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一、碧鳥
(五)
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視界が朱に染まる。
同時に広がる鉄の匂い。生ぬるい熱。
割れんばかりの怒号のなか、耳に届いたかすかな声。願い。
生きて。
それがどれほど残酷なのか。それがどれほど辛いことなのか。
どうしてお前が。どうしてボクが。
どうして。どうして。どうして。
たくさんの「どうして」に心が切り裂かれる。
だけど、泣いても叫んでも、どれだけ拒んでも、開いた目が、届く音が、漂う匂いが、伝わる熱が、これが逃れることの出来ない現実なのだと迫ってくる。
生きて。
生きて。生きて。生きて。
アナタだけは生きて。
いくつも重なった願いの上に今がある。
生きることは報いること。
けど。
この先どう生きてゆけばいい? どうしたら生きていける?
願って散った者たちは、誰もその先を教えてくれない。
* * * *
「――おっ、目が覚めたみたいだな」
薄くゆっくりと、でも確実に開いた皇子の目。
「ここは……」
「お前の寝所。お前、図書寮でぶっ倒れたんだよ。覚えてねえのか?」
声はまだぼんやりしてるけど、青い宝石のような目に光が戻ってホッとする。
だってなあ。あのままぶっ倒れたままだと、オレ、治癒師失格どころか、とんでもない刑罰とかくらいそうだったもん。皇子の胸倉掴んでぶっ倒れさせた治癒師。治癒師としてやっていけないだけじゃなく、皇宮から出ることすら叶わず首チョーン!だったかもしれない。
「お前、ちゃんと食べてねえだろ」
床の上で体を起こした皇子に言った。
「……診た、のか?」
「ああ、診た。というか、患者がぶっ倒れたのに放置しておく治癒師がどこにいるっていうんだ。ちゃんと隅々まで診察させてもらったぜ」
意識を失った皇子を室まで運んで。倒れるほどどこが悪いのか、気を失って暴れないのをいいことに全部診させてもらった。
「ちゃんとオッサンの許可はもらったからな」
オレの後ろに突っ立ってたオッサンをふり返る。
「――セイハ、お前」
「いやいやだって、殿下。殿下がお倒れになったのに、放っておけませんってば。それにちょうどいいところにリュカ殿という治癒師がいたわけですし、あの……、その……」
皇子が目を覚まして、ホッとした顔から一変。前半は早口に、後半はシドロモドロに。言い訳に焦るオッサン。
「睨むなよ。オッサンは悪くない。部下としての使命を果たしただけだ」
オッサンを睨みつけ、萎縮させた皇子の頭をゴンッと拳で小突く。
「キサマッ……!」
「文句があるなら、元気になってから言え。お前、貧血と栄養失調で倒れたんだぞ」
皇子の不調。それはオレが胸倉掴んだからじゃない。
「脈、熱、呼吸。腹の具合。その結果、オレの見立ては、貧血と栄養失調だ」
色が白いのは血の巡りが悪いから。瞼の裏で確認したけど、異様なまでに白く赤みが感じられなかった。服の上からではわかりにくい、腕や足が細いのにポッコリお腹だけが出てる、典型的な栄養失調体型。
「お前、ちゃんと食べてねえのか?」
こんな皇宮で、皇子という立場でどうして栄養失調になるのかわかんねえけど。
栄養失調は、下町なんかの貧しい家の子がなるもので、裕福な、金持ちの子がなる病気じゃない。
「殿下は食が細くあらせられますからねぇ……ヒッ!」
「こら」
再びゴンッと落ちたオレの拳。だから、オッサンを萎縮させるなよ。睨むな。んで、オッサンも睨まれたぐらいでびびんな。
「とにかく、お前は好き嫌いせずに何でも食え。いいな」
食の細いヤツが一気にドカ食いするのは難しいかもしれねえけど、それでも少しずついろんなものを食べていけば回復する。
「……食べたくない」
「は?」
「食べなくっても生きていける。今までだって生きてこられた」
「は?」
何言ってんだ、コイツ。
「あのなあ。お前の体、少食すぎて悲鳴を上げてんだよ。小さい頃はそれでもよかったかもしれねえけど、そのままじゃあ大人になるまで生きていけねえぞ」
「別に。生きていたいと思わない」
ンガッ!
「テメエッ……!」
「わわわ、落ち着いて! 落ち着いて、リュカ殿っ!」
皇子の胸ぐら掴みかけたオレを諫めるオッサン。その仲裁に、掴んだ衣を手放すけど……納得いかねえ。
下町の子どもと違って、食えるもんいっぱいあるのに食わねえで、「生きたいと思わない」ときたら……。オッサンには悪いけど、二、三発殴らなきゃ気がすまねえ。
「そんなに僕に食べさせたいっていうのなら、一つ条件がある」
フーフーと肩で息をするオレに、皇子が言った。
「条件?」
「お前が裳をまとい、領巾を肩にかけるなら、食べてやってもいい」
「殿下、あの、それって……」
「女の姿になれと言っている」
「はああああぁっ!?」
驚くオレの声が裏返った。
オレが?
女に?
「食の細い僕に食べろと無理を強いるくせに、自分は女の装いを強いられただけで怒るのか?」
うっ。
「お前が女の装いをしてきたら、食事もとるし、治療だってさせてやろう」
ニヤッと笑った皇子の顔。
そこまでして治療したいと思ってないだろう。こんなわからず屋な患者は嫌だ。男の矜持にかけて絶対断るに決まってる。
そうタカを括ってる。細められた青い目が雄弁に語る。
だが。
「約束だぞ? オレが女装したらちゃんと食うんだな?」
「あ、ああ……」
まんまるになった皇子の目。「女装だぞ? 本当にいいのか?」って言ってる。
「おっしゃ、オッサン。善は急げだ。オレに似合う最高の裳を用意してくれ!」
そんなことぐらいで治療をさせてくれるなら。
乗りかかった船だ。
裳の一枚や二枚、なんなら三枚でも四枚でもいくらでも穿いてやるぜ。
同時に広がる鉄の匂い。生ぬるい熱。
割れんばかりの怒号のなか、耳に届いたかすかな声。願い。
生きて。
それがどれほど残酷なのか。それがどれほど辛いことなのか。
どうしてお前が。どうしてボクが。
どうして。どうして。どうして。
たくさんの「どうして」に心が切り裂かれる。
だけど、泣いても叫んでも、どれだけ拒んでも、開いた目が、届く音が、漂う匂いが、伝わる熱が、これが逃れることの出来ない現実なのだと迫ってくる。
生きて。
生きて。生きて。生きて。
アナタだけは生きて。
いくつも重なった願いの上に今がある。
生きることは報いること。
けど。
この先どう生きてゆけばいい? どうしたら生きていける?
願って散った者たちは、誰もその先を教えてくれない。
* * * *
「――おっ、目が覚めたみたいだな」
薄くゆっくりと、でも確実に開いた皇子の目。
「ここは……」
「お前の寝所。お前、図書寮でぶっ倒れたんだよ。覚えてねえのか?」
声はまだぼんやりしてるけど、青い宝石のような目に光が戻ってホッとする。
だってなあ。あのままぶっ倒れたままだと、オレ、治癒師失格どころか、とんでもない刑罰とかくらいそうだったもん。皇子の胸倉掴んでぶっ倒れさせた治癒師。治癒師としてやっていけないだけじゃなく、皇宮から出ることすら叶わず首チョーン!だったかもしれない。
「お前、ちゃんと食べてねえだろ」
床の上で体を起こした皇子に言った。
「……診た、のか?」
「ああ、診た。というか、患者がぶっ倒れたのに放置しておく治癒師がどこにいるっていうんだ。ちゃんと隅々まで診察させてもらったぜ」
意識を失った皇子を室まで運んで。倒れるほどどこが悪いのか、気を失って暴れないのをいいことに全部診させてもらった。
「ちゃんとオッサンの許可はもらったからな」
オレの後ろに突っ立ってたオッサンをふり返る。
「――セイハ、お前」
「いやいやだって、殿下。殿下がお倒れになったのに、放っておけませんってば。それにちょうどいいところにリュカ殿という治癒師がいたわけですし、あの……、その……」
皇子が目を覚まして、ホッとした顔から一変。前半は早口に、後半はシドロモドロに。言い訳に焦るオッサン。
「睨むなよ。オッサンは悪くない。部下としての使命を果たしただけだ」
オッサンを睨みつけ、萎縮させた皇子の頭をゴンッと拳で小突く。
「キサマッ……!」
「文句があるなら、元気になってから言え。お前、貧血と栄養失調で倒れたんだぞ」
皇子の不調。それはオレが胸倉掴んだからじゃない。
「脈、熱、呼吸。腹の具合。その結果、オレの見立ては、貧血と栄養失調だ」
色が白いのは血の巡りが悪いから。瞼の裏で確認したけど、異様なまでに白く赤みが感じられなかった。服の上からではわかりにくい、腕や足が細いのにポッコリお腹だけが出てる、典型的な栄養失調体型。
「お前、ちゃんと食べてねえのか?」
こんな皇宮で、皇子という立場でどうして栄養失調になるのかわかんねえけど。
栄養失調は、下町なんかの貧しい家の子がなるもので、裕福な、金持ちの子がなる病気じゃない。
「殿下は食が細くあらせられますからねぇ……ヒッ!」
「こら」
再びゴンッと落ちたオレの拳。だから、オッサンを萎縮させるなよ。睨むな。んで、オッサンも睨まれたぐらいでびびんな。
「とにかく、お前は好き嫌いせずに何でも食え。いいな」
食の細いヤツが一気にドカ食いするのは難しいかもしれねえけど、それでも少しずついろんなものを食べていけば回復する。
「……食べたくない」
「は?」
「食べなくっても生きていける。今までだって生きてこられた」
「は?」
何言ってんだ、コイツ。
「あのなあ。お前の体、少食すぎて悲鳴を上げてんだよ。小さい頃はそれでもよかったかもしれねえけど、そのままじゃあ大人になるまで生きていけねえぞ」
「別に。生きていたいと思わない」
ンガッ!
「テメエッ……!」
「わわわ、落ち着いて! 落ち着いて、リュカ殿っ!」
皇子の胸ぐら掴みかけたオレを諫めるオッサン。その仲裁に、掴んだ衣を手放すけど……納得いかねえ。
下町の子どもと違って、食えるもんいっぱいあるのに食わねえで、「生きたいと思わない」ときたら……。オッサンには悪いけど、二、三発殴らなきゃ気がすまねえ。
「そんなに僕に食べさせたいっていうのなら、一つ条件がある」
フーフーと肩で息をするオレに、皇子が言った。
「条件?」
「お前が裳をまとい、領巾を肩にかけるなら、食べてやってもいい」
「殿下、あの、それって……」
「女の姿になれと言っている」
「はああああぁっ!?」
驚くオレの声が裏返った。
オレが?
女に?
「食の細い僕に食べろと無理を強いるくせに、自分は女の装いを強いられただけで怒るのか?」
うっ。
「お前が女の装いをしてきたら、食事もとるし、治療だってさせてやろう」
ニヤッと笑った皇子の顔。
そこまでして治療したいと思ってないだろう。こんなわからず屋な患者は嫌だ。男の矜持にかけて絶対断るに決まってる。
そうタカを括ってる。細められた青い目が雄弁に語る。
だが。
「約束だぞ? オレが女装したらちゃんと食うんだな?」
「あ、ああ……」
まんまるになった皇子の目。「女装だぞ? 本当にいいのか?」って言ってる。
「おっしゃ、オッサン。善は急げだ。オレに似合う最高の裳を用意してくれ!」
そんなことぐらいで治療をさせてくれるなら。
乗りかかった船だ。
裳の一枚や二枚、なんなら三枚でも四枚でもいくらでも穿いてやるぜ。
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