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第32話 誓い。
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「リーナ」
その呼びかけにリーナは深い闇から意識を取り戻す。
目の前にあったのは、以前と同じクラウドの精悍な顔。
しかし今朝は、彼の深い青の瞳が自分を映している。
「今日は、逃げられないぞ」
その声にいたずらめいた感情がのせられている。
「あっ、あの、おはようございますっ」
「……ん⁉ ああ、おはよう」
リーナの挨拶に、一瞬クラウドが戸惑う。
リーナだって深い意味があって告げた挨拶ではない。朝の光のなかで見えた、彼の素肌に困惑し、とっさに口をついて出ただけだ。
クラウドの筋肉質な腕がスッポリとリーナを包む。
「リーナ」
甘く、クラウドが名を呼んだ。
一緒に朝を迎えられたこと。昨夜、彼に愛されたこと。
そのことが思い出されて、リーナは、幸せを感じるとともに、――寂しさも感じていた。
この先、こうして抱かれることは、もうないかもしれない。呪いの解けたクラウドは、その身分にふさわしい妻を娶るだろう。今すぐ、ということはないかもしれないが、それでも、その未来は必ず訪れる。
愛人としてそばに身を置くことはできるだろうが、そんなの、誰も幸せになれない。
その時がきたら。リーナがどれだけ彼を愛していようと、何度抱かれようと、離れなくてはいけない。愛されたくないわけではないが、未練がましくそばにいることで、彼の歩む幸せな人生を不幸なものにしたくない。
だから。この幸せは、今だけのもの。
「リーナ、お前に聞いて欲しいことがある」
ええ。わかっています。この関係は今だけだってことを。時が来たら離れなくてはいけないことを。
告げられるであろう、残酷な宣告に耐えるために、目をつむる。
「……リーナ。俺と結婚してほしい」
……え!?
その言葉に驚き、目を見開く。
「えっ、あ、あの……」
とっさに言葉が出てこない。
聞き間違い? それとも……。
「俺の妻になってほしいんだ、リーナ」
顔に伸ばされた手が、優しく、目を真ん丸にしたままのリーナの頬を包む。
「俺はお前を愛している。お前も同じ気持ちなら、『はい』と答えてくれないか?」
「でも、私は……」
うれしさよりも、戸惑いが勝った。
「私は、生まれも素性もわからない、孤児院育ちのメイドです。妻になど……、きゃっ‼」
引き寄せられ、言葉を遮るように口づけされる。
「身分など、どうでもいい」
「でもっ……、ンンッ!!」
抗議するたびに、口をふさがれた。
「じゃあ、俺が公爵家の跡取りではなく、炭鉱夫や、荷役だったりしたら結婚してくれるのか?」
「それは……」
返答に詰まる。
「お前が妻になってくれるなら、爵位など捨ててしまおうか。お前と二人で生きていくのに邪魔になるようなもの、俺には必要ない」
「そんなっ……、ダメです!!」
クラウドにはその身分のままに、幸せに暮らしてほしい。
「俺は、お前がメイドであっても、どこかの国の王女だったとしても愛し、妻に迎えたいと思う。お前なしの人生など考えたくもない」
「ンン……!! クラウド……さま……、あふっ……、あ……」
今度は深く口づけられた。口腔内をなぞられ、いけないとわかっていてもゾクゾクとした快楽が背筋を駆け上がる。
「答えてくれ、リーナ。俺は、お前の夫にふさわしくないか?」
「……そんなことっ、ありません。でも、でも……」
息が整わず、胸が大きく上下する。
クラウドがふさわしくないのではない。リーナがクラウドにふさわしくないのだ。
目を潤ませながらも、YESと言わないリーナに、クラウドが小さく息を吐いた。
「あんまり言いたくなかったんだが……。実は猫の呪いには、続きがあってな」
「えっ……!?」
乙女の純潔と、愛からくる献身では足りないのだろうか?
まだ他にもやることが?
「猫の呪いを解くため、純潔を捧げた乙女を幸せにしなくてはならない。妻とし、一生ともにして愛さなければ、呪いは再び降りかかり、永遠に解けなくなる」
「えっ? ええっ……!? えええええっ!!」
「適当に女をあてがって、呪いを解こうという者が出ないための方策だろうな。純潔の対価としてお前を愛してゆかねば、この先、俺はずっと猫として暮らさねばならなくなる」
「そんな、それじゃあ……」
では、純潔を捧げてくれる相手選びは、もっと慎重にしたほうがよかったのではないか。手軽に、身近な存在だったリーナなど相手にしなければ。もっと身分上の女性を選んでいれば。
「猫に、〈アッシュ〉になれば、お前が愛してくれると言うのなら、それも悪くないが……」
「ダメですっ!! 猫で生きていくなんてっ……!!」
〈アッシュ〉だった彼が嫌いなわけじゃないけれど、彼を猫にしてしまっていいわけがない。
クラウドに相応しいのは、公爵家の跡取りとしての生き方。猫じゃない。
「なら、結婚してくれるか?」
「でも、立場が……。私はただのメイドですし、親も知りませんし……」
貴賤結婚となれば、彼にも肩身の狭い思いをさせてしまう。彼の両親である公爵夫妻もいい顔をしないだろう。
「……ふぅ。頑固だな、お前は」
「でも……」
この国には、二つの国民がいる。働く者と雇う者。貧しい者と富める者。その二つの階級の差は歴然と存在しており、リーナとクラウドでは住む世界が違いすぎる。どれだけ相手を一人の人間として愛したとしても、結婚は不可能なほど、大きな隔たりが二人の間に横たわっている。簡単にこれを乗り越えることは出来ない。そんな常識、クラウドだって知っているはずなのに。
「一つ、いいことを教えてやる。ヴィッセルハルト公爵家は、国王陛下から直々に貴賤結婚を許されている家柄なんだ」
「ええっ!? こ、国王様からっ!?」
貴賤結婚の特免状をいただいてるってこと?
「猫の呪いのことを、王家の方々はご存知でな。代々、特別に誰を妻にしようがかまわないと、認められているんだ」
王侯貴族のなかだけで、純潔の乙女から愛を得るのは難しい。身分が合わないというだけで、妻に出来る女性を選んでいたら、公爵家が断絶してしまう。
「俺の母上の実家は、パブだったぞ。母上はそこで親の仕事を手伝っていて、父上に見初められたんだ」
街のパブの娘。メイドよりはマシだけど、とてもじゃないが、公爵夫人になるには身分がかけ離れている。
「どうする、リーナ。ここまで話しても、まだ妻になるのを拒むか?」
「……ズルいです。クラウドさま」
知っていれば、体を捧げなかった。どれだけ苦しくても、彼から離れたはずだ。
それを、今になって教えてくれるなんて。
「お前を手に入れるためなら、なんでもするさ」
カラカラとクラウドが笑う。
「さあ、答えてくれ。これでもまだ、俺の妻になる気はないか?」
リーナの答えは決まってる。正確には、クラウドに決められてしまったと言うほうが正しい。
クラウドは、最初っからリーナを妻にすると決めていた。決めていたから、ああしてリーナの純潔を求めた。
軽く天を仰ぎ、とんでもない男に捕まったものだと嘆息する。
ただの猫だと思っていたのに。ただの猫と知り合っただけだと思っていたのに。
――YES。
小さく、それでもハッキリと答え、リーナは、クラウドが与えてくれた未来に身を委ねた。
その呼びかけにリーナは深い闇から意識を取り戻す。
目の前にあったのは、以前と同じクラウドの精悍な顔。
しかし今朝は、彼の深い青の瞳が自分を映している。
「今日は、逃げられないぞ」
その声にいたずらめいた感情がのせられている。
「あっ、あの、おはようございますっ」
「……ん⁉ ああ、おはよう」
リーナの挨拶に、一瞬クラウドが戸惑う。
リーナだって深い意味があって告げた挨拶ではない。朝の光のなかで見えた、彼の素肌に困惑し、とっさに口をついて出ただけだ。
クラウドの筋肉質な腕がスッポリとリーナを包む。
「リーナ」
甘く、クラウドが名を呼んだ。
一緒に朝を迎えられたこと。昨夜、彼に愛されたこと。
そのことが思い出されて、リーナは、幸せを感じるとともに、――寂しさも感じていた。
この先、こうして抱かれることは、もうないかもしれない。呪いの解けたクラウドは、その身分にふさわしい妻を娶るだろう。今すぐ、ということはないかもしれないが、それでも、その未来は必ず訪れる。
愛人としてそばに身を置くことはできるだろうが、そんなの、誰も幸せになれない。
その時がきたら。リーナがどれだけ彼を愛していようと、何度抱かれようと、離れなくてはいけない。愛されたくないわけではないが、未練がましくそばにいることで、彼の歩む幸せな人生を不幸なものにしたくない。
だから。この幸せは、今だけのもの。
「リーナ、お前に聞いて欲しいことがある」
ええ。わかっています。この関係は今だけだってことを。時が来たら離れなくてはいけないことを。
告げられるであろう、残酷な宣告に耐えるために、目をつむる。
「……リーナ。俺と結婚してほしい」
……え!?
その言葉に驚き、目を見開く。
「えっ、あ、あの……」
とっさに言葉が出てこない。
聞き間違い? それとも……。
「俺の妻になってほしいんだ、リーナ」
顔に伸ばされた手が、優しく、目を真ん丸にしたままのリーナの頬を包む。
「俺はお前を愛している。お前も同じ気持ちなら、『はい』と答えてくれないか?」
「でも、私は……」
うれしさよりも、戸惑いが勝った。
「私は、生まれも素性もわからない、孤児院育ちのメイドです。妻になど……、きゃっ‼」
引き寄せられ、言葉を遮るように口づけされる。
「身分など、どうでもいい」
「でもっ……、ンンッ!!」
抗議するたびに、口をふさがれた。
「じゃあ、俺が公爵家の跡取りではなく、炭鉱夫や、荷役だったりしたら結婚してくれるのか?」
「それは……」
返答に詰まる。
「お前が妻になってくれるなら、爵位など捨ててしまおうか。お前と二人で生きていくのに邪魔になるようなもの、俺には必要ない」
「そんなっ……、ダメです!!」
クラウドにはその身分のままに、幸せに暮らしてほしい。
「俺は、お前がメイドであっても、どこかの国の王女だったとしても愛し、妻に迎えたいと思う。お前なしの人生など考えたくもない」
「ンン……!! クラウド……さま……、あふっ……、あ……」
今度は深く口づけられた。口腔内をなぞられ、いけないとわかっていてもゾクゾクとした快楽が背筋を駆け上がる。
「答えてくれ、リーナ。俺は、お前の夫にふさわしくないか?」
「……そんなことっ、ありません。でも、でも……」
息が整わず、胸が大きく上下する。
クラウドがふさわしくないのではない。リーナがクラウドにふさわしくないのだ。
目を潤ませながらも、YESと言わないリーナに、クラウドが小さく息を吐いた。
「あんまり言いたくなかったんだが……。実は猫の呪いには、続きがあってな」
「えっ……!?」
乙女の純潔と、愛からくる献身では足りないのだろうか?
まだ他にもやることが?
「猫の呪いを解くため、純潔を捧げた乙女を幸せにしなくてはならない。妻とし、一生ともにして愛さなければ、呪いは再び降りかかり、永遠に解けなくなる」
「えっ? ええっ……!? えええええっ!!」
「適当に女をあてがって、呪いを解こうという者が出ないための方策だろうな。純潔の対価としてお前を愛してゆかねば、この先、俺はずっと猫として暮らさねばならなくなる」
「そんな、それじゃあ……」
では、純潔を捧げてくれる相手選びは、もっと慎重にしたほうがよかったのではないか。手軽に、身近な存在だったリーナなど相手にしなければ。もっと身分上の女性を選んでいれば。
「猫に、〈アッシュ〉になれば、お前が愛してくれると言うのなら、それも悪くないが……」
「ダメですっ!! 猫で生きていくなんてっ……!!」
〈アッシュ〉だった彼が嫌いなわけじゃないけれど、彼を猫にしてしまっていいわけがない。
クラウドに相応しいのは、公爵家の跡取りとしての生き方。猫じゃない。
「なら、結婚してくれるか?」
「でも、立場が……。私はただのメイドですし、親も知りませんし……」
貴賤結婚となれば、彼にも肩身の狭い思いをさせてしまう。彼の両親である公爵夫妻もいい顔をしないだろう。
「……ふぅ。頑固だな、お前は」
「でも……」
この国には、二つの国民がいる。働く者と雇う者。貧しい者と富める者。その二つの階級の差は歴然と存在しており、リーナとクラウドでは住む世界が違いすぎる。どれだけ相手を一人の人間として愛したとしても、結婚は不可能なほど、大きな隔たりが二人の間に横たわっている。簡単にこれを乗り越えることは出来ない。そんな常識、クラウドだって知っているはずなのに。
「一つ、いいことを教えてやる。ヴィッセルハルト公爵家は、国王陛下から直々に貴賤結婚を許されている家柄なんだ」
「ええっ!? こ、国王様からっ!?」
貴賤結婚の特免状をいただいてるってこと?
「猫の呪いのことを、王家の方々はご存知でな。代々、特別に誰を妻にしようがかまわないと、認められているんだ」
王侯貴族のなかだけで、純潔の乙女から愛を得るのは難しい。身分が合わないというだけで、妻に出来る女性を選んでいたら、公爵家が断絶してしまう。
「俺の母上の実家は、パブだったぞ。母上はそこで親の仕事を手伝っていて、父上に見初められたんだ」
街のパブの娘。メイドよりはマシだけど、とてもじゃないが、公爵夫人になるには身分がかけ離れている。
「どうする、リーナ。ここまで話しても、まだ妻になるのを拒むか?」
「……ズルいです。クラウドさま」
知っていれば、体を捧げなかった。どれだけ苦しくても、彼から離れたはずだ。
それを、今になって教えてくれるなんて。
「お前を手に入れるためなら、なんでもするさ」
カラカラとクラウドが笑う。
「さあ、答えてくれ。これでもまだ、俺の妻になる気はないか?」
リーナの答えは決まってる。正確には、クラウドに決められてしまったと言うほうが正しい。
クラウドは、最初っからリーナを妻にすると決めていた。決めていたから、ああしてリーナの純潔を求めた。
軽く天を仰ぎ、とんでもない男に捕まったものだと嘆息する。
ただの猫だと思っていたのに。ただの猫と知り合っただけだと思っていたのに。
――YES。
小さく、それでもハッキリと答え、リーナは、クラウドが与えてくれた未来に身を委ねた。
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