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16.真実と裏切り

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 「まあ、二人ともどうしたのっ?」

 私達を出迎えた奥さまが驚くのも無理はない。
 二人してずぶ濡れ、泥だらけ。髪は乱れ、二人が歩いたカーペットはカタツムリの這った跡のように水を含み変色している。
 そんな状態の二人が身を寄せ合って帰って来れば、誰だってビックリするだろう。

 「とにかくお湯を。マーサ、ジョンソン、それぞれにお風呂と着替えを用意してあげて」

 奥さまの指示で二人が走っていく。

 「大伯母上、僕たちは――」

 「お話しはあとで聞くわ。早く温まらないと、アナタの大切な人が凍えてしまうわよ」

 奥さまのその言葉に、彼が動きを止める。
 彼の腕は私の肩に回されたまま。寄り添うように歩いていれば、誰だって大方の察しはつくだろう。

 「さあ、二人ともキレイにしてらっしゃい」


 奥さまに促され、それぞれの場所へと歩き始める。
 離れる一瞬、彼と目が合う。
 名残惜しそうに、私の指先を掴んだ手。
 その灰紫色の瞳にほほ笑みかけ、私はマーサさんの歩いて行った後を追いかける。
 
*     *     *     *

 用意されたのは、奥さまもお使いになる浴室だった。
 奥さまと同じなんてと辞退したかったが、「これから大事なお話があるような方が、メイドの風呂ではダメですよ」と、やんわり拒否された。

 大事なお話――。

 その言葉に、一人お湯につかりながら、顔を赤くする。
 彼のいう大事な話とは、やはりそういうことなのだろうか。
 彼が迎えに来てくれていたこと。『ビューティー アンド ベア』で、私とホガースさんの様子を見て勘違いをしていたこと。
 彼は自分の誤解を謝ってくれたし、私も迎えに来てくれたことを素直に感謝した。
 その上で、「好きだ」と彼は言ってくれた。
 他の誰でもない、私を好きだと。
 そのことを思い出すだけで、肩が熱くなる。馬上で感じた、彼の熱、匂い、息づかい。
 そのすべてが自分の身体に染みついているようで、あわてて顔を洗う。

 (キースさま……)

 彼は奥さまにどうやって話すのだろう。そして、奥さまは何と言ってくださるのだろう。
 いいえ。
 自分から話そう。
 あの夜会の令嬢、あれが私だったということを。
 「好きだ」と言ってくれた彼なら、騙したような形になってしまっている令嬢のことも、許してくれるかもしれない。ガッカリされないかもしれない。
 彼が許してくれるなら。私を愛してくれるなら。
 私はどんな困難が待ち受けていようとも、彼についていくわ。

 (キースさま)

 知らず、そっと唇に触れる。
 そこに彼の気持ちも残っているような気がした。

*     *     *     *

 「上手くいってよろしゅうございましたね、奥さま」

 「そうね、ほんと、よかったわ」

 部屋の中から聞こえたその声に、ノックしかけた手が止まる。
 部屋にいるのは、大伯母上とジョンソンだろうか。聞かれると思ってないのだろう。二人してとてもくつろいだ声で話している。

 「キースが頑なにレイを拒絶するし、レイもなかなか一歩を踏み出そうとしないから。ハラハラしたわ」

 「でも、これで奥さまの願い通りになりましたね」

 「ええ、そうね。レイをわざわざ夜会に連れて行ったかいがあるというものよ」

 なんだって?

 どう話そうか、いろいろ思案していた頭が急に冷える。

 「あんなステキな子を好きにならないとは思ってなかったけど。まさか、あの子を追いかけてきて、目の前のメイドがその彼女だって気づかないなんて思いもしなかったわ」

 大伯母上のため息混じりの言葉に、静かに後ずさるようにしてドアから離れる。

 レイを? 夜会に? 気づいてない?
 なんの話だ? 大伯母上は何を話しているんだ?

 あの夜会の彼女は、レイ――――!?

 洗い立ての、まだ湿っぽい髪を無造作に掻きあげる。
 必死に思い出す、夜会の令嬢。
 彼女の髪は黒。瞳は栗色。声は、あまり聞かなかったが、背格好は、扇に隠された顔立ちは……。
 考えれば考えるほど、レイと令嬢が重なっていく。

 違うのは、髪の色と香りだけ……。

 いや、そんなもの、どうとでも変えることが出来る。
 ならば、レイがあの令嬢なのか。
 わずか一曲踊っただけで、自分を魅了した彼女。いくら捜しても見つかることのない彼女。

 (それがすべて真実なら、僕は――――)

 確かめる必要がある。

*     *     *     *
 
 「キース……さま?」

 彼の姿を見つけて弾みかけた声が、途中でしぼむ。
 険しい表情を崩さない彼。その足取りは緩むことなく、こちらに近づいてくる。

 「きゃあっ……」

 その勢いのままに壁際に追い詰められる。ダンッと壁に両手をつかれてしまえば、私は逃げることも出来なくなる。

 「キース……さま」

 私を見下ろす灰紫色の視線は鋭い。

 「きみ……だったんだな」

 絞り出された低い声。

 「大伯母上と結託して、僕を騙していたのか」

 「ちっ、違っ……!」

 「令嬢のフリをして僕に近づき、追いかけてきた僕を笑っていたんだろう」

 彼の瞳に怒りが滲む。その眼差しに射すくめられ、身体中の血が足元に滞っていく。

 「どれだけ捜しても見つからない令嬢。だけど、僕は真剣に彼女のことを考えていた。そしてきみのことも。同時に二人の女性を追い求めるなんて間違っている。そう思って何度も悩んだ」

 彼の身体が小刻みに震える。

 「真剣だったんだ。きみにも、……令嬢にも」

 グッと握りしめられた拳。ギリっと歯を食いしばった音がした。

 「キースさまっ!」

 彼はふり返らない。全てをふり切るように駆け出して去っていく。
 
 「あ、ああ、あああ……」

 ズルズルと力なくその場に座りこむ。
 いつかこんな時が来るのではないか。そんな予感はあった。
 彼にすべてが知られ、そして許してもらえないだろう時が。
 笑って許してもらえるなんて、甘い夢だ。現実の彼は、とても傷ついていた。
 私のせいで……。

 「ごめん……な、さい……」

 受け入れてもらえるはずのない、謝罪の言葉だけを何度も紡ぐ。
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