キツネの里帰り。

若松だんご

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キツネの里帰り

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 帰りたい。
 
 今すぐにでも。
 クルッと回れ右して帰りたい。

 家中の窓という窓を開けっ放し、指がスコスコに入りそうな、ゆるいガードしかない古い扇風機を回す。
 でも、暑い。

 (チクショ~。エアコンもねえのかよ)

 窓を開けたせいで、容赦なく飛び込んでくる蝉の鳴き声。
 シャーシャーシャーシャーシャー。
 それと、青すぎるぐらい青い空と、緑すぎるぐらい緑の山の間からモコモコ沸き起こった白い雲。
 これで、風鈴なんかぶら下げて、ブタの蚊取り線香なんか置いて、縁側で切ったスイカでも食べたら、「ザ☆日本の夏!」だよなあ。
 容赦なく、雰囲気だけで気温を上げてくるアイテム。
 そんなことを思う。
 さっきまで、少しでも涼しくなるようにと、ウチワをあおいでいたんだけど。手、だるくなって、ウチワを持ったまま大の字に寝っ転がる。う~ん、「ザ☆夏のぐったりガキンチョ」。

 (なんで僕は、こんなところに)

 茶色にくすんだ板目の天井に思う。
 小学五年の夏休み。
 いつもの夏休みなら、普通に塾の夏期講習に行って。後は、友だちと遊んだり、ゲームしたり。ヒマならマンガを読んだり動画を見たりしてたのに。

 ――今年は、ちょっと父さんの故郷に里帰りしないか?

 珍しく家に帰ってきてた父さんが、珍しく僕を誘ってきた。
 いつもは、仕事だ出張だって忙しく家を空けている父さん。僕の世話は、近所に住んでる七緒叔母さんに任せっきりのくせに。

 (家族サービスってやつか?)

 いつもほったらかしにしてることを悪いと思ってるのか。それとも、最近〝いい人〟ができた七緒叔母さんに、甥を押し付けてるのは申し訳ないと(ようやく)感づいたのか。
 どちらにしたって、父さんの〝独りよがりの罪滅ぼし〟に、僕は今つきあわされている。
 夏期講習もなければ、遊ぶ相手もいない夏休み。
 父さんとしては、日頃見ることのない田舎の大自然を息子にみせて、「うわぁ!」って喜んでもらうつもりだったのかもしれない。僕が、麦わら帽子でもかぶって、蝉やカブトムシ捕りに夢中になる。もしくは、川遊びを満喫する。そう期待していたのかもしれない。
 
 (んなの、喜ぶのは、せいぜい幼稚園児ぐらいだっての)

 小学五年にもなって、そんなので「うわぁい!」はしない。それどころか。

 (なんでここWifi通ってないんだよぉ)

 スマホ持ってきたけど、電波が届かないから、マンガもゲームも、暇をつぶすため動画も視れない。
 「うわぁい!」は「うわぁい!」でも、「うわぁい!(喜)」ではなく、「うわぁい(ヤケクソ)」でしかない。「うげえ」、「ガッテム!」に置き換えも可。
 いっそ一人で、帰ってやろうか。
 もう五年生なんだし。七緒叔母さんの邪魔になるなら、一人で自宅にいたってかまわない。
 家に帰って、いつものようにゲームしてマンガ読んで、動画でも視て。好きなだけお菓子でもつまんでゴロゴロしてって……ダメだ。帰る手段がない。
 この家まで、父さんの車で高速を使っても八時間以上かかった。途中、駅はおろかバス停も見つけられなかったし。公共交通機関も死んでるこのど田舎。父さんが帰ろうとしない限り、帰りたくても帰れない。

 「なんだ、八尋、ヒマなのか?」

 ハタキと雑巾。頭には手ぬぐいという、「お掃除してましたスタイル」の父さんが、ヒョコッと顔を出した。

 「ヒマだよ」

 ヒマを梱包材のプチプチみたいに、押しつぶして消していけたらいいって思うぐらいには。それか「バルス」て一括消去。って。

 (シマッタ)

 僕がヒマ=じゃあ掃除手伝えってならないか? これ。
 もしかして父さんは、僕に「夏休みを田舎で満喫」させるためにここに来たんじゃなくて、「実家の掃除要員」としてオレを連れてきたんじゃあ……。だとしたら、「僕、遊ぶのに忙しいから」ってどっかに逃げ出すか?

 「ヒマなら――」

 (ヤベ)

 「――押し入れにジャンプが入ってるぞ。読むか?」

 「読まないよ」

 なんでこんなところにまで来て、ジャンプ読まなきゃいけねえんだよ。それも「押し入れに入ってた」なら、かなりの年代物だろ? ちょっと興味がないわけじゃないけど、でも「押し入れから出す」ことが面倒くさい。

 「そっか」

 ちょっと残念そうな顔をした父さん。

 「まあ、八尋の気持ちはわかるよ。ここは、退屈だよな」

 言いながら、オレのそばに寄ってきた父さん。ヨイセッとかけ声とともに座ると、扇風機の向きを変えた。チューチュートレインみたいな動きで、扇風機に向かって上半身をうねらせる。――多分、汗かきまくってる顔全体に風を当てたいんだろうけど。ちょっと不気味。

 「昔は父さんも退屈でたいくつで、早く帰りたい、帰ってゲームがしたいって思ってたもんなあ。家でゲームをしないと、友だちはみんなクリアしてるだろうにって、焦ってた」

 ウンウン。
 父さんが一人頷くけど、それなら、「どうして僕をここに連れてきた?」ってききたい。退屈するのわかってて連れてくるのって、それって拷問だろ。

 「あの頃、ここに住んでたのは、父さんの叔父さんだったんだが、その叔父さんが見かねて『退屈しのぎに』って、面白いところに連れて行ってもらったんだよ」

 「面白いところ?」

 ムクッともたげた興味とともに、身を起こしかける――が、途中で止める。
 父さんの言う「面白いところ」?
 嫌な予感がする。
 なんたって、僕の父さんは、オカルト雑誌のライター。日本各地を飛び回って雑誌の取材といえばカッコいいけど、やってる内容は「スクープ! カッパ沼の真実!」とか「超古代文明は日本に存在した!?」みたいな、眉唾記事だもん。そんな父さんの「面白い」は、絶対普通の「面白い」じゃない。「キャアッ!(喜)」ってなるやつじゃなくて、「ギャアッ!(叫)」ってなるやつに決まってる。 

 「まあ、退屈しのぎに聞け」

 扇風機に向かって喋るもんだから、声が歪んで「ワレワレハウチュジンダ」になった。

 「あれは、父さんが八尋ぐらいの頃だったなあ。どうにも潰せない退屈を持て余してた父さんに、叔父さんが言ったんだ。祭りに連れて行ってやろうって」

 「祭り?」

 行き先は祭りだったのか?
 まあ、こんなコンビニもなにもないような田舎でも、祭りぐらいあるだろうな。昔からの、古い土地っぽいから、祭りがあってもおかしくない。担うだけの人数がいるかどうかは疑わしいけど。

 「それがちょっと変わった祭りでな。宵の口から始まるんだが。参加する者は〝キツネのお面〟をつけなきゃいけないって習わしがあるんだ」

 「キツネのお面?」

 なんだ?
 ちょっぴりオカルトめいてきたぞ?
 でもまあ、どっかの国のカーニバルとかで、派手なお面をつけるのがあったような気がするし。そこまで特別なことじゃないのかもしれない。仮面舞踏会の祭り版みたいな。

 「祭りに参加してる間はお面を外しちゃいけない。そう言われてるんだ。けど、父さんはウッカリ面を外してしまってな。祭りがあまりに楽しかったもんで、つい外してしまったんだよ」

 「で、どうなったの?」

 祭りでお面を外しちゃいけないって言われても、普通なら「こら!」で済まされる程度だと思うんだけど。
 なんか、父さんの喋り方があまりに神妙なので、思わず聴いてるだけの僕までゴクリと喉を鳴らしてしまう。

 「お面を外した途端にな、それまで祭りを楽しんでいた連中が一斉にふり返ったんだよ。『旨そうな匂いがするぞ。人の子の匂いだ』って。ジュルッてヨダレをすする音も聞こえた」

 ……………………。
 真面目に聞こうとした僕がバカだった。
 父さんがまともに話しをするわけがないんだ。

 「絶体絶命のピンチになった父さんを助けてくれたのは、なんと九本の尻尾を持つキツネでな――って、こら八尋。お前、まともに聞く気無いだろ」

 ゴロンッと畳の上に転がり直した僕を、父さんが見咎める。

 「だって、そんなの作り話だろ?」

 どうせ、次の雑誌に載せるオカルト話とか、そういうの。九尾の狐とか、そういうのに驚いたりビビったりするのは、雑誌の読者だけだっての。
 カッパは本当は~とか、天狗は実際は~とか。
 昔っからそういう父さんのホラ吹き与太話につき合わされてるから、そういうのに対する耐性はついている。今更、「九尾の狐が~」と言われても、「あー、はいはい」ぐらいにしか思わない。
 キツネのお面とかってのも、どうせ、そこにかかってる古いお面をみて思いついたアイディアだろ?
 部屋の隅、長押なげしにかかった白い面と黒い面。細く糸目な白い面と、白目の部分が金色に塗られた黒い面。どちらも目尻のつり上がったキツネ目で、赤い模様が施されている。
 
 「信じてないのか?」

 「信じられるわけないじゃん」

 「じゃあ、行ってみるか? 祭りに」

 「――は?」

 驚き、体を起こした僕。なぜか父さんは、ムッフーと鼻息を鳴らして立ち上がった。
 おいおい、嘘っぱち与太話なら、そのへんにしておいたほうがいいぞ。 
 そう思う僕の前で、長押からお面を二つ下ろす父さん。

 「これをつけろ」

 お面に積もった埃を、フーッと吹いて払うと、白い面を僕に押し付けるように渡してきた。ついで、頭の手ぬぐいを外しと、自分も黒い面をつけ始める。

 「いいか。絶対、何があっっても、父さんが『いい』と言うまで外すんじゃないぞ」

 「え、あ、お、おう」

 言われるままにお面をつけて、後頭部で紐を結わえる。
 なんだ、なんだ? いつもの与太話とは様子が違うぞ?
 黒いお面の父さんと、白いお面の僕。
 誰かに見られたら爆笑必至だけど、この家には僕たち以外、誰もいない。いない。いないはずなんだけど――。

 ゴクリ。

 喉が鳴った。

 「――ここだ。ここから祭りに出かける」

 「……は?」

 ひっくり返った声が、お面の内側でくぐもった。
 ここから? 祭りに? 出かける?
 父さんが僕を連れてきたのは玄関ではなく、昭和で時間が止まったような、懐かし家電のそろう台所。そこで、父さんが扉を前に膝をつくけど。

 「冷蔵庫じゃん」

 2ドアタイプの、僕の背丈ほどしかない白い角ばった冷蔵庫。右上には「Mational」ってプレートが付いてるけど。うっわ、レトロ。

 「仕方ないんだ。お面をつけて出入りしなさそうなところってことで、じいさんがここを結びつけてしまったんだから」

 正気か?
 本気で疑った。
 僕に与太話をしたものの、そのまま引っ込みがつかなくなって、ここにやって来たとかじゃないだろうな。「ゴメン、嘘だ。さあ、それより掃除を手伝え」とか言って、いつから入ってるのかわかんない(恐ろしい)冷蔵庫の中身を出させるつもりじゃあ――

 「ホラ、行くぞ」

 違った恐怖にすくむ僕の前で、父さんが冷蔵庫の扉を開ける。って……。

 「うそ……だろ?」

 声がかすれた。
 開けた扉の先から、ひんやりした空気とか、腐り果てた食材の悪臭が襲ってくるかと思ってたのに。

 「まつり……、ばやし……?」

 ピーヒャラピーヒャラピーヒャララ。テンテケテケテン、テンテケテン。
 笛や太鼓の音が聞こえてくるんだけど。冷蔵庫の中から。――マジで?

 「ほら、行くぞ」

 行くぞって。――え?
 先に冷蔵庫に入った父さんが、グイッと僕の手を引っ張る。

 「うわあああぁっ! ――って、アレ?」

 落ちるでもなく、浮き上がるでもなく。
 冷蔵庫にギュウギュウと押し込まれたわけでもなく。

 「……寒くない」

 涼しいわけでもなければ、冷たくもない。両手を広げてみるけど、指先がかじかむこともない。冷蔵庫の中なのに? というか、冷蔵庫の中なのに、あたり一面、原っぱなんだけど?

 「当たり前だ。それより、行くぞ」

 風にそよぐ草っ原を、父さんが僕の手を引いて、迷いなく歩いていく。
 歩く? 冷蔵庫の中を? どれだけ広い冷蔵庫なんだ?
 僕の頭は、理解が追いつかない。
 ここは、冷蔵庫の中――なんだよな?

 父さんに連れられて歩くうちに、祭ばやしはドンドン大きくなっていく。

 「絶対、お面を外すんじゃないぞ」

 念を押すように言われた。
 
 ピーヒャラピーヒャラピーヒャララ。テンテケテケテン、テンテケテン。
 
 ズンズン歩いていくと、そこに突如祭りの会場が現れた。
 櫓を囲んで踊る人たち。いくつも立ち並ぶ屋台。宵の始めを明るく照らす、赤と白の提灯。にぎやかな音と、美味しそうな匂い。

 「うわぁ……」

 ここが冷蔵庫の中とか、そういうのが全部どうでもよくなって、祭りの楽しそうな空気に目が釘付けになる。

 「よお、久しぶりだな」

 赤いキツネのお面の大人が、父さんに声をかけてくる。

 「なんだ。今日は坊主も連れてきたのか」

 父さんの知り合いなんだろう。お面をつけてて、誰が誰かのかわかんないはずなのに、親しげに父さんに喋りかけてくる。

 「久しぶりにジイさんに会わせたくてな」

 父さんが返す。

 「そうか。せっかくの祭りだしな。坊主、いっぱい楽しんでいけよ」

 赤いキツネが僕の頭を撫でて立ち去っていった。
 声をかけて来るのは赤いキツネだけじゃなかった。白いキツネ、金色のキツネ。いろんなキツネが代るがわる父さんに声をかけてくる。

 久しぶりだな。
 楽しんで行けよ。

 ……父さん、ここに何度も来てるのか?
 お面を外さなくても、相手が誰なのかわかるぐらい頻繁に来て、仲良くなってるのか?
 父さんのその様子に、なぜか誇らしい気分になった。
 いつもは、左右別々の靴下を履いて出勤しちゃったり、スマホも一緒に洗濯しちゃったり、会社に持ってく原稿を電車のなかに置き忘れたりと、穴ぼこだらけの抜けてる父さんだけど。ちょっとだけ見直した。

 「ねえ、父さん、僕、イカ焼き食べたい!」

 通り過ぎた屋台から漂う、イカのいい匂い。

 「後でな」

 「じゃあ、あっち! 射的やりたい!」 

 「後でな」

 「なら、踊る! それならいいだろ?」

 「悪くはないが、それも後だ。行かなきゃいけないとこがあるからな」

 ……そっか。
 祭りなんだから、神社か寺か、そっちを参るのが先。イカ焼きや、射的の景品を持って参拝はできない。
 上がったテンションが、少しだけ下がる。

 「よお。久しぶりじゃの」

 キツネ面の人混みの間を縫って歩いた先、通りの真ん中に座っていたのは――。

 「キッ、キツネッ!?」

 真っ白な毛並みの、大きなキツネ。座っていても、その背丈は僕と同じぐらい。そして。

 (尻尾……、一、二、三……九つ! 九本の尻尾!)

 それって、「九尾の狐」ってやつかっ!?
 フサッと扇のように広がるキツネの尻尾。数え間違いでなければ、その数九本。

 「なんじゃ。驚いておるようじゃな、八尋」

 その上、キツネが喋った――っ! 

 「なんじゃ、まだなんにも教えておらんのか、〝おやや〟よ」

 「えっと……。忘れてました」

 ポリポリと頭を掻く父さん。

 「――仕方ないのう」

 軽くため息をついたキツネ(なのか)。ポンッと軽く煙を出して姿が隠れたかと思えば、そこに立っていたのは、頭に白い耳を生やした着物姿の男の人だった。

 (でも、尻尾生えてる……)

 後ろがどうなってるのか気になるところだけど、そんなことはどうでもいい。
 キツネが人に? というか、これ、どういう状況なんだ?
 どうでも良くなりかけてた疑問が頭をもたげる。
 冷蔵庫のなかに連れてこられて? キツネ面をつけた人で溢れかえった祭りがあって? 目の前で九本の尻尾を持つキツネが人に化けた???

 「まったく。そういう抜けておるところが〝おやや〟なのじゃ」

 「アハハ……。でもそろそろ、その〝おやや〟は止めてもらえませんかねえ。これでも俺、四十を過ぎたいい大人なんですけど」

 「バカモノ。お主はいつまでたっても〝おやや〟のままじゃ」

 疑問、追加。

 「なあ、父さん。〝おやや〟ってなに?」

 さっきから父さんが呼ばれてるあだ名? おやや?

 「……俺の名前からとったあだ名。睦月むつき襁褓むつき、オシメのこと。オシメをつけるのは赤ちゃんだから、おやや。赤ちゃんの古い言い方なんだよ」

 お面の下で、父さんが軽く舌打ちする。
 なるほど。それで〝おやや〟なのか。なるほど。

 「まあよい。どうせ説明するなら、ワシが話したほうが良いじゃろう」

 深~くため息を吐いた、九尾のキツネ。
 パチンと指を鳴らすと、景色が……え? 家のなか?

 「ワシの屋敷じゃ。もう面を外しても良いぞ。ここなら、キツネのふりをしなくても、誰もお主を襲ったりせん」

 このお面は、キツネたちに襲われないための、カモフラージュ、目眩ましだったのか。
 言われるままにお面を外し、その表を見る。

 「さて。どこから話したもんかの」

 大きな座敷。そこで向かい合うように座ったキツネが言った。ちょっと考えあぐねている?

 「八尋よ。お主、父親のことをどう思っておる?」

 え?

 「あちこち出歩いては、眉唾ものの妖怪話を集めてくる人――です。あととっても頼りなくて、抜けてる穴ぼこだらけの人です。」

 「ふむ。それは間違ってはおらぬが……」

 キツネが腕を組んで目を閉じる。
 僕が言ったことをキツネが否定しなかったことで、「ヒドい」と父さんが涙目。目の前に畳に「の」の字を書き始めた。……言い過ぎちゃったかな。

 「おややはの、各地のあやかしの里を回って、連絡をつけたり状況を伝えたりしておるのじゃ」

 「え? あやかしの里?」

 ただの道楽じゃないってこと?

 「この世には、様々なあやかしが暮らしておる。カッパ、天狗、鬼。化け猫、キツネ、狸。それらの里を回って、困りごとを解決したり、折衝をしたりしておるのじゃよ。胡散臭い怪談物書きは、その予録じゃよ」

 「……ハア」

 イマイチ理解できてない、というか理解が追いついてないけど。
 なぜか、隣に座る父さんが「エッヘン!」と胸を反らす。

 「でも、なぜ父さんがそんな役目を担ってるんですか?」

 百歩どころか千歩、一万歩ぐらい譲ったとしても、どうして父さんが? ヌケサク抜け太郎な父さんに、そんな大役務まるのか?

 「それは、お前の父親は、ワシの血を引いておるからじゃ」

 「はあっ!?」

 父さんが? この人だかキツネだかわかんない人の血を? ――ってことは、ちょっと待て。

 「まさか、僕もその血を引いている……と?」

 「そうじゃな」

 いやいやいやいやいや。
 「そうじゃな」じゃないだろ、「そうじゃな」じゃ!
 だって僕には尻尾なんて一本も生えてないし。もちろん父さんもだけど。
 なんだこれ、壮大なドッキリとかそういうのか?

 「主ら、尾崎の家の者は、ワシの、この九尾のキツネの血を引いておる。ワシと人の娘の間に生まれた子、実里はお主の曾祖母にあたる者じゃ」

 えっと、じゃあ……。
 ひいばあちゃんがこのキツネの子、人との間に生まれたハーフだってことは、ばあちゃんがクオーターで、父さんは? 八分の一? さらにその子どもが僕だから、十六分の一?
 指折り数えてみる。

 「それだけでないぞ。八尋、お主には別の血も流れておる」

 は?
 計算ができなくなった。

 「ふむ。来たな」

 戸惑う僕をよそに、キツネのじいちゃん(でも見た目は若い)が、襖の方に顔を向ける。
 ――来た? 誰が?

 「あにさまっ!」

 パァンッ! と自動ドアのように開いた襖。そこから飛び出してきたのは、小さなキツネ……が変身した幼い女の子。見た目、四、五歳ぐらい。
 いや、キツネっていうより、どっちかっていうと〝ネコ〟。
 飛びついてきた途端に、そのまま僕の体に身を寄せてゴロゴロと喉を鳴らす。

 「こら、好佳このか! ここでは走ってはいけないと、あれほど言ったでしょう」

 続いて入ってきたのは、え? ええっ!?
 開いた襖に少しもたれるようにして立ってる人。後ろからニョコッと見える白い尻尾と、ツンッと立ち上がった白い猫耳。
 だけど。

 「か、母さんっ!?」

 「――久しぶりね、八尋。元気にしてた?」

 そこに立っていたのは、まぎれもなく僕の母さん。

*     *     *     *

 「ねえ、父さん」

 「なんだ、八尋」

 「この状況、説明してくれませんか」

 「状況って。さっきジイさんが説明しただろう?」

 「そっちは、一旦置いといて! 母さんのことだよ、母さんの!」

 思わず声を張り上げる。

 「僕が小さい頃、母さんはどこって聞いたら、『死んだ』って言ってたよねっ!?」

 僕が小学校に上がる前。
 どうして家には母さんがいないのか不思議に思って、父さんに尋ねたことがある。
 
 「そんなこと言ったか?」

 「言ったよ! 『母さんはこの世にいない』って! 淋しそうに言ってたよ!」

 この世にいないってことは、死んだってこと。
 だから、それ以上のことを父さんに聞くことができなかった。
 父さんだって、母さんが死んで悲しいんだ。だからもう聞いちゃいけない。母さんがいなくても、七緒叔母さんがいてくれるから、頑張って生きてかなきゃって思ってた。なのに。

 「ああ、あれか!」

 ポンッと父さんが手を打つ。

 「それはだな。母さんはあっちの世界じゃなくて、こっちに身を寄せてるって意味だったんだ」

 思い出した! とうれしそうなのは、父さんだけ。
 母さんも僕も、呆れてジト目。キツネのジイさんは、額に手を当て、ヤレヤレと首をふる。

 「化けネコの母さんと結婚して、子が生まれたのは良かったんだが、あやかしの血が濃くなりすぎたんだろうなあ。あっちの世界の空気が合わなくてな。それでしばらく、こちらの里で暮らすことになったんだ」

 ハッハッハッ。
 父さんが一人笑う。

 「そういう八尋、お前も小さい頃はここで育ったんだぞ。覚えてないのか?」

 「覚えてないよ、そんなもん!」

 そりゃあ、家にあるアルバム、小さい頃の写真が、極端に少ないなって思ったことはあったけど。それだけで、あやかしの里で育ったなんてわかるわけないだろ。
 さっき、「知り合い多くてすごいな~」って誇らしく思ったこととか、「あやかしたちの困りごとを解決してるってすごいな~」って(ちょっとだけ)感心したことは全部取り消し。
 上がりかけた父さんの株、大暴落。
 
 「まったく、パパったら。相変わらず言葉足らずなんだから」

 ハアッと母さんが大きく息を吐き出す。

 「ごめんね、八尋。こんなパパだから、今までいろいろ大変だったでしょう」

 「べ、別に。七緒叔母さんもいたし……」

 申し訳無さそうな母さん。目を合わせるのは恥ずかしかったので、ちょっとだけ唇を尖らせて、そっぽを向く。

 「八尋は人の姿で生まれてこれたんだけど、好佳このかは、キツネの姿で生まれちゃって。その上、人に化けるのが下手だったし、人の世界の空気に馴染めなかったから。だから、アナタのもとに帰ることができなかったのよ」

 「好佳このか?」

 「はいっ!」

 驚く僕の膝に寄りかかった女の子が返事した。
 クリッとした目の女の子が、うれしそうに僕を見上げる。

 (この子が、僕の妹――?)

 僕に似てるのかな。似てないのかな。よくわからないけど。

 (僕の……妹……)

 母さんは死んでしまった。僕に兄妹はいない。ずっとずっとそう思ってたのに――

 「あにさま、ないてる?」

 「泣いてなん、かっ、な、いっ!」

 カッコつけたいのに、目からドンドン涙が溢れてくる。
 悔しくて、カッコ悪くて、何度も鼻をすすり上げ、腕で熱くなった目をこする。

 「ヨシヨシ」

 だから、泣いてないから。僕の頭を撫でるな。慰めるな。妹に慰めてもらうなんて、最高にカッコ悪いだろ。

 「――パパ」

 腕を組んだ母さんが言った。

 「帰ったら、ちょぉぉっとお話ししましょうか」

 「はいっ!」

 ピゥッ!
 父さんがビシッと姿勢を正した。

 「それで? これからどうするのじゃ、おやや」

 それまで黙っていたキツネのジイさんが口を挟んだ。

 「お主ら、人の世に戻るのか? それとも家族でこちらで暮らすのか?」

 「え、それは……」

 「あちらに残してきた屋敷に暮らして、こちらとあちらを行き来してもよいが、その場合、おややと八尋はキツネに戻る方法を学ばねばならんぞ。いつまでもお面に頼ってはおれぬからな」

 え、えーっと。
 
 「八尋、アナタが決めなさい」

 母さんが言った。

 「今までいっぱい苦労してきたアナタが決めていいわよ。ね、パパ」

 「う、うん。そうだ、そうだ。八尋、お前が決めていいぞ」

 萎縮したままの父さんが、母さんにジロリと睨まれて、早口に言った。

 「あにさまが、きめて?」

 妹まで口をそろえる。

 「でももし、あっちで暮らすって決めたら、お前、大丈夫なのか?」

 ずっと人に化け続けられるのか? あっちの空気に馴染めるのか?

 「もうだいじょうぶだよ。あっちであにさまとくらせるように、このか、いっぱいいいぱい、ばけるれんしゅうしたもん!」

 いいのかな。
 いっぱい練習したぐらいで、大丈夫なのかな。
 というか、そんな家族の大事なこと、僕が決めちゃってもいいのかな。
 不安になって、周りを見回すけど、みんな、「うん、大丈夫だ」って顔で頷いてくる。
 だったら――。

 「僕は――」

 ゴクンと一つ唾を飲み込んで。僕は自分の希望を口にした。

*     *     *     *

 「兄さま、そっち! そっちに逃げたっ!」

 「そっちってどっちだよ!」

 「だから、兄さまの方!」

 狭いビルとビルの間。上から降り注いできた妹の声に、細く切り取られたような空を見上げる。

 「うわっ!」

 見上げると同時に降ってきた何か。それが、俺の頭を踏み台にして、またピョーンと跳躍した。

 「なにやってんの、兄さま!」

 次に降ってきたのは、キツネ姿の妹。さっきのと違って、今度はドスッと、俺の顔面をモロに蹴っ飛ばしての跳躍。

 「こ~の~かぁ~」

 いくら母さんの血が濃くて、ネコみたいに俊敏で跳躍が得意だからって、兄の顔を踏みつけにするな。

 「ほら、兄さまも追いかけて! 逃げられちゃう!」

 ふり返り、手招きする妹。

 「待て、そんなにやみくもに追いかけなくても、捕まえられる」

 蹴っ飛ばされたせいで、ヒリヒリする顔を押さえながら言う。

 「あれの逃げた先はだいたい見当がつく。先回りして、捕まえるぞ」

 「わかった。兄さま!」

 路地から大通りへ。俺の手を引き、走り出そうとする好佳このか

 「待て待て待て! ちゃんと変化へんげしろ! キツネのままで行くな!」

 「あ、そっか」

 ポンッと軽い煙を出して人の姿に戻る。ついでに、「テヘッ」とかわいく笑ってくるけど。

 (こんな調子だから、ほっとけないんだよなあ)

 七つ違いの妹、好佳このか
 この春、あの時の俺と同じ、小学五年になった好佳このかだけど、未だに人の世界に慣れてない部分がある。
 
 ――人の世で、悪さをするあやかしを捕らえてほしい。

 あやかしの里で暮らす九尾のジイさんからの依頼。
 人の世で暮らすなら、俺たち兄妹にも、父さんと同じようなあやかしに関わる仕事をしてほしい。人の世であやかしに関われるのは、あやかしと人の血を引く者だけだから。
 
 ――これはもはや尾崎家の生業のようなものじゃ。覚悟するんじゃな。

 カラカラと笑ったジイさん。

 ――わかりました。兄さまと頑張ります!

 勝手に俺を巻き込んで請け負った好佳このか
 請け負うのはいいけど、あやかしの里で生まれ育ったせいか、好佳このかはこの世の常識に疎い。今みたいに、キツネの姿で人前に出ていこうとする。それが、どれだけ目立つ行為なのか、全く気づいていない。
 俺は、あやかしとしての能力があまり強くないから、あやかし逮捕は好佳このかに任せて、そのサポートをするのが俺の役目。あやかしが好む場所、嫌うところはどこか。あやかしが現れそうなところはどこか。逃げたあやかしがどこに向かうのか。先回りするにはどこを走ったらいいか。そういうブレーン的なことをこなす。

 「兄さま、行くわよ!」

 グイッと俺の手を引っ張った好佳このか。引っ張られるというより、引きずられるぐらいの速さで走り出す。
 幼い女の子に連れられて、路地裏から飛び出した俺。こんな格好、高校の友だちに見つかったら、なんて思われるだろ。妹だって説明すればいいんだけど、なんか小っ恥ずかしい。

 「兄さま、遅い! 逃げられちゃう!」

 俺の足に我慢できなくなった好佳このかが、俺をすくい上げるようにして、抱き上げる。――ってこれ、〝お姫様抱っこ〟じゃねえか! いくらなんでも、これは説明不可能だぞ!

 「ちょっと黙っててね。舌噛んじゃうから!」

 言うなりポーンと跳躍。(人の姿で)
 愛らしいのに、やってることはとんでもない。
 そんな妹に、飛び上がった高さにクラクラして、情けないけど、必死にしがみつくしかできなかった。
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