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1.オオカミ課長のご指名です

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 ――申し訳ありませんが、俺には将来を誓った相手がいるんです。

 一階ロビーにこだまするほど、大きな声。

 ――この人です。この人と結婚を前提におつき合いしています。ですから、お嬢さまの申し出は、お断りさせていただきます。

 (ふへ?)

 声と同時。
 ガシッと掴まれた肩。グイッと引き寄せられた体。ドンっとぶつかった背中。――って。

 (ふええええええっ!)

 持ってたフラッペのカップを、握りつぶしそうになるぐらい驚く。

 (お、おおっ、大神課長ぉぉぉぉっ!)

 振り向き見上げたそこに立っている人。アタシの肩を掴む人。
 それは、間違いなく、我が経理課の大神おおがみ課長。
 イケメンだけど、目つき鋭過ぎの大神課長がっ! っつーか、今、なんて言ってた?
 将来をともにする相手?
 お嬢さまの申し出は、お断り???
 ナンノコッチャ、ソンナヤッチャ、ソレソレソレソレ♪
 あたしのなかで、「???」たちが、阿波踊りみたいな謎の踊りを始める。
 あたしはただ、このお昼休みに期間限定フラッペを買ってきただけなんですけど?
 午後も一番に、速く頼まれてた書類を完成させないと、また大神課長に怒られちゃうな~、午後も頑張るために糖分補給しなきゃな~だったんだけど?
 たまたまこうしてロビーを通りががって。あ~、なんか修羅場っぽいなあ~、大変だな~、ぐらいにしか思ってなくて。
 それがどうして、

 「ヒドい。大神おおがみさん。私、アナタのこと……」

 に、巻き込まれてるわけっ!?
 目の前に立つ――というより、肩を掴まれ動けないせいで目の前に向かい合う羽目になった女性。と、専務。
 栗色の肩口まである髪は、ゆるく巻いてツヤツヤしてるし、顔もお目々パッチリだしお肌も白い。
 身長153のあたしと違って、身長180余裕でオーバーな大神課長と並んでも遜色ない体をしてる。出ることちゃんと出て、へっこむところはキュッと締まったナイスバデー。
 女優かモデルかってぐらい、とっても美人。なのに。

 (お断りってナニ?)

 っていうか、どういう状況なのか、誰か説明プリーズ!

 「――大神くん」

 咎めるような声を、専務が上げる。

 「申し訳ありません。今まで専務のご命令もあって、おつき合いさせていただきましたが、それ以上のこととなると、俺は自分の心にも彼女にもウソはつけませんので」

 ……なんとなく察するに。
 この大神課長は、専務の命令で、専務のお嬢さんとおつき合いしてきた。おそらくだけど、その「おつき合い」ってのも、男女のそういうのじゃなくて、お友だちレベルの、接待感覚のものだったんだろう。
 だけど、お嬢さまはそういうふうに思ってなくて。「結婚を前提としたおつき合い」に発展させたくて。
 「おつき合い」への意見の相違から、こうして大神課長に父親とともに直談判に来た。
 けど、こうして、アッサリとハッキリキッパリお断りされた。自分には、こうして抱きしめる相手、将来を誓った仲の人がいるからって。
 そういうことなんだと予想する。
 けど。

 (あたし、いつの間にどうして大神課長のそういう相手になってるわけっ!?)

 あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
 あたしは、ただ限定フラッペを買いに行ってただけで。大神課長の部下なだけで。いつも怒られてるだけの、ポンコツ社員で。
 いつもいつも、課長からは、「卯野っ!」と叱られるだけで、一度も「好きだ」的なことを言ってもらった記憶はなくて。
 お嬢さまに比べて、チビで童顔で、スットーンとした幼児体形で。メイクしても映えないし、髪だって「日本人ですね」ってだけの真っ黒くろ。美容院でオーダーミスって、パッツんおかっぱ。
 大神課長に釣り合わないのは、百も承知な容貌で。その認識は共通なのか、さっきから専務とお嬢さまから「この女が?」「課長が将来をともにする相手?」「マジか」みたいな視線が、あたしにグサグサ刺さってくる。(グハア) ただの巻き込まれ要員なのに。この視線はかなりのダメージ。

 「あ、あの、課長っ」

 声をひそめて、抗議する。

 「あたしでは、役不足ですよ」

 あたしでは、お断りのカモフラージュにはなりません。力不足の役不足です。

 「黙ってろ」

 ゔ。――はい。

 降りてきた視線、「ギロリ」って擬音がついてそうで怖い。
 なので、「おくちチャック」。どうしたらいいのかわかんないので、とにかく曖昧スマイル。なんでもいいから、笑っとけ。

 「ヒドい。ヒドいわっ!」

 ワッと泣き出し、さっきあたしが通ってきた入口ドアに向かって駆け出すお嬢さま。

 「大神くん」

 睨みと舌打ちだけ残し、娘の後を追いかけてく専務。うわあ、ドラマみたい。

 「――フウ。ようやく諦めたか」

 二人が自動ドアの向こうに退場してしばらく。ようやくといった感じで、課長が息を吐き出し、肩に置いた手の力を抜いた。

 「いや、『諦めたか』じゃないですよ! なんなんですか、さっきの!」

 肩が解放されたことで、グルっと課長に向き直す。

 「あたし、いつから課長の『将来をともにする相手』になったんですかっ――フガフガフガッ!」

 抗議の声は、課長の大きな手のひらで塞がれた。

 「――来い。説明する」

 ズルズルズル。
 口を塞がれ、片手で抱えられ。
 あたしの体は、あたしじゃない力によってどこかへと運ばれていく。
 まるで、オオカミに捕獲されたウサギ。
 そのまま美味しくいただかれちゃうのか。ギャラリーとなっていた社員たちが、ゴクリと唾を飲み込んだ。

*     *     *     *

 「――すまない」

 誰もいない小さめの会議室。
 そこで、あたしは課長から謝罪を受けた。

 「あの場は、ああして断るしか方法がなかったんだ」

 その謝罪。ストンと座らされた長机の上で話しを聴く。
 課長の言い訳は、あたしの予想してた通りで。
 専務に頼まれてお嬢さまのお買い物とかにおつき合いしてただけなんだけど、相手が勘違いして、結婚を迫ってきた。メールなどでお断りしてたんだけど、それでお嬢さまは納得しなくて。とうとう職場にまで父親つきで乗り込んできてしまって困っていた――そうな。
 でも。

 「だからって、お相手があたしだなんて」

 不釣り合いにもほどがあるでしょ。
 
 「他にも女性なら、あの場にいっぱいいたじゃないですか」

 あたしみたいな、「新作フラッペ、ルンルル~ン♪」じゃなくても。
 とっても楽しみにしていたフラッペ。長机に丸い輪染みを作るそれは、水滴まみれのカップのなかで、生ぬるくなって、おそらく美味しくなくなってる。

 「すまない。だが、あの瞬間、目に止まったのはお前だったんだ」

 それって。
 たくさんの群れの中から、ちょうどいい獲物を見つけた的な?

 「じゃあ、とりあえず申し出は断れたんですし。これでお役御免ですね」

 「いや、そういうわけにはいかない」

 長机から降りかけたあたしの前に、課長が立ちふさがる。ウサギは逃げ出した。しかし、まわり込まれてしまった。

 「ああ説明した手前、そう簡単にお前を手放すわけにはいかない。専務とお嬢さんが確実に諦めてくれるまで。悪いが、俺の恋人役を務めてもらう」

 いや、全然「悪い」って思ってないでしょ。
 あたしに迫ってくるっていうか――。

 「このことは、誰にも話すな。誰かにバラしたりしたら……」

 「だ、誰にも話しません!」
 
 だからそうやって睨まないで! 凄まないで!
 カッコいいけど、怖いんだってば!

 「よし」

 そこでようやく頬を緩めた課長。

 「ではこれから。俺の恋人役として、よろしく頼む、真白ましろ

 ほへ?
 どうして、あたしの名前を?

 「恋人なら、名前で呼び合うのが普通だろ?」

 いや、そうなんですけど。
 って、そうじゃなくて、どうしてあたしの下の名前を知ってるの?
 キョトンとしたあたしに、察した課長が説明する。
 卯野うの真白ましろ
 それがあたしの名前なんだけど、課のみんなは本名なんて知らないってかんじで、いつも「ウサギ」呼びしてくるのに。あたしだって、「ウサギ」って呼ばれたら、「はい」って答えるぐらいになっちゃってるのに。
 それが、苗字呼びとかなしに、一足飛びに「真白ましろ」? 飛躍しすぎなんですが。

 「じゃあな。真白。これからは恋人として頼むぞ」

 先に会議室から出ていこうとする課長。

 「ああ。頼んでおいた書類。出来上がり次第持ってきてほしいが。進捗はどうだ?」

 「えっと……、ま、まだです」

 このフラッペ飲んで、午後から気合い入れて頑張るつもりでした。この一件で、気合いは行方不明になりかけてますが。

 「――なら、なるべく急いでくれ」

 一瞬、いつものように「遅い」とかなんとか、怒り出しそうになった課長。けど、なぜか深呼吸して、その怒りを堪えたみたい。
 そのまま静かに出ていく。

 (??? どういう、心境?)
 
 わからないまま。
 頼まれた書類以外の業務に、「課長の恋人役」が付与されたあたしが、生ぬるいフラッペとともに、一人ポツンと会議室に取り残された。
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