恋をするなら、キミとがいい

若松だんご

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4.この感情に名前があるなら

(四)

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 「――先輩」

 バイト上がり。
 ついでに買い物をして、ゆっくりとバックヤードから出たところでかけられた呼び声。

 「氷鷹……」

 その声に驚き、レジ袋を持つ指に電気が走る。
 夕暮れ。日も落ちて、赤黒い闇が広がる駐輪場に立つ氷鷹の姿。

 「お疲れ様です、先輩」

 「お前、梅咲さんは?」

 終業時間は同じだったけど、オレは二人といっしょになりたくなくて、今までダラダラと買い物をしていた。だから、この時間、二人は先に帰ったと思っていたのに。
 パッと見、氷鷹しかいないように見えるが。どこかに梅咲さんもいるのか?

 「詩織ちゃんなら帰りました」

 「そっか」

 それがいいのか、悪いのか。よくわからない「そっか」。

 「先輩。俺、先輩に話があるんです」

 「なんだ、ノロケでも聴いて欲しいとかか?」

 わざと茶化す。茶化しながら、自分の自転車を引っ張り出す。
 先輩風ふかせて、ここは一つノロケとか、カップルお悩み相談とか、そういうのを聴いてやるとするか。

 「あ~でも、クリスマスのプレゼント相談とか、そういうのはやめろよ。オレ、そういうのは詳しくないからな」

 クリスマスにどう過ごしたいか。プレゼントはなにがいいか。
 そういうのは、梅咲さん自身に訊け。

 「……やっぱり」

 ボソリと呟いた氷鷹。――なにが「やっぱり」なんだ?

 「詩織ちゃん――梅咲さんが言ってたんですよ。先輩が誤解してるって」

 「誤解?」

 誰が、何を。

 「……ちょっとここでは話しづらいっすね」

 「え? あ、おい! オレの自転車!」

 グッとハンドルを掴まれ、勝手に持ち去られる。

 「こっちに公園があるっす。そこまでついてきてください」

 ついてきてって。
 先を歩き出した氷鷹。
 
 (クソッ)

 自転車を人質にされたら、「ついていく」しか選択肢は残されてねえじゃねえか。前カゴには、買った夕飯の材料も入ってるんだぞ。
 軽く舌打ちして、仕方なく、しかたなくその後ろを追いかける。
 こういう時、タッパの違い、コンパスの違いに無性に腹が立つ。ちょっと早足になったぐらいでは追いつかない氷鷹の背中。
 勝手にことを進めるな。
 蹴り飛ばしたい気分になる。

          *

 ガコン。

 公園のベンチ。その脇にある自販機で、硬質な音がする。
 脇に自転車を停め、オレをベンチに座らせた氷鷹。
 音は、氷鷹が何かを購入した音。何を買ったのか。待っていると、もう一つガコンと缶ジュースが落ちる音がした。

 「すみません、おしるこ売り切れてたので、今日はコレを」

 渡されたのは、ホット缶コーヒー。贅沢微糖。
 そうか。この間のおしるこ缶は、ここの自販機で買ったものだったのか。
 スーパーの前にも自販機はあるけど、おしるこ缶は置いてない。だから、どこで買ってたのか、ちょっとだけ疑問だったんだ。

 プシ。

 オレと並ぶようにベンチに腰掛けた氷鷹。その手のなかにあった、オレと同じ贅沢微糖缶から、空気の破裂したような音がした。

 「今日は、ありがとうな、氷鷹」

 「え?」

 「今日、お前さ、水のケース運んできた時に、バーコードが読みやすいようにカートに載せただろ」

 「ああ、あれですか」

 並んで座ったところで、何を話したらいいのか。正解がよくわからなくて、とりあえず仕事で思ったことを伝える。

 「あれ、完璧な対応だと思うぞ。置き方も悪くなかったし。結構助かった」

 飲料の段ボール。上部にも側面にもバーコードはついているが、時折、なぜかそのバーコードを隠すように配送の伝票みたいなのが貼り付いてることがある。その伝票が見えるように置かれると最悪で、レジ内からバーコードが読み取れなくなったりする。

 「あれぐらい。なんてことないっすよ」

 「そうか。でも、助かったから。礼は言っとく」

 オレもプシっと音を立てて、缶を開ける。
 続ける話も思いつかなくて、所在なくなった口に、温かいコーヒーを流し込む。

 「先輩」

 次は何を話そうか。
 コーヒーを飲み下しても喋れなくなってたオレに、氷鷹が声を上げた。

 「俺、梅咲さんとはつき合ってません」

 「え?」

 「詩織ちゃんは、俺の幼馴染で、近所の子なんです」

 驚き、隣に座る氷鷹を見る。けど、氷鷹はこっちに視線を向けるでもなく、そのまままっすぐ前だけを見つめていた。

 「バイト上がりにいっしょに帰ってたのは、母さん経由で、詩織ちゃんのお母さんからお願いされてたからです。夜遅くに女の子が帰るのは何かと物騒ですしね」

 確かに。
 氷鷹の家の近所ってことは、梅咲さんの家もここから近いのだろう。でもだからって、夜、女の子が一人で帰るのは危険すぎる。
 幼馴染で、家が近所。そして、バイトもいっしょ。
 それなら、氷鷹といっしょに帰れば、梅咲さんのご家族も安心だろう。氷鷹はオレと違って、ガタイもいい。騎士ナイト役にはうってつけだ。

 「で、でも。ちょっと待ってくれ!」

 そうなのか。
 つき合ってるってのは、オレの勘違いだったのか。
 一瞬、そう丸め込まれそうになって、ストップをかける。

 「梅咲さん、バイト初日に、お前のことなんて知らないって感じだったぞ」

 「え?」

 「『あの人、氷鷹さんって言うんですね』って。そんなふうに言ってた」

 幼馴染なら、そんなこと言わないだろ、普通。
 幼馴染だから、その気安さから氷鷹に仕事のことを質問してた。
 そこは納得できても、そのセリフに納得できない。
 
 「あ~。詩織ちゃん、そんなこと言ったんだ」

 ペチンと、氷鷹が空いてる方の手で、空を見上げた自分の額を叩く。
 それから、深くふかく息を吐き出す。

 「あのですねえ、先輩。それ、詩織ちゃんに遊ばれてます」

 「は?」

 全身から漏れいでた「は?」の声。
 遊ばれてる? オレが? 梅咲さんに?

 「なるほど。それでか」

 なにが「それでか」なのかわからないが、こんどは項垂れた氷鷹。

 「先輩、俺が、詩織ちゃんとつき合ってるって誤解した理由、ようやくわかった」

 「へ?」

 「あのですね、先輩。彼女は、そうやって嘘をつくことで、先輩で遊んでたんです」

 「は?」

 遊んでた?

 「俺のこと、初めて会ったようなフリをして、その上で、幼馴染の親しさで俺に接した。そうすれば、先輩が嫉妬するって思ったんでしょうね。俺のことでヤキモチを焼くって」

 「ちょっ、ちょっと待て! なんでオレが嫉妬しなきゃいけないんだよ!」

 男同士だぞ? 
 男が男に嫉妬って。おかしいだろ。

 「でも先輩、明らかに俺のこと、避けてましたよね」

 ぐ。

 「急ぐ課題なんてないのに、帰ったり」

 「い、いや、あれはだな……」

 「嘘つかなくていいですよ。先輩が、講義を休んでまで課題を優先しなきゃいけないほど、切羽詰まるとは思えない、不思議だったんですよ、あれ」

 んぐ。

 「だって、先輩って、いつも完璧に仕上げる人じゃないですか。もし課題があるとしても、そんな講義を休むほど切羽詰まるなんてありえない。あれは、俺と詩織ちゃん、二人っきりにしてあげようっていう、先輩の優しさなんじゃないかって」

 違いますか?
 ようやく向けられた視線が、オレに問いかける。
 せ、正解だ。
 補足するなら、ラブラブな二人を見ていたくなくて、逃げ出したってのもある。
 ズバッと当てられたことに、我慢できなかった視線が冷たい地面に落ちる。
 なんでコイツ、こんなにオレのことをわかってるんだ? なんでオレは、コイツにこんなに知られてるんだ?

 「あのね、先輩。詩織ちゃんが先輩にそういうふうに言ったのは、先輩が詩織ちゃんの望む反応をすること、それを期待したからですよ」

 「梅咲さんの望む反応?」

 「ええ。詩織ちゃん、大のBL好きですから」

 「びっ、ビィエル?」

 「はい。彼女、いわゆる腐女子ですから」

 目を丸くしたらいいのか。それとも、目を回したらいいのか。
 BL。
 ボーイズラブ。
 男女ではなく、男同士の恋愛模様を題材とした作品のこと。アニメやコミックからの二次創作にもBLは多く存在する。最近では、ドラマになったりと一般的になりつつあるようなコンテンツだけど。

 (まさか、それを現実にも持ち込むつもりだったのか)

 オレと氷鷹の関係。
 それとリアルBLとして楽しむつもりだった――ということか。

 「先輩?」

 ブルっと体を震わせたオレに、氷鷹が心配そうな声を上げた。

 「な、なんでもない」

 本当は、「なんでもある」んだけど。
 あの人カッコいいな~みたいな妄想をするのは勝手だし、好きにしたらいいけど、そういう楽しみの標的にされるのは、……ちょっと。
 明日から、どんな顔して、梅咲さんに会えばいいのか。

 「……先輩。話さなきゃいけないことは、これだけじゃないんです」

 珍しく。
 とても珍しく、いつもニコニコな氷鷹が真顔になった。
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