5 / 18
5.あの夜のこと
しおりを挟む
どうしてそこまで入れ込むんだ。
それは、自分でもわからない。
ただの一回、それもわずかな時間一緒に過ごしただけの女性だ。そんな相手をいちいち追いかけていたら、社交界でなどやっていけない。
晩餐会に舞踏会。サロンにクラブ。人と出会う場所はいくらでもあり、人と交わる機会は日常に溢れている。
特に自分のような郷紳の場合、仕事の必要性からいろいろな人間と関わり合いを持つ。当然、女性を紹介されたり会話を交わすことも当たり前のことになっている。
だから、あの夜会で出会ったのだって、いつもと同じことで、誰の連れであろうと表面上の挨拶を交わし、必要とあれば一曲踊って仲良くなっておく。それぐらいでよかったはずだ。
それをまさか、こんなところまで追いかけてくるなんて。
自分でもあきれている。
大伯母上と一緒に夜会に訪れた時、その時はさほどどうという印象は持たなかった。どちらかというと、あの大伯母上が夜会を訪れるなど珍しいな、と別のことに気をとられていたかんじだ。
大伯母上と挨拶を交わした時も、静かな控え目な女性だなと思っただけだった。
場慣れしていないというか、終始うつむき加減で、誰とも話そうとしない。妙齢の女性なら、もっと明るく振る舞うものではないのか。結婚は親が決めるものだとしても、ある程度、恋を求めて参加するのが普通だ。
実際、自分の周りにいる令嬢たちはそうだったし、大伯母がわざわざ連れてくるぐらいなのだから、そういう相手を捜してのことだと思っていたのだ。
しかし、彼女はその存在を隠すかのようにカーテン近くに佇み、それどころか、逃げるようにバルコニーへと姿を隠した。
僕と視線が交わったその直後に。
いつもとは違う、彼女の反応に単純に興味を持った。
大伯母と一緒に来るぐらいだから、僕と知り合いになりたいんじゃないのか?
別に自分にうぬぼれているわけじゃないが、今まで散々そういった事例に出くわしてきた。
爵位こそないが、裕福な郷紳の息子。貿易商として名をはせる、ラムゼイ家の嫡男。遊ぶにしても結婚するにしても、それなりの金と立場を持っている。これからの時代、財産のない名誉だけの貴族より、遊んで暮らせるだけの金のある豪商のほうが望む生活を与えてくれる。そう判断する女性も少なくないのに。
だからこそ気になった。
だからこそ追いかけた。
知り合いになって、そういう未来を求めて来たんじゃないのか?
それとも、恥ずかしがってこちらを惹きつける作戦か?
そのあたりを見極めてやろうとバルコニーへ出たのだが、彼女の思惑はそのどちらでもなかった。
声をかけられ、大いに戸惑っている。
少しでも隙を見つけて逃げ出そうと必死だ。
彼女をダンスに誘ったのは、その反応がどう変化するか見てみたかったから。
必死に扇で顔を隠す彼女の素顔を見てみたかったから。
ダンスの間は、体を密着させ、顔を拝むこともできる。
そんな魂胆も含めて誘ったんだが。
―― してやられた。
わずか一曲だけだったが、最高のひとときだった。
音楽に合わせて軽やかにステップを踏む彼女は、まるで妖精のようだった。ドレスが広がって、彼女を華やかに彩る。
少し強引なリードをすると、ちょっとだけ驚いたような顔をするものの、それでもちゃんとついてきて、かすかにほほ笑む。
ダンスが苦手……なんて謙遜していたが、彼女は大広間の真ん中で踊っても恥ずかしくないほど、とても上手だった。
彼女が動くたびに、フワリと漂う花の香り。うつむいたままだった視線は、いつの間にか上を向き、僕を捕らえることも多くなっていく。
そのどこにでもあるような茶色の、いや、チョコレート色の瞳は、どうしようもなく魅力的で、艶やかな黒髪は美しいとさえ思えた。
曲が終わるのが惜しい。そう思った相手は、彼女が初めてだった。
もっと話をしてみたい。
もっと彼女を眺めてみたい。
もっとその声を聞いてみたい。
もっと彼女を知りたい。
そして、もっと僕のことを知って欲しい。
自分でも、どうしてそこまで入れ込んでしまったのかはわからない。
ただもう一度だけ会って、この気持ちが本物なのか確かめたい。
そして出来るなら。
彼女のその瞳に僕を映して、彼女のその柔らかな声で僕を呼んで欲しい。
それだけで、天にも昇るような心地になれるだろう。
* * * *
困った。
まさか、そこまで彼があの夜の私に入れ込んでいるなんて。
―― 狼王ロボの妻、ブランカのように。
―― 彼女なしでは、生きていけない。
どうしてそこまで言えるの?
夜会で、わずか一曲踊っただけの相手よ?
名も名乗らず、逃げるように立ち去った女なんて。
久しぶりのダンス。それも誰もが憧れるであろう人、キース・ラムゼイに誘われて、断り切れなかった私のせいだわ。
奥さまを訪ねて、時折ここへ来ていた彼。その彼に憧れていなかったといえば、ウソになる。
柔らかな少しウェーブのかかった金の髪。不思議な感じのする灰紫色の瞳。
気取ったところもなく、どちらかというと誰にでも優しく接してくださる人柄は、社交界だけでなく、他の場所でも人気が高かった。
だから、あの夜会でダンスに誘われた時、本当は舞い上がりそうなほどうれしかった。
これが以前の私、子爵家令嬢としての私だったら、どれだけ幸せだったか。
髪を染めて、誰かに見つからないか気にしながら参加したのではなく、従僕に名を読み上げられて、あの会場に入っていたら。
ハルトフォード子爵令嬢、レイティア・アシュリーとして。堂々と。彼につり合うだけの存在として。
って、ダメね。そんな夢物語、もしもの話を思っていても仕方ないわ。
今の私は、奥さまの恩情にすがって生きる、ただのメイド。
事業に失敗して破産した挙句、父さまは亡くなり、頼るべき親戚もいなかった。
―― ステキな人と恋をして、幸せな人生を歩んで欲しい。
奥さまはそうおっしゃってくださったけれど。
なんの資産も後ろ盾もない、零落した私が彼に相応しいとは思えない。
髪を染めるのをやめ、服装を改めただけで、彼は私に気づかない。それほどまでに、今の私は彼に相応しくないのだ。だから、気づかれない。
子爵令嬢ではない。ただのメイドだから。
だから、もうこの世のどこにもいない、子爵令嬢を捜すようなことはやめて、もとの世界に戻って行って欲しい。
でないと、何度だってありえない夢物語を思い描いてしまうから。
それは、自分でもわからない。
ただの一回、それもわずかな時間一緒に過ごしただけの女性だ。そんな相手をいちいち追いかけていたら、社交界でなどやっていけない。
晩餐会に舞踏会。サロンにクラブ。人と出会う場所はいくらでもあり、人と交わる機会は日常に溢れている。
特に自分のような郷紳の場合、仕事の必要性からいろいろな人間と関わり合いを持つ。当然、女性を紹介されたり会話を交わすことも当たり前のことになっている。
だから、あの夜会で出会ったのだって、いつもと同じことで、誰の連れであろうと表面上の挨拶を交わし、必要とあれば一曲踊って仲良くなっておく。それぐらいでよかったはずだ。
それをまさか、こんなところまで追いかけてくるなんて。
自分でもあきれている。
大伯母上と一緒に夜会に訪れた時、その時はさほどどうという印象は持たなかった。どちらかというと、あの大伯母上が夜会を訪れるなど珍しいな、と別のことに気をとられていたかんじだ。
大伯母上と挨拶を交わした時も、静かな控え目な女性だなと思っただけだった。
場慣れしていないというか、終始うつむき加減で、誰とも話そうとしない。妙齢の女性なら、もっと明るく振る舞うものではないのか。結婚は親が決めるものだとしても、ある程度、恋を求めて参加するのが普通だ。
実際、自分の周りにいる令嬢たちはそうだったし、大伯母がわざわざ連れてくるぐらいなのだから、そういう相手を捜してのことだと思っていたのだ。
しかし、彼女はその存在を隠すかのようにカーテン近くに佇み、それどころか、逃げるようにバルコニーへと姿を隠した。
僕と視線が交わったその直後に。
いつもとは違う、彼女の反応に単純に興味を持った。
大伯母と一緒に来るぐらいだから、僕と知り合いになりたいんじゃないのか?
別に自分にうぬぼれているわけじゃないが、今まで散々そういった事例に出くわしてきた。
爵位こそないが、裕福な郷紳の息子。貿易商として名をはせる、ラムゼイ家の嫡男。遊ぶにしても結婚するにしても、それなりの金と立場を持っている。これからの時代、財産のない名誉だけの貴族より、遊んで暮らせるだけの金のある豪商のほうが望む生活を与えてくれる。そう判断する女性も少なくないのに。
だからこそ気になった。
だからこそ追いかけた。
知り合いになって、そういう未来を求めて来たんじゃないのか?
それとも、恥ずかしがってこちらを惹きつける作戦か?
そのあたりを見極めてやろうとバルコニーへ出たのだが、彼女の思惑はそのどちらでもなかった。
声をかけられ、大いに戸惑っている。
少しでも隙を見つけて逃げ出そうと必死だ。
彼女をダンスに誘ったのは、その反応がどう変化するか見てみたかったから。
必死に扇で顔を隠す彼女の素顔を見てみたかったから。
ダンスの間は、体を密着させ、顔を拝むこともできる。
そんな魂胆も含めて誘ったんだが。
―― してやられた。
わずか一曲だけだったが、最高のひとときだった。
音楽に合わせて軽やかにステップを踏む彼女は、まるで妖精のようだった。ドレスが広がって、彼女を華やかに彩る。
少し強引なリードをすると、ちょっとだけ驚いたような顔をするものの、それでもちゃんとついてきて、かすかにほほ笑む。
ダンスが苦手……なんて謙遜していたが、彼女は大広間の真ん中で踊っても恥ずかしくないほど、とても上手だった。
彼女が動くたびに、フワリと漂う花の香り。うつむいたままだった視線は、いつの間にか上を向き、僕を捕らえることも多くなっていく。
そのどこにでもあるような茶色の、いや、チョコレート色の瞳は、どうしようもなく魅力的で、艶やかな黒髪は美しいとさえ思えた。
曲が終わるのが惜しい。そう思った相手は、彼女が初めてだった。
もっと話をしてみたい。
もっと彼女を眺めてみたい。
もっとその声を聞いてみたい。
もっと彼女を知りたい。
そして、もっと僕のことを知って欲しい。
自分でも、どうしてそこまで入れ込んでしまったのかはわからない。
ただもう一度だけ会って、この気持ちが本物なのか確かめたい。
そして出来るなら。
彼女のその瞳に僕を映して、彼女のその柔らかな声で僕を呼んで欲しい。
それだけで、天にも昇るような心地になれるだろう。
* * * *
困った。
まさか、そこまで彼があの夜の私に入れ込んでいるなんて。
―― 狼王ロボの妻、ブランカのように。
―― 彼女なしでは、生きていけない。
どうしてそこまで言えるの?
夜会で、わずか一曲踊っただけの相手よ?
名も名乗らず、逃げるように立ち去った女なんて。
久しぶりのダンス。それも誰もが憧れるであろう人、キース・ラムゼイに誘われて、断り切れなかった私のせいだわ。
奥さまを訪ねて、時折ここへ来ていた彼。その彼に憧れていなかったといえば、ウソになる。
柔らかな少しウェーブのかかった金の髪。不思議な感じのする灰紫色の瞳。
気取ったところもなく、どちらかというと誰にでも優しく接してくださる人柄は、社交界だけでなく、他の場所でも人気が高かった。
だから、あの夜会でダンスに誘われた時、本当は舞い上がりそうなほどうれしかった。
これが以前の私、子爵家令嬢としての私だったら、どれだけ幸せだったか。
髪を染めて、誰かに見つからないか気にしながら参加したのではなく、従僕に名を読み上げられて、あの会場に入っていたら。
ハルトフォード子爵令嬢、レイティア・アシュリーとして。堂々と。彼につり合うだけの存在として。
って、ダメね。そんな夢物語、もしもの話を思っていても仕方ないわ。
今の私は、奥さまの恩情にすがって生きる、ただのメイド。
事業に失敗して破産した挙句、父さまは亡くなり、頼るべき親戚もいなかった。
―― ステキな人と恋をして、幸せな人生を歩んで欲しい。
奥さまはそうおっしゃってくださったけれど。
なんの資産も後ろ盾もない、零落した私が彼に相応しいとは思えない。
髪を染めるのをやめ、服装を改めただけで、彼は私に気づかない。それほどまでに、今の私は彼に相応しくないのだ。だから、気づかれない。
子爵令嬢ではない。ただのメイドだから。
だから、もうこの世のどこにもいない、子爵令嬢を捜すようなことはやめて、もとの世界に戻って行って欲しい。
でないと、何度だってありえない夢物語を思い描いてしまうから。
2
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる