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六、番鳥

(一)

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 「――きみには失望したよ、リュカ」

 どれだけ時間が経ったんだろう。
 薄暗くジメッとした牢に、訪れた人物。

 「オッサン! 皇子のっ! 皇子の具合はどうなんだよ!」

 誰も教えてくれないこと。それを聴きたくてぶつかるような勢いで、鉄気臭い鉄格子に飛びつく。

 「――リュカ。きみは俺と殿下を騙してたんだな」

 は?
 
 「まさかきみが殿下を弑しようとするなんてね。俺の娘を語って近づこうだなんて」

 へ? は?

 「女装は、皇子が言い出したこ――」
 「俺も殿下も見事に騙されてしまったよ」

 おい、何言ってんだ、オッサン。
 女装は皇子が言い出したことで、皇子のそばにいるには〝閨事指南の姫〟とかになったんだろ? オッサンもノリノリでオレを女装させたし。
 この牢に連れてこられる時、寝起き間もないのに、衛士引きずられ、こづかれまくったせいで夜着が乱れて「コイツ、男だぞ!」ってバレて大騒ぎになったけど、オレが元々男だってことはオッサンも承知していたはずだろ?

 「ってか、そんなことはどうでもいいんだよ! 皇子は! 皇子はどうなった!」

 そっちのが大事だ。
 オレをここに放り込んだ連中は、「皇太子暗殺の疑」とか、「毒を薬と偽り呑ませた」とか言ってたけど。
 皇子の容態、それだけでも教えてくれ!

 「殿下は、典薬医が手を尽くしたおかげで、一命を取り留めたよ」

 「そ、か……」

 その言葉に、柵を握りしめる手から力が抜ける。だけど。

 「だが今は予断を許さない、昏睡状態に陥っておられるよ」

 「なんだって?」

 昏睡? 皇子は目を覚ましてねえのか?

 「ちょっと待て! 皇子は、他になんか薬を呑んだりしたのか? あの薬だけで命が危なくなることはないはずだ!」
 
 オレが渡したのは滋養強壮の薬と眠り薬。眠り薬は多量に呑んだりすると危険だけど、オレが渡したのはたった一回分。危険はないはず。だから、真っ先に疑ったのは他の薬との呑み合わせ。滋養強壮の薬となら問題ないけど、他に何か服用していたら、危険なこともある。

 「なあ、オッサン! 一度でいいから、オレに皇子を診させてくれ!」

 皇宮の典薬医じゃなくって、このオレに。

 「無理だよ。きみを殿下に近づけることは出来ない」

 「そんな……。頼むよ」

 にべもないオッサンの返答に、ズルズルと床に座り込む。
 
 「頼む。頼むよ。オレのことを〝最高の治癒師〟って笑ってくれたアイツを、アイツの容態をオレに診させてくれ」

 うつむいた拍子に、目からポタポタと涙がこぼれ落ちた。

 「診て、アイツを目覚めさせることが出来たらさ。オレの薬が原因だったのだとしたらさ。オレ、この首を刎ねられても文句言わねえから。オレを、こんなところ……じゃなく、て、アイツの、ところに、行かせて……くれよ」

 声が震える。
 牢から出してほしいわけじゃない。アイツを診たいんだ。
 アイツの容態を診て、アイツが元気になったのを見届けたら、オレ、どんな目に遭ってもいいからさ。
 治癒師としてじゃない。アイツのこと、大切に思ってるから、だから、だから……。

 「頼む……、お願い……だ」

 どれだけ頼みこんでもピクリとも動かないオッサン。淡々とオレを睥睨するだけ。

 「――リュカ。アナタに沙汰を言い渡します」

 発した声も冷たい。

 「皇太子ルーシュン殿下暗殺未遂の罪により、この皇都からの放逐を命じます」

 「ほう……ちく?」

 「一両日中にこの皇都から立ち去ること。皇都に留まることは許されません。留まるならば、親族も同罪とみなし、斬首刑に処します」

 「そん……な」

 「命あるだけましと思いなさい。これは皇太子殿下の温情です」

 ドサリと牢の前に放り投げられたのは、オレの行李。

 「サッサと皇都を出なさい」

 それだけ言うと、オッサンは無表情のまま牢から去っていった。

 「出ろ!」

 力の入らない体を、番兵が引っ張り上げる。動けないオレの腕に無理やり行李を抱えさせられた。
 
 (皇子……)

 その無事だけを祈る。祈ることしか出来ない自分に、噛み締めた奥歯がギリッと音を鳴らした。

*     *     *     *

 「――今、リュカ殿が春陽門を出て東に向かったと報告がありました」

 「……そうか」

 その知らせに、少しだけ胸を撫で下ろす。無事に都を出たのだな、と。

 「でも、本当にこれで良かったのですか?」

 「くどいぞ、セイハ」

 「でもですねえ……」

 「こうするしかないことは、お前もわかっているだろう?」

 「でもですねえ……」

 同じことしかくり返さないセイハを放って、一人窓に近づく。放逐したリュカが向かったのは東。日が沈みゆく西ではなく、日が昇るであろう東。

 (リュカ……)

 彼を守るにはこうするしかなかった。
 皇都からの追放。
 このまま皇宮にとどまっていたら、次はどうなるかわからない。
 敵は、皇后とその一族が、自分が心を許した相手を見逃すはずがない。蔵子とともに焼死させられなかったからと、簡単に諦めるような連中ではない。今回は運良く助けられたが、だからとて次も上手くいくとは限らない。毒殺、井戸への転落による水死、狼藉者による、凌辱の末の絞殺、刺殺。方法はいくらでもある。
 それは家族の元、街に戻っても同じだ。少し遠ざけたぐらいで、リュカの無事は保たれない。
 遠くへ。できる限り遠くへやらねば。
 祖父との元の暮らしに戻してやれないのは申し訳ないが、こうでもしないと彼が生き残ることは難しい。

 (リュカ……)

 僕が心を許したばかりに。彼に辛い人生を強いてしまった。
 もう二度と会えないかもしれないけれど。愛想をつかすどころか、嫌い、憎まれてしまったかもしれないけれど。
 それでも彼の無事を祈り続ける。

 「大丈夫ですよ、殿下。いつかはわかってもらえます」

 近づいてきたセイハ。気休めか?

 「そういうお前も離れていってもいいんだぞ」

 自分の近くにいるということは、それだけ危険に晒されるということ。リュカが狙われたように、セイハだっていつ命を落とすかわからない。

 「まさか。そんなことをしたらアイツに叱られます。化けて出てきますよ、きっと」

 セイハがお化けらしく、陰の手をみせた。

 「お化けでもいいから、会いたいのはお前じゃないのか?」

 「まあ、会いたいことは否定しませんがね。は、ライゼルと黄泉で待ち合わせる約束をしてるんですよ。だから今会えなくても構いません。彼に会った時に叱られないよう、今を頑張るだけです」

 窓の外を眺めて立つセイハ。その横顔に、白い午後の日差しが陰影を作り出す。
 ライゼルとセイハは、同時期に登用された近侍仲間だった。職務に意欲的だったライゼルと、こちら側の近侍に任じられたことを心底嫌がっていたセイハ。明るく豪快なライゼルと、無気力なセイハ。両極端な二人だったが、いつからか仲良くなり、そしてライゼルは僕をかばって死んだ。
 セイハは、あの時以来、自分のことを「私」ではなく、「俺」と称するようになった。まるで死んだライゼルの代わりを務めるかのように。

 (黄泉で待ち合わせ――か)

 セイハは、黄泉でライゼルに再会した時、堂々と胸を張っていられるよう、今を生きているのかもしれない。友に託された、「僕を守る」使命。それをやり遂げてから、ライゼルに会うつもりなのだろう。

 ――お前の生はお前のもんだ。誰かが決めていいもんじゃねえ。

 そうだ。リュカも言っていたじゃないか。

 ――お前の体が『疲れた』って心の臓を止めるまで、お前は生きていいだよ。お前の命の年限を決めるのはお前とお前の体だ。

 僕の体が疲れるまで。それまでは必死に生きる。そして、思うままに生きて、それから黄泉でリュカに再会する。その時は、堂々と、精一杯生きたことの報告と、この時のことを心の底から謝罪しよう。

 「セイハ。お前、いいやつだったんだな」

 「おや。今更ですか」

 「ああ、今更だ」

 少しだけ。少しだけだが心が軽くなった。

 「これからのことを考える。お前も策を出せ」

 「うええ~。今日はいろんなことがありすぎて、クッタクタなんですよ。勘弁してください」

 「ライゼルに叱られるぞ?」

 「その前に頭の使い過ぎでぶっ倒れますよぉ」

 情けないセイハに、声を上げて笑う。
 
 (リュカ)

 いつか会えるその時まで。僕はこの皇宮で生きぬいてみせる。
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