17 / 22
4.この感情に名前があるなら
(二)
しおりを挟む
心がシカシカする。
無理やり引きちぎったささくれ跡のように。ガリガリと引っ剥がしたカサブタ跡のように。
触れる日常に、心がシカシカと痛む。
原因はわかっている。
新しく入ってきたバイト、梅咲さんと氷鷹。
――あの、この商品って、どこに出すんですか?
この質問を、教育係になったオレに発するならいい。仕事でわからないところを訊かれるのも、教育係の仕事の一環だし、何度訊かれても別に気にしない。(そりゃあ、何十遍も同じこと訊かれたら、「メモ取れ!」って怒るかもだけど)
だけど、この梅咲さんは、なぜか氷鷹に訊きに行く。それも。
――陽翔くん、ちょっといい?
と、氷鷹を名指しで。
別に、オレが忙しい時なんかは、氷鷹に訊きに行ってもいいと思う。オレが暇になるのを待ってるよりは、誰かに訊いて解決させたほうがいいし。氷鷹だって、一ヶ月程度だけど先輩なんだから、後輩の面倒を見たっていい。
そう思うんだけど。
――陽翔くん。
その呼び方が、心に引っかかる。
「氷鷹」じゃなく、「陽翔」と呼んでいること。そこに、馴れなれしさを感じてしまうこと。
一応、このスーパーでのルールとして、店長、次長はともかく、それ以外の人は、「佐波さん」「佐波くん」のように、苗字で呼ぶことを徹底している。
オレが「志弦さん」と氷鷹に呼ばせなかった理由の一つに、このルールがある。バイト以外のところで「志弦さん」を許したとして、バイト中にウッカリ、その呼び方をしたらと思ったのだ。――大方は、「志弦」という名前を知られたくないという感情だったけど。
だから。
だから、気になるんだ、梅咲さんがアイツを「陽翔」と呼ぶことが。大学とかで「陽翔くん」と呼ぶならまだしも、バイト先で呼んでるから。
それに。
――これはね、詩織ちゃん。
「陽翔」と呼ばれた氷鷹も、梅咲さんを名前で呼ぶ。
それも、優しい目をして。
(お前ら、いつの間に、そんなに仲良くなってたんだよ!)
妙齢の男女が「陽翔くん」「詩織ちゃん」って。それって、「俺たち、そういう関係で~っす」って言ってるようなもんだろ。
別に、それならそれで構わないけど? 誰が誰とつき合おうと、オレには関係ないし? オレも梅咲さんを狙ってたとか、そういうわけじゃないし? 「お幸せに」ぐらい言うだけの心のゆとりはあるつもりだし?
だけど。
――すんません、先輩。俺、今日は家に帰るっす。
たまたま時間の重なったバイト上がり。
――今日もウチで飯食ってくか。
オレからの誘いを、申し訳無さそうに断った氷鷹。断っただけじゃない。同じくいっしょに上がりを迎えた梅咲さんと連れ立って帰っていった。
(ふぅん。そうかい。そうなのかよ)
夕闇に溶け込むように消えていった二人の背中を見て、また胸がシカシカする。
別に。
別に、氷鷹が誰と懇意にしても、オレには関係ない。夕飯は、一人でゆっくり食べるほうが性に合ってる。ベッドだって、寝返り打てるほどの広さが一番だ。
弟のように懐いてきてた氷鷹。
ヤツに恋人ができたのなら、それはそれでいいじゃないか。
「おめでとう」でいいじゃないか。梅咲さん、カワイイし、氷鷹にお似合いじゃないか。今だって、連れ立って歩いていく氷鷹は、彼女を守るように車道側を歩いてったし。ちゃんと騎士役もこなせるアイツなら、なんの問題もない。
オレはこうして二人を見送って。
一人、アパートに帰る。氷鷹もいない今、自転車に跨って、いつもより早くアパートに着く。「ただいま」と言っても返事もない、暗いアパートの部屋。買った土鍋は洗って、サッサとシンク下に仕舞い込んだ。おそらくだけど、もう卒業するまで、二度と使わないだろう土鍋。
冷蔵庫に残ってた、しいたけと白菜は、油揚げといっしょに煮込んで、卵でとじて消費した。ポン酢は、冷凍餃子を焼いて、餃子のタレ代わりにつけて食べた。アイツの残していったゴマダレは――、どうしようか、現在悩み中。サラダにかけるか、冷しゃぶにかけて食べるか。って、これから冬に向かうってのに、冷しゃぶはないな。
飯を食べ終えたら、一人で食器を片付け、一人風呂に入る。シャワーで済ませてもいいような気もしたが、「それじゃあ寒いか」と理由をつけて、湯船に入る。
「ハァ……」
立ち昇る湯気に紛れるようにして、息を吐き出す。
冷え性だからと、寒いから温めてと、抱きついてくるヤツはいない。だから、そんなに体を温めておく必要はない。けど。けど。
(なんだろうな、この気持ち)
シカシカと、痛み続ける心を持て余してる。
もとに戻っただけ。これが普通。
そう思うのに、心にポッカリ穴が空いたような。どこか落ち着かないような。
(いやいや、これは、ただのやっかみだ)
まだ一年生のくせに、カノジョを作った氷鷹に対する嫉妬。年下のくせに、先にカノジョを作りやがって。散々オレを振り回すようなことしておいて、恋人できたら「はい、サヨナラ」かよっていう。
多分、そういう感情の集合体。それが、心をシカシカさせてる。
そう結論づけて、湯船を出る。
シャワーを頭からぶっ被って、ワシワシと髪を洗い、体も洗う。
洗って、流して。流した泡が、排水口のところで膨らみながらグルグルと回る。
泡といっしょに、このシカシカの元も流れ去っていけばいいのに。
ドンっと、鈍い音を立てて、目の前、鏡に手をつく。湯気で曇った鏡をそのまま拭くと、現れたのは泡にまみれた、醜いオレの顔。
嫉妬。
わかってるんだ。
このシカシカの原因が「嫉妬」だってことは。
オレは「嫉妬」して、イライラしている。嫉妬が、オレの顔を醜くしていることも。
誰に。何に。どうして。
嫉妬の原因がわからない。
いや。
わかってるんだ。
わかってるけど、それを認められない。
シャワーヘッドを持ち上げ、ジャっと残った泡と鏡を洗い流す。
醜いオレでいたくない。自分の気持ちなんて分析したくない。分析してどうする。知ってどうするっていうんだ。
ただこうして、何もかも流して、綺麗さっぱり、昔の自分に戻りたくて仕方ない。
風呂を出て、用意しておいたバスタオルで、乱暴に髪と体をこする。そうすれば、何もかも削ぎ落として、キレイになれる気がして。
しかし。
一人寝に広く感じてしまうベッドは、キレイになったはずの体に、再び嫉妬を呼び起こし、また心がシカシカ痛み始める。
(最悪だ)
ゴロンと、寝返りを打つ。
持て余す痛み。どうにもならない感情。
どうすればいい。どうなったらいい。
どうしたら自分は納得して、以前の自分に戻れる?
わからないまま、自分以外のぬくもりのない、冷たいままのシーツに手を伸ばす。
無理やり引きちぎったささくれ跡のように。ガリガリと引っ剥がしたカサブタ跡のように。
触れる日常に、心がシカシカと痛む。
原因はわかっている。
新しく入ってきたバイト、梅咲さんと氷鷹。
――あの、この商品って、どこに出すんですか?
この質問を、教育係になったオレに発するならいい。仕事でわからないところを訊かれるのも、教育係の仕事の一環だし、何度訊かれても別に気にしない。(そりゃあ、何十遍も同じこと訊かれたら、「メモ取れ!」って怒るかもだけど)
だけど、この梅咲さんは、なぜか氷鷹に訊きに行く。それも。
――陽翔くん、ちょっといい?
と、氷鷹を名指しで。
別に、オレが忙しい時なんかは、氷鷹に訊きに行ってもいいと思う。オレが暇になるのを待ってるよりは、誰かに訊いて解決させたほうがいいし。氷鷹だって、一ヶ月程度だけど先輩なんだから、後輩の面倒を見たっていい。
そう思うんだけど。
――陽翔くん。
その呼び方が、心に引っかかる。
「氷鷹」じゃなく、「陽翔」と呼んでいること。そこに、馴れなれしさを感じてしまうこと。
一応、このスーパーでのルールとして、店長、次長はともかく、それ以外の人は、「佐波さん」「佐波くん」のように、苗字で呼ぶことを徹底している。
オレが「志弦さん」と氷鷹に呼ばせなかった理由の一つに、このルールがある。バイト以外のところで「志弦さん」を許したとして、バイト中にウッカリ、その呼び方をしたらと思ったのだ。――大方は、「志弦」という名前を知られたくないという感情だったけど。
だから。
だから、気になるんだ、梅咲さんがアイツを「陽翔」と呼ぶことが。大学とかで「陽翔くん」と呼ぶならまだしも、バイト先で呼んでるから。
それに。
――これはね、詩織ちゃん。
「陽翔」と呼ばれた氷鷹も、梅咲さんを名前で呼ぶ。
それも、優しい目をして。
(お前ら、いつの間に、そんなに仲良くなってたんだよ!)
妙齢の男女が「陽翔くん」「詩織ちゃん」って。それって、「俺たち、そういう関係で~っす」って言ってるようなもんだろ。
別に、それならそれで構わないけど? 誰が誰とつき合おうと、オレには関係ないし? オレも梅咲さんを狙ってたとか、そういうわけじゃないし? 「お幸せに」ぐらい言うだけの心のゆとりはあるつもりだし?
だけど。
――すんません、先輩。俺、今日は家に帰るっす。
たまたま時間の重なったバイト上がり。
――今日もウチで飯食ってくか。
オレからの誘いを、申し訳無さそうに断った氷鷹。断っただけじゃない。同じくいっしょに上がりを迎えた梅咲さんと連れ立って帰っていった。
(ふぅん。そうかい。そうなのかよ)
夕闇に溶け込むように消えていった二人の背中を見て、また胸がシカシカする。
別に。
別に、氷鷹が誰と懇意にしても、オレには関係ない。夕飯は、一人でゆっくり食べるほうが性に合ってる。ベッドだって、寝返り打てるほどの広さが一番だ。
弟のように懐いてきてた氷鷹。
ヤツに恋人ができたのなら、それはそれでいいじゃないか。
「おめでとう」でいいじゃないか。梅咲さん、カワイイし、氷鷹にお似合いじゃないか。今だって、連れ立って歩いていく氷鷹は、彼女を守るように車道側を歩いてったし。ちゃんと騎士役もこなせるアイツなら、なんの問題もない。
オレはこうして二人を見送って。
一人、アパートに帰る。氷鷹もいない今、自転車に跨って、いつもより早くアパートに着く。「ただいま」と言っても返事もない、暗いアパートの部屋。買った土鍋は洗って、サッサとシンク下に仕舞い込んだ。おそらくだけど、もう卒業するまで、二度と使わないだろう土鍋。
冷蔵庫に残ってた、しいたけと白菜は、油揚げといっしょに煮込んで、卵でとじて消費した。ポン酢は、冷凍餃子を焼いて、餃子のタレ代わりにつけて食べた。アイツの残していったゴマダレは――、どうしようか、現在悩み中。サラダにかけるか、冷しゃぶにかけて食べるか。って、これから冬に向かうってのに、冷しゃぶはないな。
飯を食べ終えたら、一人で食器を片付け、一人風呂に入る。シャワーで済ませてもいいような気もしたが、「それじゃあ寒いか」と理由をつけて、湯船に入る。
「ハァ……」
立ち昇る湯気に紛れるようにして、息を吐き出す。
冷え性だからと、寒いから温めてと、抱きついてくるヤツはいない。だから、そんなに体を温めておく必要はない。けど。けど。
(なんだろうな、この気持ち)
シカシカと、痛み続ける心を持て余してる。
もとに戻っただけ。これが普通。
そう思うのに、心にポッカリ穴が空いたような。どこか落ち着かないような。
(いやいや、これは、ただのやっかみだ)
まだ一年生のくせに、カノジョを作った氷鷹に対する嫉妬。年下のくせに、先にカノジョを作りやがって。散々オレを振り回すようなことしておいて、恋人できたら「はい、サヨナラ」かよっていう。
多分、そういう感情の集合体。それが、心をシカシカさせてる。
そう結論づけて、湯船を出る。
シャワーを頭からぶっ被って、ワシワシと髪を洗い、体も洗う。
洗って、流して。流した泡が、排水口のところで膨らみながらグルグルと回る。
泡といっしょに、このシカシカの元も流れ去っていけばいいのに。
ドンっと、鈍い音を立てて、目の前、鏡に手をつく。湯気で曇った鏡をそのまま拭くと、現れたのは泡にまみれた、醜いオレの顔。
嫉妬。
わかってるんだ。
このシカシカの原因が「嫉妬」だってことは。
オレは「嫉妬」して、イライラしている。嫉妬が、オレの顔を醜くしていることも。
誰に。何に。どうして。
嫉妬の原因がわからない。
いや。
わかってるんだ。
わかってるけど、それを認められない。
シャワーヘッドを持ち上げ、ジャっと残った泡と鏡を洗い流す。
醜いオレでいたくない。自分の気持ちなんて分析したくない。分析してどうする。知ってどうするっていうんだ。
ただこうして、何もかも流して、綺麗さっぱり、昔の自分に戻りたくて仕方ない。
風呂を出て、用意しておいたバスタオルで、乱暴に髪と体をこする。そうすれば、何もかも削ぎ落として、キレイになれる気がして。
しかし。
一人寝に広く感じてしまうベッドは、キレイになったはずの体に、再び嫉妬を呼び起こし、また心がシカシカ痛み始める。
(最悪だ)
ゴロンと、寝返りを打つ。
持て余す痛み。どうにもならない感情。
どうすればいい。どうなったらいい。
どうしたら自分は納得して、以前の自分に戻れる?
わからないまま、自分以外のぬくもりのない、冷たいままのシーツに手を伸ばす。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
最初から可愛いって思ってた?
コプラ
BL
マッチョの攻めから溺愛される可愛い受けが、戸惑いながらもそのまっすぐな愛情に溺れていく大学生カップルのBLストーリー。
男性ホルモンで出来た様なゼミ仲間の壬生君は、僕にとってはコンプレックを刺激される相手だった。童顔で中性的な事を自覚してる僕こと田中悠太はそんな壬生君と気が合って急接近。趣味の映画鑑賞を一緒にちょくちょくする様になっていた。ある日そんな二人の選んだ映画に影響されて、二人の距離が友達を超えて…?
★これはTwitterのお題でサクッと書いたミニストーリーを下地に作品にしてみました。
『吐息』『ゼロ距離』のお題で「事故でもそれは。」Twitter小話の中にあります。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる