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巻の五、陰陽の乙女と言われても
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「ほぉ……」
皎月さんに手を取り、案内をしてもらって。
うつむきがちになって歩くわたしに、含元殿のあちこちから、「ほぉ」とか「あれが……」
みたいな声が上がる。
――あれが、陛下の乙女か。
――陛下御自ら、見出されたそうだぞ。
――あれでは、顔が見えぬではないか。
そう。
今のわたしの顔は、目の前から覗き込まない限り、見えない仕様。
――乙女たる者、そう簡単に下々の、それも男に気安く顔を見せてはなりませぬ!
と、鈴芳が支度の仕上げに、わたしのあたまから、すっぽり包み込むような紗の布を被せた。
わたしはあくまで陛下の女なんだから、たとえ陛下のお召しで衆目集まる場に出るのであっても、顔を晒しちゃいけないんだってさ。
って。「下々の」て。
ここにいる文官武官は、街の機織り女でしかないわたしより、ずっと上の身分だと思うけど、陛下の〝陰陽の乙女〟になった時点で、わたしのが(生まれはともかく)身分上なんだって。
上からすっぽり紗を被らされたせいで、品評員となった文官武官は、紗で隠しきれない、わたしの身の丈とか、太さから、「あれが陛下の……」で品評しなくちゃいけなくなってる。
(紗、被っててよかった……)
体型云々言われるのも嫌だけど、それ以上に、顔を見て、「うわ、ブスじゃん」とか思われたら、もっと嫌だ。
幸いにも、わたしの体型は中肉中背。「妖艶な~」とかからは縁遠いかもしれないけど、「うわ、あんなのが?」みたいな意見は出ない程度には普通だと思うから。
それに。「見られてる」って肌で感じちゃったら、おそらくだけど、わたし、こんなふうに手を引かれても、歩けないと思う。品評の視線に気づかず(気づいてるけど)歩ける、紗の存在、バンザイ!
「陛下。陰陽の乙女、瑠璃妃、罷り越しましてございます」
手を引いてくれてた皎月さんが止まり、頭を下げたのを、手のひらから感じ、わたしも続いて頭を下げる。
紗を被ってるせいで、目の前に如飛がいるかどうかも、わたしにはわからない。今は、皎月さんなしには、なんにもわからない状況。
「よくきた、瑠璃妃」
歩いてきたわたしたちとは違う、別の衣擦れの音。ついで、なにか硬質なものがぶつかるような音。
(うわっ……)
手を引いてくれてた皎月さんが離れ、代わりに、落とした視界に、赤い袍が入ってくる。それと、豪華な靴も。
「顔を上げよ」
命じるとともに、わたしの顎を持ち上げる手。
「叔父上。この者が、私の陰陽の乙女です」
紗を少し剥ぎ取られ、明るく広くなった視界。目の前に立っていたのは、金糸で龍が刺繍された明黄色の袞衣をまとった如飛。その頭上には、皇帝の証でもある冕冠。硬質な音は、ぶら下がる玉、旒がぶつかりあった音。
「ほう。この女性が……」
わたしを見せた相手。おそらく、それまで如飛が座っていただろう席の隣に立っていた初老の男性。こちらも如飛に負けないだけの、豪華な袍をまとっている。藍に近い青地に龍。おそらくだけど、その服装とその立ち位置から、この人が如飛の異母叔父、嘉浩殿なんだろう。
わたしを是非とも見せたいっていう相手。
だからか、その人も、見せられたからには、ものすごく不躾に、わたしを見てくる。
それまでの品評会目線よりも、数倍上の、まるで「愛息子が『この人と結婚したい』と女を連れてきた時の母親」のような、そんな視線。
「フムウ……」
うわ。顎に手を当てながら、めっちゃ見てくる!
これで、息子溺愛母のように、「こんなのは、アナタにふさわしくありません! 元いた場所に棄ててきなさい」って言ったらどうすんだろ? 「機織り女など、陛下にふさわしくありませんぞ!」とかなんとか。
そうしたら、如飛は、シオシオと涙ぐみながら「はい」って、従うのかな? そして、わたしは元いた機織りの家に戻される……。
いやいや。
戻されても、痛くも痒くもないんだけどね?
(なんだろ、このモジャモジャ感は)
胸のなかで、糸がからまって、ひとかたまりになってるような感覚。
(そうよ! 糸、それと機がもったいないだけよ!)
せっかく。せっかく用意してもらった機と糸がもったいないかな~って。機は、家にもあるから、せめて糸だけでも「これまでの報奨」的な感じで、譲ってもらえたらうれしいなってだけで。そうよ。わたしのとっておきの糸をダメにしちゃったんだから、それぐらいのお詫びはもらってもいいはずよ。
自分を納得させて、軽く一人で頷いておく。
「ソナタ、名をなんという?」
ふへ?
突然の、叔父さんからの質問。
「楊、楊里珠と……」
なに? なんでいきなり名前を訊くわけ?
「ふむ。では里珠姫」
怖い……、わけじゃない。落ち着いた、静かな呼びかけ。
なのに、なぜかゴクリと喉が鳴りそうになる。
「これからは、陛下をお支えする役、しかとお頼み申しますぞ」
「――へ?」
思ってたのと違う言葉に、間抜けな声が出た。
「今まで陛下に乙女が見つからず、儂も困っておったのじゃ。このままでは国が立ち行かぬとな」
はあ。
ものすごく。なぜかものすごく緊張した分、今の感情がよくわからなくなった。
気が抜けた。たぶん、これが正解。
「陛下に乙女が見つかった。これで政は安泰。儂の老後も安泰じゃ。これでやっと隠棲できるわ」
カラカラカラ。
叔父が笑う。けど、わたしはキョトンとするしかない。
「叔父上」
笑い続ける叔父に対して、如飛が呼びかける。ガシッと、わたしの肩を抱き寄せて。
「叔父上には、まだまだ扶けてもらわねば。隠棲はまだ早すぎますよ」
「何を言うか。もう、この老骨にムチ打つマネはやめてくだされ」
老骨って。
見た目、まだ五十にもなってなさそうだけど。おそらくだけど、まだ四十代なったばかりぐらい。
「ああでも、陛下にお世継ぎが生まれるまでは、この目を黒くしておかねばなりませんな」
叔父が、自身の目をグイッと指さした。
「亡き兄上に代わって、陛下の御子を抱かせていただく栄誉を授かりたいですからな」
言って、再び笑いだした叔父さん。
異母甥の子を抱きたいって。この人、公私ともに、如飛を大事に思ってるんだろうな。亡くなった異母兄に変わって、その息子を守ってきた――って感じ?
「瑠璃妃の次は、玻璃妃。引退はそれからじゃの」
「叔父上……」
玻璃妃? 玻璃妃ってナニ? 誰のこと?
質問する代わりに、グッと如飛の顔を見上げる。
けど。
ジャラジャラぶら下がる旒越しに見える彼の顔は、どこか引きつったように固まってて、とてもじゃないけど「玻璃妃って誰?」なんて訊ける状況じゃなかった。
皎月さんに手を取り、案内をしてもらって。
うつむきがちになって歩くわたしに、含元殿のあちこちから、「ほぉ」とか「あれが……」
みたいな声が上がる。
――あれが、陛下の乙女か。
――陛下御自ら、見出されたそうだぞ。
――あれでは、顔が見えぬではないか。
そう。
今のわたしの顔は、目の前から覗き込まない限り、見えない仕様。
――乙女たる者、そう簡単に下々の、それも男に気安く顔を見せてはなりませぬ!
と、鈴芳が支度の仕上げに、わたしのあたまから、すっぽり包み込むような紗の布を被せた。
わたしはあくまで陛下の女なんだから、たとえ陛下のお召しで衆目集まる場に出るのであっても、顔を晒しちゃいけないんだってさ。
って。「下々の」て。
ここにいる文官武官は、街の機織り女でしかないわたしより、ずっと上の身分だと思うけど、陛下の〝陰陽の乙女〟になった時点で、わたしのが(生まれはともかく)身分上なんだって。
上からすっぽり紗を被らされたせいで、品評員となった文官武官は、紗で隠しきれない、わたしの身の丈とか、太さから、「あれが陛下の……」で品評しなくちゃいけなくなってる。
(紗、被っててよかった……)
体型云々言われるのも嫌だけど、それ以上に、顔を見て、「うわ、ブスじゃん」とか思われたら、もっと嫌だ。
幸いにも、わたしの体型は中肉中背。「妖艶な~」とかからは縁遠いかもしれないけど、「うわ、あんなのが?」みたいな意見は出ない程度には普通だと思うから。
それに。「見られてる」って肌で感じちゃったら、おそらくだけど、わたし、こんなふうに手を引かれても、歩けないと思う。品評の視線に気づかず(気づいてるけど)歩ける、紗の存在、バンザイ!
「陛下。陰陽の乙女、瑠璃妃、罷り越しましてございます」
手を引いてくれてた皎月さんが止まり、頭を下げたのを、手のひらから感じ、わたしも続いて頭を下げる。
紗を被ってるせいで、目の前に如飛がいるかどうかも、わたしにはわからない。今は、皎月さんなしには、なんにもわからない状況。
「よくきた、瑠璃妃」
歩いてきたわたしたちとは違う、別の衣擦れの音。ついで、なにか硬質なものがぶつかるような音。
(うわっ……)
手を引いてくれてた皎月さんが離れ、代わりに、落とした視界に、赤い袍が入ってくる。それと、豪華な靴も。
「顔を上げよ」
命じるとともに、わたしの顎を持ち上げる手。
「叔父上。この者が、私の陰陽の乙女です」
紗を少し剥ぎ取られ、明るく広くなった視界。目の前に立っていたのは、金糸で龍が刺繍された明黄色の袞衣をまとった如飛。その頭上には、皇帝の証でもある冕冠。硬質な音は、ぶら下がる玉、旒がぶつかりあった音。
「ほう。この女性が……」
わたしを見せた相手。おそらく、それまで如飛が座っていただろう席の隣に立っていた初老の男性。こちらも如飛に負けないだけの、豪華な袍をまとっている。藍に近い青地に龍。おそらくだけど、その服装とその立ち位置から、この人が如飛の異母叔父、嘉浩殿なんだろう。
わたしを是非とも見せたいっていう相手。
だからか、その人も、見せられたからには、ものすごく不躾に、わたしを見てくる。
それまでの品評会目線よりも、数倍上の、まるで「愛息子が『この人と結婚したい』と女を連れてきた時の母親」のような、そんな視線。
「フムウ……」
うわ。顎に手を当てながら、めっちゃ見てくる!
これで、息子溺愛母のように、「こんなのは、アナタにふさわしくありません! 元いた場所に棄ててきなさい」って言ったらどうすんだろ? 「機織り女など、陛下にふさわしくありませんぞ!」とかなんとか。
そうしたら、如飛は、シオシオと涙ぐみながら「はい」って、従うのかな? そして、わたしは元いた機織りの家に戻される……。
いやいや。
戻されても、痛くも痒くもないんだけどね?
(なんだろ、このモジャモジャ感は)
胸のなかで、糸がからまって、ひとかたまりになってるような感覚。
(そうよ! 糸、それと機がもったいないだけよ!)
せっかく。せっかく用意してもらった機と糸がもったいないかな~って。機は、家にもあるから、せめて糸だけでも「これまでの報奨」的な感じで、譲ってもらえたらうれしいなってだけで。そうよ。わたしのとっておきの糸をダメにしちゃったんだから、それぐらいのお詫びはもらってもいいはずよ。
自分を納得させて、軽く一人で頷いておく。
「ソナタ、名をなんという?」
ふへ?
突然の、叔父さんからの質問。
「楊、楊里珠と……」
なに? なんでいきなり名前を訊くわけ?
「ふむ。では里珠姫」
怖い……、わけじゃない。落ち着いた、静かな呼びかけ。
なのに、なぜかゴクリと喉が鳴りそうになる。
「これからは、陛下をお支えする役、しかとお頼み申しますぞ」
「――へ?」
思ってたのと違う言葉に、間抜けな声が出た。
「今まで陛下に乙女が見つからず、儂も困っておったのじゃ。このままでは国が立ち行かぬとな」
はあ。
ものすごく。なぜかものすごく緊張した分、今の感情がよくわからなくなった。
気が抜けた。たぶん、これが正解。
「陛下に乙女が見つかった。これで政は安泰。儂の老後も安泰じゃ。これでやっと隠棲できるわ」
カラカラカラ。
叔父が笑う。けど、わたしはキョトンとするしかない。
「叔父上」
笑い続ける叔父に対して、如飛が呼びかける。ガシッと、わたしの肩を抱き寄せて。
「叔父上には、まだまだ扶けてもらわねば。隠棲はまだ早すぎますよ」
「何を言うか。もう、この老骨にムチ打つマネはやめてくだされ」
老骨って。
見た目、まだ五十にもなってなさそうだけど。おそらくだけど、まだ四十代なったばかりぐらい。
「ああでも、陛下にお世継ぎが生まれるまでは、この目を黒くしておかねばなりませんな」
叔父が、自身の目をグイッと指さした。
「亡き兄上に代わって、陛下の御子を抱かせていただく栄誉を授かりたいですからな」
言って、再び笑いだした叔父さん。
異母甥の子を抱きたいって。この人、公私ともに、如飛を大事に思ってるんだろうな。亡くなった異母兄に変わって、その息子を守ってきた――って感じ?
「瑠璃妃の次は、玻璃妃。引退はそれからじゃの」
「叔父上……」
玻璃妃? 玻璃妃ってナニ? 誰のこと?
質問する代わりに、グッと如飛の顔を見上げる。
けど。
ジャラジャラぶら下がる旒越しに見える彼の顔は、どこか引きつったように固まってて、とてもじゃないけど「玻璃妃って誰?」なんて訊ける状況じゃなかった。
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