神嫁、はじめました。

若松だんご

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15.人なるもの。人ならざるもの。

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 濡れた草。落ち葉。
 ぬかるんだ土。転がる小石。

 (あの時と同じだ……)

 記憶をリフレインするような景色。
 小さい頃、迷子になったときに見た光景。
 湿った森の空気も、土の匂いも、足の痛みも、お腹すきすぎて麻痺してた感覚も。全部が体の中に蘇ってくる。
 何日も何日も山を彷徨った。
 お父さんやお母さん、みんなのところに戻りたくて、頑張って歩くけど、景色は全然変わらなくて。進んでるのか、戻ってるのか。正解なのか、間違いなのかもわかんなくて。
 寂しくて。泣きたくて。怖くて。
 
 (――――っ!)

 すくみかけた足を、手で叩いて叱咤する。
 大丈夫。大丈夫。
 今の私は立派な大人。迷って泣いてる子どもじゃない。
 背もそれなりに高くなったから、遠くまで見通せる。いざとなったら、スマホがある。麓にはひいじいちゃんたちもいる。助けを呼ぶことだってできる。
 だから。

 (大丈夫)

 ――ホントウニ?

 一瞬揺れた下草。そのガサリという音に、体がビクンと震え、縮こまる。

 (何やってんの! 大丈夫よ!)

 お守り代わりのスマホを握りしめる。
 草が揺れた原因は風。あれじゃない。
 すくむ自分を叱咤し、スマホのライトで草を照らす。ほら――ね? なんにもニョロニョロ出てこないじゃない。
 マムシは出ない。出るわけない。
 恐怖で溜め込みすぎた空気を、一気に肺の中から吐き出して気を取り直す。
 こんなぐらいでビビッてどうするの。
 再び歩き出した足。その足を眺めながら、用心深く前に進む。

 アイツを。アイツを見つけてぶっ叩いてやるまでは。

 町も守らずに引きこもったアイツ。

 ――この野賀崎は、幸い、美し地ぞ。が治めておるゆえ、争いも災いもない。

 なんて言ってたくせに。とんでもない嘘つき神様。
 私と別れたから、ショックで引きこもってる? 私に帰れって言ったのはそっちじゃない!
 勝手に人の戸籍を改ざんしたり。勝手に人を嫁扱いしたり。
 勝手に帰れって言って、勝手にいじけて職務放棄。
 こんなの。

 (一発殴ってやらなきゃ気がすまない!)

 どこまで人を振り回すのよって! 神様名乗るんだったら、人に迷惑かけんじゃないわよって!
 仕事用の白いシャツと水色のスカートは、跳ねた泥の水玉模様。メイクは汗で流れ落ちた。パンプスを履いた足はとんでもなく痛い。
 もしこれで山で迷って野垂れ死んだら。化けて呪って祟ってやる!

 「――うわっ!」

 パンプスでは捕らえきれなかった地面。濡れた落ち葉でズルッと滑り、そのまま前にぶっ倒れる。

 「いったぁ……」

 とっさについた手。その手も顔も、ズキズキ痛いし、泥だらけ。もちろん服もデロデロ。――最悪。最低。
 もう。もう、こんなの……。

 「那岐のバカぁっ!」

 思いっきり叫ぶ。

 「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよっ! 勝手にっ! 勝手に振り回してっ!」

 叫ぶだけじゃない。爆発したように、溢れた涙。なんで泣いてるのかわかんないけど、ボロボロと目から溢れ落ちる。
 薄暗い森の中。すっ転んで泥に這いつくばったままの大泣き。転んだままなんて恥ずかしいのに、今はそれより泣いて、泣いて、大泣きしたい。
 私、なんでこんなとこで転んでるの? 私、なんでこんなとこにいるの?

 「――日菜子?」

 声を上げて泣く私の前に降りてきた声。

 「大丈夫か? どこか痛むのか?」

 それは、幼い頃の記憶と同じで。

 「くちはみならおらぬぞ? いたとしてもが払ってやる」

 変わった形の白い服を着て。首から勾玉を下げてハニワスタイル髪型のソイツ。あの時と同じように、「さあ」と私に手を差し伸べてくるけど。

 「ふっざけんじゃないわよっ!」

 自分で立ち上がった私。その勢いのままに、アイツの頬をぶっ叩いた。

*     *     *     *

 「まさか、日菜子がを探しに来るとは思わず。すまなかった」

 近くにあった岩に私を腰掛けさせたアイツ。その頬には、私の手形がクッキリ残る。

 「のことを、心配してくれたのか?」

 「……別に。あんたのことなんでどうでもいいけど。ひいじいちゃんたちが心配だったのよ」

 その顔を見られなくて、プイッと横見て話す。

 「……そうか」

 言いながら、神様が私の向かって手をかざす。直接触れるわけじゃないけど、そうされることで、顔や服についた泥がキレイに落ちていく。慣れない山登りで痛んだ足も元通りになっていく。なんていうのか、このまま仕事に行っても問題ないぐらいの元通り。

 「それより、アンタ、何してたのよ」

 よそ見しながら問いかける。
 町のジジイたちの言ってたみたいに「嫁がいなくなって、ショックで引きこもってました~」ってのなら、もう片方の頬にも手形つけてやるけど?

 「少し、考えていた」

 考えてた?

 「日菜子に言われたことを」

 「私が言ったこと?」

 「には、人の心がわからぬ」

 力なく、そこに座り込んだ神様。うなだれ、ジッと地面を見つめる。

 「は、人とは違う姿で生まれた」

 「違う姿って……」

 「蛇体」

 伸ばしかけた手がビクッと揺れて止まる。

 「父神に似たのだろう。母の産み落とした卵から生まれた。けれど、母はを愛くしんでくれた。里の子とは違う異形のを、母だけは大事に思うてくれた」

 いつだったか話してくれた、神様の生い立ち。
 千年以上昔に、ここを治めていた兄妹の妹、斎姫だったお母さんと、天から降りてきた神様の間に生まれたって言ってた。
 自分の産み落とした卵。そこから孵った蛇。
 そんなビックリ出産なのに、コイツのお母さんは、蛇姿の我が子を大事に思ってたんだ。

 「は、父神にこの地を守るよう言いつけられた。斎姫であろうと、母は人の子。天に昇るわけにはいかぬからな。ここで母が天寿を全うするまで、この地を守り、幸をもたらせと命じられた」

 多分、想像だけど、コイツの両親は互いを深く想い合っていたんだろう。想い、愛し合っていた。だから、我が子が卵で生まれようと関係なく大事にしたし、残していく妻を守れと我が子に命じていった。
 
 「この地を守り、幸い多かれと恵みをもたらす。父神に命じられずとも、は、母のために尽くそうと思うておった。この地が豊かであれば、母は喜ぶ。そして伯父も。だが――」

 言葉を切り、グッと息を呑んだ神様。

 「は間違えてしまった。多くの恵みを与えてしまったために、伯父に悪しき心を抱かせてしまった」

 「あしき……心?」

 「伯父上は、さらなる恵みをもたらすよう、が父神のもとに帰ってしまわぬよう、この地に呪をもって縫いとどめた」

 「え……? それって、無理やりここに縛りつけたってこと?」

 「そうだ。神の子であるをこの地に封じた」

 それって、神の子ウンヌンの前に、とんでもない虐待じゃないの?

 「当然、も大人しく封じられる気はなかった。母のために恵みをもたらすつもりではあったが、封じられて良しとは思わなかった。それは、母も同じ。この山に封じられそうになったを助けに、兄である伯父を諌めようとここに来て――」

 神様が、両手で顔を覆った。

 「日菜子。荒御魂というのを知っておるか?」

 「アラミタマ?」

 「荒御魂、和御魂にぎみたま。神の持つ二面を表す言葉だ。神は恵みをもたらすだけの存在ではない。荒々しく暴れ狂う荒御魂も持つ。あの時、呪に抵抗するは、災いを呼び起こす荒御魂を発現させていた」

 「わざわ……い」

 声が喉に張り付く。

 「蛇体となって暴れ、木々をなぎ倒し、嵐と雷を呼んだ。海は荒れ狂い、田は割れ、里は海と山に呑み込まれ……。気がつけば、呪を唱えていた伯父は死に、母も無惨な姿になって事切れていた」

 「そん、な……。だって、悪いのはその伯父さんじゃない!」

 無理やり甥っ子を繋ぎ止めようとした、その伯父さんが一番悪いんじゃないの?

 「そうかもしれぬ。だが、聞いてしまったのだ。暴れ狂う中、母がを化け物と呼んだことを」

 「え……」

 「化け物。人殺し。お前なんか産まなければよかった。母のためと、必要以上に恵みを与え、伯父の心に欲という悪しきものを生み出したのはだ。が、恵みをもたらしたばかりに、母も里の者も死なせてしまった」

 顔を覆うだけでは足りないのか。膝に顔を埋めてしまった神様。

 「には人がわからぬ。大切な者を幸せにする方法がわからぬ」

 くぐもったその声は、泣いてるみたいに湿ってる。
 お母さんに喜んでもらおうって頑張った結果、お母さんを死なせてしまった。

 「はいつも間違ってしまう――」

 もしかしたら、この野賀崎に留まったのは、死んだお母さんへの罪滅ぼしだったのかもしれない。この地が少しでも豊かに平和であるように。けど、また人と触れ合うことで、距離を間違えることを恐れて姿を隠してた。千年以上、ずっと。
 とっても傲慢。とっても我が儘。
 だけど、とっても臆病。とっても寂しがり。
 
 「――ねえ」

 そんな神様の前にしゃがみこみ、グイッと顔を上げさせる。
 泣いてはなかったけど、でも弱々しい表情。
 その顔を見て、スウッと息を吸い込む。そして。

 「いい加減にしなさい!」

 思いっきり怒鳴る。
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