灰かぶり侍女とガラスの靴。

若松だんご

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13.乗り越えるべきもの

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 あてがわれた部屋の窓から、庭を見下ろす。
 客間から見える庭園にいたのは、レイ。
 部屋に飾るための花を選んでいるのだろうか。年老いた男――おそらく通いの庭師ガーデナー――と何やら話し込みながら、パチンパチンと花を切っている。
 時折、花に顔を近づけ香りを嗅ぐ仕草は、とても女性らしく美しいと思う。
 今、庭に降りていって普通に声をかけたら、不自然にならずに話せるだろうか。仕事に飽きたとか、息抜きとか言って庭に降りたら。
 お茶を用意してくれと言えば、その通りにしてくれるだろう。だが、そこまでだ。
 一緒にお茶を飲むことはないだろうし、もしかすると次の仕事があるからと、給仕をモーガンたちに頼むかもしれない。
 嫌われてるとかではない。それが、メイドと郷紳ジェントリとの差なのだ。
 主の客人と茶を飲むメイドはいないし、次の仕事をさぼるメイドもいない。
 手にしていたスティックを、いつものように机の小引き出しに仕舞う。そこに入っているのは、都で衝動買いをしてしまったレースのハンカチ。買ってみたものの、その贈り先にと思い浮かべた相手に、自分で驚き、以来ここに仕舞ったままになっている。

 ―― メイドに贈物だなんて。三文ロマンス小説のヒーローじゃないか。

 「二つの国」とも称されるこの国で、メイドと郷紳ジェントリの恋愛など成立しない。せいぜい火遊び程度か、もしくは小説のなかの出来事だけだ。
 結婚など望めない間柄なのだから、どれだけ好ましく思おうと、その先に未来などない。

 ―― しっかりしろ、自分。

 あの令嬢を求めてここへやって来たのに、別の女性を追いかける自分がいる。こんなのだから、大伯母上は納得されず、彼女の姿を現してくれないのかもしれない。
 二人の女性を追いかけて両方とも手に入れたいなどと、傲慢なことを考えたことはない。
 世のなかには正妻とは別に愛人を囲う男もいるが、そんな不誠実なことをすれば、誰もが不幸に陥る。
 身分上、レイを想っても仕方ないのなら、自分は本来の、令嬢への想いを貫くだけだ。

 ―― レイが、あの令嬢だったらよかったのにな。

 そんな夢物語のようなことを考えて、フッと笑う。
 バカバカしい。そんなことがあるものか。
 メイドはメイド。令嬢は令嬢だ。
 どれだけ姿かたちを変えようと、上質のドレスを身にまとっても、メイドが令嬢に成りすますことは出来ない。
 にわかにできることではないのだ。令嬢も紳士も。その星のもとに生まれなければ、なることは難しい。
 引き出しを閉めた一瞬、フワリとラベンダーの香りが漂う。

*     *     *    *

 「それにしても、強情なこと」

 いつものように、この屋敷の女主が軽くほほ笑みながら、お茶を口にする。
 そばに控えているのは、女主が未婚の令嬢レディだった頃から仕えてる老侍女と、気心が知れるまでに仕えてくれた老執事。

 「物語のように、上手くはいかないものね。じれったくて仕方ないわ」

 「奥さま、それが現実というものでございますよ。お二人とも、ご自身の立場というものをご存知なのでしょう」

 「あのお二人をとお考えなのでしたら、奥さまが紹介なさってあげればよろしいでしょうに」

 長年仕えるこの二人は、やんわりと、それでいてハッキリと女主に意見を伝える。

 「あら、ダメよ。それでは面白くないわ」

 「奥さま」

 二人が息の合った抗議の声を上げる。

 「面白くないだけじゃないわ。あの二人はね、立場というものを理由にして、互いに臆病になっているだけよ」

 ピシャリと言い放った主の言葉に、二人とも黙り込む。

 「レイティアは、本当の自分を知られるのが怖くて、その落ちぶれた立場を理由にしてる。キースだって同じ。本当はレイに惚れているのに、身分が違うからと言い訳めいたことを考えて、気持ちに蓋をしてる」

 「奥さま……」

 「本当の愛はね、立場とかそんなのは障害にならないの。愛おしいと思うなら、それらを乗り越える勇気を、本当の自分をさらけ出す勇気を持たなくてはならないのよ」

 カチャリと、テーブルに置かれたカップが音を立てた。

 「すべてを乗り越えて、すべてをさらけ出して、身分も立場も関係なく互いを想い合うことが出来なければ、あの二人は幸せになれないのよ」

 没落した子爵令嬢が、結婚してその立場を取り戻したとしても、世間の風当たりは相当厳しいものになる。それを守っていくだけの覚悟がキースにあるのか。それに耐えるだけの覚悟がレイティアにあるのか。
 没落した子爵家令嬢と、新興の郷紳ジェントリの息子。
 階級社会、社交界というものは、一度零落した人物をそう簡単には受け入れてくれない。それに、キースは、ラムゼイ家は郷紳ジェントリではあるが、貴族ではない。この二人がどれだけ愛し合っていたとしても、世間は好奇の目で二人を見、あらぬウワサを立てて面白がる。
 それを乗り越えるためにも、強い絆が必要なのだ。
 何もかもかなぐり捨てていけるだけの、強い想いが。

 「さて。次は、どうしてあげようかしらね」

 物語だと、ヒロインをイジメるライバルの令嬢とか、悪い魔法使いとか現れそうだけど。
 あの二人は、互いを想い始めている。
 そんなことを考えながら、この屋敷の女主は、優雅にお茶を飲み干した。

*      *     *     *

 ラベンダースティックを入れたボールの水に指を浸し、その雫を目の前のシーツにふりまく。
 アイロンを手に、シーツのシワをのばしていく。
 ジュッと蒸気が上がるとともに、ラベンダーのいい香りがあたりに充満する。
 ボウルに漬けたスティックは自分で作ったもの。
 彼がいっしょになって作ったものは、別にとってある。
 下手だから使わない……のではない。大切だから、とってあるのだ。
 アレを見るたびに、真剣だった彼の顔が思い浮かぶ。貿易商の息子、郷紳ジェントリの彼がスティック作りで格闘するなんて。思い出すだけで、口元が緩む。
 今かけているシーツは奥さまのお部屋のものと、彼の部屋のもの。
 この香りに包まれて眠る彼は、どんな夢を見るのだろうか。
 香りに気づいてくれるだろうか。
 再び、シーツに水をふりかけ、アイロンを当てる。
 少し熱をもってしまった頬は、そうそうに冷めそうになかった。
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