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五、放鳥

(二)

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 (……痛ってえ~)

 ザリッとした土の床に転がった身をよじる。むき出しになった素肌が、砂と小石で擦れて痛い。

 (ってか、ここ、蔵子じゃねえか)

 それも干物とか酢とか、食材を入れておく蔵子。食材の臭いだけでもきついのに、土と埃とカビの臭いまで加わって、エホエホとむせ返りそうになる。

 (どっか、腐らせてるやつもあるだろ……)

 混じる腐臭に鼻をふさぎたくなるけど、それもムリ。両手両足をキッチリ縄で縛り上げられ転がされた体じゃあ、ウゴウゴもがくのが精一杯。
 臭いからくる吐き気を抑えようと深呼吸をすると、さらに臭気を吸い込んでしまい吐き気が襲ってくるという悪循環。
 動くことをあきらめ、ゴロンとそのまま転がる。

 (まさか、オレが狙われるとはなあ)

 室の窓の外から声をかけてきた女嬬。

 ――皇子殿下から言伝ってきました。

 お詫びをしたい、会いたい。
 そこから思い至ったのはジェスだった。
 独楽を燃やされかけて以来、ジェスには会ってない。独楽のこと、火傷のこと。アイツが気にしてるんなら、会って大丈夫だって伝えた方がいい。母親である皇后の目を盗んで、こうやって女嬬を使って呼び出すほど気にしているのであれば。
 そう思ったから、出ちゃいけないって言われた室から抜け出した。正面から出たら衛士に止められるのはわかっていたから、コッソリと窓から抜け出した。
 
 その結果がこれだ。
 女嬬に連れて行かれた先で待っていたのはジェスじゃなく、まったく面識のない男たち。衛士とかじゃない、風体の悪いゴロツキ。
 その男たちに囲まれるやいなや、後頭部を殴られ倒れると、その後は足で蹴手繰り回された。拳もあったかもしれねえけど、身を丸めて守ることで精一杯のオレに、拳と蹴りの区別はつかなかった。
 散々蹴られ殴られた上で、手足を縛られ、ここに放り込まれた。荷物かなんかのようにぞんざいに放り込まれたせいで、打撲だけじゃなく、あちこちに擦り傷もできた。

 (皇宮でこんな目に遭うとはなあ……)

 まるで人攫い。
 下街じゃあ、見目のいい子どもはこうしてさらわれることもあるって聞くけど、まさか皇宮のなかで、自分がこんな目に遭うとは思わなかった。

 (あ、でも人攫いは、もう少しマシな扱いをするか)

 だって攫ったのはその後、金になる大事な商品。こんな傷つけまくるようなことはしないはずだ。閉じ込めるなんてのも意味ないし。攫ったら、トットとどっかに連れ去ってしまうって話だ。

 (って、こんなとこでノンビリしてる必要ねえよな)

 人攫いたちがオレを捕まえて、連れ出す算段がつくまで放り込んでいったのかどうか。わかんねえけど、今は逃げ出す余裕を与えられたと思って、とにかく動――ゲッ。
 もがいた拍子に、近くを這っていた小さな蜘蛛を頬で押しつぶしちまった。ウゲエエ。

 (って、なんだ?)

 蜘蛛だけじゃない。棚のすき間から鼠とか、虫や生き物がゾロゾロ這い出して――

 (煙た――っ! 火事かっ!?)

 食べものの臭いより強烈に鼻に届いた煙の臭い。蔵子の外からは、バチバチと木が燃えてるような音がする。

 (まさか?)

 オレ、もしかして、もしかしなくても、ここで焼き殺されちゃう?
 なんでどうしてこういうことになってるのか、サッパリわかんねえけど、ここままだとオレの丸焼き確定。

 (クソッ!)

 必死に暴れもがく。こんなとこで丸焦げにされてたまるか! オレにはじいちゃんみたいな一流の治癒師になるって夢があるんだ!
 縄が手足に食い込んでメチャクチャ痛いけど、そんなこと言ってらんねえっ! とにかく、ここを抜け出して、生き延びてやる!

*     *     *     *

 「ルーシュン、蔵子だ!」

 リュカを探す僕のもとに戻ってきた異母弟。リュカのことは自分たちが探すから、室に帰っていろと言ったはずなのに。

 「膳夫司の方からいやな火の臭いがするんだ!」

 ジェスは真紅の瞳。僕と違って火を操ることが出来る。だからこそ感じ取ったのだろう。不審な火の臭いを。そして幼いながらも直感したのだ。そこにルーシュンがいることを。
 ジェスと僕。
 どちらからともなく走り出し、食材の収められた蔵子にたどり着く。
 ジェスの勘は当たっていた。燃えさかる蔵子のまわりには、火事に気づいて集まってきたのではない、皇宮にそぐわないゴロツキがいた。奴らが火をつけたことは瞭然。そしてその蔵子にリュカが捕らえられていることも。

 「ジェス! 火を止めろ!」

 それだけ叫ぶと得物を持ったゴロツキたちと対峙する。刃物を持って向かってくるゴロツキたちを水の術と体術でかわし、倒していく。
 一人。二人。三人、四人。五人。
 遅れて到着したセイハと衛士。倒したゴロツキは彼らの手で次々に捕縛されていく。蔵子を舐めるようにまとわりついていた炎も、ジェスがその力を込めた手をかざしたことで、スルスルと吸い上げられるようにして消されていく。

 「ルーシュン!」

 最後のゴロツキを倒したところでジェスが叫んだ。

 「扉が開かない!」

 鍵がかけられているのだろう。分厚い蔵子の扉は、焼け焦げていても、小さなジェスの身が体当りしたぐらいではビクともしなかった。

 「どけ、ジェス!」

 間髪置かず、手のひらを扉に向ける。呼び起こすは水の槍。手のひらから迸った鋭い水の塊が、龍の顎のように獰猛に扉を襲う。

 「リュカ!」

 砕けた扉を越え、煙の充満した蔵子のなかに飛び込む。

 ――遅えよ……、お前。

 蔵子の床に転がる、縄で縛られた格好のリュカ。

 ――オレ、もう少しで燻製になるとこ……だったぞ。

 砂と煤まみれで、あちこち血が滲んでるのに。顔も腕も殴られ、腫れ上がってるのに。それでもニヤッと笑ってみせたリュカ。
 
 「……バカ」

 そう言って返すのが精一杯だった。

―――――――
 蔵子=ぞうし。蔵。
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