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第25話 きみさえいれば。 (王妃 * 侍女の視点)

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 「姫さまっ、逃げましょうっ!」

 きびすを返し、あわてて近づいてきたオルガに腕をつかまれ引っ立てられた。

 「どこへ?」

 部屋の外は一面の火の海だ。逃げ場はない。
 それにここは二階。窓から飛び降りるのも難しい。
 オルガの視線が、素早く室内を物色する。
 彼女は、吊り下がっていたカーテンをつかむと、力任せに引っ張り下ろす。それを、窓の外、バルコニーの手すりに結び付けると、血走った目でわたくしをふり返った。

 「姫さま、これを伝って下にお逃げください」

 バルコニーの下は庭園。やわらかな芝生が敷き詰められていて、少しぐらい飛び降りてもどうにかなりそうな気がした。

 「でも……」

 でも、それはなんでもない身体だったらの話。こんな産み月に入った身重の身体では、上手く着地できるかどうか自信がない。

 「グズグズしているヒマはありません。どうにかして降りて逃げないと、お子さまとともに死ぬことになりますよ」

 強い口調で詰め寄られる。

 「陛下のためにも、なんとしても生きなければ。さ、姫さま。私がここでカーテンを支えていますから、先に降りてくださいまし」

 「え、ええ。わかったわ」

 今のわたくしは、わたくしだけの身体じゃない。陛下とこの国と、子どものための身体だ。こんなところで、命を落とすわけにはいかない。
 慎重に手すりをこえ、下におろされたカーテンにつかまりながら、少しずつ降りてゆく。

 手のひら……痛い……。

 摩擦で赤くなっているのだろう。二人分の重みが痛みと熱となって、手のひらを刺激する。

 「あっ……!」

 ガマン出来なくなって手を離すが、地面近くだったため、少し転んだだけですんだ。
 お腹も打ってない。

 「さあ、次はオルガ、アナタよ。……オルガ?」

 バルコニーを見上げるが、オルガは降りる気配を見せない。それどころか、スルスルとカーテンを引き上げ始めた。

 「姫さまはそのままお逃げください。暴漢が迫っております」

 「えっ? どういうこと?」

 「先ほど回廊の先から、姫さまを狙う輩の声がしたのです。ヤツラはきっとこの部屋を襲いに来ます。私が、ここで食い止めますから、姫さまはこのまま逃げてください」

 「なっ、なにを言ってるの? オルガッ!」

 「姫さまと陛下のお子を見ることが叶わず、残念ですが。姫さま、どうか陛下とお幸せに」

 「オルガッ!」

 わたくしの叫びにも耳を貸さず、オルガはもと居た部屋に帰って行った。カチャリと窓に鍵がかけられる。

 「オルガッ!」

 よろめきながら立ち上がる。こうしている場合じゃない。
 オルガに身の危険が迫っているのなら、私が。私が誰か助けを呼んでこなければ。
 生まれてからずっと一緒だったオルガ。こんなところで失うわけにはいかない。
 お腹を支えるように手をやり、必死に走り出す。

 誰か。誰か。誰か。

 どこをどう走って行けばいいのかわからない。やみくもに庭園を走り抜けていく。

 早く、早く、助けを呼ばなくては。

 「あっ!」

 足がよろけた拍子に、そのまま芝生の上に倒れ込む。

 息が辛い。そして……。

 「たす……け……て」

 お腹が……痛い。わたくしの、わたくしたちの赤ちゃん……。

 締めつけられるような痛みに、あぶら汗が額ににじむ。痛むお腹を守るように、身体を丸める。

 「リオ……ネル……さま」

 かすれた声で、愛しい名前を呼ぶ。
 彼の望んだ子。その子だけでも、せめてこの世に残したい。
 痛みにかすむ意識。
 ダメ、このままじゃ……。リオネルさま……、オルガ……。

 「マリアローザッ!」

 朦朧とした身体を誰かが抱き起こす。

 「マリアッ! オレだ、しっかりしろっ!」

 「へい……か?」

 その姿がよく見えない。けれど、耳に届いたその声。腕の力強さは、間違いなく陛下のものだ。

 「お……なかが……、あか、ちゃん……」

 脈打つようにお腹に痛みが走る。その痛みにあわせて、脚の間から生温かい水が溢れ出してくる。

 「待っていろ、今、産婆を呼んでくる」

 陛下の横にたたずむ人影が強く頷くのが見えた。

 「まっ、待って……。それより、お願いです、オ、オルガを助け……て」

 「オルガを?」

 「部屋で、暴漢に、襲われそうに……なって、彼女が、わたくしだけ、逃がして……くれて」

 陛下にしがみつき、なんとかそれだけを伝える。

 「ルシアンッ!」

 わたくしが言い切るより早く、傍らに立っていた人物が、弾かれるように走り出した。やはり、あれはルシアンだったのだわ。火の手の上がる王宮めがけて走っていく。

 「うっ……、あ……!」

 「マリアッ! マリアッ!」

 お腹が絞られるように痛い。息が出来ない。

 「誰かっ! 誰か産婆を呼べっ!」

 オルガを、子どもを助けて。

 陛下に抱きあげられるのを感じながら、わたくしは痛みの渦に呑み込まれていった。

*     *     *     *

 私、少しは役に立ったかしら。

 荒い息を整えることも出来ずに、そんなことを考える。
 姫さまを逃がすことは出来た。身重のお身体で、どこまで逃げられるかわからないけれど、それでも無事に逃がせたことに心を撫でおろす。
 今、私の目の前にいるのは三人の男たち。一人は腕から血を流し、もう一人は脇腹を押さえている。私が懐剣で傷つけ、蹴り上げてやった証拠だ。

 我ながら、かなり奮闘したほうじゃないかしら。

 おかげで、頭に血の昇ったこの連中は、姫さまを追うよりも、私を襲うことの方に意識を向けている。これなら、姫さまの足でも逃げ切るだけの時間は稼げる。

 「まったく、こんなきれいな顔をしてながら、おっかない女だぜ」

 仰向けに倒れた私の上に三人目の男がのしかかる。

 「悪い子には、お仕置きをしなきゃだなあ」

 へへへッと下卑た笑い。あとの二人に私を押さえつけるように目で合図を送る。
 カチャカチャとベルトを外す音。下穿きから現れたのは、汚らしいイチモツ。

 なによ。やろうっての?

 そんなクソみたいな陰茎。挿れた途端に、膣で食いちぎってやるんだから。
 さあ、やってみなさいよ。アンタのイチモツと同時に、私の舌も噛み切ってやる。

 ……ルシアンさま。

 目に涙が溜まってる。歪む視界のなかで思うのは、あの彼のことだった。
 人生の最後に私を貫くのが、彼だったらよかったのに。
 姫さまと陛下のように、好き合っても結婚することは出来ない。互いの一番は陛下であり、姫さまであるから。何よりも彼らを一番として、命を捧げる覚悟を持っているから、愛していても、夫婦という、普通の幸せを手にすることは出来ない。

 ……ルシアンさま。

 本当のことを言えば、誰よりも彼と幸せになりたかった。子を成す幸せを分かち合いたかった。
 もし、もしも。
 来世という次の生があるのだとしたら。その時は、普通の男女として、彼と巡り合いたい。愛し合って、平凡な幸せをつかみたい。

 「さようなら、ルシアン」

 小さく口の中で呟く。
 それから、グッと舌を噛めるように歯で挟む。

 「ウッ……グアッ」

 膣に入る直前、陰茎をおっ勃てていた男が呻いた。
 グラリとその身体を揺らすと、そのまま崩れ落ちる。

 「なんだ、キサマッ……!」

 「グハッ……」

 男たちが次々と倒れていく。押さえつけられていた腕が自由になった。

 「……無事か、オルガ」

 荒い息。聞こえたその声。

 「ルシアン……さま?」

 信じられない。どうして彼がここに?

 「話は後だ。脱出するぞ」

 横抱きに抱え上げられ、そのまま走り出される。
 信じられない。彼が、彼が助けに来てくれるなんて。
 これじゃあまるで、私、お姫さまみたいじゃない。
 目から次々に涙があふれ出す。こんなのズルい。こんな幸せを与えてくれるなんて、……反則よ。
 涙を見られたくなくって、ギュッと彼の首にしがみつく。
 今だけは。今だけはこの幸せに酔いしれていたい。
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