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三、慈鳥

(二)

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 「ととっ、とりあえず治療を始めるが、まずはお前の嫌いなもの、食べたくないものを書き出せ」

 ケツ穴の話題を逸らすため、急いで卓の上に持ってきた紙を取り出す。

 「嫌いなもの?」

 「そうだ、嫌いなもの。一応言っとくけど、嫌いなものづくしの料理を並べるってんじゃないから安心しろ」

 嫌いなもの満漢全席。この間の蕃茄づくしみたいなことはしない。

 「嫌いなものを少しずつなくす。その努力はしてほしいが、ムリに嫌いなものを食べても、体の栄養にはならないんだ」

 嫌いなもの、不味いと思いながら食べるせいか、体が受けつけない。ムリに食べる、飲み下したところで、結局下痢やなんかで体の外に排出されてしまう。

 「だから、それらの食材を使わない料理を用意してもらう。例えば、さっき言った獣の肝が食べられなくても、豆や青菜を食べることができるなら、そちらで栄養を補うこともできるんだよ」

 「へえ……。絶対、なにが何でも食べなきゃいけないってことはないというのか」

 「そう。まあ、食べられるようになったら、それに越したことはないんだけどな。ムリしてもいいことないから、ここではあえて除く」

 オレの蕃茄嫌いだって、「蕃茄を食べなきゃ死んでしまう!」なんてことはないから、じいちゃんもムリに食べさせようとはしなかった。まあ、人前で残すなんて恥にならないように、嫌いを直そうとはしてくれてたけど。

 「お前の嫌いなもの、食べられないものを知って、そこから献立を考える」

 だから書き記せ。
 状況を察したオッサンが、硯と筆を持ってきて、皇子のために墨を擦り始めた。

 「嫌いなものを書けばいいのか?」

 「ああ。なるべく具体的にな。煮込んだら食べられるが、炒めたら嫌い……なんてもんがあったら、それも書き記せ」

 オレの場合は萵苣ちしゃ。生のままのシャキッとした食感は好きだが、うっかり煮込みすぎたスープなんかに入ってる、デロッとした食感は好きじゃない。

 「となると、リュカ姫。これだけの紙の量では到底足りませんよ?」

 墨を擦り続けるオッサンが言った。

 「殿下の嫌いな食べものは多岐にわたりますからねえ。微に入り細に入り、調理方法によっては嫌いまで書き記していたら、時間も紙も足りなくなりますよ?」

 「え? そんなにあるのか?」

 一応、多めに紙を持ってきたつもりだけど。予想以上に多いのか?

 「セイハ、お前……」

 「〝そんなに〟なんてものじゃありませんよ、殿下の嫌いなも――オゴッ!」

 調子に乗って喋ってたオッサンの眉間に、皇子の持ってた筆の尾骨が突き刺さる。

 「――なんだ? 文句でもあるのか?」

 ジロリと、筆の代わりに視線がオレに突き刺さる。

 「いや。文句なんてねえけど。なあ、なんでそこまで好き嫌いがあるんだ?」

 一応、皇子が超偏食家だった場合を想定して、紙を多めに用意したんだが。

 「昔はもう少し、召し上がることのできる食べものもあったんですがねえ……」

 筆攻撃から復活したオッサンが言った。

 「じゃあ、なんで」

 味覚、好き嫌いというのは、年齢とともに変化する。昔は食べられなかったものが今は平気というのはあるけど、その逆ってのは。

 「……それを食べてあたった・・・・からだ」

 なぜか、ふてくされたようにしてプイッと顔をそむけた皇子。――あたった・・・・? それを食って体調を崩したってことか?
 でも、コイツは〝味選丹〟のとき、自分には体の毒になる食べ物はないって……。

 「リュカ姫。皇宮では、まれにそういうこともあるんですよ」

 食べて体に不調をきたすようなことが? 皇宮っていうよりすぐりの食材と、一流の腕を持った膳夫がいるだろう場所でか? 

 不思議に思うオレに、いつになく真面目な顔になったオッサン。
 妙に重苦しい空気になった室で、オレは一人首をかしげる。

 生煮え、腐った食材なんてないだろうし。オレがここに来てから食べてるものは全部美味かったから、特別皇子の食った飯だけが不味いなんてこともないだろうし。体の毒になる食材はないと言い切るのに、体調不良になった? 食べられなくなった? もし皇子がそういう体質だったのだとしたら、膳夫たちがそれを除いて料理するだろうし。体の毒になるのは、小さい頃から同じで、大きくなってからそれが毒になるなんておかしな話だし。
 ――――――?
 ――――……って。

 「あっ!」

 「そういうことだ。わかったか、ボンクラ治癒師」

 理由を閃いたオレに、皇子がそっぽ向いたまま、怒ったように言った。

 「皇宮ではね、時折そういうことが起きるんですよ」

 静かにオッサンがつけ加えた。
 ある日突然それが体の毒になる――のではなく、ある日提供された食事に毒が入っていた。

 「おかげで、大好きな柑子も食べられなくなった」

 「生死の境をさ迷うほど、盛大にあたり・・・ましたからねえ」

 (いったい、どれだけの食べものに毒を入れられたんだよ)

 二人の会話に、二の句が告げなくなる。
 好きな食べものが食べられなくなる。普通だったものまで食べられなくなる。昔はもう少し食べられたのに。今は食べられないもののほうが多い。
 人間は賢い生き物だ。
 一度食べて、死にそうなほど苦しめば、二度とその食べものを受けつけなくなる。「嫌い」になるとかじゃなくて、体が拒絶する。
 また苦しくなるのではないか。次は大丈夫だという保証がどこにある。
 それをくり返すことで、食べられるものが少しずつ減っていく。今の皇子の食の細さ、栄養不足はそこが原因だったのか。

 「……ならムリして嫌いなもの、食べる必要はねえ。食べられなくても構わねえよ」

 そんな辛い思いをしているのなら、なおさらだ。好き嫌い激しい、偏食家であっても構わない。誰も怒らない。怒れねえ。

 「とりあえず、好きなもの、食べられるものを書き記せ。そこからオレが献立を考えてやる。なんならオレが作ってやってもいい」

 オレを信用してくれるなら、だけど。

 「料理、できるのか?」

 「ああ。じいちゃんと二人暮らしだったからな。じいちゃんが仕事で忙しい時は、オレが飯を作ってたんだよ。宮廷料理のような豪華な飯は作れねえけど、普通の飯なら大丈夫だ」

 皇子って身分のやつが口にするような料理じゃねえかもしれねえけど。

 「オレにも経験があるんだよ。一度あたって、二度と食べられなくなったものがさ」

 驚く皇子に、ニッと笑いかける。

 「オレの場合は丸芋。食って腹こわしたことがあるんだよ。ねじきれそうなほど腹痛かったし。あれ以来丸芋は食ってない。じいちゃんもムリに食わせようとしなかったしな」

 あの時食べた丸芋が、たまたま腐ってただけで、次に食べても問題ないのかもしれねえけど。でも、体がまったく受け付けなくなった。じいちゃんも、嫌いなだけの蕃茄は調理方法を変えて食べさせようとしたけど、丸芋は食べなくても文句言わなかった。

 「って、あ! 次は丸芋づくしだ! 食え! ってすんなよ?」

 やられたら、オレ、一口も食えねえからな?

 「しないよ。せっかくの愛しの姫の手料理、食す機会を自ら潰したりしない」

 「いや待て。その〝愛しの姫〟ってやつ、マジでやめろ」

 鳥肌立つ。

 「ダメかい?」

 「ダメに決まってんだろ!」

 腕をさすって肌をなだめる。 落ち着け、オレの肌。

―――――――
 萵苣=レタス 柑子=みかん 丸芋=里芋
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