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二、籠鳥

(三)

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 んだよ、アイツはっ!

 用意された室に戻っても腹が立つ。

 ヤなヤツ! ヤなヤツ! すんげえヤなヤツ!
 茶の用意までして迎えてくれたから、てっきり治療に前向きになったのかと思ったのに!

 「アイツ、顔はいいけど中身は最悪だな!」

 イライラにまかせて、領巾を卓に叩きつける。借り物じゃなかったら、床に叩き落してグリグリとつま先に踏み潰すのに。
 それから、乱暴に簪を引き抜いて、髢も頭から引っ剥がす。狼藉された後の女性みたいになっちまったけど、自分の室だし、もうどうでもいい!

 「まあまあ、落ち着いて」

 一緒に室に戻ったオッサンがオレをなだめる。

 「殿下のお体に毒になる食べものがないってわかっただけでも、ね? 一歩前進したじゃないですか」

 どうどう、落ち着け落ち着け。
 暴れ馬をなだめるような仕草。ちょっとムカつく。

 「オッサンは、それでいいのかよ」

 ふざけ半分に激マズ〝味選丹〟を食わされて。
 ちょっとは真面目に治療を受ける気になったのかと思えばあれだ。オレに女装をさせたのだって、真面目に頑張ろうってオレをおもちゃに遊んでるだけなんじゃないのか?

 「いや、うん。まあ、そうなんだけどねえ……」

 ちょっとだけ背を伸ばしたオッサンが、ヒゲのない顎をさする。

 「殿下があそこまで楽しそうにしてるのを見てると、ついうれしくてねえ……」

 は?

 「オッサン、アンタ、イジメられて喜ぶ系のヤツなのか?」

 性癖として、イジメて興奮するやつと、イジメられて興奮するやつがいるって知ってるけど。まさか、後者なのか?

 「違いますよ、失敬な。そうじゃなくて、あんなふうに、年相応に笑っていらっしゃってるのを見るのが久しぶりでねえ。ちょっとぐらいのことなら許せる気分になっちゃうんですよ」

 いや、それを被虐趣味っていうんじゃ……。

 「殿下はね、もう長いこと笑ったことなかったんですよ」

 「は?」

 「ずっと笑わない。誰も寄せつけない。皇太子らしく振る舞ってばかりで、誰にも心を開かない。十三歳の少年らしく、あんなふうに声を上げて笑うなんてこと、なかったんですよ」

 ツイっと、オッサンが室の窓の外に視線をやった。

 「殿下が皇太子らしく振る舞われるのは良いことです。でも、ムリにひねて、背伸びなんてしなくてもいい、年相応の喜びを知ってほしいと思ってるんですよ。どうせ時間が経てば誰もが〝ひねたオッサン〟ですからね」

 ハッハッハッと笑ってみせたオッサン。自分が〝ひねたオッサン〟なのを気にしてるのか?

 「そういう意味で、リュカ殿はいい刺激になってるんですよ。なんたって、殿下が売り言葉に買い言葉、損得抜きに本音でぶつかった相手ですからね」

 「本音って……」

 「殿下が女装を言い出した時、リュカ殿が受けて立ったでしょ?」

 「え、いや、あれは、引くに引けなくなったっていうのか……」

 治療を受けさせたくて意地になってた。

 「それがいいんです。どうせ殿下のことだから『女装!』とか言ったら、リュカ殿が『やってられっか!』って引くと思ってたんでしょう。男が女装を受け入れるって予想しなかったんでしょうね」

 まあ、普通の男なら「なんでオレがそんなことしなくちゃいけないんだ」ってなるよな。男としての矜持があればあるほど、「やってられっか」感は強くなる。

 「殿下のその読みの甘さ、まだ十三歳の少年なんだからその程度でいいんですよ。ムリに老獪な皇太子になろうとしなくても。同じ年頃の誰かと、ケンカしてバカやって遊んで。オレは、殿下にそういう、今しかできないことをたくさん経験してほしいと思ってるんですよ」

 「その相手がオレ?」

 自分を指差す。

 「ええ。リュカ殿はこの皇宮にない価値観で、いい感じに殿下を引っ掻き回してくださってますからね。普通はいないですよ。殿下をあれほど執拗に追いかけ回して、女装までしてしまう人物は」

 「いや、あれは治療を受けさせたかったからで……」

 やってることは褒められるようなもんじゃないと思う。

 「追っかけ回す者も珍しいですが、追っかけ回されても咎めようともしなかった殿下も珍しいんです。不愉快なら、『ね』の一言で終わりですからね、普通は。会話どころか、視線すら送ってくれませんよ」

 追っかけ回すな。不愉快だ。見たくない。
 「ね」の一言でオレを皇宮から追放することなんて簡単だ。でもアイツはそれをしなかった。不愉快に感じていたかもしれないけど、だからって排除するようなことはしなかった。

 「だから、俺はリュカ殿に期待してるんですよ。リュカ殿なら殿下を癒やしてくださるってね」

 そう、そうなんだろうか。
 オレにできるんだろうか。

 「それに。今放り出して帰ったら先生に叱られるんじゃないんですか? 患者を放り出してくるとはなにごとだって」

 う。
 それは、うん。絶対叱られる。
 じいちゃんはいかつい顔をしてるけど、普段のことではあまり怒ったりしない。けど、一つ治癒師の仕事のこととなると、まあ細かいところまで烈火の如く怒りたおす。祖父としては優しいじいちゃんだけど、師匠としてはおっかないじいちゃんなんだ。

 ――コンコンッ。

 会話の途切れたところで、室の扉が叩かれる。一礼とともに入ってきたのは、ここで顔見知り程度にはなった侍童。オレの髪がザンバラなことに一瞬目をやって、それからなにごともなかったかのように、目を閉じ、頭を下げられた。

 「殿下が、リュカ姫をお呼びでございます」

 へ? オレを?

 思わずオッサンと顔を見合わせる。

 「先程のことを謝罪したいと。よろしければともに夕餉をと申されまして」

 は? アイツが?

 「お、いい兆候ですね」

 オッサンがニヤッと笑う。

 「ではリュカ姫。支度をいたしましょうか」

 「お、おう……」

 アイツが? オレと? 飯を食う?

 侍童が退出する間に、ズルズルと椅子まで引っ張っていかれ、また化粧を直される。
 謝罪って……。アイツ、そんな殊勝なやつか? そんなこと考えるようなやつか?
 でも、な。

 ――十三歳の少年らしく。

 オッサンの言葉が引っかかる。
 あの調子じゃあ、ケンカはもちろん、誰かと一緒に飯食ったりなんてしたことないんだろうな。一人で黙々と食べるより、誰かと笑って喋りながら食べると何倍も美味いってのに。オレがじいちゃんと飯食ってる時みたいに。
 ま、まあ、アイツとサシで飯食って、ちょっとだけ仲良くなって、アイツの苦手なもんとか聞き出せたら、治療もなにもかも、もう一歩前へ進める……かも?
 同じ釜の飯を食う――じゃないけど、一緒に食えばそれだけで少しは仲良くなれる気がする。

 「ほら、かもじつけますから。ジッとして」

 グキッと直されたオレの首。
 女装(再び)させられる自分のことを考えたくなくて、一緒に食べるっていう夕餉のことを思う。皇子と一緒に食べる飯ってどんなのが出されるんだろう。卓に乗り切らないほどの品数出るのか? オレが見たこともなければ食ったこともない、山海の珍味とか。

 飯のことを考えてたら、腹が盛大にグウ~ッて鳴った。
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