オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご

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17.みせかけカノジョは、愛されカノジョ?

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 「う、さ、ぎ、ちゃん!」

 「ほぎゃあっ!」

 お昼。コンビニ帰り、背後から気安くポンッと肩を叩かれ飛び上がる。たぶん、5センチぐらい。

 「しゃ、しゃちょ……!」

 シーッ。
 言い終える前に、あたしの口が社長の指で押さえられる。

 「ここで、それはナシ。ここで僕がフラフラしてるってバレたら、社長の沽券に関わるからね」

 沽券って。
 だったら、フラフラしなかったらいいのでは?
 ニコニコ笑う社長。今日もブルーの作業着を羽織って、庶務課の人間のフリをしてる。
 この人、いっつもこうして遊び回ってるけど、社長としての仕事、ちゃんとやってるのかな?

 「それより、ウサギちゃんは、今からお昼?」

 「はい、そうですけど」

 社長の目が、あたしの持ってるレジ袋に集中する。

 「ならせっかくだし、いっしょに食べない?」

 ホラ。
 社長が、自分の持ってたレジ袋を、あたしに掲げてみせた。社長の手にも、あたしとおんなじコンビニレジ袋。

 (社長って、もっと豪華なお昼をとるもんじゃないの?)

 もっと、そうだな……黒い蓋付きの仕出し弁当、幕の内とか、松花堂みたいな。それか、ピシッとスリーピースをカッコよく着込んで、運転手付きの黒塗りの車で、ホテルかなにかの豪華ランチを食べに行くとか。
 まさか、庶務課の人みたいな服装で、コンビニ弁当を食べてるとは思わなかった。

 「ゴメンね、昨日は急に大神を借りちゃって」

 テクテクと歩いていった先、(なぜか)庶務課で、社長が謝る。
 庶務課に、営業課のような、応接セットはない。だから、並んだデスクで、隣合わせに社長と座る。

 「ミーティングだったんですよね?」

 昨日の課長。
 社長と、急なミーティングが入ったとかで、あたしを一人、先に帰らせた。夕飯も要らないと言って、最終的に帰ってきたのは、あたしが寝た後だった。

 「うん。いろいろと長引いちゃってさ。ホント、ゴメン」

 パンっと手を合わせての謝罪。

 「せっかくのラブラブ期間に。ホント申し訳ない」

 「ラッ、ラブラブっ!?」

 「違うの?」

 「やっ、違わないです……けど。そういうの、セクハラですよ」

 社長の視線に耐えられなくて、口を尖らせそっぽを向く。
 セクハラとかそういう理由じゃない。今のあたしには、その「ラブラブ期間」ってのがドスッと胸につき刺さる。
 みせかけ恋人だから。ラブラブに見えるように演じなきゃいけないのに。
 「好きだ」って言ってくれたのに。キスより先はしてくれなくて。
 それを寂しいと思うのか。それとも先を求めることを、はしたないって思ってるのか。それとも、ホッとしてしまってるのか。
 自分でもどの感情勢力が一番強いのか、よくわからなくなってる。
 ただ。
 ラブラブを演じるみせかけ恋人が、とても、とても辛くなってることだけはわかる。あたし、課長と本物の恋人になりたい。

 「ウサギちゃん。謝らなきゃいけないのは、それだけじゃないんだ」

 それだけじゃない?
 その言葉に、顔を社長に向け直す。

 「ちょっと困った案件があってね。しばらくの間、大神を借りててもいいだろうか」

 「困った案件――ですか」

 「うん。アイツの帰り、遅くなるかもしれないし、もしかしたら、出張ってのもありえるかもしれない」

 とても。とても申し訳無さそうに眉を下げて、あたしを見る社長。

 「大丈夫です、よ」

 社長のおっしゃる困った案件。きっと会社の一大事だと思うから。
 それに、ラブラブ恋人は、カレシの仕事が忙しかったからって、文句を言ったりしないのです。仕事で遅くなるぐらいで動揺しない。「無理しないでね」で、労り送り出す。だって、愛されてるから、不安に思ったりしないのです。

 「ゴメンね。この埋め合わせはするから」

 社長が、何度目かの「ゴメンね」で頭を下げた。

*     *     *     *

 ――すまない。今日も先に帰ってくれるか。

 社長だけじゃない。あの後、課長からも同じことを告げられた。

 構いませんよ。
 あたしなら、一人でちゃんと帰れますから。

 ニッコリ笑って返す。
 愛されてるからできる、余裕の笑みってヤツですよ。
 でも。

 (はあぁぁ……)

 本音はそうじゃない。
 
 課長といっしょに過ごさずにいられることへの、安堵の笑み。
 会社ならまだいい。仕事もあるし、他の人もいるから気も紛れる。課長との接点も少ない。
 けど、家となるとそういうわけにはいかない。
 いっしょにゴハンを食べて、いっしょにテレビを観ることもある。他の人もいないから、話すネタに困っても話をしなくちゃいけない。
 だから、こうして離れてる時間が延長されるのは、素直にありがたい。

 (あ、しまった)

 うっかり歩いてたせいで、課長のマンションじゃなく、自分のアパートにたどり着いてしまった。
 あたしの部屋だけ明かりの消えた、古いワンルームアパート。部屋の前にはいくつかの工事道具。

 (早く工事終わらないかな……)

 そしたら、もう少し課長と距離が取れるのに。
 カバンの底に埋もれてた部屋のカギを取り出す。せっかく立ち寄ったんだし、ちょっと工事の進捗を確認しておこう。

 「あれ? ――卯野さん? そこにいるの、卯野さん?」

 カギを差し込んだタイミングで、誰か若い男性から声をかけられる。

 「あ、オレです。二階の。部屋のことでご迷惑をかけた冴木です」

 「あ、どうも。こんばんは」

 「こんばんは」は間抜けかな? 思ったけど、他に適切な挨拶が見つからなかった。

 「あの。先日は、本当にすみませんでした!」

 直角九十度。冴木さんが頭を下げて謝罪した。

 「オレ、あの日、バイトの面接で急いでて。うっかり顔を洗って、水を止めるの忘れててっ!」

 「大丈夫ですよ」

 部屋は弁償してもらえるんですから。そんなに謝罪しなくても。

 「人なんだから、失敗は誰にでもありますし」

 あたしだって、水道じゃないけど、冷蔵庫開けっぱとか、電気点けっぱとか。そういうミスは数え切れないほどあるし。冷蔵庫開けっぱで、部屋じゅうキンキン冷え冷えだったときは、あたしの心まで凍りつきそうになった。
 冴木さんの場合は、それが蛇口だったってだけで。電気と違うから、床が水浸しになって、あたしの部屋まで浸水しただけで。

 「彼氏さんと同じこと言うんですね」

 笑って、顔を上げた冴木さん。
 彼氏さんと同じこと?

 「オレ、卯野さんの彼氏さん、大神さんでしたっけ。彼にも謝罪の連絡入れたんですけど。そこで、『誰にだって失敗はある』って言われたんですよ」

 へ?

 「『誰にだって失敗はある。大事なのは、二度と同じ失敗をくり返さないことだ』って。カップルって、同じようなこと言うんですね。ちょっと驚きました」

 ほへ?

 「あ、あの! 冴木さんって、かちょ、――大神さんと連絡を取ってるんですか?」

 「ええ。あの時、連絡先を交換しましたから」

 そうなの?
 いつの間に、課長はそういうことしてたの?

 「いい彼氏さんですよね。オレが卯野さんと連絡先交換しようとしたら、『彼女の連絡先は教えられない、自分が窓口になるからこっちに連絡してくれ』って。まあ、非常事態でも女性の連絡先は教えられないっすよね。それも、自分の大事な彼女の連絡先となれば」

 自分の大事な彼女の連絡先。

 (そういえば、ここの荷物を運び出して欲しいとか、そういう連絡も、全部課長が受けてくれてた)

 あたしのスマホ。
 管理会社の連絡先は入ってるけど、あれから一度も電話が鳴ったことはない。おそらくだけど、そっちも全部課長が受けてくれているからだ。
 部屋の家具だってそうだ。課長が社長を通して、全部手配してくれた。あたしの好きなQUARTETTO!の深雪くんの部屋になるように。
 あたしが困ったりしないように。あたしが平穏に暮らせるように。
 課長は、あたしの知らないところで、あたしをいっぱい助けてくれている。

 「愛されてますね、卯野さん」

 愛されてるの――かな。
 冴木さんの言葉に、知らず胸が熱くなった。
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