灰かぶり侍女とガラスの靴。

若松だんご

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14.水滴の向こう側

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 (イヤな雲だな……)

 ランプをつけなくては本に目を通せなくなった部屋の中、窓から空を見上げる。
 朝はキレイに晴れていたのに。風が強くなってきたのだろう。窓枠がガタガタと音を立てる。
 雨が降るのかもしれない。
 窓から外の景色を眺める。緑のパッチワークのような丘陵に、覆いかぶさるような真っ黒な雲。
 これはもしかすると、雨だけではすまないかもしれない。

 (彼女は大丈夫か?)

 あの日、雷の音に怯えていたレイ。
 気丈に仕事をこなそうとするものの上手くいかず、音がするたび光が煌めくたびに肩を震わせていた。
 また怖がってなければいいが。
 誰かついていてやれればいいのだが。

 モーガンかカーティスに頼むか?
 いや。

 きびすを返し、部屋を後にする。
 怯える彼女には、自分がついていてやりたい。

 「え? 戻って来てない?」

 階下の作業室にいたのは、モーガンとカーティス、それと恰幅のいい料理長のスティーブンだけだった。

 「奥さまに頼まれて、貸本屋に行くと言っておりましたが……」

 また大伯母上は、彼女に本を頼んだのだろうか。

 「ついでだからと、砂糖も頼んだんです」

 スティーブンが、すまなさそうに手をモジモジと組んだ。こうなると予想してなかったから、余計に申し訳なく思っているのかもしれない。

 「雨も降ってきそうですし、俺たちも心配してたところなんです」

 モーガンたちが頷きあう。彼らだって、レイを仕事仲間として気にしていたらしい。

 「……馬を用意してくれ」

 帰ってこないなら、迎えに行くだけだ。

 「キースさま?」

 モーガンが驚いたような声を上げた。
 どうしてメイド一人のために?
 そんな彼らの問いかけに答えているヒマはない。
 急いで彼女を迎えに行かねば。

*     *     *     *

 「ごめんなさい、ホガースさん。急に立ち寄らせていただいて」

 「いいやあ。困った時はお互い様だよ」

 甘い香りに、こうばしい香り。さまざまな香りに満ち溢れた店のなかから外を眺める。
 黒く闇のような空から叩きつけるように降る雨。窓ガラスの水滴は、とめどなく流れ落ちる。
 私の手のなかには、奥さまから頼まれた本と、料理長から頼まれた砂糖の入った紙袋。
 どちらも濡らしてはいけないものだから、こうして知り合いの店に雨宿りをさせてもらっている。

 『ビューティ アンド ベア』

 いかついガタイの主人と、華奢で美人な奥さまという若い夫婦で経営する雑貨屋。今日はその奥さまはおらず、旦那さんであるホガースさんだけだった。

 「お茶、よかったらどうぞ」

 「ありがとうございます」

 「当分やみそうにないから、ゆっくりしていくといいよ」

 そう言っていつものように屈託のない笑顔を見せてくれる。
 窓の外で、看板が風に揺られてキイキイと音を立てている。心配した雷はなかったけれど、ちょっとした嵐の様相を呈している。
 カウンターに用意してもらったお茶を一口飲み下す。その温かい心遣いが、じんわりと身体中に広がっていく気がした。

 (屋敷のみんなは、大丈夫かしら)

 一瞬そんなことを思って、すぐに自分で大丈夫よと思い直す。
 屋敷がこんな嵐でどうにかなることはない。長い風雪に耐えてきた立派なお屋敷なんだから。心配するほうがどうかしている。

 「そういや、レイティア。なんかいいことあったのか?」

 「えっ?」

 「いや、うちのヤツが言ってたんだけどよ。最近のレイティア、すごくキレイになったって。イキイキしてるって言ってたからさ。なんかあったのかな~って」

 「な、なんにもないわっ!」

 「ほんとに?」

 「本当よっ!」

 ニンマリするホガースさんをよそに、真っ赤になって、お茶をすする。
 キレイになったって。いいことあったって。
 そんなことない。絶対ない。
 きっと勝手な妄想よ。見間違いよ。

 「ま、いっか。そういうことにしておいてやるよ」

 私の言い訳を信じてない笑み。
 ポンポンッとホガースさんが私の頭を軽く叩いた。
 きっと彼からすれば、私は妹みたいなものなんだろう。彼ら夫婦とは、私がこの町に来た時からのつき合いだ。気安く接する、近所のお兄ちゃんそのものだった。

 (もうっ! ほんとに何もないのにっ!)

 軽くムッとしながらも、残りのお茶を飲む。今度奥さんに会ったら、ちゃんと訂正しておこう。
 一瞬、脳裏を彼がよぎる。あの雷の日、抱き寄せられた腕の力、その温もり――。

 (って、ダメっ! 考えちゃダメよっ!)

 思い出したのは状況が似てたからで。それ以上の何ものでもないんだからっ!

 「ふ~ん」

 カウンターに頬杖をついたホガースさんが、意味ありげに私を見る。
 その視線から逃れるように、顔を逸らす。

 「えっ?」

 幻を見たのかと思った。
 滝のように流れ落ちる水滴の向こう、店内を眺める黒い人影。

 「キースさまっ!?」

 弾かれたように立ち上がると、彼も窓から離れ暗い町に紛れていく。

 「ごちそうさまっ!」

 慌ててカップを置くと、そのまま店を飛び出していく。

 「キースさまっ!」

 彼が、近くに繋いであった馬の縄をほどく。

 「すまない、邪魔したな」

 私に気づいてもその動きは止めない。ヒラリと馬にまたがった。

 「レイは雨が止んでから帰ってきたらいい。それまであの男のもとで。大伯母上には、上手く誤魔化しておく」

 ……なにを、言ってるの?

 言われてる意味がわからなくて、立ち尽くす。
 馬上の人となった彼のフロックコートは雨を吸い込み、重い色になっている。普段は整っている金の髪から、雫が滴り落ちる。
 もしかして、捜しに来てくれたのだろうか。
 雨が降ってきたから。お使いから帰らない私を。
 この土砂降りの雨のなかを。ずぶ濡れになりながら。

 「あっ!」

 ふり向くことなく、彼が馬の腹を軽く蹴る。

 「まっ、待ってくださいっ!」

 雨なんか気にならない。弾かれたように、去っていく彼を追いかける。
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