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巻の十八、都のネズミは忙しい

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 都のネズミは忙しい。

 春に発覚した、皇帝の菫青妃キンセイヒへの溺愛。
 夏に報じられた、菫青妃キンセイヒの懐妊。
 秋に起きた、洸州の反乱。皇帝の初の親征討伐。
 そして。
 冬に伝わった、皇帝崩御。

 わずか一年の間に、目まぐるしく噂が流れて去っていく。
 「なあなあ、お前、アレ知ってるか?」なんて問いかけたら、「ドレのことだよ」と問い返される。それほど、何度もなんども押し寄せる波のように、とんでもない噂が上書きされていく。

 ――皇帝が突然菫青妃キンセイヒをご寵愛なさるようになったのは、ご自身に、なにか昏い予兆めいたものを感じていらしたからかもなあ。
 ――自分が死んでも、せめて子を残しておきたいと思うのは、当然のことだろう。
 ――だからって。まだ生まれてもない子を、跡継ぎにというのはどうなのだ? 生まれたのが公主ならどうする?
 ――そこは丞相さまたちがどうにかなさるさ。遺命に従って、菫青妃キンセイヒさまと、お腹の御子をお守りすると誓ったそうだからな。
 ――でもよ。女の子が生まれたら、どうしようもねえんじゃね?
 ――うっせえな。そうならないようにお祈りするしかねえだろ。
 ――チンコ生えてこいって、祈るのか?
 ――それしかねえべ。でないと、国が混乱して、オレたちも困っちまう。

 チンコチンコチンコチンコチンコチンコチンコチンコチン……。
 そのうちゲシュタルト崩壊しそうなほど、チンコ祈りをされるお腹の子。
 ねえ。アンタ、うっかりチンコ忘れて生まれてこようものなら、「チンコ、取りに行ってこい!」で、お腹にギューギュー押し戻されるわよ、きっと。
 そんなことを思いながら、九ヶ月目に入った(だろう)お腹を撫でる。
 今のお腹は、「もう一人ぐらいどっか入ってない?」ってぐらい大きく膨らんでいる。立つと、バランス崩して前に倒れそう。そうでなくても、足元見えずに、結構不安。よって、一日ずっと座ってるか寝てるしかない。

 「里珠リジュさま。大丈夫ですか?」

 「あーうん。お腹苦しいけどなんとか」

 水を飲んだだけでも、上から胃を押さえられるみたいで、ゲフッとゲップが出る。そして何より――腹がかゆい! 冬なのにアセモ出来てる!
 ボリボリボリ。
 直接掻けないのがとっても悔しい。隔靴掻痒。
 
 「でもまあ、これも遅くても来月には終わるわ」

 季節一巡。次の春が来たら。

 「そうですわね。お腹、スッキリいたしますわよ」

 「そうだね」

 春になれば、すべての決着がつく。だから。

 「支度して、尚佳ショウカ宣政殿センセイデンに、廷議に出席するわよ」

 次代の皇帝の母として。少しは政を学べ。
 そういう意味で呼び出される宣政殿センセイデン
 
 (お腹の中の子には、最低の胎育よね)

 あーでもなければこーでもない。あーだこーだ、すったもんだの喧々諤々。文官武官が意見(と言う名の怒号)を交わす場、廷議。御簾の向こうにわたしがいるってこと、忘れてるかのような意見の交わし方。正直、メッチャうるさい。だけど。

 「ンッ――!」

 「どうなさいましたか、菫青妃キンセイヒ

 軽くうめき声を上げたわたしに、宰相が問いかける。

 「いえ。お腹の御子が動きましたの。きっと皆さまの熱心な意見に耳を傾け、感動なさっているのでしょう。この国を思う、その赤心。御子の母としてうれしく思います」

 御簾で見えないだろうけど、一応ニッコリ笑顔つき。そして、お腹をさすりさすり。

 「エー、コホン。では皆様方、議題の続きを」

 軽く咳払いして、議論再スタート。けど、わたしが「お腹の御子」を出したせいか、その声のトーンはいくらか小さい。どんだけ赤心、忠義の表れであったとしても、妊婦の前で、大声怒鳴り合いはやっちゃいかんよねえ。ウンウン。
 始まった議論。肘置きに頬杖ついて、半眼視。アクビしたいほど退屈だけど、大人しく座り続ける。
 だって。だってもうすぐ――。

 「ご注進! ご注進、申し上げます!」

 飛び込んできた、若い下級文官と、同じく若いけどヨレヨレの武官。

 「西の、皎錦国コウキンコクが国境を越え、辺境の村や街を襲っているとの由!」

 ほらね。
 って思ったけど、一気にどよめき立ったなか、沈黙を貫く。

 ――皎錦国コウキンコクが?
 ――陛下の崩御を好機と捉えたか。
 ――なにが友誼だ。やはり、彼の国は油断ならぬ相手じゃ。
 ――一刻も早く軍を動かさねば。
 ――しかし、皎錦コウキンの動き、あまりに迅速すぎではないか?
 ――おお、そうだ。まるで、陛下の崩御を先に知っていたかのようだ。

 悩みざわめいた官人たちの視線が、御簾の内にいるわたしに、ザッと集まる。

 ――まさかとは思うが、陛下は戦場で刺客に殺されたのでは?
 ――皎錦コウキンのにか?
 ――そうだ。菫青妃キンセイヒは、陛下の寵愛を受けたとは言え、もとは皎錦コウキンから贈られた女だ。
 ――陛下が亡くなった今、皇統で残されたのはその腹の子だけ。生まれたとしても、菫青妃キンセイヒの、もとを辿れば皎錦コウキンの思い通りの皇帝に仕立て上げられる。
 ――つまり、皎錦コウキンは友誼ではなく、自分たちのものにするため、あの女を贈りつけたのか。
 ――そして陛下は、そんな女と知らず寵愛した。
 ――ご遺言も、もしかしたらあの女が書かせたものかもしれないぞ。
 ――そうだ。そうに違いない。
 ――としたら、腹の子が陛下の御子であるかどうかも怪しい。
 
 うーん、言いたい放題だな。
 この間の「お腹の子への忠誠」はどこいった?
 まあ、あながち間違ったこと言ってないんだけど。
 だって。
 わたしがここに贈られたのは、「少年皇帝を籠絡して政をおろそかにさせて、国を疲弊させる。その隙を突いて、祖国が戦争をふっかける」ためだったから。その野望は今のところ、「妊娠」っていう予想外もあったけど、大方成功している。

 「落ち着かれませい、皆々方!」

 その視線を遮るように、丞相がわたしの前に立つ。

 「陛下亡き今、我々は、意を同じくして敵に立ち向かわねばならぬ。今考えるべきは、国をどう守るか。それ以外のことを詮索している時ではない」

 おお。
 なんかカッコいいまとめ方された。
 壮年といっていい丞相の背中に驚く。

 「しかし、皆の疑いも尤もなこと。陛下崩御の報が伝わったとして、こうも速く皎錦国コウキンコクが動くとは。――菫青妃キンセイヒさま。その辺り、なにかお心あたりはございませぬかな?」

 クルリと背ではなく、顔をわたしに向けた丞相。――なるほど、そう来たか。

 「いいえ。わたくしは何も。ただ……」

 ちょっとだけ間を開ける。

 「ただ、我が祖国とこの国が争うこと、とても悲しく思います」

 ヨヨヨヨ……。
 椅子にしなだれかかり、悲しみ表現。

 「わたくしは、朱煌国シュコウコクとの永遠の友誼を求め、この国に贈られました。それなのに祖国が戦をしかけているのなら、それは、わたくしの不徳といたすところでしょう」

 「菫青妃キンセイヒさま……」

 「わたくしは、亡き陛下のご寵愛を受け、こうして次代の皇帝を育んでおります。しかし、もとを辿れば皎錦コウキンの女。皆さまのお疑いも尤もなことでございましょう」

 わたくし、スパイ容疑かけられて、傷ついてるのん。
 だって、女の子だし。涙出ちゃう。

 「ですから。わたくしは皆さまに、わたくしを戦場に出すことをお願い申し上げますわ」

 「戦場に?」

 グワッと、宣政殿センセイデンの空気と建物が揺れるぐらい、みんながどよめく。

 ――この女が?
 ――身重の体で?
 ――戦場に出る?

 「待たれよ!」

 ざわめきの中から、野太い声が上がる。この間の皇帝の訃報に、オイオイ泣いてたのと同じ声。

 「菫青妃キンセイヒさま。アナタが戦場に出て、どうなるのです」

 「厳将軍……」

 驚く丞相。前に出てくる、巌みたいな四角張った顔の将軍。

 「戦場に出て。そのまま、ドサクサに紛れ、あちらの国に逃げるおつもりですか? 我が国の皇帝陛下を宿したまま?」

 「止めよ、将軍!」

 丞相が声を荒げるが、将軍は止まらない。

 「戦は男がするもの。女子おなごは大人しく宮殿奥深くに居ればよい。どうしても帰りたいというのであれば、子を産み参らせた後で行けばよい。我々とて、皎錦コウキンの女を国母と戴くつもりはない」

 へえ。この人、結構言うじゃん。
 丞相とか、その他大勢は、「一応、先帝の子を孕んでるし? 皎錦コウキンの女だけど、大事にしとかねえと不味くね?」みたいな曖昧態度なのに。「皎錦コウキンの女を国母と戴くつもりはない」って。ド直球に本音ぶつけてきた。
 でも。

 「そういうわけには参りません」

 目の前。
 遮る御簾を払い除け、姿を見せるため前に出る。

 「わたくしは、亡き陛下の子を身籠った女。次代皇帝陛下の母。そして、友誼のため贈られた女です。故国が戦を仕掛けてきたのであれば、それをなんとしても止める。このお腹の御子の国のために。それは、皎錦コウキンから贈られたわたくしにしかできぬこと」

 言って、そっとお腹を撫でる。

 「女は、十月十日かけて子を慈しみ、その生命をかけて、子を産みます。そうして生まれた子に、今度は乳を含ませ育てます。子を産み育てるのは、そう簡単なものではありません。愛あるからこそ、生命をかけて子を育むのです」

 男は、セックスして「ハー、気持ちよかった。後はお前、子を産んどけよ。じゃな☆」ですむかもしれないけど、女はそうはいかないのよ。下手したら、子と引き換えに自分の生命を落とすことだってあるんだからね?

 「皎錦コウキンに戻ったとして。亡き陛下の御子であるこの子に、明るい未来はあるのでしょうか? 母であれば、誰もが生まれた子の幸多き未来を願うのでは?」

 言い切って、ここにいるすべての男たちを見回す。

 「厳将軍。わたくしをお疑いなのなら、戦場にはアナタが着いてきてください」

 「私が、ですか?」

 「ええ。わたくしの護衛と監視を。少しでも怪しいと思われたら、この腹をかっさばいて、御子を取り出してください。そうすれば、次期皇帝を皎錦コウキンに奪われることはございませんよ?」

 ニッコリ微笑んでやったら、グッと喉を鳴らして黙った将軍。
 まあ、ここに帝王切開なんてもんはないから、腹かっさばかれたらわたし死んじゃうんだけどね。
 だけど、それだけの覚悟を持って戦場に出るってことは、ここにいる全員に伝わったらしい。

 「わたくし、ヨウ里珠リジュは、亡き皇帝陛下の遺志を継ぎ、この国を、御子の未来を守るため、戦に出る! わたくしを疑う者は共に参れ! わたくしを信じる者は従え! 迷うほどの時間はない! この国を思うのであれば、身重の女に遅れをとるな! 猶予はないぞ!」

 う~ん。
 よくわからんけど、これって結構な名言じゃない? カッコよくない?
 ザッと、音を立てて垂れた頭にそんなことを思う。

 (さて。これがどう伝わるかな?)

 ここからが本番。メインイベント。
 少しだけペロッと唇を舐めてニヤリとする。
 あの皇帝ほどじゃないけど、今のわたしの目は、キラッキラに輝いてるに違いない。
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