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10.カミナリ、オチタ

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 「――副社長、本日の午後、富澤物産の専務との会合のご予定が入っております」

 「う、うん」

 「それと、副社長に新しくご提案したい商戦プランことがあると、営業企画課から報告が上がっておりますが、いかがいたしましょう。今のところ、比較的お手空きになってる明日の午前中などが、都合が良いと思いますが」

 「うん、それでいいけど……」

 「では、私は、福富物産へのお手土産を買いに行ってまいります。福々堂の豆大福を予定しておりますが、それでよろしいでしょうか」

 「うん。助かる……けど。祥子さん、どうしたの?」

 いつものように、私の淹れた紅茶を飲む副社長が、カップを持ったまま動きを止めた。

 「いえ。なんでもありません」

 テキパキと報告、連絡してから、自分のカバンを手に取る。

 「営業企画課の提案プランは、私のほうで軽くまとめて、副社長のパソコンに送っておきましたので。お手空きなら、明日の面談用にザッとで構いませんのでご一読ください」

 「う、うん。わかった」

 驚きが止まらない副社長を置いて、部屋を出る。
 商談先への手土産の準備や、次の資料のまとめなら、以前の仕事、営業事務でもずっとこなしてきたこと。だから、秘書としても、これぐらいのことならできる。

 (お茶くみ要員じゃないのよ)

 営業事務と副社長秘書では、求められるレベルがちがうのかもしれないけど、でもこれぐらいなら私にもできる。
 少しでも新崎くんのことを支えられるように。
 夜な夜な勉強したことを、活かしていく。
 秘書は影。人の影。
 上司が仕事をスムーズに行えるように、物事が円滑に進むように補佐するのが役目。
 私が買っていたお手土産で、相手先との取引が上手くいったら万々歳じゃない? 「よく私の好物を覚えてくれてたね、うれしいよ倉橋くん。ハッハッハッ」なんてことがあったら。企画課との話も、先にしっかり副社長が理解してたら、「よくご存知で。さすが副社長です!」って思ってもらえるじゃない?
 そういった感じで補佐してゆけたら。そうしたら、副社長も私にある程度のことは任せてくれるようになるし、なんでも自分でこなすなんて無理しなくてもすむようになる。

 家でのことも同じ。
 新崎くんは、掃除に料理にと、なんでも折半で家事をやってくれる。時折、お姉さん、社長に呼び出されて難しい時もあるけど、そうじゃなければ、私だけに家事をおしつけるなんてことはしない。私だけで夕食を作った日には、必ず後片付けを申し出てくれる。
 
 (偽装なんだから、私にだけ負担をかけちゃいけないとか思ってるのかな)

 偽装だから。
 偽りの契約だから。
 自分の都合で押し付けた立場だから。

 (それは、私も同じなのにな……)

 住む所がなくて。居場所がなくて。
 他にもいろんな感情が入り混じって決めた偽装婚約、契約同居。
 だから。

 (もう少し肩の力を抜いてくれてもいいのに)

 もう少し頼って。もう少し支えさせて。
 
 (そうだ。今日の夕飯は、肉団子の甘酢あんかけにしよう!)

 目当ての大福を買い終えて、なんとなく思いつく。
 新崎くんと暮らしてわかったこと。
 彼は、酸っぱいものが苦手。
 ちょっとぐらいの酸味なら大丈夫みたいだけど、酢の物とかマリネになると、途端に箸のすすみが鈍る。「美味しいですよ、祥子さん」とか言ってくれるけど、心の底から笑ってる顔じゃない。
 でもちょっとだけ酸味を加えた甘酢あんなら。それもレシピよりお酢の量を減らしたものなら。
 お酢料理は疲れにも効くし。お肉料理は好きみたいだし。
 それでダメなら、また別のメニューを考える。秘書の仕事と同じで、料理も一つずつ覚えていく。
 少しずつ、少しずつ。
 本物の秘書、本物の婚約者じゃないから。せめて、自分にできることだけは、精一杯やって彼を支える。

 「って、あれ?」

 店を出たところで、空が暗くなってきたことに気づく。
 今日、副社長に持っていってもらうお手土産。紙袋に入った、相手先の大好物。地下鉄使って帰って。駅の出口から会社はすぐそこ。すぐそこなんだけど。
 降り出してはいないけど、なんとなく〝どんより〟曇り空。その空を手ですくうようにして、見上げることしばし。

 「すみませーん。ビニールをかけてもらっていいですかあ」

 逡巡したあと、店に戻る。
 デキる秘書は、数手先のリスクを読むのじゃよ。フッフッフッ。

*     *     *     *

 (――シマッタ)

 地下鉄の改札を出て、階段を上がりかけたところで足が止まる。
 降り出した雨は想定内。
 だから、買った大福の紙袋にはビニールをかけて対策を施した。傘は持ってなかったことは痛手だけど、ほんの数十メートルのことだし、ちょっと上着で隠しながら走っていけば問題ないだろう。雨は。
 けど。

 「キャッ!」

 暗いはずの空が、フラッシュを焚いたように明るくなる。そこからの、バリバリドーン! 雷だ。
 この雨はただの雨じゃなく、「雷雨」だったらしい。
 さっきから光っては、バリバリドドーンのくり返し。光ってから音がなるまでの時間で距離を測る? ムリムリムリ。今鳴った音が、いつの雷の音なのかわかんないぐらい、のべつまくなしに雷が雨に混じって降り注ぐ。
 
 (誰よぉ、雨が降ってる間は雷は減るって言ったヤツ)

 雷は雲の中のイオン同士がぶつかって発生するものだから、イオンの放出となる雨が降ってる時は回数が減る。な~んて聞いたことがあるけど、全然減ってない! むしろ増えてる気がする!
 地下鉄の出口近くには、私と同じように空を見上げる人たち。雨をしのいでいるのか、雷に怖気づいてるのか。空を見上げ、身をすくませる。
 
 (避雷針あるだろうから、大丈夫?)

 階段から軒先を伺う。
 地上、出口のまわりには、これでもかってぐらいビルが建ち並んでいる。三階建て、四階建て、大きいの小さいの古いの新しいの。
 いろんなビルがあるけど、大抵のビルには避雷針がついてるだろうし。

 (走っていけば大丈夫かな)

 ――アメグライ、ハシッテクレバイイダロ。

 あんまりここでモタモタしてたら、副社長が出かけるのに迷惑かけちゃいそうだし。必要ないかもしれないけど、出かける前に最終のチェックとかしておきたいし。
 雨が降ってるぐらいで、仕事を遅らせちゃいけない。

 ――ツカエナイ、オンナダナ。

 (ヨシ! 行こう!)

 女は度胸よ、根性よ。なるべくビルに沿うように。そして走る!
 上半身で紙袋をかばうように、上着で覆いかぶさって、いざ!

 バシャバシャと地面の水を弾き飛ばすヒール。ちょっと足をくじきそうになるけど、必死に走り続ける。
 ピカッと光るたび、足元がよく見えてありがたいんだか、迷惑なんだか。

 (あともう少し――!)

 ドドーン!

 「ウギャッ!」

 響く地鳴り。思わず声を上げる。

 「祥子さんっ!」

 目指す社屋の自動ドア、そこから出てきてたのは。

 「に、新崎く――!」

 グイッと掴まれた体。そのまま、なだれ込むように自動ドアの中へ。

 バリバリドーン!

 自動ドアが閉まると同時に後ろで鳴った、すべてを叩き潰すような轟音。

 「た、助かった……」
 
 ゼイゼイと喘ぎながら後ろをふり返る。別に、すぐそこに雷が落ちた、あとちょっとで落雷に遭うとこだったわけじゃないけど。でも「助かった」が素直な感想。

 「まったく。なんて無茶するんですか!」

 同じように床に座り込んだ新崎くんが言った。

 「ご、ごめんなさい。でも、大福はほら、濡れてないし無事――」
 「無事じゃないですよ!」

 ドドーン。
 新崎くんの雷が落ちた。

 「雨で帰れなくなったのなら、一報入れてくれたらいいんです。雷なら余計に。なんなら僕が車で迎えに行ったのに」

 「でも、ほら、駅から会社ってそこまで離れてないし……」

 頑張ってちょっと走ればすむことだし。車でお迎えなんて大げさすぎだし。

 「……祥子さんは、僕をどうにかするつもりですか」

 へ? どうにか?

 「あの、副社長は雷、怖いんですか?」

 それなら無理に外に出て、私を待ち構えなくてもいいのに。

 ――クレアチャンガ、コワガッテルノヨ?

 雷が苦手。生理的に無理。
 そういう人が一定数いることは知ってる。だから、別に私の帰りが遅くても、安全なビルの中で待ってたら良かったのに。それとも、買いに行った大福を心配してた?

 ――オネエチャンナンダカラ、ヒトリデドウニカシナサイ。

 「副社長はね、雨が降ってきたのにアンタが帰ってこないってんで、心配で気がきでなかったんだよ」

 ずぶ濡れの私に、「はい」とタオルを渡してくれた守衛のオジさんが言った。

 「さっきも、アンタが雷のなかを走ってくるのを見つけて。あわてて飛び出していったんだ」

 「清水さん……」

 新崎くんが、守衛のオジさん、清水さんを軽く睨む。

 「それだけ愛されてるってことだよ、お嬢ちゃん」

 新崎くんの睨みなどまったく意に介せず、笑いながら清水さんが立ち去っていく。

 「あ、あの……」

 それも、偽装婚約者としてのフリ? それとも、秘書の雇用主としての責任?
 わかんない。わかんないけど。

 「ご心配をおかけしてすみませんでした」

 雷が鳴ってるから。雨が降ってるから。
 そんなことで心配されたことなんてなかったから。どうにかなりそうなほど気にかけてもらった経験なんてないから。どれだけ雷が鳴ってても、お迎え一つしてもらったことないから。その……。

 「ありがとう……ございます」

 偽装でもフリでも、すごくうれしい。
 こういう時、どんな顔をしたらいいのかわかんないぐらいうれしい。 
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