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17.心に満ちる

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 「あの、キースさま……」

 おずおずとカーティスが切り出す。

 「お客様がお見えですが」

 「ああ、わかった。今、行く」

 なるべく苛立ちを抑えて答える。
 都に帰ってきてから、ずっとこんなかんじだ。
 僕のご機嫌を覗うように、誰もが不安げに眉根を寄せる。
 あれから、飛び出すようにあの町を出て、ここに帰ってきた。
 帰って、仕事にでも打ち込めば気分も落ち着くかもしれない。いや、落ち着かなくてもいい。すべてを忘れることができれば。

 (クソッ……!)

 帰ってきても苛立ちはつのるばかりだ。一度好きになったものを、大切にしたいと思ったものを、簡単に忘れることは出来そうにない。

 「誰が来たんだ」

 なるべく冷静に訊ねる。

 「あのう……、それが……」

 カーティスの歯切れが悪い。
 その態度にますます苛立ち、大股でドアに近づく。
 
 「案内は結構。自分で参ります」

 廊下から聞こえる、なじみのある声。それとあわてるようなメイドと執事の声。

 「……大伯母上」

 「お話しがありますの、キース」

 バンッと扉を勢いよく開けて入ってきた大伯母が言った。その背後には付き添いのジョンソンの姿。
 オロオロと僕と大伯母上を見たカーティスがどうぞとばかりに着席を促すが、大伯母は彼に出ていくよう目で指示しただけだった。

 「言い訳なら聞きたくありませんよ」

 ゆっくりと執務机に腰を下ろす。

 「アナタと彼女は、僕を騙したんだ」

 そして笑っていたんだ。恋の道化となった自分のことを。

 「さぞかし楽しかったでしょうね。僕が困り果ててるのを見ているのは」

 パンッと乾いた音が部屋に鳴り響いた。
 叩かれた。そのことに気づいたのは、大伯母がその目に涙を溜め、口を一文字に引き結んでいたからだった。

 「……アナタにあの子を託そうと思っていたわたしが間違っていたようね」

 涙をこらえるように、怒りを抑えてるような低い声。
 ぶたれた頬に手を当て、大伯母上を見上げる。

 「我が家の恩人の娘であるあの子を、アナタはっ……!」

 「恩人の……娘?」

 どういうことだ?

 「あの子は今、ずっと泣き暮らしているわ。わたしが無理矢理夜会に連れ出したばかりに、アナタに会わせたばかりにっ!」

 「大伯母上……?」

 息が荒い。肩で大きく息をしながら、胸を押さえる。

 「とんだ、見込み違い……だった、わ……」

 「奥さまっ!」

 ジョンソンの声と、大伯母上が崩れるように倒れるのが同時だった。

 「奥さまっ、しっかりなさってくださいっ、奥さまっ!」

 ジョンソンが大伯母上を抱き上げる。

 「ジョン……ソン……」

 ヒューヒューとか細い息のなか、大伯母が声を上げる。

 「レイティアを……、わたしの娘を……」

 震えながら伸ばされた手をジョンソンが力強く握る。

 「医者を呼べっ!」

 廊下に出るなり叫ぶ。

 「はいっ!」

 弾かれたように、そこにいたカーティスが駆け出す。
 いったい、なにがどうなっているんだ。
 大伯母の言ったことはどういう意味なんだ。
 訳もわからず、クシャリと前髪を掻き上げる。

*     *     *     *

 「ハルトフォード子爵家をご存知でしょうか」

 医者が帰ってしばらく。安静にと寝かされた大伯母の前でジョンソンが静かに話し始めた。

 「ああ、話に聞いたことがある。何年か前に没落した貴族だと」

 「はい。そのハルトフォード子爵、ロバート・アシュリー卿は、レイティアさまのお父上にあたります」

 「なんだって!?」

 思わず声が大きくなってしまい、口に手を当てる。

 「レイ、――レイティアさまは、5年前、お父上が亡くなられ、破産された際、奥さまがお引き取りになった令嬢なのでございます」

 「じゃあ、なぜメイドなんかしてたんだ」

 没落した令嬢が働くにしても、たとえば女家庭教師ガヴァネスとかもっと他の道が――。

 「レイティアさまは、まだ十三でしたから」

 ああ、そうか。その歳で女家庭教師ガヴァネスはありえない。

 「奥さまは、令嬢として暮らせばいいと申されましたが、レイティアさまはそれを受け入れられませんでした」

 恩があるからといって、身寄りのなくなった自分がそのまま世話になるのは心苦しい。レイの性格なら言い出しかねないことだ。

 「奥さまも、仕方なくそれをお認めになり暮らしておられたのですが、最近はお身体の調子もよろしくなく、これから先、レイティアさまの面倒をみてくれる相手を捜しておられたのです」

 それで選ばれたのが、自分。
 大伯母は、自分ならレイティアを、没落した子爵令嬢を護ってくれるのではないか。そう期待したらしい。
 一度零落した令嬢が、元の地位に戻るのは難しい。
 レイもそれを知っていたから、恋愛に億劫になっていた。大伯母は、そんな彼女を包み込んで優しく解きほぐす役目を自分に求めていた。
 彼女が幸せに、恋に身を委ねることが出来る相手を。彼女自身を見て、愛してくれる相手を。

 「……彼女の父上に、どんな恩があるんだ?」

 「十年前、インドであったことをご存知ですか?」

 「ああ。確か現地で交渉をしてくれていた者が、集めた資金とともに行方をくらませたと」

 父からそう聞いている。インドでの鉄道事業。インドは大小の藩王国が存在し、それらが利権優先で鉄道をひいたため、路線によってレールのゲージが違い、輸送面でかなり混乱している。それを統一させたい、運輸をスムーズにさせたいという事業だったのだが、着手直前に資金の持ち逃げにあった。ラムゼイ家の命運をかけた事業だっただけに、父をはじめ一族の者は金策に駆けずり回ったと話していた。

 「その窮地を救ってくださったのが、ハルトフォード子爵なのですよ」

 「え!?」

 「子爵は、インドの内陸部、ラージプート族のマハラジャと懇意にされておりまして。『鉄道整備は、これからの発展にかかせないものだから、よろしく頼む』と、マハラジャたちにも口利きしてくださって、資金を集めてくださったのです」

 「……そう、だったのか」

 「子爵家は、その後のインドでの飢饉のせいで没落の憂き目を見ましたが、奥さまをはじめ、誰もその恩を忘れておりません」

 今、ラムゼイ家があるのは、レイの父親のおかげ。となれば、大伯母上が彼女を庇護しようとするのもうなずける。
 大恩ある子爵の娘を預けるにふさわしい相手。一族の者なら、彼女を大切にするだろう。そんな思惑もあったのかもしれない。

 ―― レイ。

 グッと目を閉じる。
 夜会には半ば無理矢理連れてこられた彼女。頑なに拒絶していたなかから、少しづつ好意を向けてくれていた彼女。そして手ひどく傷つけてしまった彼女。

 「――彼女は、屋敷にいるのか?」

 「はい。今はマーサが様子を見ております」

 今さら、遅いかもしれない。
 それでも、このままにしておきたくない。
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