灰かぶり侍女とガラスの靴。

若松だんご

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15.雨涙の温もり

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 雨に混じって、彼女の声が聞こえた気がした。
 けれど、馬の手綱を緩めるつもりはない。

 (こんなの、僕がバカみたいじゃないか)

 帰ってこない彼女を心配して来てみれば、彼女は見知らぬ男と楽し気に談笑していた。
 それも、赤く頬を染めながら。
 男も親し気に彼女に触れ、彼女もイヤな顔一つしていなかった。

 (恋人……なんだろうか)

 恋人などいないと彼女は言っていたが、あの男とは、そういう関係なのかもしれない。だから、雨宿りを口実に二人で会っていた。
 だとしたら、わざわざ迎えに行った自分は、情けないピエロにすぎない。
 一人勝手に想いを募らせてた、世間知らずのお坊ちゃん。
 本命の令嬢には会わせてもらえず、世話をしてくれただけのメイドに入れ込んで。
 自分の不誠実さを悩んでいたことが、バカバカしく思えてくる。
 どちらからも相手にされず、どちらからも思われていないのに。
 何を一人、悲劇のヒーローぶっていたんだろう。

 「ハハッ、ハハハハハッ……」

 呆れ、笑うしかない。
 消えてしまえばいい、流れてしまえばいい。
 こんな自分も。こんな想いも。
 馬を止め、そのまま立ち尽くす。
 雨に打たれて流してしまえば、この哀しみは癒えるのだろうか。

*     *     *     *

 「キースさまっ、キースさまっ!」

 必死になって、馬に追いすがる。
 このまま彼を帰してはいけない。
 そう思って走るのに、馬のスピードには追いつけない。
 待って。待って。
 叫んでも彼は止まってくれない。その距離はどんどん広がっていくだけだ。
 待ってっ! 置いてゆかないでっ!

 ―― どうして置いてゆかれたくないの?

 そんなの分かり切った答えだ。

 ―― どうして誤解されたくないの?

 それも分かってる。

 ――どうして追いかけるの?

 好きだから。彼をどうしようもなく好きだから。
 分かっていた。この想いを。気づていた。この気持ちに。
 彼は知らないだろうけど、私は奥さまのもとを訪れる彼をずっと見てきた。
 金の髪、スラリとした長身。少し茶目っ気のある灰紫色の瞳。物腰は貴族かと思うほど優雅で、誰にでも優しい。彼に愛されることのない身分になったことを悔しく思うぐらいに、彼を好きになっていた。
 だからあの夜会の日、彼に誘われて、彼と踊れたことは一生の宝物だと思っていた。名乗れなくても、ふり向いてもらえなくても、あの思い出さえあれば、幸せだと思っていた。
 思いたかった。
 それが、彼が幻の私を求めて屋敷にやって来たことで、私にも欲が出てしまった。
 愛されたかった。愛したかった。
 落ちぶれてしまった自分の運命を呪うほどに。
 アナタの捜している令嬢はここにいる。
 何度、そう言いたかったことか。
 でも言って、彼に幻滅されるのが怖かった。今はメイドでしかない自分を見られるのが怖かった。どれだけ一目ぼれしてくれたとしても、常識ある方なら、メイドにまで身を落とした者を妻にはしてくださらない。
 だから、気持ちに蓋をした。
 なんでもないふりをした。
 その報いが今の状況なのだとしたら。
 石畳の町なかを抜け、木立の間、ぬかるんだ土の道を走る。
 この先に、屋敷へ帰る道はない。ならば、彼はどこに向かって走っているのだろう。
 その姿はもう見えない。

 ―― せめて、誤解だけはとかなくては。

 この恋が実らないのだとしても。それでも誤解されたまま終わるのは嫌だ。

 「きゃっ……!」

 走りつかれた足が、もつれて倒れる。
 バシャンと派手な音を立てて、泥が飛び散った。

 「フッ……、クッ……」

 涙が止まらない。視界が歪む。
 もう追いかけられない、大切な人。
 
 「――――レイ?」

 どれぐらいの時間が過ぎたのだろう。
 ヒヒンと、馬の軽いいななきと信じられない声が頭上から響く。 

 「キース……さま……」

 「どこかケガでもしたのかっ?」

 慌てたように彼が馬から飛び降り、駆け寄ってくる。

 「……大丈夫、です。会えてよかった」

 力なくほほ笑む。
 泥まみれでみすぼらしい自分。一番見られたくない姿なのに、戻ってきてくれたことを素直にうれしく思う。
 泥のついた頬を彼の両手が包み込む。水を吸った手袋を、なぜか温かいと感じた。

 「レイ……」

 吸い寄せられるように近づく彼の顔。
 しっとりと重ねられた唇は冷たく、少しだけ涙の味がした。
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