8 / 23
巻の八、その手は誰の手
しおりを挟む
――苦しい。
息ができない。
気持ち悪い。
お腹痛い。頭痛い。胸が詰まる。
指一本動かせない、鉛のような体が、ズブズブと見えない黒い沼に沈んでいくような感覚。多分、沈んだら二度と浮かび上がれない。
(前世も、こんな感じだったなあ)
確か前世は、駅のホームから転落したんだっけ。
朝のホームで電車を待ってたら、誰かに後ろから突き飛ばされて、線路の上に落っこちて。そこに電車(それも通過電車)が来て轢かれた。
痛くて痛くて、熱くて。体がバラバラになりそう――ってか、なってたと思う。見てないし、バラバラになったときには絶命してたから。
あの時は、一瞬で死ねたけど、今回はどうやらそうじゃないみたい。
苦しいのがずっと続いてる。
目も開けられないのに。息も途切れるのに。
それでもこの命が終わることはない。苦しいだけがずっと続く。
(やだなあ。終わりたいなあ)
二十で死ぬのが、わたしの運命なのだとしたら。このままサクッと終わって欲しい。苦しみ抜いた末のってのは、勘弁してほしいのよ。
終わるなら終わる。グダグダズルズルされるのは好きじゃない。まな板の上の鯉は、どうせ死ぬなら、ダンっと頭を落として欲しいと願ってる。
けど――。
――いくな。
わたしの手を掴む、誰かの手。
わたしが沼に沈んでいかないのは、この手のせい。
――いくな。生きろ。
(わかってるわよ)
わたしだって、好きこのんで死にたいわけじゃないの。
大好きな桃を食べたら、毒に当たって死にましたって、洒落にならないもん。
生きていいなら、生きていたい。
転生できるかもだけど、できることなら生きていたい。
慈恩さまのもとに戻れなくても。誰からも愛されずに終わることになっても。一生、後宮から出られなくても。
それでも、生きていたい。
死んで転生したいわけじゃない。
それに。
(尚佳……)
わたしが死んだら、あの子はどうなるの?
故国からずっとついてきてくれた尚佳。わたしのために、毒見までやってくれてた尚佳。
あの子が生き延びれたとしても、主であるわたしが死んだら、その責をとって、あの子は死ななくちゃいけなくなる。主が死んだせいで、せっかく生き延びた命を失くさなきゃいけなくなる。
そんなのはダメ。
わたしは転生するからいいかもだけど、あの子も転生できるとは限らないし、あの子はこの世界にまだ未練があるかもしれない。その命を理不尽に失うのは、前世のわたしと同じで、許されることじゃない。
だから。
(この手! 早くわたしを引っ張り上げなさいよ!)
「いくな」というのなら。「生きろ」というのなら。
この苦しい沼のようなところから引っ張り上げて。鉛のような体をもとに戻して。
わたしだって、早く楽になりたいんだから。
もたもたしてないで、サッサとわたしを助けなさい!
* * * *
「――ジュさま、里珠さま、里珠さま!」
え?
あ。眩しい。
開いたばかりの目を眇める。
それまで真っ暗ななかにいたせいか、光がとても眩しく感じられる。
「里珠さま!」
「あ……、尚佳……」
喉から出た声はとてもかすれてて、「尚佳」と言ったつもりだけど、耳に届いたのは、「ョーカ」っていうカッスカスの風みたいな音だった。そして、声を出したせいか、喉が辛くて痛いことに気づく。
「里珠さま。本当に、よかった……」
わたしの手を握りしめたまま、泣き崩れる尚佳。
そうか。
あの夢のなかで感じてた手のぬくもりは、尚佳のだったんだ。
「尚佳は、無事? どこも苦しくない?」
何度か唾を飲み込んだことで、喉の痛みは多少軽減した。でも、体のダル重さはまだ残ってる。
同じように毒を食らった尚佳。この子だって、苦しかったはずなのに。
「あたしは、もう。里珠さまが医師を手配してくださったおかげです」
「そっか」
わたしが手配した――んじゃなくて、メチャクチャに走り回った末に、あの皇帝にすがっただけなんだけど。
(そっか。ちゃんと医師を手配してくれたんだ)
最後の最後、アイツに会ったことは覚えてるけど、なにをどう伝えたかは覚えてないから、医師の手配ができてたことにちょっと驚き、感謝する。
医師の手配、間に合ったんだ。
「尚佳――」
「え? ちょっ! 里珠さまっ!?」
驚き、声のひっくり返った尚佳を寝台に引きずり込む。大事にされすぎて力の弱い現世のわたしだけど、不意打ちで引っ張り込むだけなら、なんとかできる。
「アンタだって体弱ってんだから。無理しないで休みなさい」
って、いっしょに寝台にゴロンは、なんか百合みたいだな~と頭の片隅で思う。けど、今はそれでいい。尚佳だって休まなきゃ。わたしを心配してくれるのはうれしいけど、ちゃんと自分の体をいたわらなきゃ。
「尚佳、アンタが無事でよかった」
その小柄な体を抱きしめ、深く感謝する。
わたしが無事でよかった。尚佳が無事でよかった。
「里珠さま……」
ブワッと、わたしを見つめる尚佳の目から涙が溢れた。
よかった。本当によかった。この子が死ななくて。この子に死ぬ運命を与えなくて。
生きて帰れてよかった。
わたしが死んだら、この子も無事にはすまなかった。
わたしの命は、わたしだけのものじゃない。尚佳のものでもあるんだ。
「里珠さまっ!」
感極まったのか。尚佳がしがみつき、ワッと声を上げて泣き出した。
「里珠さま! 里珠さま!」
おいおいと泣き続ける尚佳の髪をやさしく梳いてあげる。何度もなんども。ここまで心配してくれたこと、わたしの手を握っていてくれたことへの感謝を込めて。
あの手がなければ、わたしはあのまま死んでいたかもしれない。
「ありがとう、尚佳」
声に出して感謝を告げる。
息ができない。
気持ち悪い。
お腹痛い。頭痛い。胸が詰まる。
指一本動かせない、鉛のような体が、ズブズブと見えない黒い沼に沈んでいくような感覚。多分、沈んだら二度と浮かび上がれない。
(前世も、こんな感じだったなあ)
確か前世は、駅のホームから転落したんだっけ。
朝のホームで電車を待ってたら、誰かに後ろから突き飛ばされて、線路の上に落っこちて。そこに電車(それも通過電車)が来て轢かれた。
痛くて痛くて、熱くて。体がバラバラになりそう――ってか、なってたと思う。見てないし、バラバラになったときには絶命してたから。
あの時は、一瞬で死ねたけど、今回はどうやらそうじゃないみたい。
苦しいのがずっと続いてる。
目も開けられないのに。息も途切れるのに。
それでもこの命が終わることはない。苦しいだけがずっと続く。
(やだなあ。終わりたいなあ)
二十で死ぬのが、わたしの運命なのだとしたら。このままサクッと終わって欲しい。苦しみ抜いた末のってのは、勘弁してほしいのよ。
終わるなら終わる。グダグダズルズルされるのは好きじゃない。まな板の上の鯉は、どうせ死ぬなら、ダンっと頭を落として欲しいと願ってる。
けど――。
――いくな。
わたしの手を掴む、誰かの手。
わたしが沼に沈んでいかないのは、この手のせい。
――いくな。生きろ。
(わかってるわよ)
わたしだって、好きこのんで死にたいわけじゃないの。
大好きな桃を食べたら、毒に当たって死にましたって、洒落にならないもん。
生きていいなら、生きていたい。
転生できるかもだけど、できることなら生きていたい。
慈恩さまのもとに戻れなくても。誰からも愛されずに終わることになっても。一生、後宮から出られなくても。
それでも、生きていたい。
死んで転生したいわけじゃない。
それに。
(尚佳……)
わたしが死んだら、あの子はどうなるの?
故国からずっとついてきてくれた尚佳。わたしのために、毒見までやってくれてた尚佳。
あの子が生き延びれたとしても、主であるわたしが死んだら、その責をとって、あの子は死ななくちゃいけなくなる。主が死んだせいで、せっかく生き延びた命を失くさなきゃいけなくなる。
そんなのはダメ。
わたしは転生するからいいかもだけど、あの子も転生できるとは限らないし、あの子はこの世界にまだ未練があるかもしれない。その命を理不尽に失うのは、前世のわたしと同じで、許されることじゃない。
だから。
(この手! 早くわたしを引っ張り上げなさいよ!)
「いくな」というのなら。「生きろ」というのなら。
この苦しい沼のようなところから引っ張り上げて。鉛のような体をもとに戻して。
わたしだって、早く楽になりたいんだから。
もたもたしてないで、サッサとわたしを助けなさい!
* * * *
「――ジュさま、里珠さま、里珠さま!」
え?
あ。眩しい。
開いたばかりの目を眇める。
それまで真っ暗ななかにいたせいか、光がとても眩しく感じられる。
「里珠さま!」
「あ……、尚佳……」
喉から出た声はとてもかすれてて、「尚佳」と言ったつもりだけど、耳に届いたのは、「ョーカ」っていうカッスカスの風みたいな音だった。そして、声を出したせいか、喉が辛くて痛いことに気づく。
「里珠さま。本当に、よかった……」
わたしの手を握りしめたまま、泣き崩れる尚佳。
そうか。
あの夢のなかで感じてた手のぬくもりは、尚佳のだったんだ。
「尚佳は、無事? どこも苦しくない?」
何度か唾を飲み込んだことで、喉の痛みは多少軽減した。でも、体のダル重さはまだ残ってる。
同じように毒を食らった尚佳。この子だって、苦しかったはずなのに。
「あたしは、もう。里珠さまが医師を手配してくださったおかげです」
「そっか」
わたしが手配した――んじゃなくて、メチャクチャに走り回った末に、あの皇帝にすがっただけなんだけど。
(そっか。ちゃんと医師を手配してくれたんだ)
最後の最後、アイツに会ったことは覚えてるけど、なにをどう伝えたかは覚えてないから、医師の手配ができてたことにちょっと驚き、感謝する。
医師の手配、間に合ったんだ。
「尚佳――」
「え? ちょっ! 里珠さまっ!?」
驚き、声のひっくり返った尚佳を寝台に引きずり込む。大事にされすぎて力の弱い現世のわたしだけど、不意打ちで引っ張り込むだけなら、なんとかできる。
「アンタだって体弱ってんだから。無理しないで休みなさい」
って、いっしょに寝台にゴロンは、なんか百合みたいだな~と頭の片隅で思う。けど、今はそれでいい。尚佳だって休まなきゃ。わたしを心配してくれるのはうれしいけど、ちゃんと自分の体をいたわらなきゃ。
「尚佳、アンタが無事でよかった」
その小柄な体を抱きしめ、深く感謝する。
わたしが無事でよかった。尚佳が無事でよかった。
「里珠さま……」
ブワッと、わたしを見つめる尚佳の目から涙が溢れた。
よかった。本当によかった。この子が死ななくて。この子に死ぬ運命を与えなくて。
生きて帰れてよかった。
わたしが死んだら、この子も無事にはすまなかった。
わたしの命は、わたしだけのものじゃない。尚佳のものでもあるんだ。
「里珠さまっ!」
感極まったのか。尚佳がしがみつき、ワッと声を上げて泣き出した。
「里珠さま! 里珠さま!」
おいおいと泣き続ける尚佳の髪をやさしく梳いてあげる。何度もなんども。ここまで心配してくれたこと、わたしの手を握っていてくれたことへの感謝を込めて。
あの手がなければ、わたしはあのまま死んでいたかもしれない。
「ありがとう、尚佳」
声に出して感謝を告げる。
10
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
灰かぶり侍女とガラスの靴。
若松だんご
恋愛
―― 一曲お相手願えませんか!?
それは、誰もが憧れる王子さまのセリフ。魔法で変身したシンデレラの夢。
だけど、魔法が解けてしまえば、自分はタダのメイド。彼と過ごした時間は、一夜限りの夢。
それなのに。夜会の翌日、彼がレイティアのもとへとやってくる。
あの令嬢と結婚したい――と。
レイティアの女主人に令嬢を紹介して欲しいと、屋敷にやって来たのだ。
彼は気づかない。目の前にいるメイドがその令嬢だということに。
彼は惹かれていく。目の前にいるメイド、その人に。
本当のことを知られたら。怒る!? それとも幻滅する!?
うれしいのに悲しい。
言いたいのに言えない。
そんな元令嬢のメイドと、彼女を想う青年の物語。

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

悪役令息の婚約者になりまして
どくりんご
恋愛
婚約者に出逢って一秒。
前世の記憶を思い出した。それと同時にこの世界が小説の中だということに気づいた。
その中で、目の前のこの人は悪役、つまり悪役令息だということも同時にわかった。
彼がヒロインに恋をしてしまうことを知っていても思いは止められない。
この思い、どうすれば良いの?
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】酒は飲んでも飲まれるな~一夜を過ごした相手、それが問題だった~
つくも茄子
恋愛
侯爵令嬢であるルーナは後宮入りを果たした。
切れ者と名高い政治家の祖父を持つ彼女自身もエリート文官。長年の婚約者からの裏切りを受けて結婚は白紙状態。嘆き悲しむ・・・ことは全くなかった。不出来な婚約者から解放されてラッキーと思う一方で、なんとなく釈然としない思いもある。国王相手に酒盛りをした翌日、全てが変わった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる