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第29話 救出。

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 (やはり、無理なのかしら)

 紹介状もなしに仕事を探そうなんて、はなから間違っていたのだろうか。
 町の最後の斡旋所を出て、リーナは重い息を吐き出した。
 辺りはすでに暗く、街灯が灯され始めている。

 今のご時世、どこも人手あまりだから――。

 どこの斡旋所に行っても同じ言葉を返された。
 紹介状はないのかい?
 前のお屋敷で何をしでかしたんだい?

 好奇心と拒絶の言葉を容赦なく浴びせられた。
 メイドとして働くことが難しいのなら、もっと別の仕事を探したほうがいいのかもしれない。

 (魚河岸にでも行ってみるかな)

 あそこなら、日雇いでも仕事が見つかるかもしれない。
 暗くなった街のなかを足早に歩く。今日一日歩きづめで足指がズキズキと痛んだが、それでも、今日の寝床を確保するために歩くしかなかった。
 大通りにはない、格安の木賃宿を目指す。今までいただいたお給金があれば、しばらくは、そこで暮らすことが出来るだろう。
 たいして重くもないのに、カバンを持つのが辛い。もう、どこでもいいからひとまず休みたい。

 (どこだって、孤児院よりはマシよ)

 へこたれそうな体と心を叱咤する。
 孤児を受け入れるだけ受け入れて、ロクに面倒を見ない孤児院。
 受け入れた人数だけ、国からお金が支給されるから孤児をむかえるが、その先の命を守ろうとはしてくれなかった。病気になっても放置され、死んでいく子供も多かった。
 リーナと一緒の年に入った子供たち。〈J〉や〈K〉を名前にいただいた子供たちは、自分の名前を覚えるより早く死んでしまった。リーナと共に生き残った〈T〉の名前の子どもは、ひもじさから孤児院を抜け出し、馬車に轢かれて死んだ。
 唯一生き残ったリーナも、16になると強制的に孤児院を追い出された。イルゼンド伯爵家のように孤児を安く雇おうという場所は、あるだけマシ。
 そして、どうにか生き繋いできた人生で、愛する人と出会うことができた。出会えただけじゃない。呪いを解くため、一夜の仮初めのものであっても、愛される喜びを知ることができた。

 (私ってば、大強運の持ち主じゃない)

 だから大丈夫。これからだって生きていける。どんな目に遭っても生きていける。
 
 疲れた体を鞭打つように歩き、路地を曲がる。
 暗く湿った路地の先、前方から二人の男連れが近づいてきた。
 帽子の影から見える、にやついた顔。

 ゾクリ。

 悪い予感が全身を走る。
 きびすを返し、逃げようとするが――。

 「なあ、姉ちゃん。オレたちいい仕事知ってるんだけどよ。紹介してやろうか?」

 グイっと腕を掴まれ、臭い息を吐きつけられる。
 
 「いえっ、結構ですっ!!」

 「そう言うなよ。アンタが仕事がなくって困ってるって聞いたからよ。オレら、紹介してやろうって来たんだぜ?」

 もう一人の男がリーナの前に回り込む。

 「怯えることはねえよ。ちょっとダンナ方を喜ばせてあげるだけの仕事だ。アンタなら簡単だろ!?」

 女衒ぜげん―――!!

 どこの斡旋所で目をつけられてしまたのだろう。いくつもの斡旋所を回ったので、予想もつかない。
 
 「姉ちゃんさ、結構いい体してそうだしなあ。これなら、上客がつくんじゃねえか?」

 男が、ガシッと胸を鷲掴みにした。力任せに握りしめられ、悪寒が体を駆け巡る。

 「いやっ!! 離してっ!!」

 クラウドの手とは違う。恐怖と嫌悪しか感じられない。

 「静かにしろよ。役に立つかどうか、確かめてるんだからよ」

 後ろから羽交い絞めにされ、身動きが出来ない。
 下卑げひた笑いと共に、身を掴まれる。必死にもがくが、男二人がかりの力に勝てるはずもなく、さらに狭い路地裏に引きずり込まれ押し倒された。

 「やっ……‼」

 「暴れんじゃねえよ。ほら、優しくしてやっからよ」

 「そうそう。姉ちゃんの体が使いもんになるかどうか試すだけだからよ」

 地面に押し付けられた体が痛い。暴れた分、力ずくで押さえられ、骨がミシミシと音をたてる。
 どんなところでだって生きていけると思っていたが、このままではクラウドとの思い出まで穢されてしまう。どんなことがあっても、それだけは守り通したいのに体が動かない。

 (いやっ……‼ 誰かっ……‼)

 屋敷を飛び出してきてしまったことを後悔する。
 愛しいあの人の面影が、涙でにじむ。
 こんなことになるなら、苦しくても留まっていればよかった。クラウドが別の誰かを愛することになっても。それをただ見ているだけになるとしても。
 ただのメイドと主でしかなかったとしても。

 「そこで何をしているっ!!」

 鋭い誰何すいかの声が路地裏に響いた。眩しいぐらいの光で照らされ、誰なのか判別できない。

 「やべっ……‼」

 男二人が、さらなる暗闇を求めて路地の奥へと逃げていく。リーナを捕まえるのも早かったが、逃げるのも素早かった。

 「待てっ……‼」

 光の持ち主が路地裏に踏み込むが、もうその時には男たちの姿はなかった。

 (……助かった、の?)

 ガンガンと痛む頭を押さえながら体を起こす。

 「リーナッ!!」

 光の持ち主の仲間だろうか。一人の男性が近づいてくると、リーナの体を抱きしめた。

 「無事で……、よかった」

 搾りだされたその言葉に、リーナは目を見開く。

 「クラウド……さま!?」

 耳朶に響いた愛しい声。
 もう一度聴きたいと願った声。匂い。熱。
 リーナの存在を確かめるかのように、力任せに抱きしめられる。
 でも、まさか、クラウドさまがどうして?

 「お探しの方は見つかりましたかな」

 光――、警ら用のカンテラを持った男が近づいてきた。年配のがっしりした体格の警官。彼が近づくと、クラウドがリーナの顔を隠すように、ギュッと頭を抱き寄せた。

 「ええ。協力、感謝する」

 「それはよかった」

 軽く帽子を持ち上げ、クラウドに敬意を表する。

 「お役に立てたのなら何よりです」

 「これからも、何かあったら頼むよ」

 言いながら、クラウドが懐から何かを取り出した。

 (金貨――?)

 警官は、何食わぬ顔でそれを受け取ると、「では」と軽く挨拶を残し、大通りのほうへと歩いて行った。

 (今のは、口止め料? それとも……?)

 警官が普通に助けてくれるなんてありえない。警官に見て見ぬふりをされることなんて、当たり前のことだった。使命感に燃える警官もいるだろうが、女衒と結託して甘い汁を吸っている連中も存在する。
 クラウドが、自身が持つ権力を使ったのだろうか。公爵家という、権力におもねる連中が逆らえないものを。

 「―――来い」

 短く告げると、クラウドが強引にリーナの腕を引っ張った。痛いぐらい力強く。

 (どこへ行くの……?)

 訊ねることも出来ないほど、その横顔は怒りに張り詰めていた。
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