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本編
58.「貴女、秀菜の娘でしょぉ?」
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その感覚に信根が気付いたのは最後の金平糖を口に放り込んだ時であった。
何やら下腹部がもやもやとした違和感を覚える。何かこう、ムズムズするというか、落ち着かないというか……。
そう、これは……
おしっこがしたいという気持ち……
即ち尿意である。
「……」
人間というのは普通ならば緊張状態に在る時には尿意、便意を感じにくくなるものだが、それでも尿意を感じるのは彼女の膀胱に大量の水分が溜まってしまっているからだ。
一体何故……と思うよりも前に信根は原因を察していた。
「(お茶を飲みすぎましたわ……!)」
お茶と金平糖を白狐から差し出された信根だが、金平糖の甘さとあまりのお茶の美味しさについ調子に乗って飲みすぎてしまった。恐らくそれが仇になったのだろう。
飲みすぎた自分が悪いのだが八つ当たりするように横に侍る白狐を睨むと彼はキョトンと首を傾げた。
「お茶、美味しかったですか?」
尻尾をフリフリと振りながらそう言う白狐に一瞬殺意が湧いたものの、それを何とか抑えると信根は立ち上がって陣幕の際まで歩いていく。
「あれ、信根様?何処いくんですか?」
慌てて白狐が追いかけてくるが、今は構っていられない。
「お・花・摘・み!ですわっ!」
信根の言葉に白狐はあぁ、と納得するとポンと手を叩いた。
「では、僕が小便の後を舌で綺麗に致しましょう!」
白狐がそう言った瞬間、周りにいた兵がギョッと目を見開く。
それに気付かない白狐はニコニコと笑みを浮かべていたのだが、信根は急に般若のような顔になって彼の腹部に拳を叩き込んだ。
「うぎゃあ!?」
「お、お前は何を言っているんですの!?変態!?変態なのお前は!?」
顔を真っ赤にして叫ぶ信根だったが、白狐は苦悶に喘ぎつつ不思議そうな顔で信根を見て言った。
「で、でも織波家では護衛がおしっこの後に舐めて綺麗にするって……うぐぅっ!?」
言い終わる前に再び信根の拳が白狐の鳩尾に突き刺さった。
流石の白狐もこれには堪らず身体をよろめかせるとそのまま地面に倒れ伏してしまう。
「そんな馬鹿なしきたり、ある訳ないでしょうが!お前はとんでもない変態ね!?付いてきたらぶっ殺しますわよ!!」
「な゛……な゛んで……こんな゛……ごど……」
確かに昨日そう聞いたのに……それを信じてやってきたのに……
それなのにどうして自分は殴られた上に罵られているんだろう……
そんな疑問を抱きつつも白狐はガクリと意識を失ってしまうのであった。
「ふ、ふん……流石はお姉様の忍者ね。意味の分からない事を喋りますわ」
周りの兵士に聞こえるようにそう言うと、信根はそそくさとその場から離れていく。
そうだ、こんなところで油を売っている暇はない。早く小便を済ませないと……
信根は倒れる白狐を尻目に一人陣幕の外へと出ていった。
―――――――――
「ふぅ……」
チョロロロと音を鳴らしながら、信根は一息ついた。
「全く……戦中に小便なんてワタクシとしたことが迂闊でしたわ……」
結局、彼女は小便をする為に人気のない場所までやって来てしまっていた。
それもこれも全部あの忍者のせいだ。
あんなに美味しいお茶を用意するから小便がしたくなってしまった。
「……それにしてもアイツ、一体何者なのかしら」
信根は小便をしながらそう呟いていた。
姉、信葉に仕えているという忍者、白狐。自分よりも幼いが何をやらせても優秀で、非の打ち所がない。
忍者としての仕事ぶりは見てないので分からないが……側仕えとしては超一流である。信根も認めざるを得ない程の万能さである。
掃除も、料理も、気の遣い方も、そして何を言われても嫌な顔一つせず従順に働くその姿。
それはまるで犬のようだった。いや、キツネか……
「(……ワタクシったらなんでアイツの事ばかり考えてますの?)」
そこまで考えた瞬間、信根の顔がボンっと爆発するかのように赤く染まった。
何を考えているんだ自分は。別にあのキツネが好きな訳では無い。そもそも女同士で好きも糞も無いだろう。
たた……気になるだけだ。西蛮の菓子である金平糖の製法をも知るあの謎のキツネが。
「(お姉様なら何か知っているかしら)」
あの忍者を雇った姉ならば何か知っているに違いない。
側仕え……もとい雑用係としては優秀なのだ。姉に言ってあの忍者を自分に譲るように要求して……
「(ってなんでワタクシがあんな奴を引き取らなくちゃなりませんの!)」
信根は自分で考えた事に自分でツッコミを入れる。
「(べ、別に欲しいとかそういうんじゃありませんの!ただちょっとだけ興味があるだけですの!!)」
心の中でそう叫んだ後、信根はハッと我に返る。
「(って、何を一人で騒いでいるのかしらワタクシは……!)」
恥ずかしさに頭を抱えそうになるが、信根は頭を振って冷静になると小便を終えた。
「ふぅ……」
これでやっと一息付いた。
陣に帰ったらあのキツネに殴った事を謝ろうか……アイツは自分が昨日言った織波のしきたりを守ろうとしただけだ。
……あんな馬鹿げた事を信じる方もアレだとは思うが、一応自分が言ってしまった事ではある。少々理不尽だったかもしれない。
そんな事を考えながら信根が陣幕へ戻ろうとした時。
―――彼女の耳にガサリと茂みが揺れる音が聞こえてきた。
一瞬ビクリと身体を震わせるも、ここは湾織波の本陣近くの茂みだ。見廻りの忍びだっているし、こんな所にまで敵が入り込める訳がない。
そこまで思い至った信根はある事に気付く。
そうだ。あのキツネに違いない。あんなに言ったのに、こっそり自分の排尿に付いてきたのだ。
「はぁ、全く……しょうがないキツネですわね」
信根はホッと胸を撫で下ろすと、白狐が潜んでいるであろう方向へ歩いていく。
仕事熱心なのはいいが、少しくらいは遠慮しなさいよと文句を言おうと思った。
シュルシュルと、何かが這いずるような音がした。
聞き慣れぬ音に信根はピタリと足を止める。
その瞬間。
茂みから飛び出してきたのはキツネではなく、巨大な蛇の尾であった。
「―――え?」
目にも止まらぬ速度で伸びたそれは信根の胴体に巻き付くとそのまま彼女を持ち上げてしまった。
「なっ……」
突然の出来事に信根は抵抗する事も出来ず、そのまま宙に浮いた状態で身体の自由を奪われる。
ギリギリと、大蛇の尾が信根の身体を締め付けていく。万力の力で胴を挟まれた信根はあまりの痛みに苦悶の声を上げた。
「ぐぅっ……!な、何……!?」
信根は身体に巻きつく尾の隙間から何とか顔を出してそう叫ぶ。
その返事は蛇の胴体の先から返ってきた。
「飛んで火に入る夏の虫……いや、この場合は人間かしらぁ?まぁ、どっちでもいいわね」
茂みから女の上半身が姿を現した。
緑色の長い髪を揺らしながら、女はケタケタと笑いながら信根を見つめている。
信根は苦痛に顔を歪めながらも、目の前の女から目が離せないでいた。
美しい女の上半身に、蛇の下半身を持つ異形。蛇の半化生……!
即ち、忍者。織波には蛇の半化生などいない。故に目の前の存在が敵か味方かは自然に理解出来た。
「き、貴様っ……!敵方の、忍びか……!」
震える声を必死に抑えながら信根はそう問いかけると、女はニィッと口角を上げて笑った。
人外の美しさと恐ろしさを併せ持つ妖艶な雰囲気に信根はゴクリと唾を飲む。
「敵……そうねぇ、貴女から見たら私は確かに敵だわぁ。だって私、今から貴女を殺すんだものねぇ」
そう言って蛇の半化生……蛇紅は片手に持っていたモノを乱雑に地面へと放り投げる。
「……ッひ!?」
地面に転がるその物体を見て信根は小さく悲鳴を上げた。それは何者かの頭部であった。
血塗れで、無惨に引き千切られ、見るも無残な姿になった女の首。
それは本陣の護衛の任に就いていた忍者のものであった。
「……あ」
あまりの光景に信根はガタガタと身体を震わせてしまう。
殺される。この化け物に自分は殺されてしまう。恐怖で頭がおかしくなりそうな中、蛇紅は口を歪めて笑った。
「コイツ、殺しちゃったわぁ。いや、私も殺したくなかったのよ?だってこんな雑魚殺したところでなんの得もないしねぇ」
女の口からチロチロと長い蛇の舌が覗いている。それはまるで舌なめずりするかのように動いていた。
「この女、私の事見つけちゃったのよぉ。だから殺したの。こうやって締め付けて……声を出せないようにして……後は喉笛を噛み切ってやったらすぐに死んじゃったわぁ」
地面に散らばる首の残骸が、蛇紅のした事を如実に物語っていた。凄惨な殺人現場に信根は身体を震わせる。
蛇紅の顔が信根に近付き、耳元で囁いた。
「貴女も同じにしてあげるわぁ……大丈夫、安心して頂戴。痛いのは一瞬だけだからぁ……」
「ひっ……!!」
信根は思わず目を瞑ってしまう。そして訪れるであろう激痛に備えた。
しかし、何時まで経っても痛みは襲ってこない
「……?」
不思議に思った信根はそっと目を開ける。そこには信根の視界一杯に広がる蛇紅の顔が在った。吐息すら感じられる程の距離である。
だが、先程とは表情が違い何かを訝しんでいるような、そんな様子であった。
「貴女……似てるわねぇ」
「な、何を言っていますの……」
「貴女、秀菜の娘でしょぉ?」
信根の心臓が大きく跳ね上がる。
動揺する信根を見て確信に至ったのか蛇紅はニヤリと笑う。
「やっぱりぃ。そうよねぇ、こんなにそっくりなんだもの。間違える筈がないわぁ」
蛇紅の顔が歪んだ。それは歓喜の笑みだった。蛇の舌がシュルシュルと動いている。
「あはは!やっぱり私ってツいてるわぁ!こんな所に織波の姫がいるだなんて!」
高笑いする蛇紅であったが、信根はそれを見て内心ホッとしていた。いや、してしまった。
織波秀菜の娘となれば今すぐには殺される事はないだろう。殺すよりも生かして誘拐した方が有用だからである。
だが、そんな信根の心を見透かすように蛇紅は蛇の眼光を鋭くした。そしてクスクスと笑いながら口を開く。
「貴女、今ホッとしたでしょう?自分はまだ殺されないだろう、まだ利用価値があるからって」
「え……」
「分かるのよぉ、そういうの。特に貴女みたいな小娘はすぐに顔に出るから分かりやすいのよねぇ」
何も言い返せなかった。確かに自分は今、そう思った。その考えを目の前の女に見抜かれてしまったのだ。
「普通こう言う時には自分から殺せって言うものよ?生き恥を晒す……家に泥を塗るような真似はしないのが武士ってやつだもの」
蛇紅の腕が信根の胴に巻き付いたまま、ギリギリと締め上げていく。
メキメキッという骨が軋む音が聞こえた。内臓を押し潰されそうな痛みに信根は苦悶の声を上げる。
「うぐぅっ……!ぐぅっ……!や、やめ……て……」
「武士の女の癖に情けないわねぇ。貴女本当にあの秀菜の娘なの?まぁいいわぁ。今はただの獲物ですもの……」
締め上げる力が強くなっていく。ミシミシと肋骨の折れる音が聞こえる。
―――殺しはしない。しないが、別に健全な身体のままにする必要はない。腕や脚の一本折っておけば大人しく従うだろう。
「ああぁぁ……!いだい!痛いよぉ!!やめでぇぇ!!折れぢゃうぅ!!」
子供のように泣き叫ぶ信根。それを見た蛇紅は嗜虐心に満ちた笑みを浮かべた。
なんたる惰弱さだろうか。まだ幼いとは言え、武家に産まれた者がこの程度で泣き喚くなどあって良いはずがない。
しかもこの少女は織波秀菜の娘……織波一族の姫である。何処の馬の骨とも知れぬ木端武士ではない。
それがこのような醜態を晒している事に蛇紅は酷く興奮した。
「ふふ……そう、そうよぉ。もっと泣いて頂戴……!私にその可愛い顔を良く見せなさい……!」
「ぴぎぃ!?」
信根の悲鳴が響き渡る。人生で一度も味わった事の無い激烈な痛みに信根は目を大きく見開いた。
最早武士の誇りも何もかも捨て去ってしまったかのように彼女は無様に泣き叫んでいる。
「やだぁ……!もう許じでぇ……!お願いだからぁ……!」
涙を流しながら懇願する信根。だが蛇紅はにっこりと笑い、涙と涎で汚れた信根の顔に舌を這わせた。
「武士としては失格だけど……私は貴女みたいな無様で惨めな子、大好きよぉ」
蛇紅の笑みが深まる。それはまるで蛇が獲物を捕食する時のようであった。
「人間って馬鹿みたいよね。武士の誇りがどうのこうのとか、下らないものを信奉して死への恐れを無くしてる。でも、本来は死を怖がるのが普通の反応なの。今の貴女みたいにねぇ」
信根にはその言葉は聞こえていない。ただただ苦痛に喘ぎ、そして耐えていた。
「半化生はね、貴女達人間とは価値感が違うのよ。貴女達が生きる為に死ぬ事を厭わないのなら、私達は違う。私達は死を恐れてこそ、生きている実感を得られるの」
蛇紅は信根の頬を舐める。信根は恐怖のあまり、もはや抵抗すら出来ない状態になっていた。
そろそろ頃合いか。信根の骨を何本か折り、抵抗の意思と能力を完全に削いだ所で攫うのだ。
蛇紅はそう思い、信根に巻き付けている蛇の尾に力を入れようとした。
その時だった。
ヒュンッと風切り音が奔った。音と共に、蛇紅の頬に赤い線が走る。
「あらぁ?」
頬に手を当てるとヌルリと血が付着していた。
一体何だ?と蛇紅が思うと同時に、何処からか声が響き渡った。
「狐狸流忍術・鎌狐―――」
ゴウッと風が吹き荒れる。凄まじい速さで回転する風の刃によるものであった。
蛇紅は咄嵯に回避行動を取った。それは勘とも言うべき直感だった。戦場で培われた半化生としての本能が、自身の危機を告げたのである。
間一髪、蛇紅は身を捻って避けた。だが、その弾みで巻き付いていた信根を放り出してしまう。
「チィっ!」
「……っ」
空中に放り出された信根。
しかし彼女は地面に叩きつけられる前に小さな影によって受け止められた。
自分よりも小さな体躯だが、しっかりと、そして優しく抱き締められる感触。
信根の視界に真っ白なキツネ耳と尻尾が映る。
「信根様っ!」
白いキツネの忍者が朝日の光を浴びながら信根を抱き抱えていた。
何やら下腹部がもやもやとした違和感を覚える。何かこう、ムズムズするというか、落ち着かないというか……。
そう、これは……
おしっこがしたいという気持ち……
即ち尿意である。
「……」
人間というのは普通ならば緊張状態に在る時には尿意、便意を感じにくくなるものだが、それでも尿意を感じるのは彼女の膀胱に大量の水分が溜まってしまっているからだ。
一体何故……と思うよりも前に信根は原因を察していた。
「(お茶を飲みすぎましたわ……!)」
お茶と金平糖を白狐から差し出された信根だが、金平糖の甘さとあまりのお茶の美味しさについ調子に乗って飲みすぎてしまった。恐らくそれが仇になったのだろう。
飲みすぎた自分が悪いのだが八つ当たりするように横に侍る白狐を睨むと彼はキョトンと首を傾げた。
「お茶、美味しかったですか?」
尻尾をフリフリと振りながらそう言う白狐に一瞬殺意が湧いたものの、それを何とか抑えると信根は立ち上がって陣幕の際まで歩いていく。
「あれ、信根様?何処いくんですか?」
慌てて白狐が追いかけてくるが、今は構っていられない。
「お・花・摘・み!ですわっ!」
信根の言葉に白狐はあぁ、と納得するとポンと手を叩いた。
「では、僕が小便の後を舌で綺麗に致しましょう!」
白狐がそう言った瞬間、周りにいた兵がギョッと目を見開く。
それに気付かない白狐はニコニコと笑みを浮かべていたのだが、信根は急に般若のような顔になって彼の腹部に拳を叩き込んだ。
「うぎゃあ!?」
「お、お前は何を言っているんですの!?変態!?変態なのお前は!?」
顔を真っ赤にして叫ぶ信根だったが、白狐は苦悶に喘ぎつつ不思議そうな顔で信根を見て言った。
「で、でも織波家では護衛がおしっこの後に舐めて綺麗にするって……うぐぅっ!?」
言い終わる前に再び信根の拳が白狐の鳩尾に突き刺さった。
流石の白狐もこれには堪らず身体をよろめかせるとそのまま地面に倒れ伏してしまう。
「そんな馬鹿なしきたり、ある訳ないでしょうが!お前はとんでもない変態ね!?付いてきたらぶっ殺しますわよ!!」
「な゛……な゛んで……こんな゛……ごど……」
確かに昨日そう聞いたのに……それを信じてやってきたのに……
それなのにどうして自分は殴られた上に罵られているんだろう……
そんな疑問を抱きつつも白狐はガクリと意識を失ってしまうのであった。
「ふ、ふん……流石はお姉様の忍者ね。意味の分からない事を喋りますわ」
周りの兵士に聞こえるようにそう言うと、信根はそそくさとその場から離れていく。
そうだ、こんなところで油を売っている暇はない。早く小便を済ませないと……
信根は倒れる白狐を尻目に一人陣幕の外へと出ていった。
―――――――――
「ふぅ……」
チョロロロと音を鳴らしながら、信根は一息ついた。
「全く……戦中に小便なんてワタクシとしたことが迂闊でしたわ……」
結局、彼女は小便をする為に人気のない場所までやって来てしまっていた。
それもこれも全部あの忍者のせいだ。
あんなに美味しいお茶を用意するから小便がしたくなってしまった。
「……それにしてもアイツ、一体何者なのかしら」
信根は小便をしながらそう呟いていた。
姉、信葉に仕えているという忍者、白狐。自分よりも幼いが何をやらせても優秀で、非の打ち所がない。
忍者としての仕事ぶりは見てないので分からないが……側仕えとしては超一流である。信根も認めざるを得ない程の万能さである。
掃除も、料理も、気の遣い方も、そして何を言われても嫌な顔一つせず従順に働くその姿。
それはまるで犬のようだった。いや、キツネか……
「(……ワタクシったらなんでアイツの事ばかり考えてますの?)」
そこまで考えた瞬間、信根の顔がボンっと爆発するかのように赤く染まった。
何を考えているんだ自分は。別にあのキツネが好きな訳では無い。そもそも女同士で好きも糞も無いだろう。
たた……気になるだけだ。西蛮の菓子である金平糖の製法をも知るあの謎のキツネが。
「(お姉様なら何か知っているかしら)」
あの忍者を雇った姉ならば何か知っているに違いない。
側仕え……もとい雑用係としては優秀なのだ。姉に言ってあの忍者を自分に譲るように要求して……
「(ってなんでワタクシがあんな奴を引き取らなくちゃなりませんの!)」
信根は自分で考えた事に自分でツッコミを入れる。
「(べ、別に欲しいとかそういうんじゃありませんの!ただちょっとだけ興味があるだけですの!!)」
心の中でそう叫んだ後、信根はハッと我に返る。
「(って、何を一人で騒いでいるのかしらワタクシは……!)」
恥ずかしさに頭を抱えそうになるが、信根は頭を振って冷静になると小便を終えた。
「ふぅ……」
これでやっと一息付いた。
陣に帰ったらあのキツネに殴った事を謝ろうか……アイツは自分が昨日言った織波のしきたりを守ろうとしただけだ。
……あんな馬鹿げた事を信じる方もアレだとは思うが、一応自分が言ってしまった事ではある。少々理不尽だったかもしれない。
そんな事を考えながら信根が陣幕へ戻ろうとした時。
―――彼女の耳にガサリと茂みが揺れる音が聞こえてきた。
一瞬ビクリと身体を震わせるも、ここは湾織波の本陣近くの茂みだ。見廻りの忍びだっているし、こんな所にまで敵が入り込める訳がない。
そこまで思い至った信根はある事に気付く。
そうだ。あのキツネに違いない。あんなに言ったのに、こっそり自分の排尿に付いてきたのだ。
「はぁ、全く……しょうがないキツネですわね」
信根はホッと胸を撫で下ろすと、白狐が潜んでいるであろう方向へ歩いていく。
仕事熱心なのはいいが、少しくらいは遠慮しなさいよと文句を言おうと思った。
シュルシュルと、何かが這いずるような音がした。
聞き慣れぬ音に信根はピタリと足を止める。
その瞬間。
茂みから飛び出してきたのはキツネではなく、巨大な蛇の尾であった。
「―――え?」
目にも止まらぬ速度で伸びたそれは信根の胴体に巻き付くとそのまま彼女を持ち上げてしまった。
「なっ……」
突然の出来事に信根は抵抗する事も出来ず、そのまま宙に浮いた状態で身体の自由を奪われる。
ギリギリと、大蛇の尾が信根の身体を締め付けていく。万力の力で胴を挟まれた信根はあまりの痛みに苦悶の声を上げた。
「ぐぅっ……!な、何……!?」
信根は身体に巻きつく尾の隙間から何とか顔を出してそう叫ぶ。
その返事は蛇の胴体の先から返ってきた。
「飛んで火に入る夏の虫……いや、この場合は人間かしらぁ?まぁ、どっちでもいいわね」
茂みから女の上半身が姿を現した。
緑色の長い髪を揺らしながら、女はケタケタと笑いながら信根を見つめている。
信根は苦痛に顔を歪めながらも、目の前の女から目が離せないでいた。
美しい女の上半身に、蛇の下半身を持つ異形。蛇の半化生……!
即ち、忍者。織波には蛇の半化生などいない。故に目の前の存在が敵か味方かは自然に理解出来た。
「き、貴様っ……!敵方の、忍びか……!」
震える声を必死に抑えながら信根はそう問いかけると、女はニィッと口角を上げて笑った。
人外の美しさと恐ろしさを併せ持つ妖艶な雰囲気に信根はゴクリと唾を飲む。
「敵……そうねぇ、貴女から見たら私は確かに敵だわぁ。だって私、今から貴女を殺すんだものねぇ」
そう言って蛇の半化生……蛇紅は片手に持っていたモノを乱雑に地面へと放り投げる。
「……ッひ!?」
地面に転がるその物体を見て信根は小さく悲鳴を上げた。それは何者かの頭部であった。
血塗れで、無惨に引き千切られ、見るも無残な姿になった女の首。
それは本陣の護衛の任に就いていた忍者のものであった。
「……あ」
あまりの光景に信根はガタガタと身体を震わせてしまう。
殺される。この化け物に自分は殺されてしまう。恐怖で頭がおかしくなりそうな中、蛇紅は口を歪めて笑った。
「コイツ、殺しちゃったわぁ。いや、私も殺したくなかったのよ?だってこんな雑魚殺したところでなんの得もないしねぇ」
女の口からチロチロと長い蛇の舌が覗いている。それはまるで舌なめずりするかのように動いていた。
「この女、私の事見つけちゃったのよぉ。だから殺したの。こうやって締め付けて……声を出せないようにして……後は喉笛を噛み切ってやったらすぐに死んじゃったわぁ」
地面に散らばる首の残骸が、蛇紅のした事を如実に物語っていた。凄惨な殺人現場に信根は身体を震わせる。
蛇紅の顔が信根に近付き、耳元で囁いた。
「貴女も同じにしてあげるわぁ……大丈夫、安心して頂戴。痛いのは一瞬だけだからぁ……」
「ひっ……!!」
信根は思わず目を瞑ってしまう。そして訪れるであろう激痛に備えた。
しかし、何時まで経っても痛みは襲ってこない
「……?」
不思議に思った信根はそっと目を開ける。そこには信根の視界一杯に広がる蛇紅の顔が在った。吐息すら感じられる程の距離である。
だが、先程とは表情が違い何かを訝しんでいるような、そんな様子であった。
「貴女……似てるわねぇ」
「な、何を言っていますの……」
「貴女、秀菜の娘でしょぉ?」
信根の心臓が大きく跳ね上がる。
動揺する信根を見て確信に至ったのか蛇紅はニヤリと笑う。
「やっぱりぃ。そうよねぇ、こんなにそっくりなんだもの。間違える筈がないわぁ」
蛇紅の顔が歪んだ。それは歓喜の笑みだった。蛇の舌がシュルシュルと動いている。
「あはは!やっぱり私ってツいてるわぁ!こんな所に織波の姫がいるだなんて!」
高笑いする蛇紅であったが、信根はそれを見て内心ホッとしていた。いや、してしまった。
織波秀菜の娘となれば今すぐには殺される事はないだろう。殺すよりも生かして誘拐した方が有用だからである。
だが、そんな信根の心を見透かすように蛇紅は蛇の眼光を鋭くした。そしてクスクスと笑いながら口を開く。
「貴女、今ホッとしたでしょう?自分はまだ殺されないだろう、まだ利用価値があるからって」
「え……」
「分かるのよぉ、そういうの。特に貴女みたいな小娘はすぐに顔に出るから分かりやすいのよねぇ」
何も言い返せなかった。確かに自分は今、そう思った。その考えを目の前の女に見抜かれてしまったのだ。
「普通こう言う時には自分から殺せって言うものよ?生き恥を晒す……家に泥を塗るような真似はしないのが武士ってやつだもの」
蛇紅の腕が信根の胴に巻き付いたまま、ギリギリと締め上げていく。
メキメキッという骨が軋む音が聞こえた。内臓を押し潰されそうな痛みに信根は苦悶の声を上げる。
「うぐぅっ……!ぐぅっ……!や、やめ……て……」
「武士の女の癖に情けないわねぇ。貴女本当にあの秀菜の娘なの?まぁいいわぁ。今はただの獲物ですもの……」
締め上げる力が強くなっていく。ミシミシと肋骨の折れる音が聞こえる。
―――殺しはしない。しないが、別に健全な身体のままにする必要はない。腕や脚の一本折っておけば大人しく従うだろう。
「ああぁぁ……!いだい!痛いよぉ!!やめでぇぇ!!折れぢゃうぅ!!」
子供のように泣き叫ぶ信根。それを見た蛇紅は嗜虐心に満ちた笑みを浮かべた。
なんたる惰弱さだろうか。まだ幼いとは言え、武家に産まれた者がこの程度で泣き喚くなどあって良いはずがない。
しかもこの少女は織波秀菜の娘……織波一族の姫である。何処の馬の骨とも知れぬ木端武士ではない。
それがこのような醜態を晒している事に蛇紅は酷く興奮した。
「ふふ……そう、そうよぉ。もっと泣いて頂戴……!私にその可愛い顔を良く見せなさい……!」
「ぴぎぃ!?」
信根の悲鳴が響き渡る。人生で一度も味わった事の無い激烈な痛みに信根は目を大きく見開いた。
最早武士の誇りも何もかも捨て去ってしまったかのように彼女は無様に泣き叫んでいる。
「やだぁ……!もう許じでぇ……!お願いだからぁ……!」
涙を流しながら懇願する信根。だが蛇紅はにっこりと笑い、涙と涎で汚れた信根の顔に舌を這わせた。
「武士としては失格だけど……私は貴女みたいな無様で惨めな子、大好きよぉ」
蛇紅の笑みが深まる。それはまるで蛇が獲物を捕食する時のようであった。
「人間って馬鹿みたいよね。武士の誇りがどうのこうのとか、下らないものを信奉して死への恐れを無くしてる。でも、本来は死を怖がるのが普通の反応なの。今の貴女みたいにねぇ」
信根にはその言葉は聞こえていない。ただただ苦痛に喘ぎ、そして耐えていた。
「半化生はね、貴女達人間とは価値感が違うのよ。貴女達が生きる為に死ぬ事を厭わないのなら、私達は違う。私達は死を恐れてこそ、生きている実感を得られるの」
蛇紅は信根の頬を舐める。信根は恐怖のあまり、もはや抵抗すら出来ない状態になっていた。
そろそろ頃合いか。信根の骨を何本か折り、抵抗の意思と能力を完全に削いだ所で攫うのだ。
蛇紅はそう思い、信根に巻き付けている蛇の尾に力を入れようとした。
その時だった。
ヒュンッと風切り音が奔った。音と共に、蛇紅の頬に赤い線が走る。
「あらぁ?」
頬に手を当てるとヌルリと血が付着していた。
一体何だ?と蛇紅が思うと同時に、何処からか声が響き渡った。
「狐狸流忍術・鎌狐―――」
ゴウッと風が吹き荒れる。凄まじい速さで回転する風の刃によるものであった。
蛇紅は咄嵯に回避行動を取った。それは勘とも言うべき直感だった。戦場で培われた半化生としての本能が、自身の危機を告げたのである。
間一髪、蛇紅は身を捻って避けた。だが、その弾みで巻き付いていた信根を放り出してしまう。
「チィっ!」
「……っ」
空中に放り出された信根。
しかし彼女は地面に叩きつけられる前に小さな影によって受け止められた。
自分よりも小さな体躯だが、しっかりと、そして優しく抱き締められる感触。
信根の視界に真っ白なキツネ耳と尻尾が映る。
「信根様っ!」
白いキツネの忍者が朝日の光を浴びながら信根を抱き抱えていた。
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この作品は「小説家になろう様 カクヨム様」にも掲載しています。
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