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3.タイミングなんて、とっくの昔に逸してる

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 「――で? 俺んとこに来たわけか」

 「そう、よ! 悪いっ!?」

 ボスっ。ガスっ。

 サンドバッグを殴りながら、雄吾ゆうごと話す。

 「イヤ、悪かないけどさ」

 「だったら、思いっきり殴らせてよ!」

 バスン、ガスン。
 
 わたしの力ぐらいじゃ大したことないかもしれないけど、それでもサンドバッグはグラリユラリと左右に揺れる。
 お店で、どうしようもなく腹立つ客が来た時とか、そういう時に殴らせてもらってる、武智ジムのサンドバッグ。雄吾は、そのジムの息子で、わたしの幼なじみ。

 ――店が古い?
 ――メニューが地味?
 ――この味で、こんな値段すんの?

 店の客の文句。
 店が古いのは仕方ないでしょ。お父さんがおじいちゃんたちから引き継いだお店なんだし。
 メニューが地味? インスタ映えしないメニューで悪かったわね。その代わり、栄養バランスは最高なんだから。
 こんな値段で悪うござんしたね。全部手作りなんだから、どうしてもそれだけの値段しちゃうのよ。それでも精一杯抑えて、安く提供させてもらってんだけどっ!?
 そして。

 ――こんな結婚を受け入れるなんて。バカなのか?

 ボガン。

 「おお~、なかなかのパンチじゃねえか。特に最後の」

 パチパチパチパチ。
 雄吾ゆうごが、口笛でも吹きそうな顔で、拍手をする。

 「ま、誰を思ってのパンチかは、知らねえけど」

 「うっさいわね」

 旦那を殴るわけにはいかないから、仕方ないじゃない。
 あの一回。初めて会った時のあの一回は、まあ……、少しは悪いなって思ってるわよ。言葉より先に手を出しちゃったわけだし。ケンカでもなんでも、手を出したら負け、出したほうが悪いってのは理解してる。
 でも、わたしが手を出したくなるぐらい、殴ってしまうぐらい、最低なことを言ったのはあっちだし? 殴られて当然とは言わないけど、殴られるだけのことを言ったのは本当だし。
 今のところ、こっちから謝る気はない。

 「ってかさあ。お前も、もう少し丸くなれよなぁ」

 「――は?」

 「その、最初のさあ、入海いりうみさんだっけ? 旦那のセリフが許せねえってのはわかるけどさ。もう少し落とし所を見つけろよ。サンドバック殴るんじゃなくてさ」

 「ナニソレ」

 「だからあ。男なんてもんは、ちょぉっとかわいく謝って、うまぁくおだてておけば、うまくいくんだよ。『あの時はゴメンね? あたし、ちょっとムキになっちゃって。痛かったよね』みたいなさ」

 「キモ」

 気持ち悪い、雄吾のクネクネ、ぶりっ子声。

 「うっさいな。とにかく、結婚した以上は、どこかで落とし所を見つけろよ。男なんて、手玉に取って、いいように転がしとけばいいんだからさ」

 「アンタ、美菜さんに、転がされたいの?」

 雄吾の婚約者、美菜さん。
 雄吾は、再来月に結婚する。コイツが大学の頃からアタックして、恋人になったのが二年前で、今年ようやくゴールインする。

 「美菜になら、なにをされても許すね。殴られるのだって、それだけのことを俺がしちまったってことだし。それだけ美菜が怒るようなことをしたってのなら、黙って何発でも殴られるつもり。転がそうが殴ろうが、美菜なら許す」

 ニッコニコの雄吾。
 「コイツMか?」ってぐらい幸せオーラダダモレ。

 「それは、幸せな、こと、でっ!」

 ボスボス、バスバス。
 もう一度サンドバックに向き直って、パンチパンチ。
 いろんなモヤモヤを、サンドバックにぶつける。

 「お前もさ、俺んとこにおにぎり持ってきてねえで、旦那さんに飯、作ってやれよ。男を掴むにはまず胃袋から。いい加減、仲直りしてやれ」

 ボスッ!

 思いっきりサンドバッグを殴る。
 「仲直り」ってのは、直すべき「仲」があるから成立する行為でしょ。最初っから「仲」がなければ、直すことなんてできないのよ。
 幼なじみの、なんにも考えてないような解決策に、思わず蹴りをくり出したくなった。

          *

 だって――ねえ。
 夜遅く、マンションに帰る。
 夕方まで店を手伝って、その後雄吾のとこに寄ってサンドバック殴り倒してきたってのに。

 (まだ、帰ってきてないんだもんねえ)

 時計の針は、すでに10時を回っている。
 普通、普通ならさ、どれだけ残業してたとしても、いい加減帰ってくるってもんじゃない?
 今日の夕飯。
 お店で残った唐揚げを、玉ねぎといっしょにとじた、唐揚げ丼。じっくり煮込んだ味染み玉ねぎとふんわり卵、サクッとした衣の唐揚げが美味しかった。それと作り置きの惣菜をいくつか。
 吸い物は、朝と味変したくて、豆腐とわかめのお吸い物。
 かなりの時短料理、サッとできる夕飯だったけど、それを食べて、片付け終えても、あの旦那は帰ってこなかった。

 ――これ、旦那に食べさせてやれよ。

 そう言って、雄吾から突っ返された炊き込みご飯のおにぎり二つ。それだけが、目の前のテーブルの上、ラップをかけられ鎮座している。

 帰ってきたら。
 今日こそ、帰ってきたら、殴っちゃったこと謝ろうと思ってたのに。

 いくらなんでも、メガネが吹き飛ぶようなグーパンは悪かった。次からは、バチーンと張り手にさせていただきます。どすこい。――じゃなくて。
 ゴメンナサイ。イタカッタヨネ。
 雄吾に言われた通り、しおらしく謝るつもりだったのに。

 なんかバカバカしい。
 どうしてわたしが謝らなくちゃいけないわけ? 先にヒドいこと言ったのはあっちじゃん?
 
 ってことで、見切りをつけて立ち上がる。
 待ってたって、どうせ帰ってこない。帰ってくるのは、おそらく午前様。それなら、サッサとお風呂に入って、寝てしまおう。
 このおにぎり、どうしてやろうか。
 このまま置いといたって、アイツは食べない。それどころか、ここに食物があることにすら気づかないだろう。気づいたとしても、どうして置いてあるのか、その理由にまでは気づくまい。

 (明日、食べよ)

 明日の朝ご飯は、この炊き込みご飯のおにぎり。それでいい。一瞬、捨ててやろうかって思ったけど、食べ物に罪はない。もったいないオバケが出る。
 雄吾は、謝ったらと言ってたけど、わたしたちの仲は、もう謝って終れる時期を過ぎている。解決の糸口も、その糸すら見つからない状態。

 (この先も、ずっとこのままなのかな)

 ずっと。結婚した以上、一生。
 幼なじみの雄吾が、あんなにデレデレメロメロな恋愛してるのに、わたしは……。

 (ダメだ、ダメダメ! そういうことは考えない!)

 でないと、シャワーでも押し流せないほどの、ズーンと重いなにかが、肩にズズンとのしかかってくる。
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