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「おかえり」と「ごちそうさま」のカンケイ。

第4話 天とじ丼。

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 恋人でも出来たのかな。

 「残業」と嘘をついてまでして会う相手。
 それが「残業」でないことは、帰ってきた時の奏さんに染みこんだ残り香から推察できる。お酒だけじゃない。わたしの知らない誰かの匂いが染みついている。
 それに仕事なら、もっとヨレヨレになって帰宅する。化粧を落とすのもメンドクサイと、メイク落としシートでササッとすませて終わりにする。それをちゃんとお風呂に入ってスキンケアまでするようになった。
 本当に「残業」なら、奏さんのことだ。資料とか持ち帰って、家でも仕事をする。パソコンを前に、仕事へ潜ることの多かった奏さん。なのに、最近は仕事を持ち帰らず、代わりにスキンケアを念入りにやっている。
 
 恋人かな、やっぱり。

 一緒にお酒を飲むような関係。一緒に車に乗ったりしてるのか。その人の匂いが奏さんに染みつくぐらい、親密な関係。
 訊いたところで「私もそろそろ歳だしね~。見れるようにしておかなきゃね~」とか言って、はぐらかされるんだろうけど。そもそも、「残業」とか言って嘘ついてるぐらいだし。
 
 三十二だもんなあ。

 お肌の曲がり角とかいうのももちろんだけど、そういう色恋、自分の将来についても気になってくるお年頃だよね。今、もし誰かに恋してるのなら、多分それが奏さんの未来を決定づけるものになるんだろうし。
 
 結婚、するのかな……。

 するな、とは言えない。
 奏さんの人生は奏さんのものだ。
 奏さんが結婚を考えているのなら、わたしはそれを応援しなくちゃいけない。
 だって。

 わたし、奏さんの人生の邪魔をしてるし。

 ――ウチにおいで。

 両親の葬儀の後、涙を拭くこともできなかった幼いわたしの手を取ってくれた奏さん。手をつないだまま歯を食いしばり、まばたきをこらえ、ジッと前だけを見ていた奏さん。
 奏さんの手は、わたしよりずっと大きくて温かくて優しかった。
 その手に包まれていると、不思議と涙がこぼれて、心が温かくなった。
 その正義感の強さ、義侠心から、親戚をたらい回しにされるか、施設に放りこまれそうなわたしを見るにみかね、受け入れてくれた奏さん。
 あれから十年。
 見上げてた横顔は、わたしの隣に。包み込んでくれていた手は、同じ大きさに。
 ずっとその手に守られてきたけれど、奏さんが別の誰かが差し伸べる手を取るのなら、わたしはそっと手を離さなければいけない。
 今のわたしは守られるだけの子どもじゃない。奏さんと並んで立つことができる。そうして、わたしの手を離して、誰かに駆け寄っていく幸せそうな奏さんの背中を見送るのだ。

*     *     *     *

 「お前、北高の家政科でいいのか?」

 「はい。特にやりたいこともないので」

 「やりたいことがなければ、とりあえず普通科に進学しておいて、それから大学をどこにするか考えたらどうだ?」

 わたしの出した進路調査票を見ながらの二者面談。保護者を交えての三者面談前に行われる、先生との意見の調整。ある程度意見のすり合わせをしてから三者面談に臨まないと、いろいろと困ることがあるらしい。
 けど。
 ヤケに食い下がるな、先生。
 
 「とりあえずって嫌いなんですよ。手に職つけられるし。ダメなんですか? 家政科」

 「いや、ダメってことはないが……。お前の成績で北高の家政科はもったいなさすぎというか……。もっと上、西高目指しても問題ないだろ」

 「北高でいいんですよ。家からも近いですし」

 西高は電車通学になるけど、北高なら徒歩圏内だ。
 
 「安直すぎないか?」

 「熟考したうえでの結論です」

 「北高いい」であって「北高いい」とは言ってないけどね。
 どうせ、先生が西高を勧める理由って、進学校にどれだけ生徒を合格させたかで、自分の給料、実績に影響があるからでしょ。公立中学だけど、そのあたりは先生の能力査定に響くらしい。

 「それがダメなら聖泉女学院でも・・いいですよ。あそこ確か、成績優秀者に授業料免除って特待枠がありましたよね」

 「あるにはあるが……」

 「じゃあ、そこを志望ってことでお願いします」

 特待枠取る気満々か。
 先生があきれてる。
 無理だとは思ってないみたいだけど、「じゃあ特待枠でヨロシク」なわたしにどう反応したらいいのかわからないみたい。

 「……とりあえず。聖泉女学院ということにしておくが。お前、将来なりたい職業とか、そういうのはないのか? もう少し家で親御さんとしっかり話し合ったほうがいいぞ」

 ソウデスネ。
 ウチに親御さんなんていませんけど。
 言ったところで、相手に「ヤベッ!!」って顔をされるだけなので、黙っておく。
 
*     *     *     *

 将来……ねえ。

 先生に言われなくても、考えたことぐらいはある。

 ――奏さんのお嫁さん。
 もしくは、
 ――奏さんちの家政婦さん。

 わたしは、奏さんを支える人になりたかった。
 わたしを養うために、がむしゃらに働いてくれてる奏さん。
 頭もいいし美人だけど、自分の身の回りのことに無頓着で、どこか抜けてる奏さん。その彼女のサポートをしたい。それがわたしの夢だった。
 「お嫁さん」だなんて、奏さんを男性に見立てて、ちょっとした疑似夫婦、おままごとの延長に憧れてるだけなのかもしれない。
 けど、奏さんのお世話をして暮らすのは、とても楽しい。
 育ててもらってる恩を返してるっていうのもあるけど、お世話して役に立ってることがなによりうれしいのだ。
 朝、奏さんを起こして一緒に朝食を食べる。仕事に持ってくお弁当を用意する。学校の帰りに夕飯の買い物。家に着いたら、洗って乾燥までしておいた洋服を洗濯機から取り出し、たたんで仕舞う。肉が好きな奏さんのために、肉多めの夕飯を作る。でも、野菜も食べて欲しいから、そのあたりのバランスも考える。料理の合間を縫うようにして、お風呂も準備して、奏さんの帰りを待ちわびる。

 「ただいま」には、「おかえりなさい」。
 「いただきます」には、「どうぞ召し上がれ」。

 いつもキチンと手を合わせる奏さん。
 「おいしい」、「ごちそうさま」って言ってもらえると、心が少しこそばゆい。次も頑張ろうって思えてくる。後片付けも苦にならない。
 何気ない日常。平凡なくり返し。
 それで満足だった。
 高校に進学するなら、奏さんをもっとサポートできるように、家庭科重視で学べる学校に進学したかった。栄養士か調理師。そういう資格を取って、忙しい奏さんをサポートして喜んでもらえる存在になりたかった。
 けど。

 帰り道、いつものように立ち寄ったスーパー。惣菜売り場で、海老天のパックを手に取る。
 今日も、奏さんは「残業」らしい。さっき、メールが届いた。
 今日も一人の晩ご飯。
 これで即席の天とじ丼にしてしまおう。玉ねぎを切って、めんつゆで煮て、天ぷらを入れたら卵でとじるだけ。あとは、適当にインスタントの吸い物でかまわない。あとは、ご飯を炊いて、お湯を沸かすだけの簡単ゴハン。
 自分一人分を作るのに、キッチンに立つのは億劫で仕方ない。

 先生には、「聖泉女学院の特待枠」希望と言ったけど、それが一番いいのかもしれない。特待生なら学費は免除になる。自分の生活費は、バイトでもして稼げばいい。
 
 (そうだ。聖泉が、バイト可かどうかだけ調べておかないと)

 それによっては、もっと別の、特待生枠があってバイト可の学校を探さなくっちゃいけなくなる。
 奏さんが自分の人生を一歩前に踏み出そうとしているのなら、その行く手を阻む存在になっちゃいけない。これまでの十年間、奏さんの道をわたしが足止めしちゃっていたんだもの。自分のお金は自分で稼いで、これ以上の邪魔をしてはいけない。

 「ただいま」と「おかえりなさい」。「いただきます」と「ごちそうさま」。

 永遠にくり返されると思っていた関係。
 共に並んで立てたことで成立した関係。
 奏さんが前に一歩踏み出したら。わたしとつないだ手を離してしまったら。
 わたしは、どんな未来に一人、立っていればいいのだろう。

 その日、奏さんの「残業」は「泊まりこみ」へと変化した。
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