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本編
30.「いいでござろう。拙者は白狐と申す者でござる」
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蒼鷲地方。
桜国の首都から東に位置する、海に面した地域だ。
古くからこの地は恵楽家という守護者によって治められており、肥沃な大地と豊富な水産資源に恵まれた豊かな土地である。
しかし長い戦乱の中で恵楽家は没落し、代わりに恵楽家筆頭家臣であった織波家が台頭する。
家臣とは言っても桜国朝廷から万が一の場合に守護者の代わりを務める事が出来る守護代という官職を授かった由緒正しい家系であり、没落した主家に代わり蒼鷲地方の実権を握るのは当然の事であり地元の豪族達もそれを受け容れた。
そんな蒼鷲地方であるが現在は大きく分けて二つの勢力に別れている。
一つは織波家宗家を中心とする正統な一族派……通称蒼織波家。
もう一つは織波家の分家、縁戚の一族派……湾岸部を支配地域としている事から湾織波とも呼ばれる勢力である。
主家の没落によって蒼鷲地方の支配者となった織波家であるが、彼女達もまたこの地方の覇を競い親族同士で血で血を洗う抗争を繰り広げていたのだ。
そしてその余波は平和を謳歌する、とある村にも押し寄せようとしていた……
―――――――――
暖かな日差しが降り注ぐとある日の朝、白狐は目を覚ました。
「ふぁあ~……」
大きな欠伸をしながら布団の上で身体を起こすと寝ぼけ眼のまま辺りを見回す。
最早見慣れた景色となった部屋で白狐は今日も変わらず元気いっぱいの様子だ。
白狐がこの碧波村に来てから一ヶ月が経った。初めは妖怪退治やらで慌ただしかったが、今はのんびりと村の女性達と一緒に畑の手伝いをしたり、薫と一緒に遊んだりして穏やかな日々を過ごしている。
こんな緩やかに過ごしていていいのだろうか、とたまに思う時もあるが、まあこれから人生長いのだし今くらいはゆっくりしても罰は当たらないだろう。
「今日は何して遊ぼうかな」
緩やかすぎて最近幼児退行している節もあるような気がするが白狐は気にしなかった。
だって実年齢はともかく見た目は少年だし子供らしくしていても問題ないと思うのだ。
やはり子供は子供らしく生きねば!
都合のいい時だけ子供のフリを出来るこの身体は便利だ。いつまでも少年の身体でいたいものである……
まぁ実際、半化生の身体の構造は人間とは違うのでもし白狐が人間ならば少年の年齢で間違いない。
だから問題ないのだ。よしっ。
そうして着替も済ませた白狐はいつも通り居間に向かおうとする。しかし襖を開けようとしたその時、居間から何やら話し声が聞こえてきた。
どうやら誰か来客がいるようだ。
「誰だろう?」
白狐は不思議に思いながら聞き耳を立てる。人の話を盗み聞きするなんてどうかと思うが気になるのでしょうがない。
白狐の大きな狐耳がピクッと動き、その聴覚が来訪者の声を捉えようと研ぎ澄まされる。
すると段々と話し声がはっきりと聞こえるようになりその内容が明らかになった。
「では小領主様からのお達しに逆らうというのか?」
「そうは言っておりません。ですが、30人というのはあまりに多すぎます。これから農作業もありますし……」
「奴らはいずれこの村にも攻め寄せてくるかもしれん。それを防ぐ為にはこちらとしてもそれなりの備えが必要なのだ」
「それはそうかもしれませんが……」
「兎に角三日後の朝には迎えに来るから準備をしておけ。力尽くでどうにかする事も出来るという事をゆめゆめ忘れるなよ」
「……」
どうやら話が終わったようで来訪者は去っていったらしい。白狐はそっと襖を開けると部屋の中を覗き込んだ。
そこには先程まで会話をしていたと思われる村長が項垂れるように座っている。心無しか顔色が悪いように見える。
「大丈夫ですか?何かあったんですか?」
心配になった白狐が声を掛けると村長はハッとしたように振り向く。
「あ、白狐くん……。いえ、なんでもありません……」
そう言って微笑むものの明らかに無理をしている事が分かる笑顔だった。白狐は少し迷った後、彼女に何も聞かない事にした。
彼女は村の長であり自分にとっては大切な家族のような存在だが、だからと言って何でもかんでも聞くのは違うと思ったからだ。
―――だから、自分から言う事にしたのだ。
「戦が始まるんだね」
村長は驚愕した表情を浮かべた。何故分かったのか、といった感じだ。
流石の白狐もあれだけ話を聞けば理解出来る。近々この近辺で争いが始まろうとしている事くらいは。
そしてそれは碧波村も他人事ではなく、小領地全体での戦争に参加する事になるのだろう。
白狐の言葉を聞いた村長は観念したかのように、半ば諦めかけたかのように溜め息をつく。
「貴方には隠し事は出来ませんね……。白狐くんの言う通り、この村にも召集命令が届きました」
「やっぱりそうなんだ……」
徴兵令が来た、ということはつまりそういうことなのだ。村人達は戦いに巻き込まれる。恐らくは戦場に……
「蒼鷲地方は織波家という大名家が支配しています。しかし今は宗家と分家の勢力争いによって分裂状態にあり、各地で小競り合いが起きているんです」
「どうして争ってるの?」
白狐のそんな無垢な問いに、村長は一瞬きょとんとした後、悲しげに笑みを溢す。
答えは分かっている。分家である湾織波家が湾岸一体を支配し本家を凌ぐ程に勢力を伸ばしているのが原因だ。
古くからこの地に住まう豪族達の間にも分家に付く者が出始め、今ではもう収拾がつかない程の抗争へと発展しているのだ。
分家の躍進をよく思わぬ現支配者と、あわよくば既存の権益を奪い自分達が権力の座につこうと考える新進気鋭の分家の争い。
つまりは人の欲が生み出した愚かな争いである。
「なんで、争っているんでしょうね……」
村長には答えが分かっていた。だが目の前の少年にそれを言うのは憚られた。
無垢で純真で、こんなに綺麗なものが汚されてしまうのは見ていられなかったからだ。
「30人もの村の人達を徴兵されてしまったらこの村は立ち行かなくなってしまいます……」
村長は悔しげに呟いた。確かに30人というとこの村の三分の一にあたる人数だ。
この村が豊かとはいえ決して余裕がある訳ではない。とてもではないが賄いきれる数ではないのだ。
戦が終わったとて果たして何人が無事に帰ってこれるだろうか。碌な医療施設すらないこの時代では掠り傷すら致命傷になり得る。
白狐はあの優しい村人のみんなが傷つく姿を想像してしまい胸が苦しくなる。
綾子お姉さん、門番のお姉さん、肌を重ねた村の人達……彼女らが戦場で傷付き、そして力尽きた時自分はどうなるのだろうか。
きっと耐えられない。自分が壊れてしまう。それだけ自分はこの村と、みんなと絆を深めすぎたのだ。
「村長さん」
白狐は決意を込めた瞳で彼女を見据える。
「僕も行きます」
「…!?白狐くん、それはいけません!散々頼ってきた挙げ句、村の為に貴方を差し出すなんて……」
「そうじゃないんです」
白狐は首を横に振ると真剣な眼差しで村長を見た。
「僕はただ皆を守りたいだけなんです。悲しい思いをする人は一人でも少ない方がいいから。生贄になる訳でもない、村の為に行くわけでもない。これは僕のわがままです」
「……」
優しい子だな、と村長は思った。
この子はいつも他人を思いやっている。
自分の身を犠牲にしてまで他者を助けようとする。
それは時に美徳となり得るだろう。しかし同時に残酷でもある。この世界は過酷だ。優しさだけでは生きていけないのだから。
しかしこのような幼子を戦場に送り出し、大人達がのうのうと平和を享受するなど許されるはずもない。
村長は断固拒否しようと口を開こうとするが、それよりも早く白狐が言葉を発する。
「それに、僕にいい考えがあるんです」
「え?」
―――――――――
「ふぅ……全く、ここは起伏が激しい地面ばかりだな……」
崖から突き出た岩に腰掛けながら女はそう呟いた。
刀を腰に差した女侍…彼女はこの辺り一帯の小領主に仕える武士の一人であり、今は近々起きるであろう戦の為に近隣の村から女達を徴兵しに来ていたところだった。
「さっさと終わらせて帰ろう……。ああ、面倒臭い」
女は憂鬱そうに溜め息をつく。何が楽しくてこんな辺境の地にまで来なければならないのか。
この山に囲まれた盆地は気候も温暖で作物もよく育ち、豊かではあるが住んでいる村人達の貧相なこと……あんな奴らが戦で役に立つとは到底思えない。
精々囮として突っ込ませて死ぬのが関の山だろう。
「まぁ私の仕事はここの女共を徴兵するだけだ。後の事は知らん」
農民などいくらでも代わりはいる。実際、武士でない雑兵の仕事は肉の盾になる事なのだ。
敵方の"英傑"の力を雑兵に使わせ、戦の締めである大将戦をより有利にする為の道具に過ぎない。
武士である彼女には弱者である常人の気持ちなど理解できない。武士であるという事は僅かだが英傑の血が混ざっているという事だからだ。
その血が彼女の中に流れる限り、彼女が他の凡百の人間と同じ扱いを受ける事はない。
「さて、次の村に行くとするか……」
一休みした彼女は背伸びをすると立ち上がり、村へと続く道を下っていく。
その時、不意に脇の林からガサガサと物音が聞こえてきた。
「ん……?」
女が振り向いた瞬間、奇声と共に何かが飛び出してくる。
「キィイイッ!!」
それは猿に似た化け物の群れであった。
妖怪の群れ……!?
女は咄嵯に腰の刀を抜き放つと、襲いかかってくる化け物を斬り伏せていく。
腐っても武士である。並大抵の相手ならば容易く倒せる筈であったが、如何せん数が多すぎる。
「ぐあっ!」
一匹の猿が放った飛び蹴りが女の肩に直撃した。
衝撃によりバランスを崩し、そのまま地面に倒れ込んでしまう。
「しまった……!この……」
急いで起き上がろうとするが、既に取り囲まれてしまっていた。その隙を見逃す程妖怪は甘い存在ではない。
「ギッ……ギェエエッ!!」
女が見たのは自分に一斉に飛び掛かってくる妖怪の姿。
「(こ、こんなところで…死ぬのか……!?)」
迫る死の恐怖に思わず目を瞑った時、突如視界の端で閃光が走った。
「ギャアッ!?」
悲鳴が上がる。恐る恐る目を開けるとそこには突如飛来してきた一本の手裏剣が猿の首元を貫く光景があった。
「ギッ……」
手裏剣は深々と突き刺さり、猿はそのまま絶命してしまう。
「狐狸手裏剣……」
年若い少年のような、少女のような声が辺りに響く。そしていつの間にやらそこに一人の人影が立っていた。
それは白い髪を靡かせ、全身を黒い装束で包み、そして頭には狐面を被っていた。
明らかに異様な出で立ちのその人物は、仮面の下から妖しく光る瞳で女を見据える。
「……!?」
突然現れた謎の人物に女は何も発せなかった。しかしそんなことはお構いなしといった様子で人影は無言のまま手で印を結び、そして呟いた。
「狐狸流忍術・雷鳴陣!」
刹那、凄まじい轟音と眩い光が周囲に炸裂する。
あまりの衝撃に女は吹き飛ばされそうになるが、どうにか堪える。そして気付いた時にはもう何もかもが終わっていた。
辺り一面、地面は黒く焦げ付き、木々は薙ぎ倒され、先程の猿達は全滅していた。
なんという威力の忍術なのか…。あれ程の使い手、今まで会ったことがない。
「無事でござるか?お侍殿」
「あ、ああ……」
呆気に取られていた女はようやく我に帰ると、慌ててその場から立ち上がった。
「いや、助かった。礼を言う」
女はそう言うと、深く頭を垂れた。そして今しがた自分が命を救ってくれた者を見る。
狐の面に黒装束……。異様な出で立ちだが、恐らくこの人物は忍なのだろう。彼女等は往々にして素性を隠す為にこういった格好をしている事が多い。
それに衣装の下から見える狐耳と尻尾……所謂半化生であるのは明白であった。
なんだか背丈が低いような気もするがそういう身体の造りをしている半化生の種族なのだろう。
「貴殿は名のある忍びとお見受けした。よろしければ名を聞かせて貰えるだろうか」
「ほう、忍者である某に名を尋ねるでござるか」
その言葉に女はハッとした。今のは失言であった。忍びに名を明かせというのは、それは自ら正体を明かすのと同義である。
影に偲ぶ忍びに正体を明かせなどと喧嘩を売ればどうなるかなど想像に難くない。
目の前の人物はあの妖怪の群れを軽々と蹴散らす程の使い手だ。怒らせてしまったが最後、殺されるかもしれない。
しかし、予想とは裏腹に忍者は笑みを浮かべるとこう答えた。
「いいでござろう。拙者は白狐と申す者でござる」
「え……」
あっさりと自らの名を晒す忍者に女は拍子抜けする。
「よ、よいのか……?私に名前を教えても」
「構わぬ。私は何処にも仕えておらぬ忍び故に」
「そうなのか……」
なるほど、と女は思った。
主家に忠誠を誓う忍者ならば名を晒す事を嫌がるだろうが放浪者ならば逆に名を上げたいと思うものなのだろう。
「では改めて礼を言わせて頂きたい。ありがとう、白狐どの」
「ふむ、素直なお侍殿だ。それで、貴女はどうしてこのような場所に?」
「ああ、実は近々この小領で戦が起きる。その為に村の女達を徴兵に来たのだ」
「なんと。そうだったでござるか」
ふぅ~む、と首を傾げると白狐は少し考える仕草をする。その姿を見て女は疑問に思う。
「どうかしたのか?」
「あいや、実は某の産まれ育った村が近くにあるので心配になっただけでござる。某と違って非力な者達ばかり故、戦に駆り出されるのは不憫でならないのでござるよ」
「……そうだったのか」
半化生が人間の村で育つ……珍しいが有り得ぬ事ではないだろう。個々の能力を見れば人間を凌駕する彼女達半化生は役に立つ事が多いからだ。
都会ならば迫害される事もあるようだが、田舎においては労働力として重宝がられる事が多々ある。
そしてそれは戦働きにも同じ事が言える。もし半化生の忍者を雇う事が出来れば文字通り千人力となり得るだろう。
「(なんとか彼女を我が軍に引き入れる事は出来んかな……)」
彼女の任務は村からの徴兵だ。だが、もしも忍者を連れて帰ったら評価は上がるに違いない。
「白狐どの、貴殿は今は主を持たぬ忍びと言っていたな。どうだろうか、この場で雇われる気はないだろうか?勿論、報酬は弾もう」
「ほう?」
女の言葉を聞き、白狐は興味深そうな声色を見せる。そして暫しの間黙考すると、やがて口を開いた。
「魅力的な申し出ではあるが、お断りさせて頂くでござる」
「……理由をお聞きしても宜しいか?」
放浪忍者を雇うのはそう簡単な事ではないと女は知っていた。
やはり断られるか……と女は意気消沈しながらもそう尋ねた。
「先程申したように故郷の村が心配で心配で仕事に集中できなさそうでござる」
随分と故郷思いの半化生もいたものだ。女は思わず苦笑いしてしまう。
しかしこれは困った。どうにかして引き入れられないものか……。
その時、女にある考えが浮かんだ。
徴兵される村が心配……ならばその心配を無くしてやれば彼女は気兼ねなく雇われてくれるのではないか?と
「そうだ、貴殿の産まれ育った村はなんという村だ?もし貴殿が士官すると言うのであればその村の徴兵を免除するように私が小領主様に掛け合ってみようじゃないか」
その言葉に白狐の身体がピクリと動く。どうやら興味を示してくれたらしい。
「ふむ……それは有り難い申し出でござるが、それで小領主様は納得するでござるか?」
「ああ、大丈夫だ。貴殿程の忍者ならば村の一つや二つから徴兵出来なくとも問題なかろう」
「……」
女の言葉を聞いた白狐は暫く沈黙した後、コクンと小さく首肯する。
「あいわかった。それならお頼み申し上げるでござる」
「おお!そうか!小領主様もお喜びになるだろう!」
女は内心ほくそ笑みながら白狐の手を握るとブンブンと上下に振った。たかだか数十人の代わりに忍者が手に入るとはなんという幸運。
これでこの自分の評価も上がるだろう。そうすれば出世も夢ではない。
「では三日後に迎えに行く故、準備をしておいて下され」
「承知」
こうして女は一人の半化生忍者を味方に付けることに成功した。
だが、女は気付かなかった。仮面の下で白狐がニヤリと笑っていた事に。
桜国の首都から東に位置する、海に面した地域だ。
古くからこの地は恵楽家という守護者によって治められており、肥沃な大地と豊富な水産資源に恵まれた豊かな土地である。
しかし長い戦乱の中で恵楽家は没落し、代わりに恵楽家筆頭家臣であった織波家が台頭する。
家臣とは言っても桜国朝廷から万が一の場合に守護者の代わりを務める事が出来る守護代という官職を授かった由緒正しい家系であり、没落した主家に代わり蒼鷲地方の実権を握るのは当然の事であり地元の豪族達もそれを受け容れた。
そんな蒼鷲地方であるが現在は大きく分けて二つの勢力に別れている。
一つは織波家宗家を中心とする正統な一族派……通称蒼織波家。
もう一つは織波家の分家、縁戚の一族派……湾岸部を支配地域としている事から湾織波とも呼ばれる勢力である。
主家の没落によって蒼鷲地方の支配者となった織波家であるが、彼女達もまたこの地方の覇を競い親族同士で血で血を洗う抗争を繰り広げていたのだ。
そしてその余波は平和を謳歌する、とある村にも押し寄せようとしていた……
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暖かな日差しが降り注ぐとある日の朝、白狐は目を覚ました。
「ふぁあ~……」
大きな欠伸をしながら布団の上で身体を起こすと寝ぼけ眼のまま辺りを見回す。
最早見慣れた景色となった部屋で白狐は今日も変わらず元気いっぱいの様子だ。
白狐がこの碧波村に来てから一ヶ月が経った。初めは妖怪退治やらで慌ただしかったが、今はのんびりと村の女性達と一緒に畑の手伝いをしたり、薫と一緒に遊んだりして穏やかな日々を過ごしている。
こんな緩やかに過ごしていていいのだろうか、とたまに思う時もあるが、まあこれから人生長いのだし今くらいはゆっくりしても罰は当たらないだろう。
「今日は何して遊ぼうかな」
緩やかすぎて最近幼児退行している節もあるような気がするが白狐は気にしなかった。
だって実年齢はともかく見た目は少年だし子供らしくしていても問題ないと思うのだ。
やはり子供は子供らしく生きねば!
都合のいい時だけ子供のフリを出来るこの身体は便利だ。いつまでも少年の身体でいたいものである……
まぁ実際、半化生の身体の構造は人間とは違うのでもし白狐が人間ならば少年の年齢で間違いない。
だから問題ないのだ。よしっ。
そうして着替も済ませた白狐はいつも通り居間に向かおうとする。しかし襖を開けようとしたその時、居間から何やら話し声が聞こえてきた。
どうやら誰か来客がいるようだ。
「誰だろう?」
白狐は不思議に思いながら聞き耳を立てる。人の話を盗み聞きするなんてどうかと思うが気になるのでしょうがない。
白狐の大きな狐耳がピクッと動き、その聴覚が来訪者の声を捉えようと研ぎ澄まされる。
すると段々と話し声がはっきりと聞こえるようになりその内容が明らかになった。
「では小領主様からのお達しに逆らうというのか?」
「そうは言っておりません。ですが、30人というのはあまりに多すぎます。これから農作業もありますし……」
「奴らはいずれこの村にも攻め寄せてくるかもしれん。それを防ぐ為にはこちらとしてもそれなりの備えが必要なのだ」
「それはそうかもしれませんが……」
「兎に角三日後の朝には迎えに来るから準備をしておけ。力尽くでどうにかする事も出来るという事をゆめゆめ忘れるなよ」
「……」
どうやら話が終わったようで来訪者は去っていったらしい。白狐はそっと襖を開けると部屋の中を覗き込んだ。
そこには先程まで会話をしていたと思われる村長が項垂れるように座っている。心無しか顔色が悪いように見える。
「大丈夫ですか?何かあったんですか?」
心配になった白狐が声を掛けると村長はハッとしたように振り向く。
「あ、白狐くん……。いえ、なんでもありません……」
そう言って微笑むものの明らかに無理をしている事が分かる笑顔だった。白狐は少し迷った後、彼女に何も聞かない事にした。
彼女は村の長であり自分にとっては大切な家族のような存在だが、だからと言って何でもかんでも聞くのは違うと思ったからだ。
―――だから、自分から言う事にしたのだ。
「戦が始まるんだね」
村長は驚愕した表情を浮かべた。何故分かったのか、といった感じだ。
流石の白狐もあれだけ話を聞けば理解出来る。近々この近辺で争いが始まろうとしている事くらいは。
そしてそれは碧波村も他人事ではなく、小領地全体での戦争に参加する事になるのだろう。
白狐の言葉を聞いた村長は観念したかのように、半ば諦めかけたかのように溜め息をつく。
「貴方には隠し事は出来ませんね……。白狐くんの言う通り、この村にも召集命令が届きました」
「やっぱりそうなんだ……」
徴兵令が来た、ということはつまりそういうことなのだ。村人達は戦いに巻き込まれる。恐らくは戦場に……
「蒼鷲地方は織波家という大名家が支配しています。しかし今は宗家と分家の勢力争いによって分裂状態にあり、各地で小競り合いが起きているんです」
「どうして争ってるの?」
白狐のそんな無垢な問いに、村長は一瞬きょとんとした後、悲しげに笑みを溢す。
答えは分かっている。分家である湾織波家が湾岸一体を支配し本家を凌ぐ程に勢力を伸ばしているのが原因だ。
古くからこの地に住まう豪族達の間にも分家に付く者が出始め、今ではもう収拾がつかない程の抗争へと発展しているのだ。
分家の躍進をよく思わぬ現支配者と、あわよくば既存の権益を奪い自分達が権力の座につこうと考える新進気鋭の分家の争い。
つまりは人の欲が生み出した愚かな争いである。
「なんで、争っているんでしょうね……」
村長には答えが分かっていた。だが目の前の少年にそれを言うのは憚られた。
無垢で純真で、こんなに綺麗なものが汚されてしまうのは見ていられなかったからだ。
「30人もの村の人達を徴兵されてしまったらこの村は立ち行かなくなってしまいます……」
村長は悔しげに呟いた。確かに30人というとこの村の三分の一にあたる人数だ。
この村が豊かとはいえ決して余裕がある訳ではない。とてもではないが賄いきれる数ではないのだ。
戦が終わったとて果たして何人が無事に帰ってこれるだろうか。碌な医療施設すらないこの時代では掠り傷すら致命傷になり得る。
白狐はあの優しい村人のみんなが傷つく姿を想像してしまい胸が苦しくなる。
綾子お姉さん、門番のお姉さん、肌を重ねた村の人達……彼女らが戦場で傷付き、そして力尽きた時自分はどうなるのだろうか。
きっと耐えられない。自分が壊れてしまう。それだけ自分はこの村と、みんなと絆を深めすぎたのだ。
「村長さん」
白狐は決意を込めた瞳で彼女を見据える。
「僕も行きます」
「…!?白狐くん、それはいけません!散々頼ってきた挙げ句、村の為に貴方を差し出すなんて……」
「そうじゃないんです」
白狐は首を横に振ると真剣な眼差しで村長を見た。
「僕はただ皆を守りたいだけなんです。悲しい思いをする人は一人でも少ない方がいいから。生贄になる訳でもない、村の為に行くわけでもない。これは僕のわがままです」
「……」
優しい子だな、と村長は思った。
この子はいつも他人を思いやっている。
自分の身を犠牲にしてまで他者を助けようとする。
それは時に美徳となり得るだろう。しかし同時に残酷でもある。この世界は過酷だ。優しさだけでは生きていけないのだから。
しかしこのような幼子を戦場に送り出し、大人達がのうのうと平和を享受するなど許されるはずもない。
村長は断固拒否しようと口を開こうとするが、それよりも早く白狐が言葉を発する。
「それに、僕にいい考えがあるんです」
「え?」
―――――――――
「ふぅ……全く、ここは起伏が激しい地面ばかりだな……」
崖から突き出た岩に腰掛けながら女はそう呟いた。
刀を腰に差した女侍…彼女はこの辺り一帯の小領主に仕える武士の一人であり、今は近々起きるであろう戦の為に近隣の村から女達を徴兵しに来ていたところだった。
「さっさと終わらせて帰ろう……。ああ、面倒臭い」
女は憂鬱そうに溜め息をつく。何が楽しくてこんな辺境の地にまで来なければならないのか。
この山に囲まれた盆地は気候も温暖で作物もよく育ち、豊かではあるが住んでいる村人達の貧相なこと……あんな奴らが戦で役に立つとは到底思えない。
精々囮として突っ込ませて死ぬのが関の山だろう。
「まぁ私の仕事はここの女共を徴兵するだけだ。後の事は知らん」
農民などいくらでも代わりはいる。実際、武士でない雑兵の仕事は肉の盾になる事なのだ。
敵方の"英傑"の力を雑兵に使わせ、戦の締めである大将戦をより有利にする為の道具に過ぎない。
武士である彼女には弱者である常人の気持ちなど理解できない。武士であるという事は僅かだが英傑の血が混ざっているという事だからだ。
その血が彼女の中に流れる限り、彼女が他の凡百の人間と同じ扱いを受ける事はない。
「さて、次の村に行くとするか……」
一休みした彼女は背伸びをすると立ち上がり、村へと続く道を下っていく。
その時、不意に脇の林からガサガサと物音が聞こえてきた。
「ん……?」
女が振り向いた瞬間、奇声と共に何かが飛び出してくる。
「キィイイッ!!」
それは猿に似た化け物の群れであった。
妖怪の群れ……!?
女は咄嵯に腰の刀を抜き放つと、襲いかかってくる化け物を斬り伏せていく。
腐っても武士である。並大抵の相手ならば容易く倒せる筈であったが、如何せん数が多すぎる。
「ぐあっ!」
一匹の猿が放った飛び蹴りが女の肩に直撃した。
衝撃によりバランスを崩し、そのまま地面に倒れ込んでしまう。
「しまった……!この……」
急いで起き上がろうとするが、既に取り囲まれてしまっていた。その隙を見逃す程妖怪は甘い存在ではない。
「ギッ……ギェエエッ!!」
女が見たのは自分に一斉に飛び掛かってくる妖怪の姿。
「(こ、こんなところで…死ぬのか……!?)」
迫る死の恐怖に思わず目を瞑った時、突如視界の端で閃光が走った。
「ギャアッ!?」
悲鳴が上がる。恐る恐る目を開けるとそこには突如飛来してきた一本の手裏剣が猿の首元を貫く光景があった。
「ギッ……」
手裏剣は深々と突き刺さり、猿はそのまま絶命してしまう。
「狐狸手裏剣……」
年若い少年のような、少女のような声が辺りに響く。そしていつの間にやらそこに一人の人影が立っていた。
それは白い髪を靡かせ、全身を黒い装束で包み、そして頭には狐面を被っていた。
明らかに異様な出で立ちのその人物は、仮面の下から妖しく光る瞳で女を見据える。
「……!?」
突然現れた謎の人物に女は何も発せなかった。しかしそんなことはお構いなしといった様子で人影は無言のまま手で印を結び、そして呟いた。
「狐狸流忍術・雷鳴陣!」
刹那、凄まじい轟音と眩い光が周囲に炸裂する。
あまりの衝撃に女は吹き飛ばされそうになるが、どうにか堪える。そして気付いた時にはもう何もかもが終わっていた。
辺り一面、地面は黒く焦げ付き、木々は薙ぎ倒され、先程の猿達は全滅していた。
なんという威力の忍術なのか…。あれ程の使い手、今まで会ったことがない。
「無事でござるか?お侍殿」
「あ、ああ……」
呆気に取られていた女はようやく我に帰ると、慌ててその場から立ち上がった。
「いや、助かった。礼を言う」
女はそう言うと、深く頭を垂れた。そして今しがた自分が命を救ってくれた者を見る。
狐の面に黒装束……。異様な出で立ちだが、恐らくこの人物は忍なのだろう。彼女等は往々にして素性を隠す為にこういった格好をしている事が多い。
それに衣装の下から見える狐耳と尻尾……所謂半化生であるのは明白であった。
なんだか背丈が低いような気もするがそういう身体の造りをしている半化生の種族なのだろう。
「貴殿は名のある忍びとお見受けした。よろしければ名を聞かせて貰えるだろうか」
「ほう、忍者である某に名を尋ねるでござるか」
その言葉に女はハッとした。今のは失言であった。忍びに名を明かせというのは、それは自ら正体を明かすのと同義である。
影に偲ぶ忍びに正体を明かせなどと喧嘩を売ればどうなるかなど想像に難くない。
目の前の人物はあの妖怪の群れを軽々と蹴散らす程の使い手だ。怒らせてしまったが最後、殺されるかもしれない。
しかし、予想とは裏腹に忍者は笑みを浮かべるとこう答えた。
「いいでござろう。拙者は白狐と申す者でござる」
「え……」
あっさりと自らの名を晒す忍者に女は拍子抜けする。
「よ、よいのか……?私に名前を教えても」
「構わぬ。私は何処にも仕えておらぬ忍び故に」
「そうなのか……」
なるほど、と女は思った。
主家に忠誠を誓う忍者ならば名を晒す事を嫌がるだろうが放浪者ならば逆に名を上げたいと思うものなのだろう。
「では改めて礼を言わせて頂きたい。ありがとう、白狐どの」
「ふむ、素直なお侍殿だ。それで、貴女はどうしてこのような場所に?」
「ああ、実は近々この小領で戦が起きる。その為に村の女達を徴兵に来たのだ」
「なんと。そうだったでござるか」
ふぅ~む、と首を傾げると白狐は少し考える仕草をする。その姿を見て女は疑問に思う。
「どうかしたのか?」
「あいや、実は某の産まれ育った村が近くにあるので心配になっただけでござる。某と違って非力な者達ばかり故、戦に駆り出されるのは不憫でならないのでござるよ」
「……そうだったのか」
半化生が人間の村で育つ……珍しいが有り得ぬ事ではないだろう。個々の能力を見れば人間を凌駕する彼女達半化生は役に立つ事が多いからだ。
都会ならば迫害される事もあるようだが、田舎においては労働力として重宝がられる事が多々ある。
そしてそれは戦働きにも同じ事が言える。もし半化生の忍者を雇う事が出来れば文字通り千人力となり得るだろう。
「(なんとか彼女を我が軍に引き入れる事は出来んかな……)」
彼女の任務は村からの徴兵だ。だが、もしも忍者を連れて帰ったら評価は上がるに違いない。
「白狐どの、貴殿は今は主を持たぬ忍びと言っていたな。どうだろうか、この場で雇われる気はないだろうか?勿論、報酬は弾もう」
「ほう?」
女の言葉を聞き、白狐は興味深そうな声色を見せる。そして暫しの間黙考すると、やがて口を開いた。
「魅力的な申し出ではあるが、お断りさせて頂くでござる」
「……理由をお聞きしても宜しいか?」
放浪忍者を雇うのはそう簡単な事ではないと女は知っていた。
やはり断られるか……と女は意気消沈しながらもそう尋ねた。
「先程申したように故郷の村が心配で心配で仕事に集中できなさそうでござる」
随分と故郷思いの半化生もいたものだ。女は思わず苦笑いしてしまう。
しかしこれは困った。どうにかして引き入れられないものか……。
その時、女にある考えが浮かんだ。
徴兵される村が心配……ならばその心配を無くしてやれば彼女は気兼ねなく雇われてくれるのではないか?と
「そうだ、貴殿の産まれ育った村はなんという村だ?もし貴殿が士官すると言うのであればその村の徴兵を免除するように私が小領主様に掛け合ってみようじゃないか」
その言葉に白狐の身体がピクリと動く。どうやら興味を示してくれたらしい。
「ふむ……それは有り難い申し出でござるが、それで小領主様は納得するでござるか?」
「ああ、大丈夫だ。貴殿程の忍者ならば村の一つや二つから徴兵出来なくとも問題なかろう」
「……」
女の言葉を聞いた白狐は暫く沈黙した後、コクンと小さく首肯する。
「あいわかった。それならお頼み申し上げるでござる」
「おお!そうか!小領主様もお喜びになるだろう!」
女は内心ほくそ笑みながら白狐の手を握るとブンブンと上下に振った。たかだか数十人の代わりに忍者が手に入るとはなんという幸運。
これでこの自分の評価も上がるだろう。そうすれば出世も夢ではない。
「では三日後に迎えに行く故、準備をしておいて下され」
「承知」
こうして女は一人の半化生忍者を味方に付けることに成功した。
だが、女は気付かなかった。仮面の下で白狐がニヤリと笑っていた事に。
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