13 / 18
13.乗り越えるべきもの
しおりを挟む
あてがわれた部屋の窓から、庭を見下ろす。
客間から見える庭園にいたのは、レイ。
部屋に飾るための花を選んでいるのだろうか。年老いた男――おそらく通いの庭師――と何やら話し込みながら、パチンパチンと花を切っている。
時折、花に顔を近づけ香りを嗅ぐ仕草は、とても女性らしく美しいと思う。
今、庭に降りていって普通に声をかけたら、不自然にならずに話せるだろうか。仕事に飽きたとか、息抜きとか言って庭に降りたら。
お茶を用意してくれと言えば、その通りにしてくれるだろう。だが、そこまでだ。
一緒にお茶を飲むことはないだろうし、もしかすると次の仕事があるからと、給仕をモーガンたちに頼むかもしれない。
嫌われてるとかではない。それが、メイドと郷紳との差なのだ。
主の客人と茶を飲むメイドはいないし、次の仕事をさぼるメイドもいない。
手にしていたスティックを、いつものように机の小引き出しに仕舞う。そこに入っているのは、都で衝動買いをしてしまったレースのハンカチ。買ってみたものの、その贈り先にと思い浮かべた相手に、自分で驚き、以来ここに仕舞ったままになっている。
―― メイドに贈物だなんて。三文ロマンス小説のヒーローじゃないか。
「二つの国」とも称されるこの国で、メイドと郷紳の恋愛など成立しない。せいぜい火遊び程度か、もしくは小説のなかの出来事だけだ。
結婚など望めない間柄なのだから、どれだけ好ましく思おうと、その先に未来などない。
―― しっかりしろ、自分。
あの令嬢を求めてここへやって来たのに、別の女性を追いかける自分がいる。こんなのだから、大伯母上は納得されず、彼女の姿を現してくれないのかもしれない。
二人の女性を追いかけて両方とも手に入れたいなどと、傲慢なことを考えたことはない。
世のなかには正妻とは別に愛人を囲う男もいるが、そんな不誠実なことをすれば、誰もが不幸に陥る。
身分上、レイを想っても仕方ないのなら、自分は本来の、令嬢への想いを貫くだけだ。
―― レイが、あの令嬢だったらよかったのにな。
そんな夢物語のようなことを考えて、フッと笑う。
バカバカしい。そんなことがあるものか。
メイドはメイド。令嬢は令嬢だ。
どれだけ姿かたちを変えようと、上質のドレスを身にまとっても、メイドが令嬢に成りすますことは出来ない。
にわかにできることではないのだ。令嬢も紳士も。その星のもとに生まれなければ、なることは難しい。
引き出しを閉めた一瞬、フワリとラベンダーの香りが漂う。
* * * *
「それにしても、強情なこと」
いつものように、この屋敷の女主が軽くほほ笑みながら、お茶を口にする。
そばに控えているのは、女主が未婚の令嬢だった頃から仕えてる老侍女と、気心が知れるまでに仕えてくれた老執事。
「物語のように、上手くはいかないものね。じれったくて仕方ないわ」
「奥さま、それが現実というものでございますよ。お二人とも、ご自身の立場というものをご存知なのでしょう」
「あのお二人をとお考えなのでしたら、奥さまが紹介なさってあげればよろしいでしょうに」
長年仕えるこの二人は、やんわりと、それでいてハッキリと女主に意見を伝える。
「あら、ダメよ。それでは面白くないわ」
「奥さま」
二人が息の合った抗議の声を上げる。
「面白くないだけじゃないわ。あの二人はね、立場というものを理由にして、互いに臆病になっているだけよ」
ピシャリと言い放った主の言葉に、二人とも黙り込む。
「レイティアは、本当の自分を知られるのが怖くて、その落ちぶれた立場を理由にしてる。キースだって同じ。本当はレイに惚れているのに、身分が違うからと言い訳めいたことを考えて、気持ちに蓋をしてる」
「奥さま……」
「本当の愛はね、立場とかそんなのは障害にならないの。愛おしいと思うなら、それらを乗り越える勇気を、本当の自分をさらけ出す勇気を持たなくてはならないのよ」
カチャリと、テーブルに置かれたカップが音を立てた。
「すべてを乗り越えて、すべてをさらけ出して、身分も立場も関係なく互いを想い合うことが出来なければ、あの二人は幸せになれないのよ」
没落した子爵令嬢が、結婚してその立場を取り戻したとしても、世間の風当たりは相当厳しいものになる。それを守っていくだけの覚悟がキースにあるのか。それに耐えるだけの覚悟がレイティアにあるのか。
没落した子爵家令嬢と、新興の郷紳の息子。
階級社会、社交界というものは、一度零落した人物をそう簡単には受け入れてくれない。それに、キースは、ラムゼイ家は郷紳ではあるが、貴族ではない。この二人がどれだけ愛し合っていたとしても、世間は好奇の目で二人を見、あらぬウワサを立てて面白がる。
それを乗り越えるためにも、強い絆が必要なのだ。
何もかもかなぐり捨てていけるだけの、強い想いが。
「さて。次は、どうしてあげようかしらね」
物語だと、ヒロインをイジメるライバルの令嬢とか、悪い魔法使いとか現れそうだけど。
あの二人は、互いを想い始めている。
そんなことを考えながら、この屋敷の女主は、優雅にお茶を飲み干した。
* * * *
ラベンダースティックを入れたボールの水に指を浸し、その雫を目の前のシーツにふりまく。
アイロンを手に、シーツのシワをのばしていく。
ジュッと蒸気が上がるとともに、ラベンダーのいい香りがあたりに充満する。
ボウルに漬けたスティックは自分で作ったもの。
彼がいっしょになって作ったものは、別にとってある。
下手だから使わない……のではない。大切だから、とってあるのだ。
アレを見るたびに、真剣だった彼の顔が思い浮かぶ。貿易商の息子、郷紳の彼がスティック作りで格闘するなんて。思い出すだけで、口元が緩む。
今かけているシーツは奥さまのお部屋のものと、彼の部屋のもの。
この香りに包まれて眠る彼は、どんな夢を見るのだろうか。
香りに気づいてくれるだろうか。
再び、シーツに水をふりかけ、アイロンを当てる。
少し熱をもってしまった頬は、そうそうに冷めそうになかった。
客間から見える庭園にいたのは、レイ。
部屋に飾るための花を選んでいるのだろうか。年老いた男――おそらく通いの庭師――と何やら話し込みながら、パチンパチンと花を切っている。
時折、花に顔を近づけ香りを嗅ぐ仕草は、とても女性らしく美しいと思う。
今、庭に降りていって普通に声をかけたら、不自然にならずに話せるだろうか。仕事に飽きたとか、息抜きとか言って庭に降りたら。
お茶を用意してくれと言えば、その通りにしてくれるだろう。だが、そこまでだ。
一緒にお茶を飲むことはないだろうし、もしかすると次の仕事があるからと、給仕をモーガンたちに頼むかもしれない。
嫌われてるとかではない。それが、メイドと郷紳との差なのだ。
主の客人と茶を飲むメイドはいないし、次の仕事をさぼるメイドもいない。
手にしていたスティックを、いつものように机の小引き出しに仕舞う。そこに入っているのは、都で衝動買いをしてしまったレースのハンカチ。買ってみたものの、その贈り先にと思い浮かべた相手に、自分で驚き、以来ここに仕舞ったままになっている。
―― メイドに贈物だなんて。三文ロマンス小説のヒーローじゃないか。
「二つの国」とも称されるこの国で、メイドと郷紳の恋愛など成立しない。せいぜい火遊び程度か、もしくは小説のなかの出来事だけだ。
結婚など望めない間柄なのだから、どれだけ好ましく思おうと、その先に未来などない。
―― しっかりしろ、自分。
あの令嬢を求めてここへやって来たのに、別の女性を追いかける自分がいる。こんなのだから、大伯母上は納得されず、彼女の姿を現してくれないのかもしれない。
二人の女性を追いかけて両方とも手に入れたいなどと、傲慢なことを考えたことはない。
世のなかには正妻とは別に愛人を囲う男もいるが、そんな不誠実なことをすれば、誰もが不幸に陥る。
身分上、レイを想っても仕方ないのなら、自分は本来の、令嬢への想いを貫くだけだ。
―― レイが、あの令嬢だったらよかったのにな。
そんな夢物語のようなことを考えて、フッと笑う。
バカバカしい。そんなことがあるものか。
メイドはメイド。令嬢は令嬢だ。
どれだけ姿かたちを変えようと、上質のドレスを身にまとっても、メイドが令嬢に成りすますことは出来ない。
にわかにできることではないのだ。令嬢も紳士も。その星のもとに生まれなければ、なることは難しい。
引き出しを閉めた一瞬、フワリとラベンダーの香りが漂う。
* * * *
「それにしても、強情なこと」
いつものように、この屋敷の女主が軽くほほ笑みながら、お茶を口にする。
そばに控えているのは、女主が未婚の令嬢だった頃から仕えてる老侍女と、気心が知れるまでに仕えてくれた老執事。
「物語のように、上手くはいかないものね。じれったくて仕方ないわ」
「奥さま、それが現実というものでございますよ。お二人とも、ご自身の立場というものをご存知なのでしょう」
「あのお二人をとお考えなのでしたら、奥さまが紹介なさってあげればよろしいでしょうに」
長年仕えるこの二人は、やんわりと、それでいてハッキリと女主に意見を伝える。
「あら、ダメよ。それでは面白くないわ」
「奥さま」
二人が息の合った抗議の声を上げる。
「面白くないだけじゃないわ。あの二人はね、立場というものを理由にして、互いに臆病になっているだけよ」
ピシャリと言い放った主の言葉に、二人とも黙り込む。
「レイティアは、本当の自分を知られるのが怖くて、その落ちぶれた立場を理由にしてる。キースだって同じ。本当はレイに惚れているのに、身分が違うからと言い訳めいたことを考えて、気持ちに蓋をしてる」
「奥さま……」
「本当の愛はね、立場とかそんなのは障害にならないの。愛おしいと思うなら、それらを乗り越える勇気を、本当の自分をさらけ出す勇気を持たなくてはならないのよ」
カチャリと、テーブルに置かれたカップが音を立てた。
「すべてを乗り越えて、すべてをさらけ出して、身分も立場も関係なく互いを想い合うことが出来なければ、あの二人は幸せになれないのよ」
没落した子爵令嬢が、結婚してその立場を取り戻したとしても、世間の風当たりは相当厳しいものになる。それを守っていくだけの覚悟がキースにあるのか。それに耐えるだけの覚悟がレイティアにあるのか。
没落した子爵家令嬢と、新興の郷紳の息子。
階級社会、社交界というものは、一度零落した人物をそう簡単には受け入れてくれない。それに、キースは、ラムゼイ家は郷紳ではあるが、貴族ではない。この二人がどれだけ愛し合っていたとしても、世間は好奇の目で二人を見、あらぬウワサを立てて面白がる。
それを乗り越えるためにも、強い絆が必要なのだ。
何もかもかなぐり捨てていけるだけの、強い想いが。
「さて。次は、どうしてあげようかしらね」
物語だと、ヒロインをイジメるライバルの令嬢とか、悪い魔法使いとか現れそうだけど。
あの二人は、互いを想い始めている。
そんなことを考えながら、この屋敷の女主は、優雅にお茶を飲み干した。
* * * *
ラベンダースティックを入れたボールの水に指を浸し、その雫を目の前のシーツにふりまく。
アイロンを手に、シーツのシワをのばしていく。
ジュッと蒸気が上がるとともに、ラベンダーのいい香りがあたりに充満する。
ボウルに漬けたスティックは自分で作ったもの。
彼がいっしょになって作ったものは、別にとってある。
下手だから使わない……のではない。大切だから、とってあるのだ。
アレを見るたびに、真剣だった彼の顔が思い浮かぶ。貿易商の息子、郷紳の彼がスティック作りで格闘するなんて。思い出すだけで、口元が緩む。
今かけているシーツは奥さまのお部屋のものと、彼の部屋のもの。
この香りに包まれて眠る彼は、どんな夢を見るのだろうか。
香りに気づいてくれるだろうか。
再び、シーツに水をふりかけ、アイロンを当てる。
少し熱をもってしまった頬は、そうそうに冷めそうになかった。
2
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【完結】無能聖女と呼ばれ婚約破棄された私ですが砂漠の国で溺愛されました
よどら文鳥
恋愛
エウレス皇国のラファエル皇太子から突然婚約破棄を告げられた。
どうやら魔道士のマーヤと婚約をしたいそうだ。
この国では王族も貴族も皆、私=リリアの聖女としての力を信用していない。
元々砂漠だったエウレス皇国全域に水の加護を与えて人が住める場所を作ってきたのだが、誰も信じてくれない。
だからこそ、私のことは不要だと思っているらしく、隣の砂漠の国カサラス王国へ追放される。
なんでも、カサラス王国のカルム王子が国の三分の一もの財宝と引き換えに迎え入れたいと打診があったそうだ。
国家の持つ財宝の三分の一も失えば国は確実に傾く。
カルム王子は何故そこまでして私を迎え入れようとしてくれているのだろうか。
カサラス王国へ行ってからは私の人生が劇的に変化していったのである。
だが、まだ砂漠の国で水など殆どない。
私は出会った人たちや国のためにも、なんとしてでもこの国に水の加護を与えていき住み良い国に変えていきたいと誓った。
ちなみに、国を去ったエウレス皇国には距離が離れているので、水の加護はもう反映されないけれど大丈夫なのだろうか。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる