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四、翅鳥

(三)

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 「そんなことがあったんですね」

 「ああ、まあ大丈夫だと思うけど。一応、報告な」

 その日の夕餉。卓を挟んで座る皇子とオッサンに、厨房でのジェスとのやりとりを報告する。

 「単に誰かの事真似、ふざけた勢いかもしれねえけどさ」

 それでも〝倒す〟ってのはなかなか物騒だ。

 「事真似……ね」

 おこわを一口、口に運んだ皇子が微妙な顔をした。

 「なあ、お前ら兄弟ってさ、どうなってるんだよ」

 「どうって?」

 「仲いいのか悪いのか、どっちなんだよ」

 「リュカ姫、それはあまり……」

 オッサンが質問を止めようとするけど、オレはやめない。

 「皇子とか跡継ぎとか色々あるし、周りもうるさいだろうけどさ。お前自身は、弟をどう思ってんだよ」

 先の皇后の子、ルーシュン。今の皇后の子、ジェス。
 五つ違いの兄弟。
 先にルーシュンが生まれたから皇太子。どれだけ権力を持っていても息子、ジェスを皇帝にできない現皇后にとってルーシュンは邪魔な存在。
 だけど、それは兄弟の周りが思っていることで、実際の二人は互いのことをどう思っているのか気になる。

 「オレから見てジェスはさ。利かん気でワガママだけど、根は素直で甘えん坊な弟なんだよな」

 癇癪起こして食器を割っちまったこともあるけど、ちゃんと謝ることは出来た。料理だって手伝ってくれるし、仲良くなれば、人懐っこい笑顔も見せてくれる。
 オレのこと、女狐だの名器だのとんでもないことを言ってくるけど、それは周りの真似をしてるだけ。悪いやつじゃない。

 「そのおこわだってさ。アイツが手伝ってくれたんだぜ?」

 「ジェスが?」

 おこわを食べかけた皇子の手が止まった。

 「ああ。栗を蒸したり、野菜を切るのを手伝ってくれた」

 本当は出来上がったら「味見」と称して、少し食べさせてやるつもりだったんだけど。アイツ、なんか怒って帰っちまったからなあ。アイツの室に届けてやりたいけど、どうせそんなことしたって、あのムカつくお付きどもに「女狐の作ったものなど」とかなんとかで、止められるのがオチだからやめた。
 あのぎこちない手つきで、一生懸命野菜を切ってた姿を思い出すと、食わせてやれないことが歯がゆくもある。
 
 「ジェスが……」

 皇子が、箸ですくったおこわをジッと見つめる。

 「なあ、お前らさ。一度、腹割って話せ」

 「腹割って?」

 「そう。兄弟二人だけで。ああ、一緒に遊ぶってのもいいぞ。そうだな。兄弟で仲良く独楽打ちなんかどうだ?」

 「独楽打ち?」

 皇子が首をかしげた。

 「知らねえのか? それぞれが回した独楽をぶつけ合う遊びだよ。ぶつけて独楽がこけたら負け。残ったほうが勝ちっていう遊び。街じゃあそれなりに有名な遊びなんだが」

 「やったことない」

 「そうか? 結構楽しいぞ。街の野郎は、一人一個は独楽を持ってる。兄弟とか友だちと打ち合って遊ぶんだ」

 皇宮は知らねえけど、街じゃ、あちこちで独楽打ち遊びは行われてる。小さい子は大きい子から、独楽を上手く回すコツ、独楽に巻きつける紐のコツなんかを教わる。大きい子は時折小さい子に花を持たせるため、わざと、わからないように負けてやったりする。メチャクチャ上手い、憧れの近所の兄ちゃんなんてのもいて、兄ちゃんの勝負に、周囲も声を上げて応援したりする。そういうことをくり返すことで、子ども同士仲良くなっていく。
 オレもじいちゃんの手伝いの合間、自分の独楽を持ち出して、街の子たちと遊んだんだけど。
 独楽打ちなら体力とか体格とか必要ないから、五つ違いの兄弟でも楽しめると思う。
 
 「あのぉ、リュカ姫。独楽打ちは子どもの遊びでは……」

 「いいんだよ。そういう遊びから兄弟仲良くなればいいんだ」

 独楽打ちは勝ち負けが決まるから、ケンカになることもあるけど、勝負は時の運みたいな部分もあるから、初めてやるヤツ同士なら力は互角、それなりに楽しめると思う。

 「オレも父ちゃんに作ってもらった独楽があるからさ。今度それを持ってくるから、三人で一緒にやろうぜ」

 「リュカ……」

 「あ、オッサンも特別に混ぜてやるぞ。やるか?」

 「あ、いえ。俺は……」

 「わかった。下手くそなんだろ、オッサン」

 「そっ、そんなことはありませんよ! これでも〝独楽打ち名人のセイハ〟って呼ばれてたんですからね!」

 「どうだかな~」

 ムスッとしたオッサンに、皇子と二人で笑い声を上げる。
 誰かと笑いながら食べる飯は旨い。

 (ここに、アイツもいたらなあ)

 ジェスと皇子とオレで卓を囲む。くだらない、どうでもいいことを喋って、混ぜっ返して、笑って。皇子とか跡継ぎとかそういうことを一切忘れて食事を楽しむ。

 (アイツもちゃんと食ってるのかなあ)

 好き嫌いだらけの弟皇子。
 膳夫たちがそう言ってたけど。今頃、皇后である母ちゃんと卓を囲んでるんだろうか。

 (一緒に食ったら楽しいのになあ)

 ここに三人目の席がないことを寂しく思う。

*     *     *     *

 「――さて、と。ごちそうさま」

 卓の向かいでリュカが手を合わせて、食事の終わりを告げる。

 (相変わらず、きれいな食べ方だな)

 リュカの使った食器には米粒一つも残っていない。「自分の食べたいものを作ってる」と言っていたが、その通りなのだろう。全部食べつくされている。

 「もう帰るのか?」

 立ち上がったリュカに問う。

 「ああ、まだ室でやることが残っているからな。オッサン、後片付け、頼んでもいいか?」

 「いいですよ。膳夫たちに下げさせますから」

 近くで給仕をしていたセイハが頷く。

 「ここはいいよな。そういうことやってくれるヤツがいてさ。オレの家だと、どんだけ腹膨れて苦しくても、自分でやらなきゃ片付かないからな」

 食った食ったと、リュカがそのお腹を撫でる。およそ姫らしからぬ仕草だが、ここには僕たち以外誰もいないから咎めない。

 「そんなにお腹いっぱいなら、ここで少し休んでいくか?」

 「い、いや、いい。室に戻る」

 軽く焦った様子のリュカに、笑いをこらえる。ウッカリここで休んだら、なにかされると危ぶんでいるのだろう。今は日も暮れた夜。〝閨事指南の姫〟という仮初めの立場が気になるのだろう。室でやることがあるというのも、ここから逃げ出すための方便。

 (冗談なのにな)

 女装もなにもかも。
 だけど、面白いから黙ってそのままにしておく。

 「じゃあな。また明日来る」

 「楽しみにしているよ、姫。ああ、でも朝が待ち遠しくて、きみが恋しくて夜這いに言っても悪く思わないでくれ」

 「絶対、お断りだ!」

 バンッと勢いよく閉められた扉に肩をすくめ、こらえきれない笑いが漏れる。

 「殿下。お戯れが過ぎますよ」

 「すまない。でも、おかしくって……」

 我慢しようとすればするほど、喉の奥でクツクツと笑いが溢れる。あの様子だと、シッカリ室の扉に鍵をかけるんだろうな。きっと。
 想像すると、また笑いが生まれた。

 「だが、いいやつだな」

 「ええ。自慢の息子ですよ、彼は」

 「姫じゃないのか」

 「息子ですよ。独楽打ち好きの姫なんてありえませんよ」

 「そうだな」

 僕の体のことだけじゃない。異母弟との関係まで気にかけてくれる、根っからのお人好し息子。

 「独楽……、用意いたしますか?」

 「せっかくのお誘いだからな。二つ用意しておいてくれ」

 「二つですか?」

 「愛しの姫は、三人で・・・とご所望だ。とすれば、独楽は二人分必要だろう?」

 僕の分とジェスの分と。

 「兄弟で初めての独楽打ちだ。名人の名にかけて、最高の独楽を用意してくれ」

 僕の命を狙っているのは、ジェスの母親とその一族なのに。僕は奴らに何度も毒を盛られ、何度も生死の境をさまよっているのに。

 (政争も何もかも忘れて、兄弟仲良くやれ……か)

 それが理想論でしかないことを知っている。皇子として生まれついた以上、兄弟、どうかすると姉妹とも相争うことになることを、痛いほど知っている。骨肉相食む争いは、相手が骨となって葬られるまで続くことになる。帝室というのはそういうものだ。なのに。

 (不思議だな。あの目で見つめられると、それが出来てしまう気がする)

 あの純粋で疑うことを知らない目で見られると。
 自分だけじゃない。ジェスも同じだ。
 母親と取り巻きに囲まれて育ったジェス。本人は無自覚なままでも、周囲は弟を僕の政敵に仕立て上げた。どちらかが倒れるまで、戦わなければいけない宿命。
 なのに、あのリュカはジェスの心さえ掴んで、一緒に料理をするまでに仲良くなった。僕のときと同じように、真っ直ぐにジェスにぶつかっていった。そして今は僕たち兄弟の間にある垣根すらぶち壊そうとしている。
 独楽で遊べ。
 下町の普通の兄弟みたいに仲良くやれ。

 (あの治癒師は、この国すら癒やしてしまうかもしれないな)

 帝室の病んだ部分を治し癒やす。今まで誰も出来なかったことを成し遂げるかもしれない逸材。だからこそ。

 (大切にしなければ)

 強く思う。
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