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第1話 笑顔ほど、怖いものはない。

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 「きゃああああああっ!!」

 絹を裂くような悲鳴。

 「お嬢さまっ!?」

 その聞きなれない叫びに、あたしはウトウトし始めていた意識を叩き起こす。
 珍しく学園を早退してきたお嬢さま。帰って来るなりずっと、食事すら召し上がらずに自室にこもられていたけれど。

 「いやっ、そんなのっ!!」
 「うそっ、信じらんないっ!!」
 「えーっ、でも、だってっ……!!」

 お嬢さまの叫び!? は、止まらない。ちょっとブツブツ言ったかと思えば、また叫ぶ。
 何が起きてるの!?
 お嬢さまが、こんな夜遅くにあんなお声を上げるなんて。
 あの、大っ嫌いなGでも出たのかしら。(お嬢さまは、あの黒くてカサコソ動く虫を「G」と呼ぶ)
 それとも……。何!?

 「お嬢さまっ!!」

 想像もつかないままに、乱暴に扉を開ける。あたしの手にはさっきまで履いていた靴。
 さあ、Gはどこっ!?

 「リュリィ……」

 お嬢さまは、寝台の上。泣きそうなぐらいお顔を真っ赤にしてこちらをふり向く。

 「お嬢さまっ、ご無事ですかっ!?」

 このリュリが来たからには、もう大丈夫ですよって……あれ!?
 お嬢さまの寝室は、いたって普通。Gの気配など、どこにもない。

 「どうしよう、リュリ。わたくし、このままじゃあ、悪役令嬢、断罪コースだわ……」

 代わりにあったのは、よくわからないお嬢さまの言葉。

 ――アクヤクレイジョウ!?
 ――ダンザイコース!?
 ソレハ、イッタイナンデスカ!?

 首をかしげる私に、お嬢さまが言葉を続ける。

 「この世界、私の知ってる『乙女ゲーム』なのよぉ」

 ――オトメゲェム!?

 あの、お嬢さま。お気は確かですか!?
 おっしゃってることが、欠片も理解できないんですが。
 
 「あのね。わたくしも、先ほどハッキリと自覚したのだけど……」

 前置きをしてから、お嬢さまが説明してくださった。

 「今、わたくしたちのいる世界、ここは、わたくしが前世でプレイしてたゲームとソックリ、おんなじなのよ」

 「ぷれい!? げぇむ!?」

 「『蒼き瞳のアンジェリカ』。多分、そのシリーズの一つ、『君の瞳に恋してる』の世界なのよ」

 な、なんですか!? そのわけのわからない説明は。

 「んー。そうねえ、例えて言うなら、リュリ、アナタが知っている物語の登場人物に、アナタが生まれ変わって、その世界で暮らしてるって想像してもらえればいいわ」

 はあ。そんなこと、起こるんですか!?

 物語を知らないわけじゃないけれど、自分がその世界で生きて暮らすっていうのが理解しにくい。まあ、自分がこの主人公で、こんな素敵な王子さまに惚れられたらなって、想像はしたことあるけれど。でも、それは想像であって、実際にそこで暮らす、生きるのとはわけが違う。

 「でね、ゲームにも物語が存在して。わたくしは、その中の『悪役令嬢』の立場なのよ」

 「あくやくれいじょう……!?」

 お嬢さまがコクリと頷いた。

 「そ。悪役令嬢。物語って、主役たちを困らせたりイジメたりする人物が必要となるでしょ!? それが悪役令嬢。主役の女の子にイロイロとヒドいことをしたりする役目なの」

 物語、特に恋愛ものだと、恋人たちを妨害する事件や人物が存在する。それが「あくやくれいじょう」なのだろうか。

 「でね、悪役令嬢は、ゲーム終盤でその悪事から、断罪されるのよ」

 断罪!? えらく物騒な言葉が出てきた。

 「でも、それなら、悪いことをしなければよいのでは!?」

 悪いことさえしなければ、主人公たちの邪魔さえしなければ良いのではないか。

 「それがダメなのよ。たとえ、悪いことをしなくても、断罪は免れないの。そういう筋書きに合わせて、冤罪であっても断罪されるのよ」

 「そんなっ……!!」

 あまりにメチャクチャではないか。悪いことをしなくても、そういう立場だから冤罪をかけられるの!?
 今まで、物語の主役たちに感情を移入して読んでいたけれど。これからは、そういう悪役に同情したくなる。

 「でっ、では、なるべく主役たちに関わらない生き方をすればよろしいのでは!?」

 近くにいるから、冤罪でもなんでもふりかかるのではないか。

 「それも、もうダメなの。もう遅いのよ。だって、わたくし、主役たちに出会ってしまって、物語にバッチリ巻き込まれているもの。手遅れだわ」

 「うえええっ。そっ、そんなあ……」

 「今、王立学園に途中編入してきた子がいるの、知ってる!?」

 「えっ!? ああ、あの有名な聖女さまですよね。地方の孤児院育ちで、実はスッゴイ魔力の持ち主で、伯爵令嬢だったっていう」

 赤子の頃に人さらいにあって、どういうわけか孤児院で育った令嬢。触れた者の病や怪我を治す、治癒魔法の発現で、聖女の再来として神殿に認められ、なおかつ、身元も判明し、今は伯爵の娘として、学園に通うようになった少女。
 そんな、夢物語みたいなこともあるんだなあ。
 同じ親なし子として、ちびっとだけ境遇が似ていたから、「実は……で」の部分に驚き、よく覚えていた。自分にも、そうやって魔法が使えるようになって、両親が名乗り出てくれたらいい……なんて、思ったことは内緒のしょである。

 「その聖女ミサキが、この世界のヒロイン。主役なのよ」

 あたしの思いに気づかないまま、お嬢さまは話を続けた。

 「ゲームでは、プレイヤーは彼女になって、学園内外にいる男性とラブラブになるように行動するの。物語的に、全員を墜とすことは無理だけど、それでも誰か一人は、必ず墜とされるわ」

 「げぇむ」、「ぷれいやぁ」、「らぶらぶ」。そして、「墜とす」。

 よくわからない単語と、物騒な言葉が出てきた。

 「で、わたくしは、卒業パーティで、婚約破棄、断罪、悪事暴露、処刑という、コンボを決められて死ぬか、よくて身分剥奪のうえ、国外追放、もしくは修道院送りにされてしまうのよ」

 「うえっ、卒業パーティって言えば、あと三か月しかありませんよ!?」

 先日、そのパーティ用にドレスを新調したばかりだ。瞳の色に合わせて選んだサテンの生地は、とても美しかった。

 「そう、そうなのよ。あと三か月。あと三か月もすれば、わたくし断罪されて処刑されるのよぉっ!!」

 「お嬢さまっ!!」

 その灰紫色のキレイな目にブワッと涙があふれ、こぼれ落ちる。
 正直、よくわからない。理解はイマイチ。
 だけど、お嬢さまを泣かせておくわけにはいかない。

 「大丈夫です、まだ三か月もあります。あたしが、このリュリがついておりますっ!!」

 「……リュリ」

 「三か月もあるんでしょう!? でしたら、何かしらの対策はとれるはずです。難しいかもしれませんが、あきらめてはダメですよ」

 「三ヶ月しかない」んじゃない。「まだ三ヶ月もある」。
 断罪、処刑なんてお嬢さまの妄想だと思う。だって、そんな理不尽なこと実際に起きるはずがないじゃない。だって、お嬢さまはこの国の筆頭貴族、カルティミラル公爵家の一人娘で、王太子殿下の婚約者なんだから。

 「だけど、あの子は、かなり物語を進めてきてるわ。多分、今、第三章あたりで……、おそらくターゲットは、……と、……かしら。うん、ここであのイベント起きてたし、間違いないわ」

 またお嬢さまがブツブツと呟き始めた。
 顎に手を当て、なにやら思案している。

 「だとしたら、わたくしに待ち受けているのは、やはり断罪、処刑エンドで。としたら、その理由が、アレでしょ!? ということは、待って。お父さまたちもマズい……わよね」

 何が!? と、口を挟む余裕はない。
 お嬢さまが、一点を見つめたまま話すのを止めた。

 「……ねえ、リュリ」

 かなりの時間費やしてから、お嬢さまが口を開いた。

 「アナタ、協力してくれるわよね!?」

 え!? もちろん……ですけど。
 なんですか、その笑顔。
 少し、怖いです。お嬢さま。
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