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第10話 良きはよきまま、悪しきをよきに。

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 ――ゴメンね。痛いよね。

 シュルンとほどかれた殿下のクラヴァット。それが私の怪我した手に巻かれていく。

 (ああ、どうしよう……)

 私の怪我を心配してくださった殿下。「お姫さま抱っこ」というとんでもない形態で、ご典医のところまで連れてってくださった殿下。
 あの心づかい、あの優しさ。
 スッゴクうれしかったし、スッゴク幸せだったし、スッゴク申し訳なかったんだけど。

 問題はそこじゃない。

 (これ、どうしよう……)

 ドサクサに紛れて持って帰ってしまった、殿下のクラヴァット。
 私の怪我の手当てになんか使っちゃったせいで、血がついちゃったクラヴァット。
 あの場で、「ありがとうございます。お返しします」って言うのは、ちょっと違う気がした。だって、「は? 血がついたまま返すの?」ってなるし。そこは、ちゃんと血を落として、キレイにしてから「ありがとうございます」だろうし。
 で。
 持って帰ってきたわけなんだけど。

 (どうやって返そう)

 という悩みに突きあたることになる。
 クラヴァットについた血はキレイに落とした。絹でできたクラヴァットを洗うのは、とてもとて~~~~も気を使ったけれど、それでもどうにか汚れを落とすことはできた。
 が。

 (これ、返していいものなのかな)

 使いました。→助かりました。→キレイにしました。→ありがとうございます。返却。
 これでいいの?
 それよりは……。
 使いました。→助かりました。→キレイにしました。。→別のものを用意させていただきました。これ、お礼です。
 の方がいいんじゃない?
 キレイにしたところで、一度は、私の血がついたものなんだし。それをそのままお返しするより、新品を用意したほうがいいような気がする。キレイに落ちてたって、一度は誰かの血のついたものなんだし、あまりいい気はしないよね。
 でも……。

 (こんなお高そうなクラヴァット、どこに行ったら売ってるのよぉっ!!)

 そもそもに、私、女性用だろうと男性用だろうと、そういうお店に詳しくない。
 まあ、詳しかったところで、街の仕立て屋レベルで、こんな高級クラヴァットを手に入れるなんて無理よね。街で売ってるのは、「宴会、もしくは村の収穫祭に参加するレベルクラヴァット」で、殿下の首に巻いていいのは、「晩餐会、もしくは舞踏会に出席するレベルクラヴァット」なんだもん。
 代わりのお返しにするにしても、格差がありすぎる。
 下手なものをお渡ししても、(まあ殿下はお優しいから受け取ってはくれるだろうけど)迷惑になって、クローゼットの奥深くで肥やしになるしかなくなる。

 (ホント、どうしよ……)

 殿下のクラヴァットをどういう経緯であれ、手に入れたのは(変態じみてるけど)うれしいっちゃあうれしい。洗濯しても、かすかに殿下の匂い(残り香)があるような気がする(やっぱ変態)。
 目を閉じ、クラヴァットを抱きしめる。
 新しいのを用意してお返しするなら、これはもう私がいただいちゃってもいいよね? タンスの奥に仕舞って、大事に家宝扱いしてもいいよね? 時折出してきて、においを嗅いで幸せに浸ってもいいよね?(変態確定!!)
 殿下の匂いと同時に思い出す、あの時のすべて。私を抱き上げた殿下の腕の力強さ。たくましい胸。意外と広かった。私の手を取ってくださった、殿下の大きな手。近くで囁かれた私の名前。
 イキナリのお姫さま抱っこに頭爆発しそうだったけど、何度だって細部まで脳内再現できるぐらい、記憶を反芻させる。
 私の怪我が大したことないと知って、ホッとされた殿下の表情。
 そして――。

 ――ダンスの練習、できなくなったかなって。せっかくのチャンスだったのにってね。

 手の甲に落とされた口づけ。包帯越しでも、あれはかなりた。
 今でも思い出すと、「ギャーッ!! ワーッ!!」って叫んで、ジタバタモダモダしそうなほどの出来事だった。
 全身から火を吹きそうなほどの事態。きっと令嬢方なら卒倒されてるよね。「ああっ……」とかなんとかおっしゃって。クラリ、クラクラ、バタンキュ~。
 (表面上は)まったく動じずにいられたのは、亡き祖母と父の教育のたまものだわ。
 あんなの、あの場を和ますための殿下のお茶目だろうから、下手に倒れたり頭を爆発させたら迷惑になっちゃっただろうし。
 亡き祖母と父に感謝、かな。
 軽く手を握ったり開いたりして、怪我のぐあいを確かめる。
 手の怪我は、手当てが的確だったこともあって、血も止まってるし、そこまで痛くはない。力を込めれば痛みは増すけど、そうでなければ、気になるほどでもない。
 剣も持てるだろうし、ダンスだって問題な――。

 (ナタリーさん!!)

 そうだ、彼女(!?)に相談してみよう!!
 私の舞踏会用のドレスを仕立ててくれるナタリーさん。殿下のことを「ナディ」なんて愛称で呼ぶぐらい仲いいんだし、殿下が紹介してくださるぐらい一流のお店なんだし。お返し用のクラヴァットぐらい、相談したら用意してくれるかもしれない。 

 (多分、きっとメッチャお高いんだろうけど)

 殿下と仲いいぐらいなんだし、舞踏会用のドレスを仕立てることのできるお店なんだし。きっと、クラヴァット一枚とっても、目ん玉飛び出るお値段だと思う。

 (お給料、足りるかな……)

 無駄遣いしてないから、ある程度貯金はあるつもりだけど。
 ナタリーさんのお店が良心価格であることを切に願う。
 
*     *     *     *

 「クラヴァット……ねえ」

 ナタリーさんの思案顔に、心が騒ぐ。
 もしかして、取り扱ってない?
 それとも、とんでもなくお高い? 私の給料程度じゃ買えないとか?

 「ま、いいわ。なんとかしてあ・げ・る♡」

 軽くウィンク。

 「せっかくだから、舞踏会のドレスと一緒に届けるわ。楽しみにしてなさい♡」

 またまたウィンク。
 オカマさんのウィンクって、美人とかカッコいいとかを突き抜けて、ちょっと怖い。圧がスゴイのよ。
 「氷壁」だって、後ずさりしたくなる、破壊力と攻撃力。

 「よろしくお願いします」

 そう言うのが精一杯。

 「まっかせなさぁい♡ 最高の一品を用意してあげるわよ」

 ちょっとどころか、かなり不安。

*     *     *      *

 で。
 舞踏会当日。

 「うわ、スゲー真っ赤」
 「ハデだな~」
 「キッツイ色だな~」

 私のいた騎士の詰め所に届けられたのは、濃く深い赤のドレスと、同じ色のクラヴァットだった。それも、ナタリーさん付き。
 私と一緒にドレスを見た部下のアインツたち。ドレスに関しては、一応の感想を述べたけどナタリーさんについては、口をつぐんだ。うん、まあ、そこはよくわかる。

 「さ、時間もないし。着替えるわよ」

 詰め所からつまみだされたアインツたち。騎士としてそれなりの体格をしてる彼らなのに、ナタリーさんに言葉通り、「ヒョイッと」つまみ出された。
 ナタリーさん、怖い。
 逆らわないでおこう。

 「ほらほら、脱ぐ脱ぐ♡」

 って、きゃああああああぁっ!!

 問答無用で脱がされる騎士服。
 代わりに着せられたドレス。もちろん晒を巻くなんて許されない。
 でも、こんな真っ赤すぎるドレス、大丈夫なの? 肩も隠す気ゼロのむき出しドレスだし。かなり攻めてるよね、これ。

 「大丈夫よ。アンタ、胸が大きいこと気にしてるみたいだけど、そこまで大きいんだし、隠さないほうが映えるのよ」

 そ、そうなの?

 「他の令嬢たちはね、胸に自信がないから、はみ出たお肉を寄せて上げたり、胸元をレースだなんだで隠してるの。アンタはその必要がないし、はみ出たものもないんだから、堂々としてなさい。寄せて作ってない胸、肩から胸にかけて自然な曲線ができてるんだから、それを武器にしてアピールするのよ。胸張って、自慢しなさい」

 でも、こんな真っ赤だなんて……。
 いくらなんんでもハデすぎる。

 「アンタの顔立ち、ハッキリしてるからねぇ。下手にフワフワな色目より、ハッキリした濃い色目の、シュッとしたデザインの方が似合うのよ。背も高いし。逆に言えば、普通のどこにでもいるご令嬢に、このドレスを着こなすのは無理ね。結構上級者向けドレスよ、これ」

 そ、そうなんだ。
 ドレス初心者なのに、上級者用ドレスを着ることになるとは。
 キッチリ採寸されたおかげか、ドレスは、私にピッタリと添うように作られていた。
 上半身は同色の糸で刺繍されてる以外の装飾がなく、腰のあたり、スカート部分からの切り返しでタップリ布を使い、少しだけ広がるドレス。パニエやクリノリン、ファージンゲイルで広げるのではなく、布の質量で広がっている。あくまでシンプルに。形ではなく色で勝負するドレス。

 「さ、髪もいじるわよ。座って、座って」

 言われるままに、その辺にあった詰め所の椅子に腰かける。

 「髪もね、アンタ、硬いこと気にしてるみたいだけど、このドレスに合うように、キッチリ結い上げれば問題ないわよ。フンワリ巻いたって、その顔立ちとドレスに負けちゃうし。こうやってまとめ上げてしまえば、首筋から肩にかけてのラインも強調されて、色っぽく仕上がるのよ」
 
 い、色っぽく!?
 私が!?

 「硬い髪は結い上げるのに最適だしね~。アンタ、ホントにこのドレスに似合うための素材をいっぱい持ってるんだから、もっと自分に自信を持ちなさい」

 仕上げとばかりに、耳にシンプルな真珠のイヤリングをつけられた。首元にも同じ真珠のネックレス。

 「最後は、この手袋。腕をドレスで隠さないから、その引き締まった腕の良さが出るってもんよ」

 はめられた手袋は、肘まで隠れる長いものだった。袖なしドレスで、モロ出しだった部分がいくらか軽減される。
 
 「アンタはね、背も高いし、キリッとした顔だちをしてるし、なにより余計なものをつけてない身体をしてるんだから、カワイイよりもキレイ、大人っぽさを目指したほうが似合うのよ」

 仕上げに、顔をいいようにいじられて……、訂正。丁寧に化粧を施される。

 「さ、出来たわよ。あとは、このクラヴァットをナディに渡していらっしゃい。今のアンタとおそろい。『今日の舞踏会に着けてください』って言うのよ」

 うわ。真紅のクラヴァットって思ってたけど、これ、ドレスとおそろいだったのか!!

 ホラホラとナタリーさんに背中を押され、慣れないヒール付きの靴で詰め所から出る。

 私、これ、殿下に渡すの? これを着けた殿下と一緒に舞踏会に参加するの?
 そ、それはさすがに……。
 
 「ナディが着けなかったり、アンタが渡さなかったら、どうなるか、――わかってるわよね?」

 ひぃっ!!
 ナタリーさん、顔、怖いっ!! ドスの効きすぎた低い声!!

 ヨタヨタと回廊を歩き出す私。ヒール付きの靴でもあるけるのは、普段、騎士として養ってるバランス感覚のおかげ。でも、心にかかったとんでもない圧が体をふらつかせる。

 「なあ、あれ、リーゼファさまだよな」
 「ああ、ニセモンじゃねえよな」
 「女は化ける生き物だって言うけど……。化けすぎだろ」

 私の後ろで囁かれていたアインツたちの会話。満足そうに腕を組んで見送るナタリーさん。
 
 (うう。どうやってこれを殿下に渡せばいいのよぉ)

 後ろのことなんてどうでもよくって、私はただただ手のなかのクラヴァットに頭を抱えていた。
 
 ただのお返しだったはずなのに。渡すハードル爆上がり。
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