灰かぶり侍女とガラスの靴。

若松だんご

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12.手に残る感触

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 マズい。

 自分用にあてがわれた客間に戻ってからも、何度も手を握ったり開いたりをくり返す。
 手に残る感触。
 階段を転げ落ちそうになった彼女を抱きとめただけなのだが。
 その時の感触が、いまだに手のひらに残っている。
 細い身体だった。このまま力を入れれば壊れてしまいそうなほどに。
 少し青ざめた顔。しかしその容貌は、以前見た眠った時と変わらず美しかった。
 そして彼女からただようラベンダーの香り。

 (……似てる)

 レイと夜会の令嬢。
 彼女の踊る姿を見たせいだろうか。それとも、不可抗力とはいえ彼女を抱きしめたからだろうか。
 手に残る感触が、視線の先にあった彼女の顔立ちが、あの夜会の令嬢と重なる。

 (いや、あのぐらいの歳の女性なら、大抵あんなものだろう)

 コルセットで息が出来なくなるぐらい腰を締めつけて、ミツバチのようにくびれた腰を作り上げている。華奢と感じてしまうのは、今に始まったことではない。

 (ダメだ、このままでは)

 レイの感触で、あの時の令嬢の記憶が上書きされてしまう。
 捜しているのは、自分とつり合う立場のあの令嬢であって、レイじゃない。
 そう思うのに、この手のひらで感じた温もりが消えなければいいと願ってしまうのはなぜだろう。

*      *     *     *

 「あら、浮かない顔ね。そんなに、このお茶はおいしくないかしら」

 「あ、いえ。そんなことはありません」

 あわてて、少しぬるくなったお茶をすする。
 仕事の合間に、一緒にお茶でもと誘われたのが数刻前。ふんだんにあしらわれた緑が印象的な温室コンサバトリーで、大伯母上と二人でテーブルを囲む。
 お茶に不満があるわけではない。
 大伯母上とこうして一緒に過ごすことにも。
 ただ。

 (今日は、マーサなんだな)

 大伯母上と同じ年頃の侍女、マーサ。
 彼女が、テキパキと慣れた手つきでテーブルにスコーンとジャムを並べる。

 「そんなに、マーサが気になる?」

 つい、視線で追っていたのだろう。

 「いえ、別に」

 あわてて、視線を戻す。

 「ただ、いつ見てもマーサは変わらないな、と」

 子どもの頃ここを訪れた時から、マーサはいい歳をした侍女だった。顔のシワは生きてきた年輪のようで、少し背の低いその姿は、昔と何一つ変わっていない。
 年齢不詳、というのだろうか。
 いつ見てもマーサはマーサで、歳を経た印象はなく、十年前も今も変わってないのではないかとすら思えてくる。
 そういう意味で、ちょっと化け物じみて感じる時もあるのだが。

 「まあ、坊ちゃまにそう言っていただけて、マーサはうれしゅうございますよ」

 ヒャッヒャッと笑う顔は、どこか魔女っぽい。
 とまあ、話題をマーサへ反らしたが、本当はもう少し違うことを考えていた。

 ―― 今日は、レイじゃないのか。

 大伯母上の世話をするのは、なにもレイだけの仕事ではない。こうしてマーサが役目を負うこともあれば、執事 バトラーのジョンソンがつくこともある。
 レイにだって、大伯母上のお世話以外の仕事がある。だから、ここにいなくても別におかしなことはないのだが。
 それでもやはり会えないことに、軽く落胆してしまう。
 モーガンたちが来て、接点の少なくなった今、せめて姿だけでも見たいと思うのに。
 そう大きいわけでもない大伯母上の屋敷で、すれ違うことすら少ない彼女の姿。

 (ああ、ダメだ。僕はいったい何をしにここに来てるんだ)

 レイに会いに来てるわけじゃないだろう。あくまで、あの夜会の令嬢を大伯母上に紹介してもらうために来ているはずだ。
 レイは、ここで働く一介のメイド。それを気にしてなんになる。

 「大伯母上、そろそろ焦らさないで、彼女の素性を明かしてくださいよ」

 「あらあら、もうガマンが出来ないの?」

 「当たり前ですよ、僕がここに来て、もう一か月以上経つんですからね」

 「せっかちねえ」

 「大伯母上っ!」

 笑われ、抗議の声を上げる。

 「気持ちはわからないでもないけど。もう少し時間をちょうだいな」

 「それは、僕が彼女に相応しいかどうか見極める時間ですか?」

 「そうね、それもあるけど。そもそも相応しくないと思っていたら、わざわざ夜会になんて連れて行かなかったわ」

 それは、どういう意味だ?

 「ただ、もう少し時間が欲しいの。結婚は、女性にとって人生の一大事ですからね。そう簡単には決められないでしょう」

 つまりは、僕の気持ちが受け入れられるかどうかは、彼女の心次第ということか。

 「あなたが、一途に自分のことを想ってくれているのか、浮気したりよそ見しないか。それも重要な案件ですからね」

 その一言に、ズキンと胸が痛む。
 一途に想っているはずだ。よそ見なんてしていないはずだ。
 この想いは誠実なものだ。
 そう彼女にむかって訴えたいぐらいなのに。

 (どうして……)

 どうして、後ろ暗い気持ちになる?
 どうして、レイの顔が思い浮かぶ?
 空いた拳をグッと握りしめる。
 飲み下したお茶が、やけに渋く感じられた。

*     *     *     *

 「あーあ。いつまでウチの若さまはここにいるおつもりなのかねえ」

 いつものように彼の従僕フットマン、飽き性のカーティスが仕事を放り出して愚痴をこぼす。

 「仕方ないだろ。若さまが、例のご令嬢とお会いになるまでさ」
 もう一人の従僕フットマン、モーガンは石炭をバケツに入れる手を止めない。

 「いつになったら会えるんだよ、そのご令嬢」

 「さあな。ここの奥さまが紹介してくれたらってことになっているからな」

 チラリと、カーティスが私を見る。口に出さないだけで、モーガンもカーティスと同じ不満を抱いているのだろう。

 「若さまさ、今度、ハンティントン家の晩餐会に出席するらしいぜ」

 「ああ、この町の名士の」

 「そこだけじゃない、プラウズ家のにも参加するし。どうやら、片っ端からこの町の名家を訪ねて回る作戦らしいぜ」

 「あのご令嬢は、この町で暮らしているらしいからな。奥さま以外のところから伝手がないか捜しておられるのだろう」

 確かにあの時、私はこの町に暮らしているとは言ったけれど。

 「でも、そんなことで見つかるのかねえ。奥さまの交友歴を調べても出てこない。この屋敷と連絡を取り合ってる様子もない。これだけ探しても見つからない令嬢なんてさ。まるでお化けか幽霊みたいだ」

 「カーティス」

 モーガンがカーティスをたしなめる。
 そんな二人のやりとりを尻目に、石炭入りのバケツを持って屋敷に戻る。

 ―― 彼は、あの夜会の令嬢を捜している。

 奥さまに紹介されるのを待つだけではなく、あらゆる手を尽くして。
 それほどまでにご執心なのだろうか。
 あの幻の令嬢に。

 ―― うれしいの?

 そこまで想ってもらえて。

 ―― 悲しいの?

 今の自分を想ってもらえないことに。
 私は、私に嫉妬してる?
 あの令嬢は、父さまが健在であったならば、得られたかもしれない私の未来。
 奥さまに拾っていただいたことは感謝している。今の立場も、従容と受け入れてきたはずだ。
 なのに。
 運命を呪いたくなる自分がそこにいる。
 父さまが生きていらしたら。子爵令嬢であったなら。彼に恥じない立場にあったなら。
 手にしたバケツが、やけに重く感じられる。
 バケツのなかの石炭が、ガシャリと音を立てた。
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