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二、籠鳥
(二)
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「ということで、治療を始めますわよ、殿下」
精一杯の女声作り。自分でも気持ち悪い。
「まずは、これを食え……じゃなく、これをお召し上がりくださいませ」
ゲンコツ落ちる前に自分で訂正、回避。う~、上品な女言葉、難しい。
とりあえず、持ってきた小袋を、懐から取り出して卓の上に置く。
「なんだこれは」
置いた拍子に袋からこぼれ出た黒く丸い塊。
「〝味選丹〟という、オレ……わたくしの祖父が作った丸薬です。これを食べ……お召し上がりいただき、殿下の食が細い原因を突き止めます」
「原因?」
コロンとしたそれを、皇子が指先でつかみ上げ、窓から差し込む光にかざす。
「食が細いのは、単に好き嫌いが激しいだけなのか、それともその食べ物を体が受けつけないのか。それを確かめるための丸薬です」
「これが、ねえ……」
興味を持ったのか、同じように転がったもう一粒を、オッサンがつまみ上げる。
「これを食べるとどうなるんだ?」
「ただの好き嫌いならば、『苦っ!』となって終わります。しかし、体がそれを食として受けつけない、食べものを毒と認識する。そういう体質であれば、丸薬は無味なるものとして終わります」
「ということは、好き嫌いをしていると、苦味を感じるのか」
「そうですね。常人にとっては普通の食であっても、まれにそれが体を害なす毒となる場合がありますから。治療を始める前にそれを知ることはとても重要なのですよ」
ただの好き嫌いなら、調理に工夫を凝らすなり努力することで克服することもできる。けど、食べたものを体が毒と認識してしまう、そういう体質なのであれば別の方法で滋養を取るしかない。万が一、皇子がそういう体質だった場合、無理に食べさせるちゃいけないから、この丸薬で体質を確認する。
「なるほど」
皇子が手のひらに丸薬を転がした。
「姫はすでに試しているのか?」
「え? う、まあ。はい」
一瞬、〝姫〟という言葉に背筋がゾクッとなった。う~、気持ちわりい。
「オ……、わたくしは好き嫌いはありますが、それを毒と思う体ではありませんでしたので」
「苦かったのか?」
「ええ、まあ」
〝苦虫を噛み潰す〟っていう俚諺を実体験した。吐きそうなほど、クッソ苦かった。
「姫は、どのような食べものを苦手としているのだ?」
「え、と……」
なぜそれを訊く?
「この先、ともに食を取ってもらいたいからな。苦手なものがあるなら膳夫たちにそれを申し伝えねばならぬ」
なるほど。
オレと一緒に食事をするって。意外にこの皇子、治療に前向きなのか?
人に女装しろとかなんとか言うから、てっきり治療なんて嫌ってるのかと思った。「女装」なんて言ったらオレが怒って治療から手を引く――って考えてたとか。
皇子とオレとの間にある卓には、器に注がれた茶もあることだし。こうして訪れたこと、一応は歓迎されてるのか?
ニッコリこちらに笑いかけてくる皇子に、ちょっとだけホッとする。
「わたくしは、蕃茄が苦手なのです」
「蕃茄? あれが?」
「祖父に滋養があるからと食べさせられたのですが、あの青臭さがどうにも……」
あの薄い皮をガプッてやった直後にくる、ジャリッとした食感と、青臭いジュルッとした液体のような部分。どれだけ噛んでも「美味い」と思えず、吐き出したいのを我慢してるせいか、眉間にはずっとシワが入りっぱなし。最後まで食べきらないとじいちゃんのゲンコツが飛んでくるから我慢してるけど、本当はひとかけらも食べたくない。一応、食べやすいようにと、じいちゃんも蕃茄を卵と炒めたりとか汁物にしたりとか工夫してくれるけど。だからって「うわーい。オレ、これ好き~」にはならない。
オレと蕃茄はきっと生涯わかりあえない、不倶戴天の敵なんだと思う。大げさかもしれないけど。
「まあ、わたくしの好き嫌いはともかく。とりあえず、殿下。一度試してください」
「……フム」
「大丈夫ですよ。これを苦く感じられない、食べものを害と感じてしまうお身体であっても、別に恥ずかしいことではありません。むしろこれからのためにも、どの食べものを体が受け付けないのか、知っておくことはとても重要ですから」
麦がダメだ、卵がダメだ。牛の乳はムリだ。
食べたらじん麻疹が出る、息が苦しい、吐き気をもよおす。
じいちゃんの元に診察に訪れる患者の中にも、そういう症状で苦しんでいる人はたくさんいる。弱ってく家族を助けようと滋養あるものをたくさん食べさせたはずなのに。たくさん食べたことによって命が危機に晒される。最悪、死ぬことだってある。
他の人が食べてもなんともないのに、どうしてその人の体だけが拒むのか。その理由は解明されてないけれど、そういう体質があるってことはわかっている。
オレが蕃茄を嫌いなのとは次元が違う。食べたら命に関わることだから、治癒師として皇子の体質は知っておかなきゃいけない。
「――セイハ、お前が試せ」
「は?」
「え? は? ちょっ、ででで殿っ、モガッ」
立ち上がった皇子が、その手の中の丸薬を、近くにいたオッサンの口に無理やりねじ込む。
「ウッゲェェェッ……」
オッサン、断末魔の叫び。よっぽど苦かったらしく、顔はしわくちゃ、涙と鼻水タレっぱなし。
「ほら、茶。茶だ。飲め、オッサン! 吐くなよ! なんとか呑み下せ!」
舌を出し、さ迷う幽鬼のような格好のオッサンに茶を飲ませる。グビグビと一気に飲み干したオッサン。それでも口の中の苦さは抜けないのか、二杯目、三杯目と、手酌でお茶を注いでは飲むをくり返す。
「なるほど。恐ろしく効き目のある丸薬だったのだな」
どれだけ茶を流し込んでも、涙目のままのオッサン。その醜態に、皇子がクツクツと喉を鳴らしだし、そのまま声を上げて笑い出した。
「皇子、テメエ……ッ!」
「僕にその丸薬は必要ないよ。呑んで試すまでもない」
んだと?
「僕は食べたくない。それだけだからね」
―――――――
蕃茄=トマト 膳夫=料理人
精一杯の女声作り。自分でも気持ち悪い。
「まずは、これを食え……じゃなく、これをお召し上がりくださいませ」
ゲンコツ落ちる前に自分で訂正、回避。う~、上品な女言葉、難しい。
とりあえず、持ってきた小袋を、懐から取り出して卓の上に置く。
「なんだこれは」
置いた拍子に袋からこぼれ出た黒く丸い塊。
「〝味選丹〟という、オレ……わたくしの祖父が作った丸薬です。これを食べ……お召し上がりいただき、殿下の食が細い原因を突き止めます」
「原因?」
コロンとしたそれを、皇子が指先でつかみ上げ、窓から差し込む光にかざす。
「食が細いのは、単に好き嫌いが激しいだけなのか、それともその食べ物を体が受けつけないのか。それを確かめるための丸薬です」
「これが、ねえ……」
興味を持ったのか、同じように転がったもう一粒を、オッサンがつまみ上げる。
「これを食べるとどうなるんだ?」
「ただの好き嫌いならば、『苦っ!』となって終わります。しかし、体がそれを食として受けつけない、食べものを毒と認識する。そういう体質であれば、丸薬は無味なるものとして終わります」
「ということは、好き嫌いをしていると、苦味を感じるのか」
「そうですね。常人にとっては普通の食であっても、まれにそれが体を害なす毒となる場合がありますから。治療を始める前にそれを知ることはとても重要なのですよ」
ただの好き嫌いなら、調理に工夫を凝らすなり努力することで克服することもできる。けど、食べたものを体が毒と認識してしまう、そういう体質なのであれば別の方法で滋養を取るしかない。万が一、皇子がそういう体質だった場合、無理に食べさせるちゃいけないから、この丸薬で体質を確認する。
「なるほど」
皇子が手のひらに丸薬を転がした。
「姫はすでに試しているのか?」
「え? う、まあ。はい」
一瞬、〝姫〟という言葉に背筋がゾクッとなった。う~、気持ちわりい。
「オ……、わたくしは好き嫌いはありますが、それを毒と思う体ではありませんでしたので」
「苦かったのか?」
「ええ、まあ」
〝苦虫を噛み潰す〟っていう俚諺を実体験した。吐きそうなほど、クッソ苦かった。
「姫は、どのような食べものを苦手としているのだ?」
「え、と……」
なぜそれを訊く?
「この先、ともに食を取ってもらいたいからな。苦手なものがあるなら膳夫たちにそれを申し伝えねばならぬ」
なるほど。
オレと一緒に食事をするって。意外にこの皇子、治療に前向きなのか?
人に女装しろとかなんとか言うから、てっきり治療なんて嫌ってるのかと思った。「女装」なんて言ったらオレが怒って治療から手を引く――って考えてたとか。
皇子とオレとの間にある卓には、器に注がれた茶もあることだし。こうして訪れたこと、一応は歓迎されてるのか?
ニッコリこちらに笑いかけてくる皇子に、ちょっとだけホッとする。
「わたくしは、蕃茄が苦手なのです」
「蕃茄? あれが?」
「祖父に滋養があるからと食べさせられたのですが、あの青臭さがどうにも……」
あの薄い皮をガプッてやった直後にくる、ジャリッとした食感と、青臭いジュルッとした液体のような部分。どれだけ噛んでも「美味い」と思えず、吐き出したいのを我慢してるせいか、眉間にはずっとシワが入りっぱなし。最後まで食べきらないとじいちゃんのゲンコツが飛んでくるから我慢してるけど、本当はひとかけらも食べたくない。一応、食べやすいようにと、じいちゃんも蕃茄を卵と炒めたりとか汁物にしたりとか工夫してくれるけど。だからって「うわーい。オレ、これ好き~」にはならない。
オレと蕃茄はきっと生涯わかりあえない、不倶戴天の敵なんだと思う。大げさかもしれないけど。
「まあ、わたくしの好き嫌いはともかく。とりあえず、殿下。一度試してください」
「……フム」
「大丈夫ですよ。これを苦く感じられない、食べものを害と感じてしまうお身体であっても、別に恥ずかしいことではありません。むしろこれからのためにも、どの食べものを体が受け付けないのか、知っておくことはとても重要ですから」
麦がダメだ、卵がダメだ。牛の乳はムリだ。
食べたらじん麻疹が出る、息が苦しい、吐き気をもよおす。
じいちゃんの元に診察に訪れる患者の中にも、そういう症状で苦しんでいる人はたくさんいる。弱ってく家族を助けようと滋養あるものをたくさん食べさせたはずなのに。たくさん食べたことによって命が危機に晒される。最悪、死ぬことだってある。
他の人が食べてもなんともないのに、どうしてその人の体だけが拒むのか。その理由は解明されてないけれど、そういう体質があるってことはわかっている。
オレが蕃茄を嫌いなのとは次元が違う。食べたら命に関わることだから、治癒師として皇子の体質は知っておかなきゃいけない。
「――セイハ、お前が試せ」
「は?」
「え? は? ちょっ、ででで殿っ、モガッ」
立ち上がった皇子が、その手の中の丸薬を、近くにいたオッサンの口に無理やりねじ込む。
「ウッゲェェェッ……」
オッサン、断末魔の叫び。よっぽど苦かったらしく、顔はしわくちゃ、涙と鼻水タレっぱなし。
「ほら、茶。茶だ。飲め、オッサン! 吐くなよ! なんとか呑み下せ!」
舌を出し、さ迷う幽鬼のような格好のオッサンに茶を飲ませる。グビグビと一気に飲み干したオッサン。それでも口の中の苦さは抜けないのか、二杯目、三杯目と、手酌でお茶を注いでは飲むをくり返す。
「なるほど。恐ろしく効き目のある丸薬だったのだな」
どれだけ茶を流し込んでも、涙目のままのオッサン。その醜態に、皇子がクツクツと喉を鳴らしだし、そのまま声を上げて笑い出した。
「皇子、テメエ……ッ!」
「僕にその丸薬は必要ないよ。呑んで試すまでもない」
んだと?
「僕は食べたくない。それだけだからね」
―――――――
蕃茄=トマト 膳夫=料理人
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