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巻の二十三、寝返ったら溺愛って、マジですか?
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――え? ちょっと待って。皇帝陛下って死んだんじゃなかったのかっ!?
――生きてる! 生きてるってばよ!
――いやそれよりも。菫青妃って、御子を孕んでたんじゃねえのか?
――お腹、ペッタンコだぞ!
――っつーか、敵は、皎錦国はどうなったんだよ! は!? 戦にもならず、撤退したぁ!?
〝なにが、いったい、どうなってんだあぁぁぁぁっ!〟
うがあっ!
宮城に入場してきたわたしたちを見て、都の民が頭を抱える。
(まあ、そうなる、そうなるよね)
速攻で「ただいまぁ」と、都に戻ってきた皇帝陛下。いっしょに乗り合わせた軒車のなか、これでもかと、民衆に向かって手を振る皇帝と違って、わたしは腕を組み、ウンウンと頷く。
――菫青妃。余の子を孕め。
あの一言から始まった、一連の出来事。
わたしを溺愛するフリをして、油断させてたのは、慈恩だけじゃなかった。アイツへの内通者。それもまた、「皇帝が女に溺れている」と思い込んだ。だって、ご寵姫は懐妊したし? メッロメロじゃん、あの皇帝。
そこに追撃するように報じられた、「皇帝崩御」。
反乱軍に負け、皇帝が死んだ。まだ十五歳の少年皇帝に跡継ぎはいない。いや、いてもまだ生まれていない腹の中。
だったら、ちょっと皎錦からちょっとつついて、女を殺してもらおう。「皇帝弑逆」の罪を被せてもいい。なんなら、「腹の子は別の男との間の子、不義の子だ」でもいい。
慈恩に朱煌国を乗っ取らせる気があったのがどうか。そこは知らないけど、わたしが戦に出ることを「しめしめ、ウヒヒ」と思ったのは間違いない。
だけどね。
(それが大ゴサーンなんだな)
まず一つ。
皇帝は亡くなっていない。
洸州の反乱。
確かに反乱ではあったけど、皇帝が軍を率いていかなくちゃいけないほど、長期戦になるほどの、手強い反乱じゃなかった。
――アッサリ制圧したのではつまらんな。
なんていう「ナニイッテンだ、テメエ」な考えで、長期戦のフリして、自分が死んだことにした皇帝。
近侍の伍明順に後のことを頼むと、自分は一人、先に都に帰ってきていた。
御子を孕んだ菫青妃に仕える女官のフリをして。
そして二つ目。
帰ってきたウルトラマ……もとい、皇帝は、皎錦国とも連絡を取った。というか、皎錦国にとある噂を流した。
――宰相、張慈恩が、朱煌国を己の手中に収めようとしている。
もし、私欲のため張慈恩が、朱煌国を攻めようとしているのだとしたら?
朱煌国を手に入れたら、次に獲物とするのはどこだ?
そもそも、ハニトラを言い出したのは張慈恩だ。ヤツは最初からそれを目的に、動いていたのではないか?
猜疑心はあっという間にムクムク膨れ上がる。
最後の三つ目。
皇帝は自分が死んだという報に、誰がどう動くか、ずっと観察していた。
厳将軍のように、わたしを怪しみながらも忠義を尽くす者。
国の未来を憂う者。様子見、日和見する者。
今がチャンスだ、裏切ってしまえってヤツ。
見てただけじゃない。
この少年皇帝は、自分が留守の間に、これまた近侍に兵を任せ、皎錦国に通じてた者、――自身の宰相を捕らえさせた。
今、こうして宮城にノホホンと入れるのは、近侍が宰相を捕まえるという、頑張りがあったおかげなんだけど。
張慈恩の失墜。
内通者、姜宰相の逮捕。
敵国皎錦国との和平。戦を未然に防いだ。
そして。
そして。
〝ご寵姫懐妊は、嘘だったのかあっっ!〟
電光石火。疾風迅雷。空前絶後。奇想天外。奇策妙計。石破天驚。
形容する四字熟語に困るほど、とんでもなく、とんでもない出来事。
都のネズミは、何をどこからチューチュー噂したらいいのか、わかんないぐらいの大混乱に陥った。
* * * *
「――入るぞ」
夜。室の主の了承もなく勝手に入ってきた人物。皇帝。
いつものような、金糸で龍が刺繍された紅色の袞衣とか冕冠を被ってない、年相応の少年の装いをしてる。とってもラフ。
おそらくだけど、都に戻るなりすべての事件の後始末に忙しくて、皇帝っぽい服に着替える余裕がなかったんだろう。
表情も、いつものような生意気な雰囲気より、「疲れた~」って感じが滲み出てる。
室に来た時間も、普段よりずっと遅い。
待ってたわけじゃないけど、窓の外、まあるい月が中天を外れかけ、日付も変わった時刻であると告げている。
「里珠、具合はどうだ?」
「まあ、なんとか。大丈夫ですわ」
わたしは。
皎錦国との和平を結び、都にとって返した朱煌軍。
疾きこと風のごとく?
スピード超過で捕まるんじゃないってぐらいの勢いで帰ってきたから、その……ねえ。
皇帝といっしょに乗った軒車。
スプリングもなければ、タイヤもない。道だってアスファルトで舗装されてない。そんな乗り物で、都まで高速で帰ってきたら……。
(誰でも車酔いするに決まってるじゃん!)
軒車に乗り慣れてるってわけでもないし。
おかげで、わたしもだけど、特に尚佳の疲弊が激しかった。途中から、少し遅れてもいいから、馬に乗り換える? って提案したんだけど。真っ青な、今にも吐きそうな顔しながら「嫌です」って断られちゃって。その結果、彼女はこんな時間になっても回復できてない。あの子の部屋でぶっ倒れてる。
尚佳と違って、わたしがこうして座ってられるのは、前世の「遊園地乗り物耐性」があるからだと思う。絶叫系とか、結構好きだったし。
「すまんな。急いで帰る必要があったから、無理をさせてしまった」
話しながら、皇帝がわたしの隣、牀の空いていた部分に並んで腰掛ける。
「いえ。構いませんが……」
っつーか。なんでこんな距離ナシで座ってくんの? いつもなら、もう少し離れたところに座るじゃん。
「里珠」
いや、だから、なんで名前呼び?
「その……、なにか欲しいものなど、ないか?」
ふへ?
なにその質問。
ってか、なんで顔を逸らす?
「欲しいものですか。そうですね。できれば、朱煌国の戸籍をいただきとうございます」
「戸籍?」
「ええ。戸籍ですわ」
これは、ずっと前から考えてたこと。
「皎錦国の企みも潰えたことですし。わたくし、女儒とともにここを辞したいと思っておりますの。そしてできれば、この国の片隅で暮らさせていただきとう存じます」
尚佳と二人で。
幼い頃から桃園で、寵姫となるための教育しか受けてこなかったけど。しっかり者の尚佳と二人でなら、なんとか生きてけるでしょ。なんたって、このわたしには、鳥をも歌うのをはばかるような声と、前世の(あんまり役にたたないかもしれない)知識もあるわけだし。二人分の生活費ぐらい、なんとかなるっしょ。
「――戸籍は授けよう。だが……」
だが?
「ここを去ることだけは許さん」
「――は? なんで? って、ちょっ!」
「俺は、まだちゃんとお前の歌を聴いてない」
「はあぁあっ!?」
なにその理由。
「悲しみには優しい調べを~ぉ♪ 企む悪には怒りの調べを~ぉ♪ 奏でる調べで世界を守る~ぅ♪ クインテット! こうきょ~ぉせんたぁい ムジークファイブ♪ だったか。ふむ。久しぶりに歌ってみたが、意外に覚えてるものだな」
へ? は?
「へ、陛下?」
なんでその曲を知ってるの?
前世で覚えてた曲。『交響戦隊ムジークファイブ』のオープニング。
それを知ってるってことは、その、えっと、ええっ!?
「お前も歌え。クインテット! の部分は頼んだぞ」
「いや、クインテット! じゃないですよ。アンタ、もしかして、もしかして……」
ワナワナと震える指でさす。
すると、指の先の顔が、クッソ生意気な笑顔になった。
「ようやく気づいたか」
「気づいたか――じゃないでしょっ! アンタも転生者だったのっ!? ようやくもなにも、そんなそぶり一切見せなかったじゃん!」
「西施、妲己、褒姒、貂蝉」
「は?」
興奮したわたしに、冷静に陛下が話す。
「古代中国の傾国の美女の名だ。ああ。この話をしたとき、お前、全くわかってないって顔してたな」
えっと。そうだっけ?
って。
「あーっ! 思い出した! チョーセンって、『三国志』に出てくる人だ!」
たしか、呂布とトーなんとかってオッサンの仲を悪くさせたハニトラの人! お兄ちゃんのやってたゲームに出てた、メッチャ美人!
「貂蝉は知っていたのか」
「はい」
今の今まで忘れてたけど。
「お前が皎錦国から贈られてきたとき、西施と同じだと直感した。敵国に贈られた美女に、王が酔いしれ、国が乱れる」
えっと。
その通りです。
わたしの命じられた作戦は、まさしくその通り。
「衣装や宝石だったか。そこから豪華な料理。贅を尽くした料理をとるのにふさわしい宮殿を建てろ、宮殿に似合う庭園を作れ。そうして呉の国を疲弊させたところで、トドメに忠臣伍子胥が怖い。そのせいで伍子胥が死に、呉の国も滅びる」
うわあ。なにやっちゃってるの、西施さん!
「敵国越の范蠡が見出した美女で、范蠡の恋人だったという説もあるな。呉を滅ぼしてから、二人で逃げていっしょになったとか」
「そ、それって……」
「似てるな。お前と慈恩の関係に」
いや、似てるなんてどころじゃないでしょ!
「だが西施は、呉が滅ぼされたとき、その美貌を恐れた者によって、革袋に詰められ、長江に沈められたとも――おい。大丈夫か?」
「ぜんっぜん大丈夫じゃないです!」
わたし、革袋でブクブクされたくないです!
でも、もしわたしがあのまま慈恩の計画を遂行してたら、そういう未来の可能性だってあったはず。
だって、会見のとき、慈恩、言ってたじゃん。
「朱煌国皇帝弑逆の罪で捕らえる」って。
あれは、用済みになったわたしを殺すってことだよね? そのためのイチャモンだよね?
結果は、アイツの破滅だったけど、万が一作戦を成功させてたら……。
「大丈夫だ、里珠。お前は死なない。死なせない」
カタカタと震え始めたわたしの肩を、皇帝が抱き寄せる。
「お前は西施とは違う。お前は、贅沢な飯だとか宮殿は求めなかったからな」
抱き寄せられた肩。そこにある手の温もりが心地良い。
「それにしても、いつも思うのだが。贅沢な飯や宮殿ぐらいで、そう簡単に国庫は傾くものか?」
「――――は?」
作った声じゃなく、本音の地声が出た。
「フランスのマリー・アントワネットもそうだが。女性がちょっと贅沢したぐらいで、傾くような国庫であれば、それはもとから脆弱な、破綻した国家財政だ。その女性のせいではない」
まあ、それは。
たしか、〝赤字王妃〟なんて不名誉な二つ名つきのマリー・アントワネット。メッチャ高価な首飾りとかなんだとか。でも、そんなもんで傾く国家財政って。前世でわたしが、同じ首飾りを買ってきちゃったー、テヘ♡なら、お家の財政破綻は間違いなしだけど。
そもそも王妃とかご寵姫なんてもんは、着飾ってなんぼのものじゃん。それを支えきれないんだから、ヴェルサイユなんてたいしたことございませんわ。貧乏ですのね。
「まあ、とにかく。とにかくだ。お前は西施とは違う。お前はここで暮らせ。いいな」
なにが「とにかく」なのかわかんないけど、パッと手を離された肩が寂しい。肩がとってもスカスカする。
「あの……。ここで暮らして、本当によろしいのですか?」
「いいに決まってる」
「この菫青宮で?」
「菫青宮で」
「でも、それですと、他のご寵姫を配することができませんわよ?」
後宮の入り口である菫青宮からわたしを動かさないと。今までの寵愛は、慈恩たち一派を騙すためのものでしょ? そして、わたしをそばに置くのは、何かあった時にわたしを使うためと秘密漏洩防止のため。だとしたら、先々のことを考えて、わたしを引っ越しさせたほうがいいんじゃない?
「ふむ。それもそうだな……」
わたしの言葉に、真剣そうに顎に手を当て思案を始めた皇帝。
「ならば、里珠。ソナタに菫青宮よりの退去を命じる」
ほらね。
よぉく考えたら、わたしをこのままってのはおかしいのよ。
「明日より先、思清宮の隣、天藍宮へ居を移せ」
「て、天藍宮ぅぅっ!? そそ、それって……!」
「皇后の暮らす宮――だな」
ニッコリ。
「天藍宮なら、余の思清宮から近い。後宮に足を運ぶより楽だ」
「楽だ――じゃないぃぃぃっ!」
ナニ言っちゃってんの、この皇帝!
わっ、わたしを天藍宮って! 後宮の入口、菫青宮をフン詰まらせるよりタチ悪い! 菫青宮の主は寵姫の一人だけど、天藍宮の主ってなったら、それって、ここっ、皇后ってことでしょっ!? 皇后っていったら、寵姫みたいに、簡単に首をすげ替えたりできないのよっ!?
「アンタ、本気で言ってるの?」
「本気だぞ。余は、とても情に厚い性格でな。一度寵愛した女子を棄てることはできぬのだ」
言って、サラッとまたわたしの髪をすくった皇帝。
「御子が流れたからとて、問題ない。案ずるな。また宿せばよいのだ。寵愛は変わらぬぞ?」
「いや、変わらないもなにも、わたしのお腹はまっさらサラサラですけどっ!?」
「そうか。惜しいな」
惜しいな、じゃねええええっ!
「ソナタが孕まねば、この国に世継ぎは生まれぬ。この国は滅びるであろうな」
いやいや。別のところでポコっと産ませてきてくださいよ。
「噤鳥美人の名に恥じぬ傾国っぷりだな、里珠」
チュッと髪に落とされたキス。
「まずは、余の名を呼べ。紅志英。ソナタの夫となる男の名だ」
驚くわたしを見つめる黒い瞳。
そのいたずらっぽい瞳と、髪から伝わった熱に、ビクッと体が震えちゃったこと。戸惑い、驚きながらも「悪くない」って思っちゃったこと。
(絶対バレてるな)
年下少年皇帝。
そのずるいほどの甘い魅力に、籠絡され、溺れちゃうのはわたしのほうだと、強く痛感した。
――生きてる! 生きてるってばよ!
――いやそれよりも。菫青妃って、御子を孕んでたんじゃねえのか?
――お腹、ペッタンコだぞ!
――っつーか、敵は、皎錦国はどうなったんだよ! は!? 戦にもならず、撤退したぁ!?
〝なにが、いったい、どうなってんだあぁぁぁぁっ!〟
うがあっ!
宮城に入場してきたわたしたちを見て、都の民が頭を抱える。
(まあ、そうなる、そうなるよね)
速攻で「ただいまぁ」と、都に戻ってきた皇帝陛下。いっしょに乗り合わせた軒車のなか、これでもかと、民衆に向かって手を振る皇帝と違って、わたしは腕を組み、ウンウンと頷く。
――菫青妃。余の子を孕め。
あの一言から始まった、一連の出来事。
わたしを溺愛するフリをして、油断させてたのは、慈恩だけじゃなかった。アイツへの内通者。それもまた、「皇帝が女に溺れている」と思い込んだ。だって、ご寵姫は懐妊したし? メッロメロじゃん、あの皇帝。
そこに追撃するように報じられた、「皇帝崩御」。
反乱軍に負け、皇帝が死んだ。まだ十五歳の少年皇帝に跡継ぎはいない。いや、いてもまだ生まれていない腹の中。
だったら、ちょっと皎錦からちょっとつついて、女を殺してもらおう。「皇帝弑逆」の罪を被せてもいい。なんなら、「腹の子は別の男との間の子、不義の子だ」でもいい。
慈恩に朱煌国を乗っ取らせる気があったのがどうか。そこは知らないけど、わたしが戦に出ることを「しめしめ、ウヒヒ」と思ったのは間違いない。
だけどね。
(それが大ゴサーンなんだな)
まず一つ。
皇帝は亡くなっていない。
洸州の反乱。
確かに反乱ではあったけど、皇帝が軍を率いていかなくちゃいけないほど、長期戦になるほどの、手強い反乱じゃなかった。
――アッサリ制圧したのではつまらんな。
なんていう「ナニイッテンだ、テメエ」な考えで、長期戦のフリして、自分が死んだことにした皇帝。
近侍の伍明順に後のことを頼むと、自分は一人、先に都に帰ってきていた。
御子を孕んだ菫青妃に仕える女官のフリをして。
そして二つ目。
帰ってきたウルトラマ……もとい、皇帝は、皎錦国とも連絡を取った。というか、皎錦国にとある噂を流した。
――宰相、張慈恩が、朱煌国を己の手中に収めようとしている。
もし、私欲のため張慈恩が、朱煌国を攻めようとしているのだとしたら?
朱煌国を手に入れたら、次に獲物とするのはどこだ?
そもそも、ハニトラを言い出したのは張慈恩だ。ヤツは最初からそれを目的に、動いていたのではないか?
猜疑心はあっという間にムクムク膨れ上がる。
最後の三つ目。
皇帝は自分が死んだという報に、誰がどう動くか、ずっと観察していた。
厳将軍のように、わたしを怪しみながらも忠義を尽くす者。
国の未来を憂う者。様子見、日和見する者。
今がチャンスだ、裏切ってしまえってヤツ。
見てただけじゃない。
この少年皇帝は、自分が留守の間に、これまた近侍に兵を任せ、皎錦国に通じてた者、――自身の宰相を捕らえさせた。
今、こうして宮城にノホホンと入れるのは、近侍が宰相を捕まえるという、頑張りがあったおかげなんだけど。
張慈恩の失墜。
内通者、姜宰相の逮捕。
敵国皎錦国との和平。戦を未然に防いだ。
そして。
そして。
〝ご寵姫懐妊は、嘘だったのかあっっ!〟
電光石火。疾風迅雷。空前絶後。奇想天外。奇策妙計。石破天驚。
形容する四字熟語に困るほど、とんでもなく、とんでもない出来事。
都のネズミは、何をどこからチューチュー噂したらいいのか、わかんないぐらいの大混乱に陥った。
* * * *
「――入るぞ」
夜。室の主の了承もなく勝手に入ってきた人物。皇帝。
いつものような、金糸で龍が刺繍された紅色の袞衣とか冕冠を被ってない、年相応の少年の装いをしてる。とってもラフ。
おそらくだけど、都に戻るなりすべての事件の後始末に忙しくて、皇帝っぽい服に着替える余裕がなかったんだろう。
表情も、いつものような生意気な雰囲気より、「疲れた~」って感じが滲み出てる。
室に来た時間も、普段よりずっと遅い。
待ってたわけじゃないけど、窓の外、まあるい月が中天を外れかけ、日付も変わった時刻であると告げている。
「里珠、具合はどうだ?」
「まあ、なんとか。大丈夫ですわ」
わたしは。
皎錦国との和平を結び、都にとって返した朱煌軍。
疾きこと風のごとく?
スピード超過で捕まるんじゃないってぐらいの勢いで帰ってきたから、その……ねえ。
皇帝といっしょに乗った軒車。
スプリングもなければ、タイヤもない。道だってアスファルトで舗装されてない。そんな乗り物で、都まで高速で帰ってきたら……。
(誰でも車酔いするに決まってるじゃん!)
軒車に乗り慣れてるってわけでもないし。
おかげで、わたしもだけど、特に尚佳の疲弊が激しかった。途中から、少し遅れてもいいから、馬に乗り換える? って提案したんだけど。真っ青な、今にも吐きそうな顔しながら「嫌です」って断られちゃって。その結果、彼女はこんな時間になっても回復できてない。あの子の部屋でぶっ倒れてる。
尚佳と違って、わたしがこうして座ってられるのは、前世の「遊園地乗り物耐性」があるからだと思う。絶叫系とか、結構好きだったし。
「すまんな。急いで帰る必要があったから、無理をさせてしまった」
話しながら、皇帝がわたしの隣、牀の空いていた部分に並んで腰掛ける。
「いえ。構いませんが……」
っつーか。なんでこんな距離ナシで座ってくんの? いつもなら、もう少し離れたところに座るじゃん。
「里珠」
いや、だから、なんで名前呼び?
「その……、なにか欲しいものなど、ないか?」
ふへ?
なにその質問。
ってか、なんで顔を逸らす?
「欲しいものですか。そうですね。できれば、朱煌国の戸籍をいただきとうございます」
「戸籍?」
「ええ。戸籍ですわ」
これは、ずっと前から考えてたこと。
「皎錦国の企みも潰えたことですし。わたくし、女儒とともにここを辞したいと思っておりますの。そしてできれば、この国の片隅で暮らさせていただきとう存じます」
尚佳と二人で。
幼い頃から桃園で、寵姫となるための教育しか受けてこなかったけど。しっかり者の尚佳と二人でなら、なんとか生きてけるでしょ。なんたって、このわたしには、鳥をも歌うのをはばかるような声と、前世の(あんまり役にたたないかもしれない)知識もあるわけだし。二人分の生活費ぐらい、なんとかなるっしょ。
「――戸籍は授けよう。だが……」
だが?
「ここを去ることだけは許さん」
「――は? なんで? って、ちょっ!」
「俺は、まだちゃんとお前の歌を聴いてない」
「はあぁあっ!?」
なにその理由。
「悲しみには優しい調べを~ぉ♪ 企む悪には怒りの調べを~ぉ♪ 奏でる調べで世界を守る~ぅ♪ クインテット! こうきょ~ぉせんたぁい ムジークファイブ♪ だったか。ふむ。久しぶりに歌ってみたが、意外に覚えてるものだな」
へ? は?
「へ、陛下?」
なんでその曲を知ってるの?
前世で覚えてた曲。『交響戦隊ムジークファイブ』のオープニング。
それを知ってるってことは、その、えっと、ええっ!?
「お前も歌え。クインテット! の部分は頼んだぞ」
「いや、クインテット! じゃないですよ。アンタ、もしかして、もしかして……」
ワナワナと震える指でさす。
すると、指の先の顔が、クッソ生意気な笑顔になった。
「ようやく気づいたか」
「気づいたか――じゃないでしょっ! アンタも転生者だったのっ!? ようやくもなにも、そんなそぶり一切見せなかったじゃん!」
「西施、妲己、褒姒、貂蝉」
「は?」
興奮したわたしに、冷静に陛下が話す。
「古代中国の傾国の美女の名だ。ああ。この話をしたとき、お前、全くわかってないって顔してたな」
えっと。そうだっけ?
って。
「あーっ! 思い出した! チョーセンって、『三国志』に出てくる人だ!」
たしか、呂布とトーなんとかってオッサンの仲を悪くさせたハニトラの人! お兄ちゃんのやってたゲームに出てた、メッチャ美人!
「貂蝉は知っていたのか」
「はい」
今の今まで忘れてたけど。
「お前が皎錦国から贈られてきたとき、西施と同じだと直感した。敵国に贈られた美女に、王が酔いしれ、国が乱れる」
えっと。
その通りです。
わたしの命じられた作戦は、まさしくその通り。
「衣装や宝石だったか。そこから豪華な料理。贅を尽くした料理をとるのにふさわしい宮殿を建てろ、宮殿に似合う庭園を作れ。そうして呉の国を疲弊させたところで、トドメに忠臣伍子胥が怖い。そのせいで伍子胥が死に、呉の国も滅びる」
うわあ。なにやっちゃってるの、西施さん!
「敵国越の范蠡が見出した美女で、范蠡の恋人だったという説もあるな。呉を滅ぼしてから、二人で逃げていっしょになったとか」
「そ、それって……」
「似てるな。お前と慈恩の関係に」
いや、似てるなんてどころじゃないでしょ!
「だが西施は、呉が滅ぼされたとき、その美貌を恐れた者によって、革袋に詰められ、長江に沈められたとも――おい。大丈夫か?」
「ぜんっぜん大丈夫じゃないです!」
わたし、革袋でブクブクされたくないです!
でも、もしわたしがあのまま慈恩の計画を遂行してたら、そういう未来の可能性だってあったはず。
だって、会見のとき、慈恩、言ってたじゃん。
「朱煌国皇帝弑逆の罪で捕らえる」って。
あれは、用済みになったわたしを殺すってことだよね? そのためのイチャモンだよね?
結果は、アイツの破滅だったけど、万が一作戦を成功させてたら……。
「大丈夫だ、里珠。お前は死なない。死なせない」
カタカタと震え始めたわたしの肩を、皇帝が抱き寄せる。
「お前は西施とは違う。お前は、贅沢な飯だとか宮殿は求めなかったからな」
抱き寄せられた肩。そこにある手の温もりが心地良い。
「それにしても、いつも思うのだが。贅沢な飯や宮殿ぐらいで、そう簡単に国庫は傾くものか?」
「――――は?」
作った声じゃなく、本音の地声が出た。
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まあ、それは。
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そもそも王妃とかご寵姫なんてもんは、着飾ってなんぼのものじゃん。それを支えきれないんだから、ヴェルサイユなんてたいしたことございませんわ。貧乏ですのね。
「まあ、とにかく。とにかくだ。お前は西施とは違う。お前はここで暮らせ。いいな」
なにが「とにかく」なのかわかんないけど、パッと手を離された肩が寂しい。肩がとってもスカスカする。
「あの……。ここで暮らして、本当によろしいのですか?」
「いいに決まってる」
「この菫青宮で?」
「菫青宮で」
「でも、それですと、他のご寵姫を配することができませんわよ?」
後宮の入り口である菫青宮からわたしを動かさないと。今までの寵愛は、慈恩たち一派を騙すためのものでしょ? そして、わたしをそばに置くのは、何かあった時にわたしを使うためと秘密漏洩防止のため。だとしたら、先々のことを考えて、わたしを引っ越しさせたほうがいいんじゃない?
「ふむ。それもそうだな……」
わたしの言葉に、真剣そうに顎に手を当て思案を始めた皇帝。
「ならば、里珠。ソナタに菫青宮よりの退去を命じる」
ほらね。
よぉく考えたら、わたしをこのままってのはおかしいのよ。
「明日より先、思清宮の隣、天藍宮へ居を移せ」
「て、天藍宮ぅぅっ!? そそ、それって……!」
「皇后の暮らす宮――だな」
ニッコリ。
「天藍宮なら、余の思清宮から近い。後宮に足を運ぶより楽だ」
「楽だ――じゃないぃぃぃっ!」
ナニ言っちゃってんの、この皇帝!
わっ、わたしを天藍宮って! 後宮の入口、菫青宮をフン詰まらせるよりタチ悪い! 菫青宮の主は寵姫の一人だけど、天藍宮の主ってなったら、それって、ここっ、皇后ってことでしょっ!? 皇后っていったら、寵姫みたいに、簡単に首をすげ替えたりできないのよっ!?
「アンタ、本気で言ってるの?」
「本気だぞ。余は、とても情に厚い性格でな。一度寵愛した女子を棄てることはできぬのだ」
言って、サラッとまたわたしの髪をすくった皇帝。
「御子が流れたからとて、問題ない。案ずるな。また宿せばよいのだ。寵愛は変わらぬぞ?」
「いや、変わらないもなにも、わたしのお腹はまっさらサラサラですけどっ!?」
「そうか。惜しいな」
惜しいな、じゃねええええっ!
「ソナタが孕まねば、この国に世継ぎは生まれぬ。この国は滅びるであろうな」
いやいや。別のところでポコっと産ませてきてくださいよ。
「噤鳥美人の名に恥じぬ傾国っぷりだな、里珠」
チュッと髪に落とされたキス。
「まずは、余の名を呼べ。紅志英。ソナタの夫となる男の名だ」
驚くわたしを見つめる黒い瞳。
そのいたずらっぽい瞳と、髪から伝わった熱に、ビクッと体が震えちゃったこと。戸惑い、驚きながらも「悪くない」って思っちゃったこと。
(絶対バレてるな)
年下少年皇帝。
そのずるいほどの甘い魅力に、籠絡され、溺れちゃうのはわたしのほうだと、強く痛感した。
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