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25.私のための、言葉じゃない

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 次の日から、唯斗くんはもう話しかけてこなくなった。

 そりゃあ、そうだよね。一方的にあんなふうに断って、それでも唯斗くんなら、話しかけてきてくれるんじゃないか、心のどこかでそんな風に期待していた。私はどこまで身勝手なのだろう。

 自己嫌悪におちいっているうちに、一週間が過ぎ、二週間が過ぎた。

 唯斗くんと話さなくても、日々は普通に過ぎていく。朝起きて、支度をして、登校して、授業を受けて。休み時間は友達と話して、放課後になったら下校して、その帰り道ではリクくんを撫でて。帰ったら宿題をして、夕飯を食べて、お風呂に入って、寝る。

 今まで通りに戻っただけなのに、どうしてこんなにつまらないのだろう。

 教室で、こそっと盗み見る唯斗くんは相変わらずみんなから愛され、つねに誰かと一緒にいる。いつも笑顔で、元気そうで、良かった。

 前みたいに、不意に目があってニコッと微笑まれることはもうないけれど、それは私が望んだことだから、仕方がない。

 唯斗くん、もう好きな子に告白できたかな。うまくいったかな。想像すると、胸がチクリと痛んだ。

 季節は移る。数日前に梅雨明けが宣言され、早くも夏真っ盛りみたいな日差しが降り注ぎはじめた。街も人も、どことなく明るくカラッと楽しそうな雰囲気をまとっている。そんな中私だけが、梅雨に取り残されたみたいにジメジメうじうじとしていた。



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 夏休み目前。長期休暇を前に、学校中がどことなくソワソワしている、そんなある日の放課後のことだった。

「恭子ちゃん」

 校門を出たところで、後ろから声をかけられる。

 こんな風に呼び止められるのは、すごく久しぶりな気がした。それでも、見なくてもわかる。この元気な声は、唯斗くんだ。

 どうしよう、気づかないフリをして、このまま帰ろうか。

 まだ気持ちの整理がついていない私の頭に、そんな考えが一瞬よぎった。けれど、それは出来なかった。そんな計算よりも早くに、体が勝手に振り返ってしまっていたのだ。

 そこには、思った通り、唯斗くんの姿が。夏の日差しに照らされて、一段とキラキラ度が増しているような気がする。かたわらには、見慣れた自転車。荷台には、唯斗くんのカバンがぐるぐる巻きに。

「今帰り? 僕もなんだ。良かったら一緒に……」

 聞き覚えのあるフレーズに、胸が痛くなる。それは、好きな子に声をかけるために練習したセリフだったでしょう。私のための、言葉じゃない。どうしてそれを、今使うの。

 とじかけていたかさぶたを、ぺりっとはがされたかのように、胸の痛みがリアルに蘇る。

「ごめん、急いでるんだ」

 目をそらして、早口でそう言って、私はくるりと反転し歩き始めた。けれども、唯斗くんはそんな私に着いてくる。

「わかった、じゃあ、急いで帰るのに合わせるから。だから、お願い」

 そう言って唯斗くんは、返事も聞かずに隣を歩く。通学路を唯斗くんと並んで歩くのは、ものすごく久しぶりな気がする。本当は、多分そんなに前じゃないのだけれど。

 その時と違うのは、私のカバンが唯斗くんの自転車のカゴじゃなくて私の右手にあることと、隣を歩く唯斗くんが何も喋らないこと。しばし続いた無言の時間に、先に耐えられなくなったのは私だった。

「……なんでついてくるの?」

 唯斗くんの顔を見ないように、ただ斜め下を見ながらそう尋ねた。

「恭子ちゃんと、ちゃんと話がしたいから」

 見なくてもわかる。唯斗くんはきっと、まっすぐな眼差しで言葉を発している。

「……なにを話したいの? あ、もしかして、好きな子と付き合えるようになったとか、そういう報告?」

 自分でも何を考えているのかわからないけれど、私は聞きたくもないことを質問してしまった。
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