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13.勘違いミルフィーユ

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 「あ、あのっ、か、課長!」

 終業時間間際のいつものオフィスで。
 パソコン画面を、(獲物のように)睨んでいた課長に声をかける。

 「これっ、今月分の備品の決済報告書です。か、確認とハンコ、お願いします」

 「ん」

 頷いて、あたしの差し出した生贄、もとい書類を受け取ってくれた課長。そのままジッと、今日一日かけて、あたしが作成した書類を読み始めるけど。

 ゴクリ。

 なぜか喉が鳴る。
 課長と暮らし始めて、課長のみせかけ恋人を始めて、もう半月以上。いっしょに帰るし、いっしょにゴハンも食べるまでになったんだけど。

 (なんか、最近の課長、怖い……)

 怖い?
 違うな。
 
 (恐ろしい?)

 これも違う。
 修繕工事前に残った荷物を取りに行った時。あんなふうに慰めてくれて、大判焼きまで奢ってくれたのに。
 真剣に書類に目を通す姿。パラッと書類をめくる長くキレイな手。伏し目がちの課長。少し落ちた前髪が、秀でた額に影を落として。鼻筋もスッと通ってキレイだな。
 座ってる課長を、立ってるあたしが見下ろすというアングルのせいか、なぜかソワソワ落ち着かない。
 
 「どうした?」

 「あ、いえ! なんでもございまひぇん!」

 あ、噛んだ。
 課長が動いて、フワッと立ち昇った課長の匂いのせいだ。あの時、泣きじゃくった時に嗅いだのと同じ匂い。

 「……これでいいだろう。あとは、こちらで処理しておく」

 ポン。
 あたしの作成した書類、課長の押印欄に、「大神」という朱色のハンコが押される。
 ハンコを持つ指も、その動きもキレイ。――ハンコ、押しただけなのに。

 「だから、どうした? なにかあるのか?」

 「いえ! よろしくお願いひまひゅ」

 また噛んだ!
 ペコリと頭を下げて、スタコラサッサと自分の席まで逃亡。

 「ウサギちゃん、アンタ大丈夫?」

 一部始終を見てたんだろう。隣の席の先輩が、心配そうに声をかけてくれた。

 「恋人ったって。あの眼力は怖いわよねえ」

 しみじみ言われたことに、他の先輩方もウンウンと頷く。
 
 (いや、そうじゃないんですけど……)

 課長は、目つきが怖いだけで真面目な人だし。突然恋人役に指名してくる身勝手さはあるけど、困ってたあたしを助けてくれる優しい人だし。あたしのために大判焼きを買ってきてくれたり、泣き出したあたしを抱きしめてくれたり……。

 「うぎゃおっ!」

 「ど、どうしたの、ウサギちゃん」

 「あ、いえ。なんでもありません。なんでも。アハハハハ……」

 突然叫んだあたしに、驚く先輩方。
 いくらなんでも、「慰められた時の優しさを思い出しちゃいました」は言えない。あれは、課長の優しさを象徴するエピソードだけど、それに甘えてTシャツを涙でベッタベタにしちゃった、あたしの恥ずかし黒歴史でもあるんだから。
 さすがに、言えない。

 (さて)

 今、やるべきことは仕事、仕事!
 先輩方も戻ったことだし。あたしも仕事の続きをやらなきゃ。
 就業中は、仕事に全集中。寸暇を惜しんで仕事をしろ。でないと、「給料泥棒」の烙印を押されちゃうんだから。もうすぐ終業時間だからって、怠けてちゃいけないのよ。

 (――ん? メール?)

 ピコンと、パソコンに表示された封筒マーク。
 
 「すみません。卯野、庶務課に行ってきます」

 着いたばかりの席から、また立ち上がる。

 ――お話ししたいことがあります。庶務課へ。

 内線じゃない。個人的にあたしにメールを届けてくるなんて、普通の呼び出しじゃない。これは――

 「やあ。久しぶりだね、うさぎちゃん!」

 ――やっぱり。

 「社長。なにをなさってるんですか」

 向かった庶務課。受付カウンターにもたれて立つ、若い(チャラい)男性。この会社の社長、山科さん。

 「いやあ。ちょっとウサギちゃんとお話ししたくってさあ。あ、大崎さんには許可もらってるから、大丈夫だよ」

 大丈夫って。
 社長の後ろで、黙々と無表情のままデスクワークを続けてる大崎さん。社長のチャラさに怒ってないことを祈る。

 「あ。そういえば。あたしも社長にお会いしたかったんです」

 「僕に? なんかうれしいな」

 ルン♪
 
 そんな音が、社長から聞こえた。(気がする)

 「あの。QUARTETTO!のグッズとか、あたしの新しい部屋の家具を融通してもらったり」

 「ああ、あれね」

 「いろいろとご配慮いただき、ありがとうございました!」

 ペコリ。
 最大の感謝をこめて、直角お辞儀。

 「う~~ん。そこまで感謝されちゃうと、照れちゃうな。僕としては、あんなに必死な大神を見れて、面白かったんだけど」

 「必死……ですか?」

 なんかイメージしづらいんですけど。

 「そうだよお。あの大神がねえ。ウサギちゃんを喜ばしたいからって、ものすごい形相で迫ってきたんだ。いつもお前の手伝いをしてやってるだろう、だからたまには言うこときけってさ。いやあ、あれはお願いっていうより脅迫ってかんじ?」

 あ、なんかそれイメージできるかも。
 課長の「お願い」は、その鋭い眼光容貌から、「脅迫」「恐喝」へと変換される。

 「そうだ、ウサギちゃん。そこまで感謝してくれるのならさ、お礼としてこれからいっしょに遊びに行かない?」

 は?

 「どうせ、もうすぐ仕事も終わりだしさ。このまま抜け出して、たまには、街で遊びたいじゃない?」

 ナニイッテルノ、コノヒト。
 社長が? 遊ぶ? それもあたしと?

 「ン゛ン゛ッ」

 すっごくわざとらしい咳払いが、庶務課に響く。

 「お、大崎さ……ん」

 ふり返った社長。とうの大崎さんは、ずっとモニターを見たまま。
 
 (でも、怒りオーラが見える気がする)

 庶務課ここでふざけるぐらいは許してくれるけど、それ以上はダメってこと――かな?
 咳払い一つで社長を黙らせるんだから。大崎さん、恐るべし。

 「あの、社長。街に遊びに行くよりその……。ちょっと腕の良い病院を教えていただけませんか?」

 「ウサギちゃん? どっか悪いの?」

 「えっと。最近、ちょっと心臓の具合が悪くて……」

 「心臓っ!? そんなので働いてていいのっ!?」

 ガシッ!
 社長があたしの肩をひっつかんで、そのまま庶務課から連れ出そうとする。
 何事にも動じなさそうな大崎さんが立ち上がって、受話器持ち上げかけてるのも見えた。

 「あ、あの! 今は大丈夫なんです!」

 肩掴まれて、ビックリしたけど。

 「あたし、頑丈だけが取り柄なんですけど。最近、妙に胸が苦しかったり、心拍が早くなったりするんです」

 「ウサギちゃん……?」

 肩を掴む社長の手が緩む。

 「こう、なんていうのかな。イキナリキューッと締めつけられるようになったり、そうかと思うと、走った後より心臓がバクバクして。顔も熱くなって、のぼせっていうのかな。息切れとか動悸もヒドくて」

 「ウサギちゃん、それ、大神がいるときに起きるの?」

 「あたし、なにか悪い病気なんですかねっ!? 一度、どこか病院で診てもらったほうがいいですかっ!?」

 他にもあたし、いっぱいおかしいんですよ!
 課長と上手く話せないとか!(これは以前もいっしょ)
 課長の目を見れないとか!(これも以前といっしょ)
 課長を前にすると、すっごく緊張するし!(これも……以下同文)
 課長を目で追っかけちゃうとか!(これは以前と違う)
 それに。

 (課長のベッドで眠れないのよ!)

 今までは、「おやすみなさい」ですやあっと、簡単に眠れたのに! 最近は染みついた課長の匂いが気になって、全然眠れない! 「臭い、加齢臭なんとかしろ!」じゃなくて、落ち着かないの! 心臓、動悸がひどくなるのよ!

 (まさかの課長アレルギー?)

 だったらどうしよう。
 くしゃみとか鼻水が出るわけじゃないけど。心臓の不調とか、他の症状は出てるわけだし。
 あの日、課長にうっかり抱きしめられたから。そこからアレルゲンを過剰摂取で、発症しちゃったのかもしれない。あれから数日経つけど、全然症状収まらないし、どうかすると悪化し続けてる気がする。
 もし、アレルギー発症したのだとしたら。あたし、課長にみせかけ恋人っていう、奉公ができなくなる。一方的に御恩受けっぱなし。それじゃダメです、鎌倉殿課長

 「それは……。どんな医者でも治せないと思うなあ」

 「ゔええっ」

 どどど、どうしよう。
 あたし、とんでもない病気になっちゃったの?
 課長のそばに居づらくなるし、最悪の場合わずか22歳で死ななきゃいけないわけ?
 課長、あんなにやさしくしてくださるのに。あたし、お礼もできないまま死んじゃうの?

 「社長……、あたし、どうしたらいいんでしょう……」

 みせかけ恋人として、そばにいなくちゃいけないのに。課長アレルギーを発症したのだとしたら。

 「アレルギーだからマスクして。課長の匂いを嗅がないようにしなくちゃダメですよね」

 対策方法を思案する。

 「あと、接触しないようにビニール手袋をはめて。見ると心拍上がるから、アイマスクも装着して。声も胸苦しくなるから、聞けないように耳栓して……」

 あと、えっと。なにをしたら、アレルギー発症しなくてすむかな。

 「おーい。ウサギちゃーん」
 
 遠く、社長の呼ぶ声がするけど。ええい。うっさいな、社長。
 今、あたしは真剣に悩んでるんです!

 「お迎え、来たよ。キミの」

 お迎え? あたしまだ、お釈迦様に来迎される予定はありませんけど――って。

 「かっ、かか、課長っ!?」

 庶務課入り口に立つ課長。――デジャブ?

 「またお前が呼び出したのか、山科」

 ズヌヌヌヌン。課長の背後に怒りオーラが見える。

 「だって。僕だって、ウサギちゃんに会いたかったしさあ。こうして呼び出さないと、お前が邪魔するじゃん?」

 「当たり前だ!」

 ピシャン!
 課長の怒り雷が落ちた。

 「真白、お前もコイツの遊びにつき合ってやることないぞ」

 「――はい」

 ショボン。
 呼び出したのが社長だって、なんとなくわかってた。どうせ大した用事じゃないことも。
 でも、社長の呼び出しを無視できるヒラ社員がいるだろうか。いや、いない。
 
 「行くぞ」

 きびすを返した課長に、大人しく従う。

 「大神、それとウサギちゃん」

 あたしたちの背中に、社長が呼びかける。

 「今日はこれで上りでいいよ」

 え?

 「それより、今、ウサギちゃんが深刻な病に陥ってるらしいんだ」

 「――なんだと?」

 ふり返り、落ちてきた課長の視線。

 (社長っ! なに言い出すんですかっ!)

 課長アレルギーだなんて、知られたくなかったのにっ! そんなの、課長が知ったら、傷つくでしょうが!

 「だから、今日は帰って、ウサギちゃんの話を聴いてあげなよ。これは、社長命令♪」

 社長がにこやかに言う。
 
 「ウサギちゃんも、今の話、全部大神に説明して。そしたら、きっと体調もよくなるよ」

 そうなの? そうなの?
 この身体の不調、話したらどうにかなるの?
 回復するのは願ったり叶ったりなんだけど。

 「――行くぞ」

 再び歩き出した課長。その背中を一生懸命追いかけるけど。

 (あたし、キチンと説明できる自信、ありません!)
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