍の返事に満足した信葉は白狐を置いて何処かに行ってしまった。
その場に残されたのはニコニコと笑みを浮かべる白狐とお藍。彼女は深い溜息を吐くと白いキツネの半化生をどうしたものかと頭を抱えるのだった。
―――――――――
というやり取りがあってから早数日。
お藍は当初の評価を反省し、白狐を高く評価していた。
任務を与えれば真面目にこなし、失敗すれば素直に謝り改善しようとする姿勢は素晴らしいものだ。なにより物覚えが早いのも素晴らしい。
お藍が教えた事をスポンジのように吸収する姿は彼女が見てきたどんな人間の女中よりも優れていた。
「信葉様は彼女の女中としての才を見込んで側仕えに任命されたのでしょうね……」
お藍がそんな事を呟いた瞬間、ふと彼女の視界に若い女中が拙い手つきで洗濯物を運んでいるのが映った。
若い女中はふらふらとした足取りで洗濯物を運んでおり、今にも転びそうである。
女中長・お藍の眼鏡がギラリと光った。
「そこっ!!何をやってるのですか!?」
「ひえっ!?じ、女中長!?」
突然お叱りの声が聞こえた若い女中は驚きに目を見開くと洗濯物を放り投げてその場にへたり込んでしまった。
その様子を見て、お藍は深い溜息を吐く。
「全く……貴女は……いいですか?織波家に仕える女中として恥ずかしくない仕事をしなさい!」
お藍がガミガミとお小言を言い始める中、若い女中はまたか、とうんざりした表情を浮かべて自分の上司の言葉を聞いていた。
女中長・お藍。
鬼のお藍と呼ばれ、城で働く者から恐れられる仕事の鬼……
笑顔を一切見せぬお藍の前では、女中達は彼女を恐れて仕事をサボる事無く、真面目に働き続ける。
城の中で彼女は女中達にとっての恐怖の象徴であった……のだが……
「そもそも貴女は女中としての自覚があるのですか!洗濯一つまともに出来ないなんて!」
意外と子供に甘いという事は知られていない……
彼女のポケットの中には白狐にあげる用の蜜アメが大切に仕舞われており、そして同時に彼女はモフモフが好きであった。
―――――――――
「あら、白狐様。もう傷はお治りになられたのですか?」
白狐が廊下を歩いていると、見知った顔と出会した。
先日床に臥せっていた時にお世話をしてくれた侍女、キヌである。上品そうな着物を着た彼女は白狐の姿を見ると微笑して頭を下げた。
「あ!キヌさん!もう平気だよ!」
白狐は腕を捲ると健康的な肌をキヌに見せる。するとキヌはそんな白狐の頭をよしよしと撫でながら、柔和な笑みを浮かべた。
「半化生の方は人間と違って直ぐに傷が癒えますね。でも、もう少し私がお世話しても良かったんですけど……」
「え?」
「い、いえなんでもありませんわ、おほほ……」
妙に顔を赤らめてキヌは笑う。その様子に白狐は首を傾げたが、彼女は深く追及する事は無かった。
「ところで白狐様はここで何をなされているのですか?」
キヌは清波城の使用人が使う裏廊下に白狐が何故こんな場所にいるのかと問う。
白狐は得意げに笑うと手に持っていた小さな風呂敷の包みをキヌに見せる。風呂敷の中には野菜や卵などの食材がたんまりと包まれていた。
「信葉様のご飯を作る時の食材を持ってきたの!これから調理するんだ!」
「え……信葉様のご飯を……?」
瞬間、キヌの表情が曇った。彼女は白狐の事を少し心配そうに眺めると口を開いた。
「白狐様は……えぇっと……忍者で御座いますよね?」
「そうだよ?葉脈衆頭領なの!」
ヨウミャクシュウトウリョーというのが何なのかはキヌにはよく分からなかったが、何故忍者が料理をする事になっているのだろうか……
キヌは秀菜から白狐が忍者であると聞いている。その為何故彼が女中の真似事をしているかが理解出来なかった。
「僕もよく分からないけど織波の忍者は料理をするんだって信葉様が言ってたよ。色んな忍者がいるんだねぇ」
えぇ……?そんなの初めて聞いた……
騙されてるんじゃないか、とキヌは思ったがそれを言ったのが信葉ならば自分には何も言えない。
彼女は信葉が幼い頃から彼女の事をよく知っている。だから彼女が言う事は絶対なのだ。
「白狐様、料理は出来るのですか?」
どのような意図で信葉が白狐に料理を命じたのかは分からないが、彼女の……いや、世間一般の常識として半化生は料理などが不得意であるというのは事実だ。
「うん!僕、料理得意なんだ!」
グッと拳を作ってキヌに白い牙を見せる白狐の姿は、まさに子供そのものでキヌは何も言えずに困惑する。
生来のお節介な性格もあってキヌは白狐の事が気掛かりで仕方なかった。
何かあってからでは遅い、ここは清波城の使用人として、織波一族の世話係でもある自分がなんとかしなければ……
「あの白狐様?もしよろしければ私も手伝いましょうか?」
「え?いいの?じゃあ一緒にお料理しようね!」
ぴょんぴょんと跳び跳ねて喜びを表現する白狐を宥めながらも、キヌは内心で不安を募らせたのであった。
蒼鷲地方の支配者たる織波家の姫には直属の忍者部隊が存在した。
―――その名は葉脈衆。
織波信葉の命を忠実に実行し、その手足となって働く精強な忍者部隊だ。葉っぱの葉脈のよう張り巡らされた目に見えない程の細かい情報網は、信葉の意思を忠実に遂行する。
その数、現在……
一人である……
「ふんふんふ~ん♪」
そんな栄ある葉脈衆の頭領・白狐はご機嫌に鼻歌を歌いながら、ハタキで清波城の廊下を掃除していた。
――この清波城にやって来て数日。白狐は信葉から任命された仕事(雑用)を着々とこなし、その仕事ぶりを評価され始めていた。
「お藍さ~ん!終わったよ~!」
白狐はにこやかに笑って、掃除したばかりの綺麗な廊下を自慢げに眺めて女中長・お藍へと声を掛けた。
キヌより少し歳上の彼女は、清波城で働く女中の中で最年長の女性であり、この城の家事関連を統括する存在である。
最年長と言っても40代なのだが、妙に艷やかな外見は白狐の目線を惑わせ、お藍が経産婦である事を知っていても心がときめいてしまう。
特にチャーミングなのはその眼鏡だ。この世界に眼鏡が存在する事に白狐は驚いたがよく考えたら幻魔も時々眼鏡をしていたような覚えがある。
だから一般的なもの……とまではいわないが、裕福な人ならば眼鏡くらいは持っているのかもしれない。
「……」
そんな女中長・お藍であるが彼女はキリッとした目付きで白狐が掃除した箇所を見つめると眼鏡をクイッ、と上げた。
そして指を廊下の隅に沿わせると、その指先には埃一つ付着しておらずピカピカに磨かれている。
「(葉脈衆頭領の僕にかかれば掃除なんて他愛も無い……)」
ドヤ顔で胸を張りながら、心のなかでそんな事を考えている白狐の尻尾はフリフリと揺れていた。
そんな白狐を見て、お藍はフゥッと息を吐くと小さな笑みを浮かべてこう言った。
「素晴らしいですね、白狐殿。ここまで綺麗になるとは思ってはいませんでした」
ニコリと微笑む女中長に白狐は頬を赤くして照れ笑いを浮かべた。白狐の頭に彼女の手がぽん、と置かれる。
「信葉様から半化生を寄越された時はどうなるかと思いましたが……貴女は他の半化生と違って素直で、器用で、聞き分けが良く、手際がいい……」
女中長の知る半化生というのは雑用というものを一切しない者達であった。
無論忍者というのは雑用係として雇われている訳ではないので家事や炊事、掃除が出来なくてもいいのだが、半化生は人間とは比べ物にならない程に不器用で掃除をすれば何故か余計汚くなるわ、炊事をすればおぞましい味の料理(と言うのもおこがましいが)を作るわ、洗濯をすれば服を破いてしまうわで戦闘以外ではまるで役に立たないのだ。
そういった失敗をしても大抵の半化生は「こんなのは私の仕事ではない」とごねて責任転嫁し、自分の失敗に責任を取ろうとしなかった。
その点お藍は、白狐が他の半化生と比べて如何に優れているかを理解していた。
まず彼女は器用である、それは掃除の一つを取ってもそう言える事だし、何事にも直ぐに順応出来るのは素晴らしい才能だ。
そして白狐の尻尾はとても大きく、モフモフしている……。それも彼女の素直さ・真面目さを象徴しているのかもしれない……(気のせい)
「よろしいでしょう。ここはもういいので次の任務をお願いします」
「はい!」
女中長の言葉に白狐は元気よく敬礼し、そしてお藍は白狐の尻尾がフリフリする様を見ながら、やはりニコニコと微笑んでいた。
まだ幼い白狐の姿は清波の城の中で目立ち、そして話題になっていた。可愛らしい見た目に、素直な性格は女中達の噂話好きなお姉さん心を刺激しまくっていた。
「……頑張ったご褒美に蜜アメさんをあげましょう」
「やったぁ!僕蜜アメちゃん大好きです!ありがとうございます!」
かくいう女中長もまた、幼いながらも直向きに頑張る白狐を見ていると暖かい気持ちになり、ついつい白狐を甘やかしてしまう。
アメを受け取った白狐は早速それを頬張ると満面の笑みを浮かべながら尻尾を振っていた。その様子はまさにモフモフした可愛い子犬のようである。
「じゃあ次の任務に行ってきまーす!」
白狐は元気よく女中長に手を振ると廊下を走っていった。お藍はその姿を見送ると、はぁと溜息を吐く。
彼女は白狐と初めて会った時の事を思い出していた。数日前、信葉が唐突に幼い半化生を連れて自分の元にやって来たのだ。
―――――――――
『藍!コイツにこの城での仕事を教えてやんなさい!』
信葉は満面の笑みで白狐を押し付けてきた。それはまるで自分の玩具を友達に自慢する子供のようであった。
『よろしくお願いします!葉脈衆頭領の白狐です!』
『……ヨーミャクシュートーリョー?』
不思議な言葉を唱える白狐にお藍は訝しげな表情を浮かべるも、信葉が彼女に耳打ちした。
『コイツ自分の事を忍者だと思い込んでる精神異常狐なのよ。時々意味不明な事言うけど色々察してやって』
『まぁ、それは……』
恐らく何らかの事情で里から追い出されたのだろう、この戦乱の世では珍しくないが幼い半化生一人で生きていけるほどこの世界は甘くはない。
里から追い出された半化生は忍者の教育も受けれずに彷徨う事になる。だが忍者になる事を未だに夢見て、よく分からない事を口走ってしまうのだ……
お藍は白狐を哀れんだ。だが、それと仕事は話は別だ。半化生に人間の仕事が務まるのか……お藍は不安であったが、信葉姫のお達しならば仕方が無い。
『あ、それとコイツ私の側仕えにするからそのつもりでよろしくね』
『そ、側仕えで御座いますか?半化生を……?』
側仕えというのは主人の身の世話や仕事の補助をする者である。織波の姫の側仕えともなればそれ相応の教養と礼儀作法、そして家柄が要求されるのだが……
しかし半化生を側仕えにしろなどという命令は前代未聞であった。雑用すら苦手な半化生にそんな大任を任せるなんて……
お藍は信葉の真意を推し量れずにいた。しかし信葉の命令に否という返事は最初から用意されていない。
『……かしこまりました』
『それじゃ、頼んだわよ!』
お藍の返事に満足した信葉は白狐を置いて何処かに行ってしまった。
その場に残されたのはニコニコと笑みを浮かべる白狐とお藍。彼女は深い溜息を吐くと白いキツネの半化生をどうしたものかと頭を抱えるのだった。
―――――――――
というやり取りがあってから早数日。
お藍は当初の評価を反省し、白狐を高く評価していた。
任務を与えれば真面目にこなし、失敗すれば素直に謝り改善しようとする姿勢は素晴らしいものだ。なにより物覚えが早いのも素晴らしい。
お藍が教えた事をスポンジのように吸収する姿は彼女が見てきたどんな人間の女中よりも優れていた。
「信葉様は彼女の女中としての才を見込んで側仕えに任命されたのでしょうね……」
お藍がそんな事を呟いた瞬間、ふと彼女の視界に若い女中が拙い手つきで洗濯物を運んでいるのが映った。
若い女中はふらふらとした足取りで洗濯物を運んでおり、今にも転びそうである。
女中長・お藍の眼鏡がギラリと光った。
「そこっ!!何をやってるのですか!?」
「ひえっ!?じ、女中長!?」
突然お叱りの声が聞こえた若い女中は驚きに目を見開くと洗濯物を放り投げてその場にへたり込んでしまった。
その様子を見て、お藍は深い溜息を吐く。
「全く……貴女は……いいですか?織波家に仕える女中として恥ずかしくない仕事をしなさい!」
お藍がガミガミとお小言を言い始める中、若い女中はまたか、とうんざりした表情を浮かべて自分の上司の言葉を聞いていた。
女中長・お藍。
鬼のお藍と呼ばれ、城で働く者から恐れられる仕事の鬼……
笑顔を一切見せぬお藍の前では、女中達は彼女を恐れて仕事をサボる事無く、真面目に働き続ける。
城の中で彼女は女中達にとっての恐怖の象徴であった……のだが……
「そもそも貴女は女中としての自覚があるのですか!洗濯一つまともに出来ないなんて!」
意外と子供に甘いという事は知られていない……
彼女のポケットの中には白狐にあげる用の蜜アメが大切に仕舞われており、そして同時に彼女はモフモフが好きであった。
―――――――――
「あら、白狐様。もう傷はお治りになられたのですか?」
白狐が廊下を歩いていると、見知った顔と出会した。
先日床に臥せっていた時にお世話をしてくれた侍女、キヌである。上品そうな着物を着た彼女は白狐の姿を見ると微笑して頭を下げた。
「あ!キヌさん!もう平気だよ!」
白狐は腕を捲ると健康的な肌をキヌに見せる。するとキヌはそんな白狐の頭をよしよしと撫でながら、柔和な笑みを浮かべた。
「半化生の方は人間と違って直ぐに傷が癒えますね。でも、もう少し私がお世話しても良かったんですけど……」
「え?」
「い、いえなんでもありませんわ、おほほ……」
妙に顔を赤らめてキヌは笑う。その様子に白狐は首を傾げたが、彼女は深く追及する事は無かった。
「ところで白狐様はここで何をなされているのですか?」
キヌは清波城の使用人が使う裏廊下に白狐が何故こんな場所にいるのかと問う。
白狐は得意げに笑うと手に持っていた小さな風呂敷の包みをキヌに見せる。風呂敷の中には野菜や卵などの食材がたんまりと包まれていた。
「信葉様のご飯を作る時の食材を持ってきたの!これから調理するんだ!」
「え……信葉様のご飯を……?」
瞬間、キヌの表情が曇った。彼女は白狐の事を少し心配そうに眺めると口を開いた。
「白狐様は……えぇっと……忍者で御座いますよね?」
「そうだよ?葉脈衆頭領なの!」
ヨウミャクシュウトウリョーというのが何なのかはキヌにはよく分からなかったが、何故忍者が料理をする事になっているのだろうか……
キヌは秀菜から白狐が忍者であると聞いている。その為何故彼が女中の真似事をしているかが理解出来なかった。
「僕もよく分からないけど織波の忍者は料理をするんだって信葉様が言ってたよ。色んな忍者がいるんだねぇ」
えぇ……?そんなの初めて聞いた……
騙されてるんじゃないか、とキヌは思ったがそれを言ったのが信葉ならば自分には何も言えない。
彼女は信葉が幼い頃から彼女の事をよく知っている。だから彼女が言う事は絶対なのだ。
「白狐様、料理は出来るのですか?」
どのような意図で信葉が白狐に料理を命じたのかは分からないが、彼女の……いや、世間一般の常識として半化生は料理などが不得意であるというのは事実だ。
「うん!僕、料理得意なんだ!」
グッと拳を作ってキヌに白い牙を見せる白狐の姿は、まさに子供そのものでキヌは何も言えずに困惑する。
生来のお節介な性格もあってキヌは白狐の事が気掛かりで仕方なかった。
何かあってからでは遅い、ここは清波城の使用人として、織波一族の世話係でもある自分がなんとかしなければ……
「あの白狐様?もしよろしければ私も手伝いましょうか?」
「え?いいの?じゃあ一緒にお料理しようね!」
ぴょんぴょんと跳び跳ねて喜びを表現する白狐を宥めながらも、キヌは内心で不安を募らせたのであった。
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