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15.過ぎ去りし時の悔悟

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 ――ちょうど、透子さまと同じぐらいの年頃でしたね。副社長、翔平さまに恋人がいらしたのは。

 誰もいない公園。サヤサヤと葉ずれの音だけがそよぐ公園で、三井寺さんが話始めた。

 「その頃の翔平さまは、まだ一社員として働いておられまして。その時に出会った方が、その恋人なのです。翔平さまのご同期で、根の真面目な、お優しい印象の方でした。この方なら、将来社長の職務を担っていかれる翔平さまを支えてくださるのではないか。そう、私どもも微笑ましく見ておりました」

 遠く、過去を懐かしむような三井寺さんの目。
 おそらくだけど、あの夫とその女性は、周りが祝福したくなるぐらい、ステキな関係を築けていたんだろう。
 なぜか、チクリと胸が痛む。

 「翔平さまとその方は、婚約もなさって、結婚も間近となっておられたのですが」

 一拍、三井寺さんが話を置いた。無造作に膝の上に会った両手が、ギュッと握りしめられる。

 「写真がね、会社中に撒かれたんですよ。その方、咲良さくらさまが、多数の男性と肉体関係を持っているという、スキャンダラスな写真が」

 「え?」

 「会社中のパソコンにメールで送られていたのですが。顔は多少モザイクはかけられていても、一目で咲良さまだとわかる、そういう淫らな写真でした」

 話す三井寺さんの顔が苦しげに歪む。

 「当時は、翔平さまが副社長に就任するかどうかという時期で。そのため、焦った私どもと翔平さまは、その日仕事を休んでいた咲良さまを呼び出しました。この写真はなんだ、どういうことだと問いただすために」

 副社長に就任するデリケートな時期。
 たとえ、社長の息子であっても、婚約者にそんな醜聞があるとなれば、タダでは済まない。問いただすのは当然のことだと思う。

 「大学時代のご友人に誘われて飲みに行って。酔っ払って意識を失ったところ、いつの間にか複数の男性に囲まれて、無理やり襲われたと、咲良さまはご説明なさいました。そして、何度もごめんなさいと謝罪をくり返されました」
 
 それって、集団婦女暴行ってやつ?
 酔わせて意識失くなったところを無理やり襲うっていう。

 「翔平さまは、咲良さまの説明を受け入れました。咲良さまを信じることにしたのです。ですが。――その日、咲良さまは亡くなられたのです。事故で」
 
 「え?」

 声が喉に貼りつく。――亡くなった?

 「対策を練るため、会社に残ることにした翔平さま。とりあえず、咲良さまだけ先に帰らせようとしましたが、見送りにとごいっしょに会社の外に出た時、そのまま咲良さまが赤信号で走り出て……」

 「そんな……」

 「最期のお言葉は、『ごめんなさい』だそうです。翔平さまがおっしゃっておりました」

 それって、暴行されたことを苦にしてってこと? 恋人である入海さんが許しても、死にたくなるぐらい、自分が許せなかったってこと?

 「警察にも被害届を提出しております。ですが、その犯人は現在も捕まっておりません」

 ゴクリ。
 重い唾を飲み下す。

 「翔平さまが独自に調べたところによると、大学のご友人と飲んだところまでは間違いないのですが、その先、別れたあとで咲良さまに何があったのかは不明でした。写真に写っていた男たちも、顔がわかるなど、決め手になる特徴はございませんでしたから」

 婚約するほど大切な人が襲われた。
 それだけでも許せないのに、その証拠のような写真が社内にばら撒かれた。そして、恋人は、目の前で自殺を選んだ。
 
 (そんなの……、そんなのっ!)

 三井寺さんと並んで座るわたしも、同じように拳を握りしめる。
 おそらく。おそらくだけど、それって、入海さんを副社長にしたくない誰かが仕組んだことだ。仕事で入海さんを陥れられないのならってんで、代わりに婚約者の咲良さんをレイプさせて写真をばら撒いた。追い落とすためのスキャンダルを作り上げた。

 (入海さんを陥れるだけなら、DDTだったか、BTBだったか。そういう企業的な行動で、正々堂々敵対すればいいのに!)

 卑怯すぎるやり方。その結果、咲良さんは追い詰められて自殺した。恋人を守ることができなかった入海さんに、大きな傷を遺した。

 (だから……なのか)

 ――結婚している以上、そういった醜聞は避けていただきたいのです。アナタ自身のためにも、スキャンダルは起こさないでください。

 彼の言った意味。
 あれは、自分の地位とか名誉のために、お飾り妻でもスキャンダルを起こすな――じゃなく、わたしの身を守るためにも、スキャンダルを起こすなってことだったんだ。
 わたしと雄吾の関係を、淫らなものと吹聴されたら。またそんな事が起きたら。

 「奥さま?」

 俯いたままのわたしの顔を、三井寺さんが覗き込む。
 歯を食いしばってガマンするけど、どうにもならない涙が、まるふく弁当のエプロンに染みを作っていく。

 「三井寺さん」

 その涙をグイッと乱暴に腕で拭く。

 「入海さん、いえ、夫は今会社におりますか?」
 
 「ええ。午後の業務にあたられてるはずです」

 「じゃあ、わたしをそこに連れて行ってください。キチンと謝りたいんです」

 泣いてるだけじゃダメだ。
 ちゃんと行って謝らなきゃ。そして、「心配してくれてありがとう」って言うんだ。

 「――お優しい方ですね、奥さまは」

 立ち上がった三井寺さんが微笑んだ。

*     *     *     *

 「この間は、ごめんなさい!」

 副社長室という銀色プレートのついた部屋に入るなり、ジャンピング土下座っぽい頭の下げ方をしたわたし。下げた視線の先に、フッカフカの青色絨毯が広がる。

 「――三井寺? これはいったい」

 読みかけの書類を持ったまま、目を丸くした夫。その答えを求めて、わたしの隣に立つ三井寺さんを見る。

 「ご覧のとおりですよ。奥さまが副社長にお会いしたいと申されましたので、こうしてお連れいたしました。ご迷惑でしたか?」

 「いや、そんなことは……」

 「では、私めはこれで。ああ、そうでした。これもお受け取りください」

 副社長机にビニール袋を置いた三井寺さん。

 「これはなんだ?」

 「特製コロッケ弁当です」

 「それはわかるが」

 「お昼も取らずに仕事に打ち込まれていたので。買ってまいりました。副社長の大好物だっと記憶しておりますが?」

 ニコッと笑った三井寺さんと、ングと言葉を詰まらせた夫。

 「では、ごゆっくり」

 なにを「ごゆっくり」なの? 訊く間も与えず、優雅に三井寺さんが部屋から出ていく。

 「ごめんなさい!」

 もう一度深々と頭を下げる。

 「わたし、何にも考えないで、ゆう……武智さんと、幼なじみだからって気安く喋ったりして!」

 いい加減ケジメつけなきゃダメだ。
 雄吾にもそう指摘されたのに。
 結婚したのに、別の異性を下の名前呼びすんな。
 商店街にある弁当屋ぐらいだったら、「まったく、もう!」ですむけど、こんな大会社の副社長夫人となれば、そうはいかない。
 それでなくても、彼は一度スキャンダルで悲しい目に遭ってるってのに。

 「……三井寺から聴いたのか? 昔のことを」

 その言葉に、頭を下げたまま、コクンと頷く。
 聴いた。聴いてしまった。バッチリと聴いてしまった。
 そして、自分がどれだけ浅慮だったか思い知った。

 「顔、上げてくれないか」

 席を立ち上がり、こちらに近づいてきた彼。

 「僕も、申し訳なかった」

 え? は?

 「昔のこともあるが……、その、どうにも苛立ってしまったんだ」

 へ? 苛立つ? なにが? なにに?

 「キミは……、彼のことを名前で呼んでいただろう? 親しげに頭も撫でていた」

 ほへ?
 撫でたし、名前も呼んだけど。どうしてそれが=苛立ちになるわけ?

 「とにかく。謝るべきは僕の方だ。キミを泣かせてしまうまで追い詰めてしまった。本当に申し訳ない」

 「うわっ! ちょちょ、ちょっと!」

 副社長ともあろうものが、そんな簡単に頭下げないでくださいって!
 わたしの謝罪よりもキレイな形の直角謝罪をあわてて止める。

 「そ、そうだ、入海さん! デート! デートしましょう!」

 「デート?」

 「ええ。ゴメンナサイって思ってるのなら、お詫びにデートをしましょう! 夫婦らしく、ラブラブらしく、思いっきりベッタベタなデートをしましょう!」

 顔を上げたものの、ポカンとしたままの彼。

 「わたしのスキャンダルを狙ってるヤツが、『ありゃダメだ。ラブラブすぎる』って諦めるぐらい、スッゴいデートをするんです! アツアツラブラブっぷりを見せつけてやるんです! 名付けて『でらラブラブ、リア充爆散しやがれ溺愛大作戦!』です!」

 「なんで名古屋弁なんだ?」

 「知りません。なんとなく、頭に浮かんだだけです。お気に召さないなら『ごっつ』でも『なまら』でも『ぶち』でもいいですよ?」

 大阪弁に北海道弁に広島弁。

 「ハハハッ……」

 彼が笑い出す。声を上げて、顔を崩して思いっきり。

 (よかった)

 笑ってくれたら、結構けっこう。言ったわたしも気分がいい。
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