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二、籠鳥
(一)
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薄紅を掃く。唇に。紅はクソ不味かったので、その手前の薄紅を選んだ。でも不味い。
粉をはたく。顔に。なるべくうっすらつけたつもりだけど、それでも面をつけたような違和感。面の皮が分厚くなった。
眉には墨を。余分な毛を抜き描かれた眉は細い三日月。メッチャほっそ。
オッサンに用意してもらった裳を穿き、衣をまとう。絹の衣に小さな花の刺繍がいっぱい。少しでも腰がくびれて胸があるように見せるため、めいいっぱい帯を締められる。ぐえ。
最後は頭に髢を乗っけて簪挿して。領巾を肩からかけて、団扇を持ったら女性の完成。
「ってかなんで〝女装〟なんだよ」
「それは殿下もおっしゃってたじゃないですか。女性ならそばにいてもいいと」
オレの後ろ、つけた髢を梳きながらオッサンが言った。
「治癒師がそばにいると知れると、体が弱いのではないか。そんな噂が流される。そうするとなにかと不都合だって。あれでも一応〝皇太子〟ですからねえ。そういう噂は色々と問題があるんですよ」
「だったら侍童でも下僕でもいいじゃん」
そのあたりの役職なら、そばをウロウロしてたって誰にも噂されない。というか、自分から「男の治癒師」を指定してきたくせに、なんで診察に「女装」が追加されるんだよ。
「いやあ、それがですねえ。殿下もそろそろいいお歳ですし? 結婚とかそういうのはまだ先ですけど、女を覚えてもいいのではないかとの意見も出ておりましてねえ」
「は?」
思わずふり返ろうとして、「前を見て」とグキッと首を元に直された。痛い。
「殿下はあのとおり、誰かを寄せることを嫌う方でしてねえ。だからって女を知らないままではこれまた変な噂を立てられる。仮にも〝皇太子〟が女を知らないままでは妃を迎えたときに困ることになる。世継ぎを残すことに不安のある皇子を皇太子に据えておいていいのかと言う声もある。どうしたものかと思っていたところに、リュカ殿ですからねえ」
「なあ、それってオレで面倒事を片付けようって魂胆か?」
「まあ、そうとも言えますが。そもそも、リュカ殿か悪いんですよ」
「オレが?」
オレのどこが。
「殿下のふざけた提案に、『やってやらあっ!』って息巻いて受けたのはどなたですか?」
「そ、それは……」
それはアイツに食事を取らせたかったからで。ちゃんと治療を受けさせたかったからの、売り言葉に買い言葉だったわけで。
「おかげで俺は恋人すらいないのに、子持ち設定ですよ、リュカ姫。隠し子がいたって噂されて。このまま婚期が遠のいたらどうしてくれるんです?」
「それは――、オッサンに婚期なんてあったのか?」
オッサンはおそらくだけど三十代半ば。そこまで縁がないのなら、永遠にないんじゃね?
「ひどいなあ。これからもしかしたら『なんてステキな殿方かしら』って侍女とか、『うむ。素晴らしい男子だ。ウチの娘をやろう』って官僚が現れるかもしれないじゃないですか」
「現れるのか、それ」
今までいなかったってのに。
「現れますよ、きっと。望みは高く果てしなく、です。人間諦めたらそれで終わりです」
最後に肩にかけてた布を取り払い、見たくもないのに、目の前に置かれた鏡に向き合わされる。
「まあ、これがわたくし?」とは言わない。「うげ。これがオレ?」が正解。
治癒師リュカではなく、近侍のオッサンの隠し子〝リュカ姫〟の出来上がり。長い髪に金の簪、初々しい乙女らしい化粧に衣装。思わず見惚れる――のではなく、「うげ」って感情が先。だってどれだけ美人に見えても元はオレだからなあ。ってか、オッサン、化粧上手いな。
「さて。我が子リュカ姫。これから殿下のこと、頼みましたよ」
ポンポンっと励ますように、祈るように肩を叩かれる。
皇子の言う通り〝姫〟になった。オッサンの婚期を犠牲にしてまで〝姫〟になった。皇子に男女のそういうことを教え授ける相手。オッサンの娘、リュカ姫。
オッサンの婚期をムダにしないためにも、皇子にきちんと食事を取らせて、オレが体調を戻してやるぜ。
「ああ、治療ついでに殿下の筆おろしもしてくださって結構ですよ。そっちも重要な課題ですからねえ」
ふっ、筆っ!?
「絶対やらねえっ!」
やってたまるか、そんなもんっ!
* * * *
「――本当にやってきたんだな」
「おう。本当にやってきてやったぜ……ってイテッ!」
呆れる皇子にふんぞり返りかけたオレ。背後からゴンッと拳が落ちる。
「『お初お目にかかります、殿下』でしょ、リュカ姫」
拳を落としたのはオッサン。皇子の室、私的な空間だからか、そういうところに遠慮がない。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします。何度教えたと思ってるんですか」
「……フツツカモノデスガヨロシクオネガイイタシマス」
教えられたまんまにくり返すと、オッサンが「ウム」と満足そうに頷いた。
「それと、その足! 足先は内向きに! 大股で歩かない!」
ううう。
「殿下ぐらいのご年齢なら、女性のほうが先に成長していることもよくあることですし? リュカ姫の方が殿下より若干、ちょ~っとだけ背が高いのは致し方ないとしても、それ以外の部分では姫らしく、初々しく楚々としていてください」
……へい。
「大変そうだな」
卓を挟んで向かいに座る皇子が笑う。
「誰のせいだ……イテッ。――どなたのおかげでこのようなことになっているとお思いですの?」
再び落ちた拳に言い方を変える。あー、めんどくせえ。
「嫌ならいつでもやめて構わないぞ」
「嫌だなんて、そんな。乗りかかった船ですもの。大海原にだってどこにだってついて参りますわ」
ホホホのホ。
毒を食らわば皿までごちそうさま。乗りかかった船は、いっしょに海までドンブラコ。騎虎の勢い、降りられねえ。
こうなったらトコトン〝リュカ姫〟演じてコイツの治療をしてやるってもんよ。
「――気持ち悪い笑い声を上げるな」
顔をしかめた皇子。
うっさいな。これでも、人生初の〝姫〟ってやつを必死に演じてるんだよ。
粉をはたく。顔に。なるべくうっすらつけたつもりだけど、それでも面をつけたような違和感。面の皮が分厚くなった。
眉には墨を。余分な毛を抜き描かれた眉は細い三日月。メッチャほっそ。
オッサンに用意してもらった裳を穿き、衣をまとう。絹の衣に小さな花の刺繍がいっぱい。少しでも腰がくびれて胸があるように見せるため、めいいっぱい帯を締められる。ぐえ。
最後は頭に髢を乗っけて簪挿して。領巾を肩からかけて、団扇を持ったら女性の完成。
「ってかなんで〝女装〟なんだよ」
「それは殿下もおっしゃってたじゃないですか。女性ならそばにいてもいいと」
オレの後ろ、つけた髢を梳きながらオッサンが言った。
「治癒師がそばにいると知れると、体が弱いのではないか。そんな噂が流される。そうするとなにかと不都合だって。あれでも一応〝皇太子〟ですからねえ。そういう噂は色々と問題があるんですよ」
「だったら侍童でも下僕でもいいじゃん」
そのあたりの役職なら、そばをウロウロしてたって誰にも噂されない。というか、自分から「男の治癒師」を指定してきたくせに、なんで診察に「女装」が追加されるんだよ。
「いやあ、それがですねえ。殿下もそろそろいいお歳ですし? 結婚とかそういうのはまだ先ですけど、女を覚えてもいいのではないかとの意見も出ておりましてねえ」
「は?」
思わずふり返ろうとして、「前を見て」とグキッと首を元に直された。痛い。
「殿下はあのとおり、誰かを寄せることを嫌う方でしてねえ。だからって女を知らないままではこれまた変な噂を立てられる。仮にも〝皇太子〟が女を知らないままでは妃を迎えたときに困ることになる。世継ぎを残すことに不安のある皇子を皇太子に据えておいていいのかと言う声もある。どうしたものかと思っていたところに、リュカ殿ですからねえ」
「なあ、それってオレで面倒事を片付けようって魂胆か?」
「まあ、そうとも言えますが。そもそも、リュカ殿か悪いんですよ」
「オレが?」
オレのどこが。
「殿下のふざけた提案に、『やってやらあっ!』って息巻いて受けたのはどなたですか?」
「そ、それは……」
それはアイツに食事を取らせたかったからで。ちゃんと治療を受けさせたかったからの、売り言葉に買い言葉だったわけで。
「おかげで俺は恋人すらいないのに、子持ち設定ですよ、リュカ姫。隠し子がいたって噂されて。このまま婚期が遠のいたらどうしてくれるんです?」
「それは――、オッサンに婚期なんてあったのか?」
オッサンはおそらくだけど三十代半ば。そこまで縁がないのなら、永遠にないんじゃね?
「ひどいなあ。これからもしかしたら『なんてステキな殿方かしら』って侍女とか、『うむ。素晴らしい男子だ。ウチの娘をやろう』って官僚が現れるかもしれないじゃないですか」
「現れるのか、それ」
今までいなかったってのに。
「現れますよ、きっと。望みは高く果てしなく、です。人間諦めたらそれで終わりです」
最後に肩にかけてた布を取り払い、見たくもないのに、目の前に置かれた鏡に向き合わされる。
「まあ、これがわたくし?」とは言わない。「うげ。これがオレ?」が正解。
治癒師リュカではなく、近侍のオッサンの隠し子〝リュカ姫〟の出来上がり。長い髪に金の簪、初々しい乙女らしい化粧に衣装。思わず見惚れる――のではなく、「うげ」って感情が先。だってどれだけ美人に見えても元はオレだからなあ。ってか、オッサン、化粧上手いな。
「さて。我が子リュカ姫。これから殿下のこと、頼みましたよ」
ポンポンっと励ますように、祈るように肩を叩かれる。
皇子の言う通り〝姫〟になった。オッサンの婚期を犠牲にしてまで〝姫〟になった。皇子に男女のそういうことを教え授ける相手。オッサンの娘、リュカ姫。
オッサンの婚期をムダにしないためにも、皇子にきちんと食事を取らせて、オレが体調を戻してやるぜ。
「ああ、治療ついでに殿下の筆おろしもしてくださって結構ですよ。そっちも重要な課題ですからねえ」
ふっ、筆っ!?
「絶対やらねえっ!」
やってたまるか、そんなもんっ!
* * * *
「――本当にやってきたんだな」
「おう。本当にやってきてやったぜ……ってイテッ!」
呆れる皇子にふんぞり返りかけたオレ。背後からゴンッと拳が落ちる。
「『お初お目にかかります、殿下』でしょ、リュカ姫」
拳を落としたのはオッサン。皇子の室、私的な空間だからか、そういうところに遠慮がない。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします。何度教えたと思ってるんですか」
「……フツツカモノデスガヨロシクオネガイイタシマス」
教えられたまんまにくり返すと、オッサンが「ウム」と満足そうに頷いた。
「それと、その足! 足先は内向きに! 大股で歩かない!」
ううう。
「殿下ぐらいのご年齢なら、女性のほうが先に成長していることもよくあることですし? リュカ姫の方が殿下より若干、ちょ~っとだけ背が高いのは致し方ないとしても、それ以外の部分では姫らしく、初々しく楚々としていてください」
……へい。
「大変そうだな」
卓を挟んで向かいに座る皇子が笑う。
「誰のせいだ……イテッ。――どなたのおかげでこのようなことになっているとお思いですの?」
再び落ちた拳に言い方を変える。あー、めんどくせえ。
「嫌ならいつでもやめて構わないぞ」
「嫌だなんて、そんな。乗りかかった船ですもの。大海原にだってどこにだってついて参りますわ」
ホホホのホ。
毒を食らわば皿までごちそうさま。乗りかかった船は、いっしょに海までドンブラコ。騎虎の勢い、降りられねえ。
こうなったらトコトン〝リュカ姫〟演じてコイツの治療をしてやるってもんよ。
「――気持ち悪い笑い声を上げるな」
顔をしかめた皇子。
うっさいな。これでも、人生初の〝姫〟ってやつを必死に演じてるんだよ。
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