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私が笑うと王子が死ぬ魔法にかけられたので、極力笑わないよう努めます。 ~でも最近、笑わないと胸が詰まる呪いにもかかったそうです~
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「は? 呪い?」
「そうなの、兄さま」
本を束ねた紐を解く手が止まる。
呪い? えらく物騒な言葉が飛び出してきたな。
「リシュリエール殿下にかけられてる呪いを解くの、手伝ってほしいの」
懇願する妹、アレット。
長年、他国へ魔術研究のため遊学していたオレを、両親と一緒に出迎えてくれた。
その時とは打って変わって、かなり神妙に、暗く、思い詰めたような顔をしている。
夜遅くにオレの部屋を訪れた妹。
てっきり、「ご遊学先では、どんな魔術を習っていらしたの?」とか、そういう話をしにオレの部屋に来たと思ったのに。「相変わらずの魔術バカだなあ」って言うつもりで、笑って出迎えたのに。
アレットと同じように、オレの顔からも笑みが消える。
リシュリエール殿下といえば、この国の第一王子、王太子殿下で、妹の許嫁でもある。その殿下に呪いがかけられてる? だとすれば、タダゴトじゃないぞ、それは。
「殿下は、どんな呪いにかけられてるんだ?」
隣国の王とかが、この国を狙って王子を呪ったのか? それとも国内の貴族の勢力争いに巻き込まれているのか?
妹に聞きながら、呪いをかけられそうな状況、理由を、いくつも思い浮かべる。アレットと同い年、たった十六の少年を巻き込むような陰謀がそこに?
この家の者は代々、魔術に造詣が深い。王太子妃候補を選ぶ際、あーだこーだ、すったもんだのああでもなければこうでもないの末にアレットが選ばれたのは、その魔術の知識と操るだけの魔力の高さを買われてのこと。政を担う王族と、魔術に長けたこの家の娘が結婚すれば、向かう所敵なし! ってことで決まった婚約。その魔法ならなんでもお任せ☆一族の妹が、困り切ってオレを頼るとは? そんなにとんでもない呪いなのか?
「あのね、兄さま。リシュリエールさまは、私が笑うと、心臓が潰れるように苦しくなる呪いにかけられてるの」
「――は?」
「初めてお会いした時に、おっしゃられたのよ。『お前が笑うと僕の心臓が苦しくなる!』って。『笑うな! 殺す気か!』って、とても辛そうに胸を押さえられたのよ」
「えっと、それって、あのオレが出立前に言ってたやつか?」
「そうよ。兄さまがご遊学に出立される前に起きた事件よ」
事件って。
真剣な妹に、こめかみをポリポリ指で掻く。
七年前、オレが遊学に出る前、アレットは婚約相手となったリシュリエール殿下と初めて対面した。
未来の王太子妃として恥ずかしくないよう、精いっぱいオシャレして王宮に出かけたアレット。そこで王子から言われたのが、「お前が笑うと、僕の心臓が苦しくなる! 笑うな!」だった。
まあ、それはそういう意味で胸が苦しくなるんだろうな。王宮に出かけていった時の妹は、兄の贔屓目を差し引いても充分に愛らしく、天使もビックリなぐらいかわいかったから。
ある程度予測――というか、確信があったので、「微笑ましい一目惚れだなあ」って笑って見ていた。
微笑ましい、恋の勘違い。
王子も「恋」とか知らないから、どうして心臓が苦しくなるか、理解してなかったんだろうって。
だから、王子の言葉を額面通りに受け取って、「私が笑うと王子が死んじゃう。どうしよう」って半べそかいてた妹に、「そりゃ、大変だ。頑張って呪いを解いてやれ」ぐらいのことしか言い残していかなかった。
(どうせ二人とも、いつかは、その苦しさの意味に気づくだろ)
楽観していたのだろう。それが「恋」だと、いつかは気づくだろうって思ってた。二人が気づかなくても、他の誰かが教えるだろうって。
(甘かった)
王子の周りはもちろん、妹の周りにもそういう「誰か」はいなかったらしい。
だから、十六になっても悩んで悩んで、思い詰めてオレの所にやってきた。
(父さんなら、「呪いを解くために、さらなる研鑽を積むのじゃ」しか言わないだろうし。母さんは一緒になって「まあまあまあ、どうしましょう」ってオロオロするだけだろうしなあ)
魔術バカの父と、ノンビリお嬢様育ちの母が、「それは恋ですよ」なんて教えてくれそうにない。そばにいる「誰か」の想定ミスだ。
「私ね、あれからずっと、リシュリエールさまの前では笑わないようにしてたの。私が笑うとリシュリエールさまの心臓がどうにかなってしまう呪いなんだもの。私が笑うことで、未来の旦那様を殺しちゃいけないから、お会いしてうれしくても、ずっと我慢して、笑わないように努力してたの」
「そ、それは……」
なんて健気だけどムダな努力を。
「父さまの言う通り、あらゆる魔術の本を調べてみたけれど、〝許嫁が笑うと死ぬ呪い〟なんてものは見つけられなくて」
それは世界中を探しても見つけられないし、解呪の方法も無いと思う。
「ねえ、兄さま。私、リシュリエールさまにかけられた呪いを解きたいの。だって、何もなくてもリシュリエールさまと過ごすと、頬が緩んでしまうんですもの。笑わないように、引き締めようと思ってるのだけど、上手くいかなくって。だから、私の笑顔がリシュリエールさまの心臓を潰してしまう前に、兄さまの学んできた魔術に、呪いを解けるようなものはないかしら」
異国で魔術を学んできたオレなら、呪いを解く鍵を知ってるかもしれない。一縷の望みにかけて、オレの部屋にやって来たってところか。健気がすぎる。
けど、「一緒にいると笑ってしまう」って。殿下を「好き」って白状してるようなもんだぞ、それ。
「――わかった。明日、オレが殿下にお会いしてくるよ。帰国の挨拶ついでに、殿下の呪いを見極めてきてやる」
「ほんとう?」
「ああ。兄ちゃんに任せておけ」
初恋の身体的反応を理解できないアホ殿下と、努力のベクトル違いを起こしてる健気な妹のためだ。この兄、セイラルさまが一肌ムキッと脱いでやるよ。
* * * *
ってことで、やって来た王宮。
妹の恋路の現状確認と、長年の遊学からの帰国の挨拶を兼ねての王宮訪問だったのだけど。
「お前の妹は、また新しい魔術を会得したのか?」
王宮の庭。設けられた四阿の茶の席で、ムスッとしたまま王子が言った。
「新しい魔術……ですか?」
そりゃあ、魔術に長けた一族だから、オレの知らない間に妹が何か習得しててもおかしくないが。
だからって、それをイチイチオレに聞くか? ずっと離れていた兄のオレに?
「お前の妹は、どうして笑わないのだ」
は?
それは、アンタが初っ端に「笑うな!」って言ったからでしょうが。笑うと心臓が苦しくなるって言ったせいだよ。
「僕には笑わないくせに、他のやつには笑いかけるんだぞ」
僕は許嫁なのに。ヒドいじゃないか。
うつむき、ブツブツと口を尖らせる王子。
いや、だから。アレットは、アンタに「笑うな!」って言われたから、頑張って笑いをこらえてるんだってば。他のやつと笑い合うぐらい、ちょっとぐらい許してやれよ。
「アイツが、他の奴に笑いかけてるのを見ると……、こう、胸が焼けるように苦しいのだ!」
「はあっ!?」
「これは、アイツがかけた呪いに違いない! 笑って心臓を潰しにかかってきたかと思えば、今度は笑わないことで焼き滅ぼそうとしているんだ!」
……………………。
そーれーをー、こーいーとーいーうーのーでーすー。
胸を押さえる王子に、思わずジト目。眉根寄せ付き。
(何やってんだよ、このこじれバカップル)
微笑まれると、胸が苦しくなるぐらい惚れてるのに、「笑うな!」って言ったせいで、自分にだけ笑いかけてもらえなくなって。今度は別の誰かに笑いかけてるのを見るのが(嫉妬で)辛いときた。――バカじゃねえの?
恋を理解できてない王子と、魔術バカの妹。
間に立ったオレまでバカに思えてくる。
「では、アレットにお面でも着けさせましょうか」
「は?」
「アレットが笑っていても笑ってなくても、殿下のお目に触れぬようお面を着けさせおきましょう」
そうしたら、お前の心臓は潰れもしなければ焦げ付きもしないぞ。
「お前はバカか。そんなことしたら、顔が見えなくなるだろう」
……お前にバカ呼ばわりされるいわれはねえよ。この恋愛音痴王子め。
「では、アレットを遠くにやるというのはいかがでしょう」
「却下だ」
「婚約を破棄するというのは?」
「ありえない」
王子の〝お前はバカか〟視線が冷ややかに、オレに突き刺さる。……バカはお前たちだって。オレじゃなくて。
「うーん、困りましたねえ」
というか、段々とアホらしくなってきた。これ、真剣につき合わなきゃいけねえ案件か?
「長年遊学してきたお前なら、この、アレットがかけた魔術を解くことができるのではないのか?」
卓越しに座ってた王子が身を乗り出す。
その胸のドキドキ、トキメキは呪い。――アレットとおんなじことを言うんだなあと、感心してる場合じゃない。
「……わかりました。一つだけ、解呪の方法がありますので試してみましょう」
「本当か!?」
「はい。秘術中の秘術ですが」
嘘ですが。
でも、その真摯な王子の目に疑われないよう、それらしく指で空に字を書く。
「アーブラカタブーラ、アブーラカータブラ。セアブーラオーメ、メーンバリカータ、コッテーリトンコーツ、ニンニークマーシマシ、モーヤシコンモーリ。コーガシネギネーギコウバーシイ」
なんのこっちゃかわからなーいニセ呪文。でもその後に、こっそり本物も唱えておく。
「では、殿下。あちらに向かって、妹アレットのいいところを言ってください」
「なぜだ?」
「それが呪いを解く秘術だからです」
大嘘ですが。
でも、王子はそれを信じたらしく、顎に手を当て真剣に悩む。
「そうだな。まずは、あの顔がいい。それから、あの声だな。僕と違って、少し高い音で、鈴の音を転がしたようなきれいな声だ」
ほうほう。
「笑う時に、少しだけ首を傾けるのもいい。細められた目の、あの青色の瞳がとてもいい。上がった口角の横に、ちょんとへこんだエクボが添えられるのもいい」
ほほう。
妹の笑顔、よく見てるじゃねえか、この王子。
「小さな顔を縁取るようなチョコレート色の髪もいい。甘くふんわりした色のドレスがよく似合ってる。とても美味しそうだ」
ほほほう。
食べものに例えるのはどうかと思うけど。――旨そうだからって、食うなよ? そういうのはまだ早いぞ?
「魔術が大好きで、研究に熱心だが、ちゃんと忘れずに僕の所にやって来るのもいい。時折僕の名前を呼んで、胸を苦しくする呪いをかけ続けてくるのは気に食わないが、それ以外は悪くないと思う」
……だから、それは「呪い」じゃなくて「恋」だってば。
「なるほど、なるほど」
一応、真剣な顔をして、王子に頷く。
「では、殿下。解呪の最後の仕上げと参ります。これから私が空に描く文字を、この城よりも大きく、高く、遠くまで響くように読み上げてください」
「わかった」
神妙に頷く王子。
笑いをこらえ、空に大きく光る文字を描いてやる。
「ア、レッ、ト、す、き、だ」
「殿下、続けて大きなお声でです」
「アレット、好きだ!」
「もう一回! 照れずに!」
「アレット、好きだっ!!」
最後は目をギュッと瞑って叫んだ王子。でも、その言葉はちゃんと届いたようで、四阿の向こう、茂みがガサッと大きく揺れた。
「ふむ。……だそうですよ、アレット」
揺れた茂みの中から姿を顕した妹。さっき、ふざけた呪文と同時に、オレが召喚しておいた妹。王子の雄叫び(?)に驚き、目をまん丸にしてこっちを見てる。信じられないものを聞いた。そんな顔だ。
「あ、アレット……」
驚く王子。
オレの言う通り叫んでみたものの、まさかそこに本人がいるとは思ってなかったようで。
「リシュリエールさま……」
アレットが名を呼ぶと、王子の全身が沸騰したように真っ赤に染まった。
「セイラル、お前……」
王子が行き場のない怒りと恥ずかしさをオレにぶつける。ギッとこっちを睨んでくるけど、別に怖くねえし。
「ってことで、後はお二人でなんとかしてください。そうですね。口づけの一つでも交わせば、呪いは完全に解けますよ」
いや。
更に呪いは深まるか?
お医者様でもクサーツ湯でも惚れた病は治らねえ。治らねえなら、一生、病に罹ってろ。
兄ちゃんは、遊学帰りで疲れてるんだ。こじれたバカップルなんて放っておいて、ゆっくり家で寝ていたい。
ってことで、サッとそこから転移する。後がちょっぴり怖いけど。
人の恋路に出歯亀してたら、馬に蹴られて死んじゃうからな。
「そうなの、兄さま」
本を束ねた紐を解く手が止まる。
呪い? えらく物騒な言葉が飛び出してきたな。
「リシュリエール殿下にかけられてる呪いを解くの、手伝ってほしいの」
懇願する妹、アレット。
長年、他国へ魔術研究のため遊学していたオレを、両親と一緒に出迎えてくれた。
その時とは打って変わって、かなり神妙に、暗く、思い詰めたような顔をしている。
夜遅くにオレの部屋を訪れた妹。
てっきり、「ご遊学先では、どんな魔術を習っていらしたの?」とか、そういう話をしにオレの部屋に来たと思ったのに。「相変わらずの魔術バカだなあ」って言うつもりで、笑って出迎えたのに。
アレットと同じように、オレの顔からも笑みが消える。
リシュリエール殿下といえば、この国の第一王子、王太子殿下で、妹の許嫁でもある。その殿下に呪いがかけられてる? だとすれば、タダゴトじゃないぞ、それは。
「殿下は、どんな呪いにかけられてるんだ?」
隣国の王とかが、この国を狙って王子を呪ったのか? それとも国内の貴族の勢力争いに巻き込まれているのか?
妹に聞きながら、呪いをかけられそうな状況、理由を、いくつも思い浮かべる。アレットと同い年、たった十六の少年を巻き込むような陰謀がそこに?
この家の者は代々、魔術に造詣が深い。王太子妃候補を選ぶ際、あーだこーだ、すったもんだのああでもなければこうでもないの末にアレットが選ばれたのは、その魔術の知識と操るだけの魔力の高さを買われてのこと。政を担う王族と、魔術に長けたこの家の娘が結婚すれば、向かう所敵なし! ってことで決まった婚約。その魔法ならなんでもお任せ☆一族の妹が、困り切ってオレを頼るとは? そんなにとんでもない呪いなのか?
「あのね、兄さま。リシュリエールさまは、私が笑うと、心臓が潰れるように苦しくなる呪いにかけられてるの」
「――は?」
「初めてお会いした時に、おっしゃられたのよ。『お前が笑うと僕の心臓が苦しくなる!』って。『笑うな! 殺す気か!』って、とても辛そうに胸を押さえられたのよ」
「えっと、それって、あのオレが出立前に言ってたやつか?」
「そうよ。兄さまがご遊学に出立される前に起きた事件よ」
事件って。
真剣な妹に、こめかみをポリポリ指で掻く。
七年前、オレが遊学に出る前、アレットは婚約相手となったリシュリエール殿下と初めて対面した。
未来の王太子妃として恥ずかしくないよう、精いっぱいオシャレして王宮に出かけたアレット。そこで王子から言われたのが、「お前が笑うと、僕の心臓が苦しくなる! 笑うな!」だった。
まあ、それはそういう意味で胸が苦しくなるんだろうな。王宮に出かけていった時の妹は、兄の贔屓目を差し引いても充分に愛らしく、天使もビックリなぐらいかわいかったから。
ある程度予測――というか、確信があったので、「微笑ましい一目惚れだなあ」って笑って見ていた。
微笑ましい、恋の勘違い。
王子も「恋」とか知らないから、どうして心臓が苦しくなるか、理解してなかったんだろうって。
だから、王子の言葉を額面通りに受け取って、「私が笑うと王子が死んじゃう。どうしよう」って半べそかいてた妹に、「そりゃ、大変だ。頑張って呪いを解いてやれ」ぐらいのことしか言い残していかなかった。
(どうせ二人とも、いつかは、その苦しさの意味に気づくだろ)
楽観していたのだろう。それが「恋」だと、いつかは気づくだろうって思ってた。二人が気づかなくても、他の誰かが教えるだろうって。
(甘かった)
王子の周りはもちろん、妹の周りにもそういう「誰か」はいなかったらしい。
だから、十六になっても悩んで悩んで、思い詰めてオレの所にやってきた。
(父さんなら、「呪いを解くために、さらなる研鑽を積むのじゃ」しか言わないだろうし。母さんは一緒になって「まあまあまあ、どうしましょう」ってオロオロするだけだろうしなあ)
魔術バカの父と、ノンビリお嬢様育ちの母が、「それは恋ですよ」なんて教えてくれそうにない。そばにいる「誰か」の想定ミスだ。
「私ね、あれからずっと、リシュリエールさまの前では笑わないようにしてたの。私が笑うとリシュリエールさまの心臓がどうにかなってしまう呪いなんだもの。私が笑うことで、未来の旦那様を殺しちゃいけないから、お会いしてうれしくても、ずっと我慢して、笑わないように努力してたの」
「そ、それは……」
なんて健気だけどムダな努力を。
「父さまの言う通り、あらゆる魔術の本を調べてみたけれど、〝許嫁が笑うと死ぬ呪い〟なんてものは見つけられなくて」
それは世界中を探しても見つけられないし、解呪の方法も無いと思う。
「ねえ、兄さま。私、リシュリエールさまにかけられた呪いを解きたいの。だって、何もなくてもリシュリエールさまと過ごすと、頬が緩んでしまうんですもの。笑わないように、引き締めようと思ってるのだけど、上手くいかなくって。だから、私の笑顔がリシュリエールさまの心臓を潰してしまう前に、兄さまの学んできた魔術に、呪いを解けるようなものはないかしら」
異国で魔術を学んできたオレなら、呪いを解く鍵を知ってるかもしれない。一縷の望みにかけて、オレの部屋にやって来たってところか。健気がすぎる。
けど、「一緒にいると笑ってしまう」って。殿下を「好き」って白状してるようなもんだぞ、それ。
「――わかった。明日、オレが殿下にお会いしてくるよ。帰国の挨拶ついでに、殿下の呪いを見極めてきてやる」
「ほんとう?」
「ああ。兄ちゃんに任せておけ」
初恋の身体的反応を理解できないアホ殿下と、努力のベクトル違いを起こしてる健気な妹のためだ。この兄、セイラルさまが一肌ムキッと脱いでやるよ。
* * * *
ってことで、やって来た王宮。
妹の恋路の現状確認と、長年の遊学からの帰国の挨拶を兼ねての王宮訪問だったのだけど。
「お前の妹は、また新しい魔術を会得したのか?」
王宮の庭。設けられた四阿の茶の席で、ムスッとしたまま王子が言った。
「新しい魔術……ですか?」
そりゃあ、魔術に長けた一族だから、オレの知らない間に妹が何か習得しててもおかしくないが。
だからって、それをイチイチオレに聞くか? ずっと離れていた兄のオレに?
「お前の妹は、どうして笑わないのだ」
は?
それは、アンタが初っ端に「笑うな!」って言ったからでしょうが。笑うと心臓が苦しくなるって言ったせいだよ。
「僕には笑わないくせに、他のやつには笑いかけるんだぞ」
僕は許嫁なのに。ヒドいじゃないか。
うつむき、ブツブツと口を尖らせる王子。
いや、だから。アレットは、アンタに「笑うな!」って言われたから、頑張って笑いをこらえてるんだってば。他のやつと笑い合うぐらい、ちょっとぐらい許してやれよ。
「アイツが、他の奴に笑いかけてるのを見ると……、こう、胸が焼けるように苦しいのだ!」
「はあっ!?」
「これは、アイツがかけた呪いに違いない! 笑って心臓を潰しにかかってきたかと思えば、今度は笑わないことで焼き滅ぼそうとしているんだ!」
……………………。
そーれーをー、こーいーとーいーうーのーでーすー。
胸を押さえる王子に、思わずジト目。眉根寄せ付き。
(何やってんだよ、このこじれバカップル)
微笑まれると、胸が苦しくなるぐらい惚れてるのに、「笑うな!」って言ったせいで、自分にだけ笑いかけてもらえなくなって。今度は別の誰かに笑いかけてるのを見るのが(嫉妬で)辛いときた。――バカじゃねえの?
恋を理解できてない王子と、魔術バカの妹。
間に立ったオレまでバカに思えてくる。
「では、アレットにお面でも着けさせましょうか」
「は?」
「アレットが笑っていても笑ってなくても、殿下のお目に触れぬようお面を着けさせおきましょう」
そうしたら、お前の心臓は潰れもしなければ焦げ付きもしないぞ。
「お前はバカか。そんなことしたら、顔が見えなくなるだろう」
……お前にバカ呼ばわりされるいわれはねえよ。この恋愛音痴王子め。
「では、アレットを遠くにやるというのはいかがでしょう」
「却下だ」
「婚約を破棄するというのは?」
「ありえない」
王子の〝お前はバカか〟視線が冷ややかに、オレに突き刺さる。……バカはお前たちだって。オレじゃなくて。
「うーん、困りましたねえ」
というか、段々とアホらしくなってきた。これ、真剣につき合わなきゃいけねえ案件か?
「長年遊学してきたお前なら、この、アレットがかけた魔術を解くことができるのではないのか?」
卓越しに座ってた王子が身を乗り出す。
その胸のドキドキ、トキメキは呪い。――アレットとおんなじことを言うんだなあと、感心してる場合じゃない。
「……わかりました。一つだけ、解呪の方法がありますので試してみましょう」
「本当か!?」
「はい。秘術中の秘術ですが」
嘘ですが。
でも、その真摯な王子の目に疑われないよう、それらしく指で空に字を書く。
「アーブラカタブーラ、アブーラカータブラ。セアブーラオーメ、メーンバリカータ、コッテーリトンコーツ、ニンニークマーシマシ、モーヤシコンモーリ。コーガシネギネーギコウバーシイ」
なんのこっちゃかわからなーいニセ呪文。でもその後に、こっそり本物も唱えておく。
「では、殿下。あちらに向かって、妹アレットのいいところを言ってください」
「なぜだ?」
「それが呪いを解く秘術だからです」
大嘘ですが。
でも、王子はそれを信じたらしく、顎に手を当て真剣に悩む。
「そうだな。まずは、あの顔がいい。それから、あの声だな。僕と違って、少し高い音で、鈴の音を転がしたようなきれいな声だ」
ほうほう。
「笑う時に、少しだけ首を傾けるのもいい。細められた目の、あの青色の瞳がとてもいい。上がった口角の横に、ちょんとへこんだエクボが添えられるのもいい」
ほほう。
妹の笑顔、よく見てるじゃねえか、この王子。
「小さな顔を縁取るようなチョコレート色の髪もいい。甘くふんわりした色のドレスがよく似合ってる。とても美味しそうだ」
ほほほう。
食べものに例えるのはどうかと思うけど。――旨そうだからって、食うなよ? そういうのはまだ早いぞ?
「魔術が大好きで、研究に熱心だが、ちゃんと忘れずに僕の所にやって来るのもいい。時折僕の名前を呼んで、胸を苦しくする呪いをかけ続けてくるのは気に食わないが、それ以外は悪くないと思う」
……だから、それは「呪い」じゃなくて「恋」だってば。
「なるほど、なるほど」
一応、真剣な顔をして、王子に頷く。
「では、殿下。解呪の最後の仕上げと参ります。これから私が空に描く文字を、この城よりも大きく、高く、遠くまで響くように読み上げてください」
「わかった」
神妙に頷く王子。
笑いをこらえ、空に大きく光る文字を描いてやる。
「ア、レッ、ト、す、き、だ」
「殿下、続けて大きなお声でです」
「アレット、好きだ!」
「もう一回! 照れずに!」
「アレット、好きだっ!!」
最後は目をギュッと瞑って叫んだ王子。でも、その言葉はちゃんと届いたようで、四阿の向こう、茂みがガサッと大きく揺れた。
「ふむ。……だそうですよ、アレット」
揺れた茂みの中から姿を顕した妹。さっき、ふざけた呪文と同時に、オレが召喚しておいた妹。王子の雄叫び(?)に驚き、目をまん丸にしてこっちを見てる。信じられないものを聞いた。そんな顔だ。
「あ、アレット……」
驚く王子。
オレの言う通り叫んでみたものの、まさかそこに本人がいるとは思ってなかったようで。
「リシュリエールさま……」
アレットが名を呼ぶと、王子の全身が沸騰したように真っ赤に染まった。
「セイラル、お前……」
王子が行き場のない怒りと恥ずかしさをオレにぶつける。ギッとこっちを睨んでくるけど、別に怖くねえし。
「ってことで、後はお二人でなんとかしてください。そうですね。口づけの一つでも交わせば、呪いは完全に解けますよ」
いや。
更に呪いは深まるか?
お医者様でもクサーツ湯でも惚れた病は治らねえ。治らねえなら、一生、病に罹ってろ。
兄ちゃんは、遊学帰りで疲れてるんだ。こじれたバカップルなんて放っておいて、ゆっくり家で寝ていたい。
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薬の名は……。
『忘却の滴』
一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。
それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。
父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。
彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。
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