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本編
57.「せ、戦況はどうなのかしら?いえ、勝つのは分かってますわよ?ただ気になるだけですわ」
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織波両軍がぶつかり合う戦場から離れた湾織波の本陣。
本来ならばここには総大将である織波秀菜がいる筈だが、彼女は今最前線で指揮を執りながら戦っている。
故にこの本陣を守るのは織波一族であり、母に次いで位が高い信根の役目であった。
とは言うものの本陣は最前線から遠く離れており、軍の指揮も秀菜とその側近である古参の重臣達が行っているので信根がやる事はない。
本陣を守ると言えば聞こえはいいが、要は安全な後方でお留守番の役目である。
「………」
そんな訳で信根は兵も疎らな本陣で一人、ぼんやりと佇んでいた。
……いや、一人ではない。彼女に侍るようにして護衛の忍者、白狐が控えている。
無言のまま白狐は視線だけを動かし信根の様子を伺う。
昨晩、白狐がぬいぐるみとして抱かれていた時に聞いた信根の呟き。戦への恐怖心……
どうやらその不安は一晩経っても消えていないらしく、今も表情には影が落ちたままだ。
表面上は気丈に振る舞っているものの、内心の怯えまでは隠し切れていない。
「せ、戦況はどうなのかしら?いえ、勝つのは分かってますわよ?ただ気になるだけですわ」
弱音なのか独り言なのかよく分からない台詞を吐く信根。そんな彼女の様子に白狐は無理もないと苦笑する。
「(昨日あれだけ震えてたんだし、一晩経った程度でそう簡単に気持ちが切り替えられるわけがないよね……)」
それでも気丈に振舞う彼女を見て、白狐は彼女を見直していた。
本陣を守護するというのも半ば御飾りではあるが、織波一族が護っているのとそうでないのではやはり兵の見方も違う。
味方の兵には頼れる織波の姫と見せなくてはならないのだ。この若さで自分の役割を理解し、それを果たそうとする信根の姿は賞賛に値するだろう。
「せ、戦況はどうなのかしら?あ、いやお母様に限って不覚を取るとは思ってはいませんけど念の為ですわ」
ちなみに彼女が戦況を尋ねるのはこれで八回目である。
白狐の目から見ても今の信根の様子は明らかに普段と違った。
確かに兵の前で弱音を吐いたりすれば士気に関わるかもしれないが、だからと言ってこんなにも頻繁に聞いていては逆に不信感を与えかねない。
だから白狐は彼女の緊張をほぐすためにとっておきのお茶を用意し、白狐謹製のお菓子と共に差し出した。
「信根様、こちらをどうぞ」
盆に載せられたお茶とお菓子を差し出す白狐。すると信根は驚いたように目を丸くした。
「……これは?」
「狸山の近くで採れた高級茶葉と、僕が作った金平糖です」
信根はまじまじと金平糖を見つめる。色とりどりに輝く綺麗な砂糖菓子だ。
一目見ただけで分かる程手間暇かけて作られている事が分かる代物である。
金平糖……信根も話には聞いた事がある。
最近織波家によく訪れる西蛮人、ルイーズという宣教師が母に献上している西蛮菓子の一つに金平糖なるものがあったらしい。
らしい、というのは織波家に献上された金平糖は姉、信葉がすぐに食べ尽くしてしまい信根は見る事も叶わなかったからだ。(その事件で信根はますます信葉に恨みを募らせたのは言うまでもない)
なので実物を見るのは初めてだったが、その美しさに思わず目を奪われてしまう。
キラキラと輝くピンクや黄色などの宝石のような飴玉。それが透明の小さな硝子瓶に入れられており、見た目だけでも美しい。
「綺麗……」
先程まで陰鬱としていた信根の顔がぱっと明るくなる。だがそれも一瞬、ハッと我に帰った信根は慌てて咳払いをした。
「お、お前は何を言っているの!?戦の最中にワタクシだけ暢気に茶会を楽しむ訳にはいきませんわ!」
「余裕を持っている姿を見せるのも将の役目かと。信根様が威風堂々たる姿で悠然と茶を飲んでいる姿は兵達に安心感を与えるでしょう」
信根の言葉に白狐はそう返した。それを聞いて一瞬キョトンとしてしまう信根であったが、むず痒そうな顔をするとコホンとまた一つ咳払いをする。
「そ、そういうものなのかしら……?まぁいいですわ。確かにワタクシの優雅な姿を見せれば皆安心しますものね」
そして信根は湯飲みを手に取り、口元に運ぶ。ふわりと上品な香りが鼻腔を刺激し、一口飲むと爽やかな甘みが口の中に広がっていく。
美味い……! あまりの衝撃に信根は言葉を失う。今まで食べたどんな茶よりも美味しかった。
「……おいしい」
ぽつりと呟く信根。白狐はほっとしたような顔を浮かべると瓶から金平糖をつまんで差し出す。
「こちらもどうぞ。お口に合うと思いますので」
「ん……」
信根は金平糖を受け取ると、小さなそれを口に入れる。舌の上で転がすと優しい甘味が広がり、ゆっくりと溶けていく。
「むふぅ……」
信根は頬を緩ませると、遠慮せずにパクパクと金平糖を食べ始めた。なんという甘くて幸せな味だろうか。
なるほど、これは姉も夢中になる訳だ……
無言で金平糖を次々に口に入れていく信根を見て白狐は微笑ましい気持ちになる。
金平糖を作るのは非常に手間が掛かるが、幻魔の住処で作った金平糖がまだ残っていてよかった。
こうして喜んで貰えるなら作った甲斐があるというものである。
「ふぅ」
茶と金平糖を堪能した信根は満足げに息をつく。先程までの陰鬱さは完全に消え失せていた。
「ご気分は如何ですか?」
白狐の言葉に信根は自身の変化に気付く。あれだけ重かった身体が随分と軽くなったような気がする。
信根はギロリと白狐を睨むが、次の瞬間には目を逸らし、小さく呟いた。
「……悪くないわ」
白狐は優しく笑う。信根はそんな白狐の笑みを見てふんっ、と照れ臭そうに鼻を鳴らした。
「ぬいぐるみの癖に、生意気よ」
小さく呟かれた言葉は誰の耳に入る事なく、風に吹かれて消える。
白狐はそんな信根の様子にくすりと笑った。
―――――――――
剣戟響き、弓矢が飛び交う戦場。
織波秀菜は最前線で指揮を執りながら、戦場全体の様子を観察していた。
既に戦況は此方の圧倒的有利。敵は瓦解しかかっており、この調子ならばじきに決着がつくだろう。
だが……
「……妙だな」
彼女はある違和感を覚えて眉をひそめる。それは敵軍のあまりの手応えの無さだった。
いくら此方の兵力が勝っているとはいえ、腐っても織波の本家。そう簡単には負けてくれる筈がないのだが……。
「秀菜様。どうもきな臭いですな」
側近の一人がそう言い放つ。秀菜はその言葉に同意するように深くため息をついた。
「あぁ、確かにこの手応えのなさは異常だ。まるで戦う意思を感じられない」
本来であれば敵の英傑の一人くらいは前線に出て来てもいい頃合いである。
だが、今眼前に広がる光景はどうだろう? 湾織波の猛攻に敵は成す術無く、ただ蹂躙されるだけ。これでは本当に戦をしているのかさえ疑わしい。
「……」
秀菜は目を瞑り、考えを巡らせる。
この纏わり付くような不快さ。何か見落としているのではないか?
いや、違う。そもそも最初からおかしいのだ。密偵の話では敵の主力である武家が多数不参加だという情報が入っている。
にも関わらず本家は戦を中止せずに遂に開戦にまで至った。
「(何故、そこまでして戦をしようとした?もしや裏で糸を引いている者がいる……?)」
彼女が思考の海に浸かっていると、伝令兵が秀菜の元に駆け込んで来た。
「報告致します!敵右翼、壊滅!多智様が追撃の許可を求めております!」
「よし、そのまま押し切れ。ただし深追いは禁ずる」
「御意!」
指示を受けた伝令兵は馬を走らせ、自軍へと戻っていく。それを見送った後、秀菜は再び戦場を見渡した。
敵は既に総崩れとなっている。このまま行けば制圧は時間の問題であろう。まるで敵の指揮系統が機能していないかのような状況だが、それが逆に不気味であった。
そんな時であった。
ふと戦場の奥から爆発音のような音が聞こえてきた。
何の音だ? と思い、音の方に視線を向けるとそこには煙が立ち上っていた。
「あれは……」
轟雷を思わせる激烈な破裂音。立ち上る煙。戦場に漂う魔力の流れからして忍術の類ではない。
「火縄……?いや、違う。この微かな魔力の歪み……真逆、魔鉄砲か!?」
秀菜の驚愕の声と共に、周囲にいた諸将達のどよめいた声が上がる。
「本家が魔鉄砲を持っていると?我々ですら数丁しか所有していないというのに?」
「しかし現にこうして撃っておるではないか」
皆が口々に疑問を口にする中、秀菜は一人確信する。
「(空川家……ではない。奴等は今此方の争いに関与している場合ではない筈。と、なると……)」
その答えに至った瞬間、秀菜は反射的に叫んでいた。
「謀りおったな、龍ヶ峰のマムシめ」
ビシリ、と空間が歪む。秀菜の身体から放たれた怒気が周囲の空気を震わせた。
「どうもおかしいと思っていたのだ。腰抜けの本家共がこのような大規模な戦を仕掛けてくるなど有り得ぬ。全ては貴様の仕業か!」
秀菜の瞳孔が開く。怒りに震える声で彼女は叫んだ。
それと同時であった。伝令兵が慌てて秀菜の元に駆け込んできた。
「申し上げます!敵右翼を追撃していた多智様が奇襲を喰らい、負傷された模様です!」
伝令兵の言葉に諸将がざわめく。
「なっ、なんだと!?」
「どういう事だ?敵主力は参加していないのではなかったのか!?」
混乱が広がる中で秀菜は歯噛みした。恐らくは先程の魔鉄砲の音は敵陣に食い込んだ多智隊を狙ったもの。
敵が瓦解したのは事実だが、伏兵を潜ませていたのだろう。
「くくっ……やってくれたな。この私を嵌めるとは」
ギリリと奥歯を噛んで、秀菜は笑う。彼女の表情は獲物を前にした肉食獣のように狂暴で凶悪なものに変わっていた。
「良い度胸だ。ならばその喧嘩買わせて貰おう。私が直々に相手をしてくれようぞ」
秀菜は馬上でゆっくりと刀を抜くと、その切っ先を敵軍に向ける。
それを見て側近の精鋭達も秀菜の思惑を察し、彼女に続き抜刀する。皆が一騎当千の騎馬隊であり、戦場で鍛え上げられた猛者達だ。
「黒母衣から一人を本陣に向かわせ、残りは私に続け!雑兵には構うな!」
「黒母衣を本陣に?何故で御座いますか?」
「あの女が背後にいる時は念を入れるのさ……さぁ、征くぞ!」
秀菜の号令と同時に一斉に軍勢が動き出す。
狙うはこの戦を扇動した刺客の首。湾織波が誇る猛将がその牙を剥いて敵を蹂躙せんと疾走を始めた。
―――――――――
その頃、本家の軍勢のとある陣地では……
「おぉ、なんという威力だ。これが魔鉄砲か!」
ある部隊の長である女武将が感嘆の声を上げる。彼女は射手の一人が持つ魔鉄砲を見て目を見張っていた。
西蛮由来の兵器、魔鉄砲。
火薬と魔力玉を詰めた鉄筒を銃身とし、点火用の火皿を備えた武器。火薬により爆発的な速度で射出させた魔力玉を着弾と同時に炸裂させる兵器である。
その威力たるや常人は勿論、英傑でさえ直撃すれば身体が粉々に砕け散る程のものだ。
火縄銃との違いは弾にある。従来の弾丸は鉛製であったが、この魔力玉は希少鉱物である"魔鉱石"で作られた特殊弾頭である。
故に魔力玉は普通の鉛玉よりも遥かに高密度かつ高硬度の代物となっており、それに魔力を込める事によって破壊力を高めているのだ。
当然、そんなものを生身の人間が受ければどうなるかは言うまでもない。
この世界全体でも最新鋭の兵器であり、未だ生産数が少ない貴重なものである。
「御屋形様から賜ったこの魔鉄砲……実に素晴らしいものだ」
部隊長はそう言って魔鉄砲に視線を向ける。
この部隊は彼女が言う"御屋形様"から預かった部隊の一つ。今回の戦の為にこの部隊と、貴重な兵器である魔鉄砲を用意した。
全ては蒼鷲地方の織波の勢力を削ぐ為。
織波家の兵力が薄くなれば、その分領地の守りが薄くなる。そうなればそこを突くのは容易い。
だからこそ彼女達の背後に居る者は蒼織波を扇動し、こうして大軍同士を潰し合わせる事で戦力を減らそうとしたのだ。
その目論見は半分成功、半分失敗と言える。分家が予想以上に強く、戦いは一方的となった。すぐに決着は付くだろう。
だが、それでは御屋形様に会わせる顔がない。
故に虎の子の魔鉄砲を放ち、少しでも湾織波の兵を削り取っておく必要があった。
「よぉし、どんどん撃てぃ!湾織波の兵を一人でも多く殺すのだ!」
今回持ってきた魔鉄砲は一丁のみ。だが、想像以上の威力に部隊長は意気揚々と射手に命令する。
そんな時であった。不意に彼女の後ろから聞き覚えのある声が響いてきた。
「ちょっと、それ撃っちゃったの?」
女の声に部隊長が振り向くと、そこには蛇の下半身を持った半化生の忍者……蛇紅が呆れたような表情で佇んでいた。
「蛇紅か。そっちの手筈はどうだ?」
「えぇ、ブタさんは始末したわ。いいえ、それよりも魔鉄砲の話よ。どういうつもり?それは撃たないって話だったじゃない」
怒りを含ませた蛇紅の言葉に部隊長の女は鼻を鳴らした。
「ふん、仕方なかろう。織波の本家があまりにも脆すぎたのだからな。このままでは湾織波になんの損害も与えられまい。だから撃ったまでよ」
悪びれもせずにそう口にする部隊長の女を見て蛇紅はギリリと歯を鳴らす。
―――馬鹿なのか、コイツらは。
あのような爆音をこの戦場で鳴らせばどうなるか分からないのか?
自分達の勢力の軍勢の中で撃つならばいいが、今いるのは蒼織波の軍の真っ只中だ。
彼女にしてみれば言わばここも敵地のど真ん中。そんな孤立無援の援護も乏しい場所で魔鉄砲の音を轟かせればどうなるかなど目に見えている。
更に言えば相手はあの稀代の猛将、織波秀菜。もしも此方の意図に気付いてしまえば、必ず報復に来るだろう。
だが、目の前のバカはそんな事も考えずに判断を下した。
「ふぅん。じゃあ私はもう行くけど、早いとこ撤退した方がいいわよ」
「撤退だと?馬鹿な事を言うな。秀菜の首を取る好機なのだぞ。まぁ、半化生如きには戦の事は分からぬであろうが……」
秀菜の首、ねぇ……
その言葉を聞いた瞬間、蛇紅は侮蔑するように目を細めた。
この女達は本物の英傑という存在と戦った事がないのだろう。だから今持っている"玩具"如きで秀菜を殺せると思っているのだ。
蛇紅にとって彼女らは敵ではないが味方でもない。故に目の前の人間達の末路には興味が無かった。
巻き添えを喰らう前に早いところ自分だけは離脱しなくてはならない。
「はいはい、分かりました。好きにしなさい」
その言葉を最後に蛇紅は女達の前からシュンと姿を消した。
その言葉に侮蔑と、少しの哀れみが混ざっているのに部隊長は気付かなかった。
本来ならばここには総大将である織波秀菜がいる筈だが、彼女は今最前線で指揮を執りながら戦っている。
故にこの本陣を守るのは織波一族であり、母に次いで位が高い信根の役目であった。
とは言うものの本陣は最前線から遠く離れており、軍の指揮も秀菜とその側近である古参の重臣達が行っているので信根がやる事はない。
本陣を守ると言えば聞こえはいいが、要は安全な後方でお留守番の役目である。
「………」
そんな訳で信根は兵も疎らな本陣で一人、ぼんやりと佇んでいた。
……いや、一人ではない。彼女に侍るようにして護衛の忍者、白狐が控えている。
無言のまま白狐は視線だけを動かし信根の様子を伺う。
昨晩、白狐がぬいぐるみとして抱かれていた時に聞いた信根の呟き。戦への恐怖心……
どうやらその不安は一晩経っても消えていないらしく、今も表情には影が落ちたままだ。
表面上は気丈に振る舞っているものの、内心の怯えまでは隠し切れていない。
「せ、戦況はどうなのかしら?いえ、勝つのは分かってますわよ?ただ気になるだけですわ」
弱音なのか独り言なのかよく分からない台詞を吐く信根。そんな彼女の様子に白狐は無理もないと苦笑する。
「(昨日あれだけ震えてたんだし、一晩経った程度でそう簡単に気持ちが切り替えられるわけがないよね……)」
それでも気丈に振舞う彼女を見て、白狐は彼女を見直していた。
本陣を守護するというのも半ば御飾りではあるが、織波一族が護っているのとそうでないのではやはり兵の見方も違う。
味方の兵には頼れる織波の姫と見せなくてはならないのだ。この若さで自分の役割を理解し、それを果たそうとする信根の姿は賞賛に値するだろう。
「せ、戦況はどうなのかしら?あ、いやお母様に限って不覚を取るとは思ってはいませんけど念の為ですわ」
ちなみに彼女が戦況を尋ねるのはこれで八回目である。
白狐の目から見ても今の信根の様子は明らかに普段と違った。
確かに兵の前で弱音を吐いたりすれば士気に関わるかもしれないが、だからと言ってこんなにも頻繁に聞いていては逆に不信感を与えかねない。
だから白狐は彼女の緊張をほぐすためにとっておきのお茶を用意し、白狐謹製のお菓子と共に差し出した。
「信根様、こちらをどうぞ」
盆に載せられたお茶とお菓子を差し出す白狐。すると信根は驚いたように目を丸くした。
「……これは?」
「狸山の近くで採れた高級茶葉と、僕が作った金平糖です」
信根はまじまじと金平糖を見つめる。色とりどりに輝く綺麗な砂糖菓子だ。
一目見ただけで分かる程手間暇かけて作られている事が分かる代物である。
金平糖……信根も話には聞いた事がある。
最近織波家によく訪れる西蛮人、ルイーズという宣教師が母に献上している西蛮菓子の一つに金平糖なるものがあったらしい。
らしい、というのは織波家に献上された金平糖は姉、信葉がすぐに食べ尽くしてしまい信根は見る事も叶わなかったからだ。(その事件で信根はますます信葉に恨みを募らせたのは言うまでもない)
なので実物を見るのは初めてだったが、その美しさに思わず目を奪われてしまう。
キラキラと輝くピンクや黄色などの宝石のような飴玉。それが透明の小さな硝子瓶に入れられており、見た目だけでも美しい。
「綺麗……」
先程まで陰鬱としていた信根の顔がぱっと明るくなる。だがそれも一瞬、ハッと我に帰った信根は慌てて咳払いをした。
「お、お前は何を言っているの!?戦の最中にワタクシだけ暢気に茶会を楽しむ訳にはいきませんわ!」
「余裕を持っている姿を見せるのも将の役目かと。信根様が威風堂々たる姿で悠然と茶を飲んでいる姿は兵達に安心感を与えるでしょう」
信根の言葉に白狐はそう返した。それを聞いて一瞬キョトンとしてしまう信根であったが、むず痒そうな顔をするとコホンとまた一つ咳払いをする。
「そ、そういうものなのかしら……?まぁいいですわ。確かにワタクシの優雅な姿を見せれば皆安心しますものね」
そして信根は湯飲みを手に取り、口元に運ぶ。ふわりと上品な香りが鼻腔を刺激し、一口飲むと爽やかな甘みが口の中に広がっていく。
美味い……! あまりの衝撃に信根は言葉を失う。今まで食べたどんな茶よりも美味しかった。
「……おいしい」
ぽつりと呟く信根。白狐はほっとしたような顔を浮かべると瓶から金平糖をつまんで差し出す。
「こちらもどうぞ。お口に合うと思いますので」
「ん……」
信根は金平糖を受け取ると、小さなそれを口に入れる。舌の上で転がすと優しい甘味が広がり、ゆっくりと溶けていく。
「むふぅ……」
信根は頬を緩ませると、遠慮せずにパクパクと金平糖を食べ始めた。なんという甘くて幸せな味だろうか。
なるほど、これは姉も夢中になる訳だ……
無言で金平糖を次々に口に入れていく信根を見て白狐は微笑ましい気持ちになる。
金平糖を作るのは非常に手間が掛かるが、幻魔の住処で作った金平糖がまだ残っていてよかった。
こうして喜んで貰えるなら作った甲斐があるというものである。
「ふぅ」
茶と金平糖を堪能した信根は満足げに息をつく。先程までの陰鬱さは完全に消え失せていた。
「ご気分は如何ですか?」
白狐の言葉に信根は自身の変化に気付く。あれだけ重かった身体が随分と軽くなったような気がする。
信根はギロリと白狐を睨むが、次の瞬間には目を逸らし、小さく呟いた。
「……悪くないわ」
白狐は優しく笑う。信根はそんな白狐の笑みを見てふんっ、と照れ臭そうに鼻を鳴らした。
「ぬいぐるみの癖に、生意気よ」
小さく呟かれた言葉は誰の耳に入る事なく、風に吹かれて消える。
白狐はそんな信根の様子にくすりと笑った。
―――――――――
剣戟響き、弓矢が飛び交う戦場。
織波秀菜は最前線で指揮を執りながら、戦場全体の様子を観察していた。
既に戦況は此方の圧倒的有利。敵は瓦解しかかっており、この調子ならばじきに決着がつくだろう。
だが……
「……妙だな」
彼女はある違和感を覚えて眉をひそめる。それは敵軍のあまりの手応えの無さだった。
いくら此方の兵力が勝っているとはいえ、腐っても織波の本家。そう簡単には負けてくれる筈がないのだが……。
「秀菜様。どうもきな臭いですな」
側近の一人がそう言い放つ。秀菜はその言葉に同意するように深くため息をついた。
「あぁ、確かにこの手応えのなさは異常だ。まるで戦う意思を感じられない」
本来であれば敵の英傑の一人くらいは前線に出て来てもいい頃合いである。
だが、今眼前に広がる光景はどうだろう? 湾織波の猛攻に敵は成す術無く、ただ蹂躙されるだけ。これでは本当に戦をしているのかさえ疑わしい。
「……」
秀菜は目を瞑り、考えを巡らせる。
この纏わり付くような不快さ。何か見落としているのではないか?
いや、違う。そもそも最初からおかしいのだ。密偵の話では敵の主力である武家が多数不参加だという情報が入っている。
にも関わらず本家は戦を中止せずに遂に開戦にまで至った。
「(何故、そこまでして戦をしようとした?もしや裏で糸を引いている者がいる……?)」
彼女が思考の海に浸かっていると、伝令兵が秀菜の元に駆け込んで来た。
「報告致します!敵右翼、壊滅!多智様が追撃の許可を求めております!」
「よし、そのまま押し切れ。ただし深追いは禁ずる」
「御意!」
指示を受けた伝令兵は馬を走らせ、自軍へと戻っていく。それを見送った後、秀菜は再び戦場を見渡した。
敵は既に総崩れとなっている。このまま行けば制圧は時間の問題であろう。まるで敵の指揮系統が機能していないかのような状況だが、それが逆に不気味であった。
そんな時であった。
ふと戦場の奥から爆発音のような音が聞こえてきた。
何の音だ? と思い、音の方に視線を向けるとそこには煙が立ち上っていた。
「あれは……」
轟雷を思わせる激烈な破裂音。立ち上る煙。戦場に漂う魔力の流れからして忍術の類ではない。
「火縄……?いや、違う。この微かな魔力の歪み……真逆、魔鉄砲か!?」
秀菜の驚愕の声と共に、周囲にいた諸将達のどよめいた声が上がる。
「本家が魔鉄砲を持っていると?我々ですら数丁しか所有していないというのに?」
「しかし現にこうして撃っておるではないか」
皆が口々に疑問を口にする中、秀菜は一人確信する。
「(空川家……ではない。奴等は今此方の争いに関与している場合ではない筈。と、なると……)」
その答えに至った瞬間、秀菜は反射的に叫んでいた。
「謀りおったな、龍ヶ峰のマムシめ」
ビシリ、と空間が歪む。秀菜の身体から放たれた怒気が周囲の空気を震わせた。
「どうもおかしいと思っていたのだ。腰抜けの本家共がこのような大規模な戦を仕掛けてくるなど有り得ぬ。全ては貴様の仕業か!」
秀菜の瞳孔が開く。怒りに震える声で彼女は叫んだ。
それと同時であった。伝令兵が慌てて秀菜の元に駆け込んできた。
「申し上げます!敵右翼を追撃していた多智様が奇襲を喰らい、負傷された模様です!」
伝令兵の言葉に諸将がざわめく。
「なっ、なんだと!?」
「どういう事だ?敵主力は参加していないのではなかったのか!?」
混乱が広がる中で秀菜は歯噛みした。恐らくは先程の魔鉄砲の音は敵陣に食い込んだ多智隊を狙ったもの。
敵が瓦解したのは事実だが、伏兵を潜ませていたのだろう。
「くくっ……やってくれたな。この私を嵌めるとは」
ギリリと奥歯を噛んで、秀菜は笑う。彼女の表情は獲物を前にした肉食獣のように狂暴で凶悪なものに変わっていた。
「良い度胸だ。ならばその喧嘩買わせて貰おう。私が直々に相手をしてくれようぞ」
秀菜は馬上でゆっくりと刀を抜くと、その切っ先を敵軍に向ける。
それを見て側近の精鋭達も秀菜の思惑を察し、彼女に続き抜刀する。皆が一騎当千の騎馬隊であり、戦場で鍛え上げられた猛者達だ。
「黒母衣から一人を本陣に向かわせ、残りは私に続け!雑兵には構うな!」
「黒母衣を本陣に?何故で御座いますか?」
「あの女が背後にいる時は念を入れるのさ……さぁ、征くぞ!」
秀菜の号令と同時に一斉に軍勢が動き出す。
狙うはこの戦を扇動した刺客の首。湾織波が誇る猛将がその牙を剥いて敵を蹂躙せんと疾走を始めた。
―――――――――
その頃、本家の軍勢のとある陣地では……
「おぉ、なんという威力だ。これが魔鉄砲か!」
ある部隊の長である女武将が感嘆の声を上げる。彼女は射手の一人が持つ魔鉄砲を見て目を見張っていた。
西蛮由来の兵器、魔鉄砲。
火薬と魔力玉を詰めた鉄筒を銃身とし、点火用の火皿を備えた武器。火薬により爆発的な速度で射出させた魔力玉を着弾と同時に炸裂させる兵器である。
その威力たるや常人は勿論、英傑でさえ直撃すれば身体が粉々に砕け散る程のものだ。
火縄銃との違いは弾にある。従来の弾丸は鉛製であったが、この魔力玉は希少鉱物である"魔鉱石"で作られた特殊弾頭である。
故に魔力玉は普通の鉛玉よりも遥かに高密度かつ高硬度の代物となっており、それに魔力を込める事によって破壊力を高めているのだ。
当然、そんなものを生身の人間が受ければどうなるかは言うまでもない。
この世界全体でも最新鋭の兵器であり、未だ生産数が少ない貴重なものである。
「御屋形様から賜ったこの魔鉄砲……実に素晴らしいものだ」
部隊長はそう言って魔鉄砲に視線を向ける。
この部隊は彼女が言う"御屋形様"から預かった部隊の一つ。今回の戦の為にこの部隊と、貴重な兵器である魔鉄砲を用意した。
全ては蒼鷲地方の織波の勢力を削ぐ為。
織波家の兵力が薄くなれば、その分領地の守りが薄くなる。そうなればそこを突くのは容易い。
だからこそ彼女達の背後に居る者は蒼織波を扇動し、こうして大軍同士を潰し合わせる事で戦力を減らそうとしたのだ。
その目論見は半分成功、半分失敗と言える。分家が予想以上に強く、戦いは一方的となった。すぐに決着は付くだろう。
だが、それでは御屋形様に会わせる顔がない。
故に虎の子の魔鉄砲を放ち、少しでも湾織波の兵を削り取っておく必要があった。
「よぉし、どんどん撃てぃ!湾織波の兵を一人でも多く殺すのだ!」
今回持ってきた魔鉄砲は一丁のみ。だが、想像以上の威力に部隊長は意気揚々と射手に命令する。
そんな時であった。不意に彼女の後ろから聞き覚えのある声が響いてきた。
「ちょっと、それ撃っちゃったの?」
女の声に部隊長が振り向くと、そこには蛇の下半身を持った半化生の忍者……蛇紅が呆れたような表情で佇んでいた。
「蛇紅か。そっちの手筈はどうだ?」
「えぇ、ブタさんは始末したわ。いいえ、それよりも魔鉄砲の話よ。どういうつもり?それは撃たないって話だったじゃない」
怒りを含ませた蛇紅の言葉に部隊長の女は鼻を鳴らした。
「ふん、仕方なかろう。織波の本家があまりにも脆すぎたのだからな。このままでは湾織波になんの損害も与えられまい。だから撃ったまでよ」
悪びれもせずにそう口にする部隊長の女を見て蛇紅はギリリと歯を鳴らす。
―――馬鹿なのか、コイツらは。
あのような爆音をこの戦場で鳴らせばどうなるか分からないのか?
自分達の勢力の軍勢の中で撃つならばいいが、今いるのは蒼織波の軍の真っ只中だ。
彼女にしてみれば言わばここも敵地のど真ん中。そんな孤立無援の援護も乏しい場所で魔鉄砲の音を轟かせればどうなるかなど目に見えている。
更に言えば相手はあの稀代の猛将、織波秀菜。もしも此方の意図に気付いてしまえば、必ず報復に来るだろう。
だが、目の前のバカはそんな事も考えずに判断を下した。
「ふぅん。じゃあ私はもう行くけど、早いとこ撤退した方がいいわよ」
「撤退だと?馬鹿な事を言うな。秀菜の首を取る好機なのだぞ。まぁ、半化生如きには戦の事は分からぬであろうが……」
秀菜の首、ねぇ……
その言葉を聞いた瞬間、蛇紅は侮蔑するように目を細めた。
この女達は本物の英傑という存在と戦った事がないのだろう。だから今持っている"玩具"如きで秀菜を殺せると思っているのだ。
蛇紅にとって彼女らは敵ではないが味方でもない。故に目の前の人間達の末路には興味が無かった。
巻き添えを喰らう前に早いところ自分だけは離脱しなくてはならない。
「はいはい、分かりました。好きにしなさい」
その言葉を最後に蛇紅は女達の前からシュンと姿を消した。
その言葉に侮蔑と、少しの哀れみが混ざっているのに部隊長は気付かなかった。
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男女比が1対100だったり貞操概念が逆転した世界にいますが会社員してます
neru
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30を過ぎた松田 茂人(まつだ しげひと )は男女比が1対100だったり貞操概念が逆転した世界にひょんなことから転移してしまう。
松本は新しい世界で会社員となり働くこととなる。
ちなみに、新しい世界の女性は全員高身長、美形だ。
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男女比がおかしい世界に来たのでVtuberになろうかと思う
月乃糸
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男女比が1:720という世界に転生主人公、都道幸一改め天野大知。 男に生まれたという事で悠々自適な生活を送ろうとしていたが、ふとVtuberを思い出しVtuberになろうと考えだす。 ブラコンの姉妹に囲まれながら楽しく活動!
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俺、貞操逆転世界へイケメン転生
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俺はモテなかった…。
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この作品は「小説家になろう様 カクヨム様」にも掲載しています。
転生したら男女逆転世界
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階段から落ちたら見知らぬ場所にいた僕。名前は覚えてるけど名字は分からない。年齢は多分15歳だと思うけど…。えっ…男性警護官!?って、何?男性が少ないって!?男性が襲われる危険がある!?そんな事言われても…。えっ…君が助けてくれるの?じゃあお願いします!って感じで始まっていく物語…。
※カクヨム様にも掲載しております
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貞操逆転の世界で、俺は理想の青春を歩む。
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気が付くと、男性の数が著しく少ない歪な世界へ転生してしまう。
彼は持ち前の容姿と才能を使って、やりたいことをやっていく。
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これはそんな彼――鳴瀬隼人(なるせはやと)の青春サクセスストーリー……withハーレム。
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