上 下
14 / 18

14.水滴の向こう側

しおりを挟む
 (イヤな雲だな……)

 ランプをつけなくては本に目を通せなくなった部屋の中、窓から空を見上げる。
 朝はキレイに晴れていたのに。風が強くなってきたのだろう。窓枠がガタガタと音を立てる。
 雨が降るのかもしれない。
 窓から外の景色を眺める。緑のパッチワークのような丘陵に、覆いかぶさるような真っ黒な雲。
 これはもしかすると、雨だけではすまないかもしれない。

 (彼女は大丈夫か?)

 あの日、雷の音に怯えていたレイ。
 気丈に仕事をこなそうとするものの上手くいかず、音がするたび光が煌めくたびに肩を震わせていた。
 また怖がってなければいいが。
 誰かついていてやれればいいのだが。

 モーガンかカーティスに頼むか?
 いや。

 きびすを返し、部屋を後にする。
 怯える彼女には、自分がついていてやりたい。

 「え? 戻って来てない?」

 階下の作業室にいたのは、モーガンとカーティス、それと恰幅のいい料理長のスティーブンだけだった。

 「奥さまに頼まれて、貸本屋に行くと言っておりましたが……」

 また大伯母上は、彼女に本を頼んだのだろうか。

 「ついでだからと、砂糖も頼んだんです」

 スティーブンが、すまなさそうに手をモジモジと組んだ。こうなると予想してなかったから、余計に申し訳なく思っているのかもしれない。

 「雨も降ってきそうですし、俺たちも心配してたところなんです」

 モーガンたちが頷きあう。彼らだって、レイを仕事仲間として気にしていたらしい。

 「……馬を用意してくれ」

 帰ってこないなら、迎えに行くだけだ。

 「キースさま?」

 モーガンが驚いたような声を上げた。
 どうしてメイド一人のために?
 そんな彼らの問いかけに答えているヒマはない。
 急いで彼女を迎えに行かねば。

*     *     *     *

 「ごめんなさい、ホガースさん。急に立ち寄らせていただいて」

 「いいやあ。困った時はお互い様だよ」

 甘い香りに、こうばしい香り。さまざまな香りに満ち溢れた店のなかから外を眺める。
 黒く闇のような空から叩きつけるように降る雨。窓ガラスの水滴は、とめどなく流れ落ちる。
 私の手のなかには、奥さまから頼まれた本と、料理長から頼まれた砂糖の入った紙袋。
 どちらも濡らしてはいけないものだから、こうして知り合いの店に雨宿りをさせてもらっている。

 『ビューティ アンド ベア』

 いかついガタイの主人と、華奢で美人な奥さまという若い夫婦で経営する雑貨屋。今日はその奥さまはおらず、旦那さんであるホガースさんだけだった。

 「お茶、よかったらどうぞ」

 「ありがとうございます」

 「当分やみそうにないから、ゆっくりしていくといいよ」

 そう言っていつものように屈託のない笑顔を見せてくれる。
 窓の外で、看板が風に揺られてキイキイと音を立てている。心配した雷はなかったけれど、ちょっとした嵐の様相を呈している。
 カウンターに用意してもらったお茶を一口飲み下す。その温かい心遣いが、じんわりと身体中に広がっていく気がした。

 (屋敷のみんなは、大丈夫かしら)

 一瞬そんなことを思って、すぐに自分で大丈夫よと思い直す。
 屋敷がこんな嵐でどうにかなることはない。長い風雪に耐えてきた立派なお屋敷なんだから。心配するほうがどうかしている。

 「そういや、レイティア。なんかいいことあったのか?」

 「えっ?」

 「いや、うちのヤツが言ってたんだけどよ。最近のレイティア、すごくキレイになったって。イキイキしてるって言ってたからさ。なんかあったのかな~って」

 「な、なんにもないわっ!」

 「ほんとに?」

 「本当よっ!」

 ニンマリするホガースさんをよそに、真っ赤になって、お茶をすする。
 キレイになったって。いいことあったって。
 そんなことない。絶対ない。
 きっと勝手な妄想よ。見間違いよ。

 「ま、いっか。そういうことにしておいてやるよ」

 私の言い訳を信じてない笑み。
 ポンポンッとホガースさんが私の頭を軽く叩いた。
 きっと彼からすれば、私は妹みたいなものなんだろう。彼ら夫婦とは、私がこの町に来た時からのつき合いだ。気安く接する、近所のお兄ちゃんそのものだった。

 (もうっ! ほんとに何もないのにっ!)

 軽くムッとしながらも、残りのお茶を飲む。今度奥さんに会ったら、ちゃんと訂正しておこう。
 一瞬、脳裏を彼がよぎる。あの雷の日、抱き寄せられた腕の力、その温もり――。

 (って、ダメっ! 考えちゃダメよっ!)

 思い出したのは状況が似てたからで。それ以上の何ものでもないんだからっ!

 「ふ~ん」

 カウンターに頬杖をついたホガースさんが、意味ありげに私を見る。
 その視線から逃れるように、顔を逸らす。

 「えっ?」

 幻を見たのかと思った。
 滝のように流れ落ちる水滴の向こう、店内を眺める黒い人影。

 「キースさまっ!?」

 弾かれたように立ち上がると、彼も窓から離れ暗い町に紛れていく。

 「ごちそうさまっ!」

 慌ててカップを置くと、そのまま店を飛び出していく。

 「キースさまっ!」

 彼が、近くに繋いであった馬の縄をほどく。

 「すまない、邪魔したな」

 私に気づいてもその動きは止めない。ヒラリと馬にまたがった。

 「レイは雨が止んでから帰ってきたらいい。それまであの男のもとで。大伯母上には、上手く誤魔化しておく」

 ……なにを、言ってるの?

 言われてる意味がわからなくて、立ち尽くす。
 馬上の人となった彼のフロックコートは雨を吸い込み、重い色になっている。普段は整っている金の髪から、雫が滴り落ちる。
 もしかして、捜しに来てくれたのだろうか。
 雨が降ってきたから。お使いから帰らない私を。
 この土砂降りの雨のなかを。ずぶ濡れになりながら。

 「あっ!」

 ふり向くことなく、彼が馬の腹を軽く蹴る。

 「まっ、待ってくださいっ!」

 雨なんか気にならない。弾かれたように、去っていく彼を追いかける。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。

待鳥園子
恋愛
グレンジャー伯爵令嬢ウェンディは父が友人に裏切られ、社交界デビューを目前にして無一文になってしまった。 父は異国へと一人出稼ぎに行ってしまい、行く宛てのない姉を心配する弟を安心させるために、以前邸で働いていた竜騎士を頼ることに。 彼が働くアレイスター竜騎士団は『恋愛禁止』という厳格な規則があり、そのため若い女性は働いていない。しかし、ウェンディは竜力を持つ貴族の血を引く女性にしかなれないという『子竜守』として特別に採用されることになり……。 子竜守として働くことになった没落貴族令嬢が、不器用だけどとても優しい団長と恋愛禁止な竜騎士団で働くために秘密の契約結婚をすることなってしまう、ほのぼの子竜育てありな可愛い恋物語。

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?

雨宮羽那
恋愛
 元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。 ◇◇◇◇  名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。  自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。    運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!  なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!? ◇◇◇◇ お気に入り登録、エールありがとうございます♡ ※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。 ※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...