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本編

45.「ご飯の時間ですよ〜!」

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腹が減っては戦はできぬ……
本格的な砦攻めが始まった初日、信葉軍はそうそうに引き揚げた。
末端の兵士達は何故こんなに早く戦を切り上げたのかが分からなかったが、戦わなくて済むならばそれに越した事はないと束の間の休息を謳歌していた。


「腹減ったなぁ。飯はまだかぁ?」


兵士達も人間だ。食事を取らなければ死んでしまう。
大多数は徴兵された兵であるが、行軍中には飯が配給されるのでそれ目当てに自ら兵に志願するものも少なくない。
この世界にはその日暮らしをする者が沢山おり、そういった者達にとっては食料の配給はとても有り難いものなのだ。


「ご飯の時間ですよ~!」


不意にそんな声が信葉軍の陣に響き渡る。待ってましたと言わんばかりに兵士達は声のした方に群がった。


「今日はなんだろな?」

「肉が食いたいなぁ」

「ばか、そんな贅沢なもんくれないよ。どうせ薄い汁ものだよ」


そんな会話をしながら兵士達が列を作って並んでいると、先頭の方からなにやらいい匂いが漂ってくるではないか。


「なんか今日はやけに美味そうな匂いじゃない?」

「そうだなぁ。いつもはもっとこう……臭くて不味そうなもんだけど」


そんな会話をしているとなんだか列の先が騒がしい事に気が付いた。
見ると巨大な鍋が置いてあり、その隣で鍋を掻き混ぜている人物がいる。見慣れぬ人物だ。

いや、なんか何処かで見たような……?
兵士にしては小さな、まるで子供のようなその姿……何処かで……


「う、うめぇ!味噌も濃いし、野菜も新鮮だ!なんでこんなうまいんだ!?」


配給された食事を食べる兵士達が歓喜の声を上げる。それを見た列に並ぶ兵士達はごくりと喉を鳴らした。
そしていよいよ彼女達の番がやってきた。


「はい、今日はお疲れ様!今日は豚汁です!たっぷり食べてね!♡」


そう言いながら大鍋からよそったのは具材がたっぷり入った熱々の豚汁だった。
見た目からでも分かる程に旨そうで、兵士達の食欲を刺激する。


「こ、こんな大きい肉が入ってるぞ!」

「しかも柔らかい!」

「あちぃけど……うめぇ!」


兵士達がガツガツと食らいつく中、一人の兵士が配給係の一人である壮年の女性に話しかける。


「おいおい、今日はやけに美味いし豪勢じゃないか。なんかあったのか?」

「あら、分かっちゃった?実はねぇ、新しく配給係に入った子が山で猪を狩って、山菜をたんまりと採ってきてくれたのよ」

「猪を?そりゃすごいね」


新しく入ったというのは大鍋をよそってくれた子だろうか。
まだ幼いように見えるが、猪を狩るなんて中々やるではないか。


「料理も上手くてねぇ、おばさんびっくりしちゃったよ。期待の新人って奴よ」

「へぇ、料理も上手いと。是非ともずっといて欲しいもんだね。少なくともこの行軍中は」


辺りを見ると豚汁を貪るように食す兵士達の姿。確かにこれは癖になるかもしれない。
そうして兵士達が夢見心地になっている時、ある人物が配給場所へと現れた。


「おや、いい匂いがするな……」


蒼い髪を後ろで束ね、ポニーテールにした美女……瀬良である。


「おや、瀬良様。配給場に来るとは珍しい」


瀬良のような軍の高官は通常、雑兵の食事とは別のものを食べている。食事を取る場所も違うし、普通ならば瀬良がここに来る事などないのだ。


「何やら兵が美味い美味いと騒いでるからな。少々様子を見にきたんだ」


そう言って瀬良は近くにいる兵士が持っている椀をチラリと見る。具材たっぷりの豚汁……実にうまそうである。


「良かったら瀬良様もどうですか?」

「いや、部下の食事を奪うような真似はしないよ」


瀬良は苦笑いすると、横目で兵士達の列の先……大鍋の前にいる人物に目を向ける。
小さな……まるで子供のような出で立ちだ。兵士達の話ではその人物が猪や山菜を採取し調理をしたという話だが……
はて、配給係の異動など指示しただろうか。瀬良は疑問に思いつつも大鍋の方へ歩みを進める。


「はーい、アチアチの豚汁だよ~!慌てないでね、全員分あるから!♡」


鍋の前では例の配給係がニコニコしながら、兵士達に豚汁を配っていた。
白銀の髪に金色の瞳……見る者を魅了するような整った顔立ちはまさに美少年と形容すべきだろう。
彼の頭からは可愛らしい狐耳が生え、お尻からは狐の尻尾が生えてフリフリと揺れていた。

まるであのキツネ忍者のようだ、と瀬良は思った。


思った………

おもった……


「おのれ出おったなキツネ忍者!!」


一瞬の逡巡の後、瀬良はそう叫んだ。
キツネ忍者のようだ、というかキツネ忍者そのものではないか。瀬良は目の前にいる人物が敵であることを認識すると、殺気を放ちながら腰に携えた剣に手をかける。


「あ、お姉さん。豚汁が欲しかったら列に並んでね」

「貴様、こんなところで何をしている!?」

「え?なにって、お仕事だけど?」

「ふざけるな!ここで何を企んでいる!」

「いや、だからお仕事だってば。ほら、みんなに美味しいご飯を食べさせてあげないと」


白狐はニコッと笑みを浮かべると椀になみなみと注がれた豚汁を列の先頭にいた兵士に渡した。


「はい、熱いから気をつけてね!♡」

「あ、ありがとう……」


白狐のような美少年に笑みを向けられた兵士は顔を赤らめつつも豚汁を受け取る。


「ちょっと待て、貴様には聞きたい事が……!」

「はい、次の人~!♡」

「ぬっ!?」


瀬良が話し終える前に白狐は次の兵士の所へと向かってしまう。そしてまた笑顔を振りまいて豚汁を渡していく。
その姿はまさに天使といった感じで兵士達の心を掴んでいく。むさ苦しい女達の集団はこの癒しの存在がとても魅力的に見えるのであろう。


「あのキツネくん……すっごい可愛くない?」

「そうだよね、なんかこう……胸の奥がキュンとするんだよね~」


兵士がそんな会話を繰り広げる中、瀬良はギリっと歯軋りをする。


「おい、貴様ら!コイツは敵だぞ!?何を呑気に豚汁なんぞ飲んでいるんだ!!大体敵の忍者が作った料理を食うな!毒が入っているかもしれんというのに!!」

「酷いなぁ、毒なんて入れてないよ」


白狐は椀を手に鍋から豚汁をすくうと、それをふぅふぅしてから口の中に流し込んだ。


「ほらね?大丈夫でしょ」


白狐はそう言って手にした椀を瀬良に差し出した。

……まさか自分にも豚汁を飲めと言っているのだろうか。馬鹿な、この瀬良が敵の差し出した物を飲むだと?


「誰が飲むか!というか貴様の飲みかけなんぞ要らん!」

「えー?じゃあどうすれば飲んでくれるのさ」


白狐が困っていると、一人の兵士が割って入る。


「あ、あの……それ私が貰ってもいい?」

「え?もちろんいいよ♡」

「お、おい貴様……!」


瀬良の止める声も聞かず、兵士は椀を白狐から受け取る。女は嬉しそうな表情で豚汁を味わった。


「び、美少年の飲みかけの豚汁……ふひひ……」

「あ!オメーずるいぞ!私にもくれ!」

「あ、あたしも欲しい!」

「ちょ、お前達……!」


瀬良の声も虚しく、次々と兵士達が白狐に殺到する兵士達。その光景はまるで餌に群がる蟻のようであった。


「び、白狐くん……だっけ?私の椀にも口付けてくれない?」

「え?別にいいけど……」


言われるがままに兵士達の椀に口をつける白狐。


「はい、これでいいかな」

「あ、ありがと……」

「いいなぁ……あんな可愛い子の食べかけを食べれるなんて……」

「あ、そうだ!び、白狐くん!私の豚汁に唾を入れてみてよ!そしたらもっと美味しくなるかもよ!?」

「はい?」


突然とんでもない事を言い出す女性に白狐は目を丸くする。


「あ、あんた何言って……!」

「き、貴様正気か!?」


その言葉に周囲の兵士達は後退り、瀬良ドン引きした様子で叫ぶ。
白狐も正直引いていたのだが、彼はみんなと仲良くなる為にここにいるのだ。ならば彼女の要求に応えなければならないだろう。


「えーと、よく分からないけど……はい、どうぞ」


白狐は椀にたっぷりと豚汁を注ぎ込むと、自分の唾液を混ぜて女性に渡す。


「あ、あぁ……!ありがとう……!♡ふ、フヒヒ……♡」


女性は瞳を輝かせながら椀を受け取り、足早に去っていった。
白狐は彼女をを無言で見送ると、今度は瀬良の方へ視線を向ける。


「お姉さんもいる?僕の唾液……」

「ハァァッー!!」


その瞬間、瀬良の刀が一閃。白狐は間一髪でそれを避けると、少し離れた場所まで距離をとった。


「あ、危ないなぁ!なにするのさ!」

「黙れ!!その首、叩き切ってやる!!」


瀬良は怒りの形相で白狐に襲いかかる。
何が癪に障ったのかは不明だが、どうやらマジでキレてしまったようだ。
これは一旦退散するしかないか、と白狐は思いつつ、瀬良の攻撃を避け続ける。
そして隙を見て指で印を結ぶと叫んだ。


「狐狸流忍術・木の葉隠れ!」


すると白狐の周りに大量の葉っぱが現れ、白狐の姿を覆い隠してしまった。
そして葉っぱが地面に全て落ちた時には白狐の姿は跡形もなくなっていた。


「ちっ!逃げられたか……」


白狐が消えたのを確認すると、瀬良は忌々しげに呟いた。
忍者とまともに戦っても逃げられるし追い付けない。頭ではそう分かっているのだが、散々あのキツネに恥辱を与えられた瀬良はどうしても許せなかった。


「次は必ず仕留めてみせる……!」


瀬良はギリッと歯を食い縛ると、拳を強く握りしめた。


「あ~あ、折角の男だったのにいなくなっちゃった」

「また女くせぇ集団に逆戻りかぁ」

「彼、敵意なかったみたいだし放っておいてよかったんじゃないですかー?」


白狐を追い払った瀬良に対し、兵士達から遠回しに非難の声が上がる。
瀬良は兵士達をギロリと睨むと、ドスの効いた声で言った。


「あのキツネ忍者は敵だ。今度見かけたら必ず殺せ。分かったな?」


瀬良の凄まじい剣幕に兵士達は震え上がると、無言で首を縦に振った。


「まったく……。この豚汁だって何が入ってるか分かったもんじゃないんだぞ。これは処分するしかないな」

「えぇ!?そんなぁ!!」

「も、勿体無いですよ瀬良様!こんなに美味しいのに!」

「そうそう、折角の男の手料理なのに捨てちゃうなんて……!」


再び上がる兵士達の不満の声。瀬良は先程よりも強く眼力を込めて兵士達を睨みつけた。
やはり兵士達はその迫力に負け、渋々と引き下がる。


「全く……これだから男に免疫のない奴らは困る」


瀬良はそう吐き捨てるように言うが彼女もまた男に免疫のない奴の一人である。
ただ白狐に対する怒りがそれをかき消し、結果的に白狐に対し物怖じせずに済んでいるだけだ。

そんなこんなで無事に白狐を追い払った瀬良であったが、彼女に近寄る一つの人影があった。


「ちょっと!」


大きな声で呼び掛けられた瀬良は眉を顰め声のした方へと振り向く。
一体誰だ、この瀬良に粗雑に声を掛けてくる不届き者は。不愉快に思いながらもその人物の顔を見た瞬間、瀬良の目は大きく見開かれた。


「信葉様……!?」


そこにいたのは主君であり、この軍の大将である織波信葉その人であった。
何故ここに……と瀬良が訪ねようとするが、彼女は信葉の手にある椀を見て更に驚愕する。


「あ、あの……それは……?」


見覚えのある椀……それは白狐が配っていた豚汁の椀に間違いなかった。
しかし、何故信葉がそれを持っているのか。というか食べてるし……
瀬良の驚きと疑問の混じった表情を見て信葉はもぐもぐと咀しゃくしながら答えた。


「ん?あぁ、今さっきそこを歩いてた兵士から貰った(強奪)したのよ。そいつフヒフヒ言っててキモかったけど、なんか持ってる椀からいい匂いするじゃない?で、食べてみたらこれが凄く美味しくて」


笑顔で豚汁を食べる信葉。そんな彼女を瀬良は冷や汗を流しながら見つめる。

フヒフヒ言ってたキモい兵士から貰った……だと?

まさかとは思うが、キツネ忍者の唾液が入った椀を持っていった兵士か?
そういえばあの兵士が立ち去った方向は、今信葉が来た方向だったような……

瀬良はゴクリと生唾を飲み込むがそれを確かめる勇気は彼女にはなかった。


「こんな大鍋一杯に豚汁作るなんて中々やるわね。今日のご飯はこれで決まりね」

「あ、いやお待ち下さい信葉様!この汁はあのキツネ忍者が作った豚汁……!毒が入ってるやもしれませぬ!これは廃棄した方が宜しいかと……」

「はぁ?キツネ忍者?」


信葉はキョロキョロと辺りを見渡す。だが勿論周囲に白狐がいる筈もなく、信葉は胡散臭げな目付きで瀬良を見る。


「アンタ馬鹿?どこの世界にわざわざ敵の陣地にやってきて呑気に豚汁作る忍者がいるのよ。あ、もしかして豚汁独り占めしようとしてるわけ?」

「え!?いえ!滅相もない!私はただ……そうだ、お前達!お前達も見たよな?キツネ忍者がこの豚汁を配っているのを!?」


瀬良はあたふたと狼狽えながら周囲にいた兵士達に尋ねる。
すると兵士達はツーンと顔を背け、不満気な顔で呟くように言った。


「さぁ……知りませんね、そんな子は」

「そうそう、キツネなんて私達は見てないですよー」

「き、貴様ら……!?」


兵士達の言葉に愕然とする瀬良。
彼女達は白狐を追い払った上に豚汁を廃棄しようとした瀬良を内心恨んでいたのだ。
そしてこのチャンスを逃すまいと一斉に瀬良を非難し始めた。その様子を見ていた信葉は呆れたようなため息をつくと、瀬良に向かって冷たく言い放つ。


「はぁ、瀬良って意外と子供よね。そんな嘘が私に通用するわけないでしょうが。さぁ、アンタ達!この豚汁を平らげるわよ!」

「あ、ちょ、待っ……!」


瀬良が止める間もなく、信葉は兵士達に号令を出す。
信葉の鶴の一声により、兵士達は歓声を上げると豚汁が入った大鍋に蟻のように群がり、我先にと飲み干していく。


「信葉様のお許しが出たぞ!みんな食べろぉ!!」

「いぇーい!!いただきますぅ!!」


信葉と兵士達が豚汁を貪る光景を呆然と見つめる瀬良。
そうこうしているうちに豚汁の大鍋は空になり、信葉と兵士達は満足そうな笑みを浮かべていた。


「もぐもぐ……ふぅ~美味しかった。最初の椀に入ってた豚汁が一番まろやかだったけど……誰が作ったか知らないけどまた作ってよね」

「いやぁ~流石にもう食べられないですねぇ~」

「ごちそうさまでした」

「……」


瀬良は目の前で起きた惨劇に言葉を失う。自分がいながら忍者が作った料理を信葉に食べさせてしまうとは……
こんな屈辱は初めてだ。自責の念と後悔に押し潰されそうになる瀬良であったが、怒りが彼女を持ち堪えさせた。


「(おのれ……!おのれキツネ!!許さん、許さん、許さん!!絶対に殺してやる!)」


信葉軍の兵士の好感度を上げる事には成功した白狐だったが、それに反比例して瀬良の好感度はマイナスにまで落ちてしまったのだった。



―――――――――



「みんな~豚汁が出来ましたよ~!」


瀬良に追い払われた白狐だったが、今度は味方の陣地……つまり砦の中で豚汁を配っていた。
味方の人達にも自分の作った豚汁を食べて欲しい、という気持ちから作られたもので狩ってきた猪を捌いて肉を入れている。
味の方も問題はない。寧ろ自信がある。先程食べた豚汁よりも具材を大きく入れてボリュームアップさせているからだ。
これできっと皆喜んでくれるに違いない。白狐は期待に胸を膨らませながら笑顔で豚汁を配っていった。


「わぁー!ありがとう白狐君!」

「あ、ありがとね白狐くん」

「白狐ぉ……お前さんなんでも出来るんだなぁ」


白狐の豚汁を受け取ると、味方の兵士は歓喜の声を上げながら次々と豚汁を口に運んでいく。
その様子に白狐もニッコリと満面の笑みを浮かべた。


「よかった!皆美味しそうに食べてくれてる。頑張って作った甲斐があったよ♡」


白狐は皆の満足そうな笑顔を見て安堵した。
これで士気を保ってくれれば作戦も上手く進むだろう。


「白狐くん……本当にありがとうございます。猪を狩ってきてくれたお陰で食糧もまだ保ちそうです」


白狐が豚汁を配っていると村長が話しかけてきた。
彼女は食糧の事を気にかけていたが、白狐が猪を狩ってきた事で余裕が出来たのか前日よりも顔色が良くなっているような気がした。
白狐は彼女の不安を和らげる事が出来て嬉しく思うと、にっこりと笑って返事をした。


「みんなの役に立てて僕も嬉しいよ!あ、そうだ。村長さんもどうぞ!美味しいよ♡」

「あら……じゃあ、折角白狐くんが作ってくれたお料理なので頂きますね」


白狐は鍋から豚汁を掬うと、それを椀に入れて村長に手渡す……直前である事を思い出した。
そう言えば信葉の軍で自分の唾液を豚汁に入れた時……物凄く喜んでいたな。もしかしたらあれと同じ反応をしてくれるかもしれない。
白狐はそう思い立つと早速、村長に渡す豚汁にダラリと唾液を流し込んだ。そして満面の笑みで村長に手渡す。


「はい、どーぞ!♡」

「……」

「……」


周囲にいる兵士達が一瞬にして静まった。
村長も真顔で固まった。
白狐の愛くるしい笑顔が、凍り付いた雰囲気の中で浮いていた。

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