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五、放鳥

(五)

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 「――殿下」

 室に帰ると、先に戻っていたセイハから声をかけられた。

 「あちらに先を越されました」

 「やはり、か」

 まだ灯りもともしていない室で、短く報告を受ける。

 「牢に入ってすぐとのことでした」

 「なるほど。まだ仲間がいた。そういうことか」

 「おそらくは」

 暗いままでも慣れた室なら問題なく動ける。いつも通りの足取りで、椅子に近づき腰掛ける。
 セイハに調べさせていたのは、リュカを襲い蔵子に火をかけた連中の顛末。
 術を使って倒し、そのまま遅れて駆けつけた衛士たちに牢へ連れて行くよう命じたのだが、その衛士のなかに仲間がいたのだろう。後日の尋問で本当のことを話されないよう、早速口を封じられた。

 (やはり、遅かったか)

 こうなることは、ある程度予想出来ていた。相手が己の痕跡を残すわけがない。
 セイハの動きが遅かったわけじゃない。セイハは的確に動いてくれた。相手が速すぎただけだ。 
 本来なら、捕まえてすぐにでも自分の手で自白させるのが一番だったのだけど、あの時は、それどころじゃなかった。

 ――遅えよ……、お前。

 水の力でぶち破った扉の先。蔵子の床に転がる、縄で縛られた格好のリュカ。

 ――オレ、もう少しで燻製になるとこ……だったぞ。

 砂と煤まみれであちこち血が滲んでるのに。それでもニヤッと笑って軽口を叩いてみせたリュカ。
 彼のあの姿を見て、冷静な判断などできなかった。彼をこんな目に遭わせた連中を殺してやりたい衝動にかられた。誰の手先であっても、ぶち殺してやりたいと。
 それと同時に、意識を失ったリュカを助けることで頭がいっぱいになった。医師は、リュカはただ気を失ってるだけと言ったが、彼が目を覚ますまで少しも安心できなかった。

 もし、このままリュカが儚くなったら?
 ライゼルみたいに、なってしまったら?

 怖かった。恐怖に鷲掴みにされた心臓が、そのまま握りつぶされる感覚。
 僕のせいで。僕に関わったばかりに。
 彼にふざけて女装を提案したのは自分。女装なんて言えば、男の矜持にかけてやってられるかと、離れていくと考えたから。蕃茄で意地悪をしたのも、そうすれば諦めて去っていくと思ったから。
 冷たく突き放せば。無理難題を言って困らせれば。
 なのに、リュカはその予想の上を行く行動を取った。
 女装してまで、僕を診察しようとした。涙目になっても蕃茄を完食した。僕のために料理を作ってくれた。
 それだけじゃない。ジェスとも仲良くなって、僕との間を取り持ってくれようとした。
 皇子だから僕を見てくれるんじゃない。僕だから見てくれてる。そんな気がして、リュカがいることに、胸が弾んだ。そばにいたら危険なことはわかっているのに、それでも近くにいてほしいと願ってしまった。
 その結果が、あの火事だ。

 リュカが僕の心のなかで大きく占める人物になってしまったから。そしてジェスの心まで掴んでしまったから。
 あの女は、僕が幸せになることも、ジェスが誰かに奪われることも良しとしない。ジェスを自分の懐から離さず、僕の不幸を喜ぶ。

 (リュカ……)

 僕のための治癒師だって言ってくれたリュカ。僕のすべてを癒すって言ってくれた。
 生きることに罪を感じていた僕に、堂々と生きろと言ってくれた。この体と心臓が「疲れた」と言うまでは生きろと。
 彼はいつだってそうだ。
 自分のことばかりで、部下を思いやれなかった僕を叱り飛ばした。毒を盛られた記憶から、食べられないものだらけの僕に、無理して食べなくてもいいと親身になってくれた。
 
 最高の治癒師。
 
 そう伝えたけど、そこにお世辞もウソもない。彼は僕の心を癒やした、名治癒師だ。
 僕だけじゃない。母親に抑圧され苦しんでいたジェスをも助けた。
 でも。
 だからこそ、これ以上はここに置いておけない。

 「――セイハ」

 「はい」

 「後のこと、頼んでいいか?」

 「……それでよろしいのですか?」

 「ああ。それしかないだろう」

 言って、握ったままだった手を開く。

 ――また明日な。

 笑って僕を見送ってくれたリュカ。
 その言葉に「また明日」と、こだまするように返せたなら。
 ジッと手のひらに転がる丸薬を見る。彼が僕のために調合してくれた、黒い丸薬と土色の丸薬。それぞれ二粒づつ。ただの滋養強壮薬、ただの睡眠薬。だけど。

 「頼む」

 丸薬を呑み下す。
 僕のために、わざと甘く処方されている薬。なのに、嚥下したその薬は、とても辛く苦い味がした。

*     *     *     *

 ――ロウ家息女、リュカに申しつける! 汝をルーシュン皇太子殿下暗殺の疑で捕らえる。
 ――皇太子殿下を弑せんと、毒を薬と偽り呑ませたこと。国家転覆を謀る、大逆である!

 明け方。
 突然、オレの室に押し寄せた衛士と官僚。
 乱暴に榻から引きずり降ろされ、床に叩きつけられたオレに与えられた罪状。

 オレが?
 皇子を?
 わけがわからない。
 オレが呑ませた薬? それが毒?

 「ちょっと待ってくれ! あれはただの薬だ!」

 あれで皇子がどうにかなっちまったのか?
 縄で縛り上げてくるのは、いつも室の前に立っていた衛士たち。仲良くなった彼らに何を尋ねても、誰も何も教えてくれない。それどころか「立て!」「早くしろ!」と急かされ、室から引っ立てられる。
 槍や剣を持った、ものものしい衛士。その集団のなかにあって、無理やり歩かされてるオレを眺めようと、回廊に野次馬たち。けど、そこに皇子はおろか、オッサンの姿も見えない。

 「おい! 皇子はどうなったんだよ!」

 二人の姿が見えないことに、縛られた縄の痛みより恐怖が勝る。
 この衛士たちが言ったことは本当なのか? 皇子はあの薬でどうにかなっちまったのか?
 冷たい汗が体中から吹き出す。あれは、あの薬はただの滋養強壮薬と眠り薬だったはず。

 「おい! 何があったのか、教えてくれよ!」

 衛士が答えてくれないのなら、他の誰か。
 身を捩り、あたりを見回すたびに、きつく縛り上げられた縄が、怪我と擦れてかなり痛い。けど、そんなこと、どうでもいい。
 誰か。頼む。誰か教えてくれ。
 今、皇子の容態はどうなってんだよ。

 「騒ぐな。とっとと歩け」

 返ってきたのは、オレを追い立てる槍先。

 (皇子……。頼むから無事でいてくれ)

 何がいったい、どうなってるのか。全然わかんねえけど、それだけを必死に祈る。
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