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27.断罪の鉄槌
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「――まだ動けるか?」
クズどもが警察に引っ立てられて。
刑事ドラマのラストシーンのような、ちょっと周囲がサイレンでうるさい場面で、翔平さんに訊かれた。
「動ける……けど」
だからナニ?
さっき渡されかけたパーカーじゃなくて、自分の服を着直してる。
特に怪我もないし、普通に動けるけど?
「じゃあ、もう少しつき合ってくれ。――三井寺」
「はい」
「例の件、どうなってる」
「万事抜かりなく」
「そうか」
ナニが、「例の件」なの? 「抜かりなく」ってナニ?
ポカンとなったわたしと雄吾。隣に立つ雄吾もわたしと同じで、「ドラマみてえなやりとり」とか思ってるんだろうな。
「武智さん。透子のこと、本当にありがとうございます」
翔平さんが、雄吾に向き直し、深く頭を下げる。
「この礼は改めて」
「ああ。それは構わねえんだけどよ」
軽く息を吐いて、雄吾が真面目な顔になった。
「アンタさ、透子を幸せにするって約束できるか?」
え?
雄吾、何を?
「俺は、美菜を愛してるし、アイツと結婚するつもりだ。だけどな、だからって透子を放っておけねえんだよ」
「雄吾……」
「透子が、こんな無茶なことをしたのは、アンタのためだ。アンタのために、アイツらを捕まえようと頑張った。そんな透子の気持ちに、アンタは応えてやれるのかよ」
真っ直ぐに翔平さんを見る雄吾。
今の雄吾の前では、この場を取り繕うだけ、うわべだけの言葉は通用しない。ウソを語れば、もれなく雄吾に殴り飛ばされる。
「僕は――」
翔平さんがなんと言うのか。
雄吾じゃないけど、固唾をのんで答えを待つ。
「――副社長、車の支度、できました」
「ああ。わかった。――武智さん。今は急ぐ。失礼する」
言うなり、わたしの肩を抱き寄せ、大股で歩き出した彼。
答えは? どこへ行くの? どうしてわたしを連れて行くの?
どれも訊ける雰囲気じゃない。
わたしたちが乗り込むと同時に、三井寺さんが車を発進させる。ゆるゆるとか、安全を確保してとか、そういう発信の仕方じゃない。三井寺さんの、普段の落ち着いた雰囲気とは違う、車の飛ばし方。
翔平さんも、それは同じで。後部座席に並んで乗り込んだものの、窓枠に頬杖をついて、一切、こっちを見ない。ずっと外を見ている。
(もう! どこに連れて行くつもりなのよ!)
訊いても教えてくれないんだろうな。
そんな雰囲気に、一人プウっと頬をふくらませる。
窓から見える景色は、光に金色を混ぜている。時計は見てないけど、おそらく夕方。お店の仕込みの時間。もしくは夕方のお客さんで忙しい時間。
(お父さんと乙丸くんだけで……大丈夫かな)
炊き込みご飯の仕込み、やってないし。今日は、炊き込み欠品かな。
そんなことを考える。
(まあ、わたしだって、こっちのほうが気になるし)
お店のほうは、お父さんたちに頑張ってもらおう。
ってことで、ボスっとシートに背中を預けるように座り直す。こうなったら、どうにでもなれってのよ!
*
(って。ここ、翔平さんの家じゃん……)
車のたどり着いた先。
そこは、見覚えのある、大きな門を構えた和風邸宅。
翔平さんの実家で、今はお義父さんが一人で暮らしていらっしゃる家。庭は、パーティが開けるほど広くて。わたしは、――そこで離婚を切り出された。
「行くぞ」
怖気づいた。
立ち止まるわたしの手を、強引に翔平さんが引っ張る。
(どうしてここに連れてきたの?)
病身のお義父さんがいるところに。――見舞い? 違う。
(離婚のこと、お義父さんに話すの?)
わたしと翔平さんの縁談は、お義父さんが持ち込んだものだから。あんなパーティ会場で宣言するだけじゃなくて、こうしてお義父さんの前で、正式に離婚するの?
こんな女は嫌だって。
こんな女とはやっていけないって。
(イヤッ!)
これまでのことが走馬灯のように、頭のなかを駆け巡る。
最初は、ケンカして不仲から始まった結婚生活だけど。それでも、いっしょにゴハンを食べるようになった。過去を知り、過去を話して、わたしを愛してくれた。赤ちゃんはくれなかったけど、でもわたしを大事にしてくれた。
わたしの過去。わたしが托卵の子であっても関係ないって言ってくれた。
それなのに。
胃の腑がひっくり返ったように気持ち悪い。歩きたくない。その先に行きたくない。
「――父さん。翔平です」
長い廊下を過ぎ、障子越しに彼が、部屋にいるであろう義父に声をかける。
(ああ、終わりだ)
畳敷きの広い落ち着いた和室。障子を開けたことで、それまで暗かった和室の畳の上に、明るい金色の光が降り注ぐ。
そこをまるで処刑場のように感じる。
「あら、翔平さん。それに透子さんも」
布団の上、カーディガンを羽織って座る義父。それと、――叔母さん? 見舞いに来ていたんだろうか。品のいいスーツを着た彼の叔母が、布団の前に座っていた。
「今日はどうしたの? お義兄さんのお見舞い?」
叔母さんがにこやかに声をかけてくる。場違いに感じられるほど、にこやかな声。
「――叔母さん。今日は叔母さんに話があって来ました」
「あら。私に話って。なにかしら」
フフッ。笑った叔母の顔は、どこか翔平さんに似ていた。
「もしかして、おめでたとか? それなら、お義兄さんも安心ね!」
軽くパンっと手を合わせて喜ぶ。
「――違いますよ」
浮かれたような叔母の声に対して、どこまでも硬い彼の声。
「今日は、貴方のしたことについて、お話に参りました」
「私のしたこと?」
「ええ。三井寺咲良さんへの婦女暴行事件。そして、入海透子さんへの誘拐、婦女暴行未遂事件」
え?
「あのチンピラ連中に指示したのは、貴方ですよね。宇野沙也香さん」
硬い。そしてどこまでも淡々と。それでいて怒気を孕んだ声。
「な、何を言い出すの? 翔平さん」
だって、透子さんは、そこにいるじゃない。事件ってなんのこと?
そんな問いを含んだ叔母の視線が、わたしにぶつかる。
「下手な演技はやめていただけますか? 貴方がアイツらに示唆したこと。ちゃんと調べはついてるんです」
翔平さんの言葉に、叔母が笑顔を捨て、グッと唇を一文字にしばった。
「僕が副社長になるのを阻止しようと。スキャンダルを起こして僕を貶めようとして、三井寺咲良さんを暴行し、みだらな写真をばらまいた。けど、彼女が死んだことで僕を貶めるに至らなかった」
淡々と説明しているのに、彼の握りしめられた手は、ブルブルと怒りに震えている。
「そして次は、彼女、入海透子。父が引退を考え始めてると知って、また同じように彼女を暴行しようと画策した。複数の男と関係を持つような女、社長夫人にふさわしくない。そんな女を妻にしている僕も社長に不適格だ。そういったところでしょうか。僕を社長に就任させないために、次も同じように透子を利用しようと考えたんですよね」
「そ、そんなヒドいわ! 翔平さん! 実の叔母をそんなふうに疑うなんて!」
わっと、叔母が声を上げた。
「私、あなたの結婚を、心の底から喜んでるのよ? 前の方とは不幸に終わったけれど、次こそは幸せになれますようって、ずっと祈念していたのに、それをっ!」
さめざめ。
顔を押さえて泣く叔母。
なんか。本当に翔平さんの言うこと、真実なの? って疑いたくなるぐらい。
「お芝居は結構です。ちゃんと調べはついてますから」
翔平さんの一言に、それまで騒がしかった叔母の涙が静まった。
「今日も彼女のおかげで、暴行犯を捕らえられましたが。それ以前に、あの連中と貴方のやり取りは、調べがついてるんですよ。女を攫って暴行しろ。金はやるから証拠の写真を残せ――でしたか。先に捕まえた連中の一人が白状してます。話を持ちかけてきたのは、宇野沙也香だと」
彼が、首謀者を名で呼ぶ。
「僕が社長に就任するのは、なにかと不都合。貴方の行った、競合他社への情報流出という背任。会社の資金の横領。現社長の義妹。その立場を利用した、さまざまなこと。それらすべてが明るみ出るのを阻止したかった。そんなところですか。いっしょに逮捕された貴方の秘書が証言しています」
「沙也香さん……」
ずっと聴いてるだけだった、義父が絶句する。
お義父さんは知らなかったんだろう。義理の妹が、そんな悪事を働いてたなんて。
どういう理由で、義理の妹を社内で働かせてたのかは知らない。でも、こんなふうに見舞いに来てもらうぐらいには、心を許してた。
「――フフッ。甘いわね、翔平」
手で顔をおおったまま。叔母が不敵に笑いだす。
「私はね、あの時、姉さんとあなたがいなくなってくれればいいって思ってたのよ」
姉さんとあなた?
翔平さんと翔平さんのお母様ってこと?
「二十年前の事故――ですか」
「ええ、そうよ。あなた達の車がトラックとぶつかった事故。あそこで姉さんだけじゃなく、あなたも死ねばって。だって、そうしたら智昭さんは、子も妻も亡くしたかわいそうな人。私と再婚するのに、なんの支障もなくなるもの」
ゴクリ。
翔平さん、お義父さん、そしてわたし。
誰もが喉を鳴らし、宇野沙也香の言葉を聴く。
「私ね、姉さんより先に智昭さんを好きになってたの。結婚するならこの人って決めてたのに。それを、後から入ってきた姉さんが横取りしたの。横取りして、結婚して、妻になって、子どもまで産んだわ。許せなかった。だから、死んでくれてうれしかったの」
グルリ。
そんな擬音をつけたくなるような動きで、宇野沙也香が翔平さんを見る。
「あなたもあの時死んでくれればよかったのに。そしたら、私が智昭さんの妻になれたのに。それなのに、あなたはしぶとく生き延びて。智昭さんの息子として跡を継ぐっていうじゃない? 姉さんと同じ顔して、姉さんのように幸せになるって!」
声がドンドン昂ってくる。
まばたきもせず、大きく見開かれたままの血走った目。
「恋人が死んだぁ? それは私の責任じゃないわ。アンタが生きてたから起きた悲劇よ。アンタがあの時姉さんといっしょに死んでいれば、かわいそうに。自殺することもなかったんでしょうに。アンタに殺されたのよ、その娘は!」
フフフ。アハハ。
狂ったように笑う。
なにがおかしいの? なにがそんなに愉快なの?
静かだったはずの部屋に響く、けたたましい笑い声。そこに感じる狂気。
「――沙也香さん」
その笑い声を遮るように、義父が言った。
「たとえ、翔平をあの事故で亡くしていたとしても、私はあなたを選んだりしなかったでしょう」
その言葉に、宇野沙也香が笑うのを止めた。
「私は、この入海智昭が愛しているのはあなたの姉、入海伊知香だけです。他の誰も代わりに愛することはできない」
「――知ってるわよ、そんなこと」
低く沈んだ宇野沙也香の声。
「姉さんは、あなたの心を持ったまま、あの世に逝ってしまったんだもの」
たとえ、翔平さんが亡くなっていたとしても。
きっとお義父さんは、亡き妻を思い慕うことをやめなかっただろう。
そのことは、宇野沙也香自身が一番良く知っていた。
愛する人の心を持ったまま亡くなった翔平さんのお母さん。選ばれなかった憎しみ、愛してもらえない悲しみが、宇野沙也香を狂わせていったんだろう。ぶつけることのできない怒りを、忘れ形見となった翔平さんにぶつけた。
「――宇野沙也香さんですね。お伺いしたいことがありますので、署までご同行願えますか?」
わたしと翔平さんの背後から現れた二人の刑事。
「はい」
その二人に従い、大人しく部屋から出ていく彼の叔母。
廊下を歩いていく、小さな背中。許されることではないけど、その背中はとても憐れで哀しい。
「――奥さま」
刑事がいなくなって。落ち着きを取り戻した部屋に、三井寺さんが入ってきた。
「奥さま、今日はありがとうございました」
「へ?」
「あなたが活躍してくださったおかげで、あの暴行犯たちを捕らえることができました」
恭しく最上級に頭を下げた三井寺さん。
「これで、妹も、咲良も浮かばれるでしょう。重ねてお礼申し上げます」
ふへ?
「い、妹っ!?」
亡くなった咲良さんって、三井寺さんの妹だったの!?
咲良さんが、翔平さんの同期で、根の真面目な、お優しい印象の方とは言ってたけど! でも「咲良さま」って呼んでたし!
普通、妹をそんなふうに言わないでしょうが!
「――説明してなかったのか?」
わたしの態度に、翔平さんが軽く眉をしかめた。
「失念しておりました」
三井寺さんが、しれっと謝罪する。けど。
(きーいーてーなーいー!)
心のなかで叫ぶ。
クズどもが警察に引っ立てられて。
刑事ドラマのラストシーンのような、ちょっと周囲がサイレンでうるさい場面で、翔平さんに訊かれた。
「動ける……けど」
だからナニ?
さっき渡されかけたパーカーじゃなくて、自分の服を着直してる。
特に怪我もないし、普通に動けるけど?
「じゃあ、もう少しつき合ってくれ。――三井寺」
「はい」
「例の件、どうなってる」
「万事抜かりなく」
「そうか」
ナニが、「例の件」なの? 「抜かりなく」ってナニ?
ポカンとなったわたしと雄吾。隣に立つ雄吾もわたしと同じで、「ドラマみてえなやりとり」とか思ってるんだろうな。
「武智さん。透子のこと、本当にありがとうございます」
翔平さんが、雄吾に向き直し、深く頭を下げる。
「この礼は改めて」
「ああ。それは構わねえんだけどよ」
軽く息を吐いて、雄吾が真面目な顔になった。
「アンタさ、透子を幸せにするって約束できるか?」
え?
雄吾、何を?
「俺は、美菜を愛してるし、アイツと結婚するつもりだ。だけどな、だからって透子を放っておけねえんだよ」
「雄吾……」
「透子が、こんな無茶なことをしたのは、アンタのためだ。アンタのために、アイツらを捕まえようと頑張った。そんな透子の気持ちに、アンタは応えてやれるのかよ」
真っ直ぐに翔平さんを見る雄吾。
今の雄吾の前では、この場を取り繕うだけ、うわべだけの言葉は通用しない。ウソを語れば、もれなく雄吾に殴り飛ばされる。
「僕は――」
翔平さんがなんと言うのか。
雄吾じゃないけど、固唾をのんで答えを待つ。
「――副社長、車の支度、できました」
「ああ。わかった。――武智さん。今は急ぐ。失礼する」
言うなり、わたしの肩を抱き寄せ、大股で歩き出した彼。
答えは? どこへ行くの? どうしてわたしを連れて行くの?
どれも訊ける雰囲気じゃない。
わたしたちが乗り込むと同時に、三井寺さんが車を発進させる。ゆるゆるとか、安全を確保してとか、そういう発信の仕方じゃない。三井寺さんの、普段の落ち着いた雰囲気とは違う、車の飛ばし方。
翔平さんも、それは同じで。後部座席に並んで乗り込んだものの、窓枠に頬杖をついて、一切、こっちを見ない。ずっと外を見ている。
(もう! どこに連れて行くつもりなのよ!)
訊いても教えてくれないんだろうな。
そんな雰囲気に、一人プウっと頬をふくらませる。
窓から見える景色は、光に金色を混ぜている。時計は見てないけど、おそらく夕方。お店の仕込みの時間。もしくは夕方のお客さんで忙しい時間。
(お父さんと乙丸くんだけで……大丈夫かな)
炊き込みご飯の仕込み、やってないし。今日は、炊き込み欠品かな。
そんなことを考える。
(まあ、わたしだって、こっちのほうが気になるし)
お店のほうは、お父さんたちに頑張ってもらおう。
ってことで、ボスっとシートに背中を預けるように座り直す。こうなったら、どうにでもなれってのよ!
*
(って。ここ、翔平さんの家じゃん……)
車のたどり着いた先。
そこは、見覚えのある、大きな門を構えた和風邸宅。
翔平さんの実家で、今はお義父さんが一人で暮らしていらっしゃる家。庭は、パーティが開けるほど広くて。わたしは、――そこで離婚を切り出された。
「行くぞ」
怖気づいた。
立ち止まるわたしの手を、強引に翔平さんが引っ張る。
(どうしてここに連れてきたの?)
病身のお義父さんがいるところに。――見舞い? 違う。
(離婚のこと、お義父さんに話すの?)
わたしと翔平さんの縁談は、お義父さんが持ち込んだものだから。あんなパーティ会場で宣言するだけじゃなくて、こうしてお義父さんの前で、正式に離婚するの?
こんな女は嫌だって。
こんな女とはやっていけないって。
(イヤッ!)
これまでのことが走馬灯のように、頭のなかを駆け巡る。
最初は、ケンカして不仲から始まった結婚生活だけど。それでも、いっしょにゴハンを食べるようになった。過去を知り、過去を話して、わたしを愛してくれた。赤ちゃんはくれなかったけど、でもわたしを大事にしてくれた。
わたしの過去。わたしが托卵の子であっても関係ないって言ってくれた。
それなのに。
胃の腑がひっくり返ったように気持ち悪い。歩きたくない。その先に行きたくない。
「――父さん。翔平です」
長い廊下を過ぎ、障子越しに彼が、部屋にいるであろう義父に声をかける。
(ああ、終わりだ)
畳敷きの広い落ち着いた和室。障子を開けたことで、それまで暗かった和室の畳の上に、明るい金色の光が降り注ぐ。
そこをまるで処刑場のように感じる。
「あら、翔平さん。それに透子さんも」
布団の上、カーディガンを羽織って座る義父。それと、――叔母さん? 見舞いに来ていたんだろうか。品のいいスーツを着た彼の叔母が、布団の前に座っていた。
「今日はどうしたの? お義兄さんのお見舞い?」
叔母さんがにこやかに声をかけてくる。場違いに感じられるほど、にこやかな声。
「――叔母さん。今日は叔母さんに話があって来ました」
「あら。私に話って。なにかしら」
フフッ。笑った叔母の顔は、どこか翔平さんに似ていた。
「もしかして、おめでたとか? それなら、お義兄さんも安心ね!」
軽くパンっと手を合わせて喜ぶ。
「――違いますよ」
浮かれたような叔母の声に対して、どこまでも硬い彼の声。
「今日は、貴方のしたことについて、お話に参りました」
「私のしたこと?」
「ええ。三井寺咲良さんへの婦女暴行事件。そして、入海透子さんへの誘拐、婦女暴行未遂事件」
え?
「あのチンピラ連中に指示したのは、貴方ですよね。宇野沙也香さん」
硬い。そしてどこまでも淡々と。それでいて怒気を孕んだ声。
「な、何を言い出すの? 翔平さん」
だって、透子さんは、そこにいるじゃない。事件ってなんのこと?
そんな問いを含んだ叔母の視線が、わたしにぶつかる。
「下手な演技はやめていただけますか? 貴方がアイツらに示唆したこと。ちゃんと調べはついてるんです」
翔平さんの言葉に、叔母が笑顔を捨て、グッと唇を一文字にしばった。
「僕が副社長になるのを阻止しようと。スキャンダルを起こして僕を貶めようとして、三井寺咲良さんを暴行し、みだらな写真をばらまいた。けど、彼女が死んだことで僕を貶めるに至らなかった」
淡々と説明しているのに、彼の握りしめられた手は、ブルブルと怒りに震えている。
「そして次は、彼女、入海透子。父が引退を考え始めてると知って、また同じように彼女を暴行しようと画策した。複数の男と関係を持つような女、社長夫人にふさわしくない。そんな女を妻にしている僕も社長に不適格だ。そういったところでしょうか。僕を社長に就任させないために、次も同じように透子を利用しようと考えたんですよね」
「そ、そんなヒドいわ! 翔平さん! 実の叔母をそんなふうに疑うなんて!」
わっと、叔母が声を上げた。
「私、あなたの結婚を、心の底から喜んでるのよ? 前の方とは不幸に終わったけれど、次こそは幸せになれますようって、ずっと祈念していたのに、それをっ!」
さめざめ。
顔を押さえて泣く叔母。
なんか。本当に翔平さんの言うこと、真実なの? って疑いたくなるぐらい。
「お芝居は結構です。ちゃんと調べはついてますから」
翔平さんの一言に、それまで騒がしかった叔母の涙が静まった。
「今日も彼女のおかげで、暴行犯を捕らえられましたが。それ以前に、あの連中と貴方のやり取りは、調べがついてるんですよ。女を攫って暴行しろ。金はやるから証拠の写真を残せ――でしたか。先に捕まえた連中の一人が白状してます。話を持ちかけてきたのは、宇野沙也香だと」
彼が、首謀者を名で呼ぶ。
「僕が社長に就任するのは、なにかと不都合。貴方の行った、競合他社への情報流出という背任。会社の資金の横領。現社長の義妹。その立場を利用した、さまざまなこと。それらすべてが明るみ出るのを阻止したかった。そんなところですか。いっしょに逮捕された貴方の秘書が証言しています」
「沙也香さん……」
ずっと聴いてるだけだった、義父が絶句する。
お義父さんは知らなかったんだろう。義理の妹が、そんな悪事を働いてたなんて。
どういう理由で、義理の妹を社内で働かせてたのかは知らない。でも、こんなふうに見舞いに来てもらうぐらいには、心を許してた。
「――フフッ。甘いわね、翔平」
手で顔をおおったまま。叔母が不敵に笑いだす。
「私はね、あの時、姉さんとあなたがいなくなってくれればいいって思ってたのよ」
姉さんとあなた?
翔平さんと翔平さんのお母様ってこと?
「二十年前の事故――ですか」
「ええ、そうよ。あなた達の車がトラックとぶつかった事故。あそこで姉さんだけじゃなく、あなたも死ねばって。だって、そうしたら智昭さんは、子も妻も亡くしたかわいそうな人。私と再婚するのに、なんの支障もなくなるもの」
ゴクリ。
翔平さん、お義父さん、そしてわたし。
誰もが喉を鳴らし、宇野沙也香の言葉を聴く。
「私ね、姉さんより先に智昭さんを好きになってたの。結婚するならこの人って決めてたのに。それを、後から入ってきた姉さんが横取りしたの。横取りして、結婚して、妻になって、子どもまで産んだわ。許せなかった。だから、死んでくれてうれしかったの」
グルリ。
そんな擬音をつけたくなるような動きで、宇野沙也香が翔平さんを見る。
「あなたもあの時死んでくれればよかったのに。そしたら、私が智昭さんの妻になれたのに。それなのに、あなたはしぶとく生き延びて。智昭さんの息子として跡を継ぐっていうじゃない? 姉さんと同じ顔して、姉さんのように幸せになるって!」
声がドンドン昂ってくる。
まばたきもせず、大きく見開かれたままの血走った目。
「恋人が死んだぁ? それは私の責任じゃないわ。アンタが生きてたから起きた悲劇よ。アンタがあの時姉さんといっしょに死んでいれば、かわいそうに。自殺することもなかったんでしょうに。アンタに殺されたのよ、その娘は!」
フフフ。アハハ。
狂ったように笑う。
なにがおかしいの? なにがそんなに愉快なの?
静かだったはずの部屋に響く、けたたましい笑い声。そこに感じる狂気。
「――沙也香さん」
その笑い声を遮るように、義父が言った。
「たとえ、翔平をあの事故で亡くしていたとしても、私はあなたを選んだりしなかったでしょう」
その言葉に、宇野沙也香が笑うのを止めた。
「私は、この入海智昭が愛しているのはあなたの姉、入海伊知香だけです。他の誰も代わりに愛することはできない」
「――知ってるわよ、そんなこと」
低く沈んだ宇野沙也香の声。
「姉さんは、あなたの心を持ったまま、あの世に逝ってしまったんだもの」
たとえ、翔平さんが亡くなっていたとしても。
きっとお義父さんは、亡き妻を思い慕うことをやめなかっただろう。
そのことは、宇野沙也香自身が一番良く知っていた。
愛する人の心を持ったまま亡くなった翔平さんのお母さん。選ばれなかった憎しみ、愛してもらえない悲しみが、宇野沙也香を狂わせていったんだろう。ぶつけることのできない怒りを、忘れ形見となった翔平さんにぶつけた。
「――宇野沙也香さんですね。お伺いしたいことがありますので、署までご同行願えますか?」
わたしと翔平さんの背後から現れた二人の刑事。
「はい」
その二人に従い、大人しく部屋から出ていく彼の叔母。
廊下を歩いていく、小さな背中。許されることではないけど、その背中はとても憐れで哀しい。
「――奥さま」
刑事がいなくなって。落ち着きを取り戻した部屋に、三井寺さんが入ってきた。
「奥さま、今日はありがとうございました」
「へ?」
「あなたが活躍してくださったおかげで、あの暴行犯たちを捕らえることができました」
恭しく最上級に頭を下げた三井寺さん。
「これで、妹も、咲良も浮かばれるでしょう。重ねてお礼申し上げます」
ふへ?
「い、妹っ!?」
亡くなった咲良さんって、三井寺さんの妹だったの!?
咲良さんが、翔平さんの同期で、根の真面目な、お優しい印象の方とは言ってたけど! でも「咲良さま」って呼んでたし!
普通、妹をそんなふうに言わないでしょうが!
「――説明してなかったのか?」
わたしの態度に、翔平さんが軽く眉をしかめた。
「失念しておりました」
三井寺さんが、しれっと謝罪する。けど。
(きーいーてーなーいー!)
心のなかで叫ぶ。
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「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……

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