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第25話 指。

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 せっかく口づけたことで、元に戻れたのに。
 もう一度あらためて口づけをと言われても、リーナとしても恥ずかしくて仕方ない。
 あの時は感情のままに口づけられたが、一度冷静に戻ってしまうと、二度目は厳しかった。
 こうしている間にも、闇の向こうから獣の鳴き声が聞こえる。猫に戻ってしまったクラウドと、ただメイドでしかないリーナでは、この森は危険すぎる。

 「屋敷に、――戻りましょう」

 まずは何より安全な場所に戻ることが先決だ。クラウドの衣装は……あきらめよう。
 外套ごと、猫に戻ったクラウドを抱き上げる。
 足首が痛かったが、そんなことに構っているヒマはない。獣に襲われたら。考えるだけで恐ろしい。

 「しばらく……静かにしていてくださいね」

 ギュッと外套ごとクラウドを抱きしめ森を抜ける。
 
*     *     *     *

 森のなかを散々歩き回り、なんとか屋敷にたどり着いた時、屋敷はその灯りを落とし暗くなっていた。かろうじて開いたままだった玄関から、その身を滑り込ませる。
 もう、みんな眠っているのだろうか。屋敷のどこからも物音ひとつしなかった。
 なるべく足音をさせないように、細心の注意をはらって歩いていく。腕のなかの猫が見つかれば大変なことになる。クラウドだと説明するのは難しい。かといって、この屋敷で四本足の獣は禁じられている。クラウドはもちろんのこと、リーナだって、どうなってしまうかわからない。
 慎重に、クラウドの寝室にむかう。気づかれないようにカンテラの灯りも消している。足元を照らすのは、窓から差し込む月明りだけ。
 青白い光のなかを手探りで歩いていく。もう少しでクラウドの寝室――。

 「――リーナ」

 その呼びかけに背筋が粟立つ。ドアノブにかけた手が震えた。

 「クラウドさまは、見つかりましたか?」

 ふり返ると、背後に執事バトラーのアルフォードの姿。ランプを片手に、そこに立っていた。

 「あっ、はい。先ほどお部屋に戻られました」

 嘘だ。クラウドはまだリーナの腕のなかにいる。

 「そうですか。それはなにより」

 「ええ。疲れているから、このまま休まれるそうです」

 こう言ってしまえば、アルフォードに寝室を覗かれてしまうことはないだろう。今は、部屋に帰すことが難しくなってしまったが仕方ない。

 「なら、このお夜食をクラウドさまにお渡ししてくれませんか?」

 半ば強引にバスケットを押し付けられる。先ほどまで、アルフォードが手にしていたそれには、手軽に食べられそうなサンドがいくつか入っていた。

 「頼みますよ。私は、戸締りだけ確認してから休みますので」

 そう言い残すと、アルフォードは去っていった。
 その後ろ姿に、リーナは大きく息を吐き出す。嘘をついたことは心苦しいが、どうにかクラウドを守ることは出来たようだ。
 完全にアルフォードが見えなくなってから扉を開ける。
 当然、部屋の主などいない。真っ暗な部屋のなか、クラウドを下ろすと、手早くランプに明かりを灯す。

 「……はあ」

 ここまで来て、ようやく体から力が抜ける。ヘナヘナと床に座り込んでしまう。
 なんとか無事にクラウドを捜し、屋敷に戻すことが出来た。衣装は見つけていないが、ここまでくれば、別の服だってある。問題はないはずだ。
 朝になれば、再びクラウドは人に戻れる。自分が口づけしなくても。
 
 「お腹、すいていらっしゃるでしょう。召し上がりますか?」

 アルフォードに渡されたバスケットから、鴨肉のサンドを取り出す。猫の姿のときは、リーナの手渡しでしか食べないことを知っている。だから、そのまま手を差し出したのだが。

 くいっ。

 その手を顔でよけられてしまった。
 それどころか、ドンッと体当たりをされ、リーナはバランスを崩して床にあおむけに倒れてしまう。

 「クラウド……さま」

 自分の上に覆いかぶさるような猫の顔。その顔は、鴨肉のサンドよりも別のものを求めていた。

 (怒ってる―――!?)

 猫に戻ったこと、自分の欲しいものをリーナが与えないことに、クラウドが怒っている。

 「申し訳ありません……」

 大きく息を吐き出し、覚悟を決めて口づける。
 軽く、それでも思いは込められた口づけ。
 再び、猫の体が光を発する。

 「きゃっ……‼」

 眩しくて目を閉じたリーナの体に、猫とは違う重みがのしかかる。

 「俺から離れるな、リーナ」

 やはり、その声は怒っていた。

 「まだ呪いは、完全に解けていないんだ」

 口づけだけでは足りないということか。おとぎ話とかでは、口づけで呪いは解けるというのに、実際はそうではないらしい。
 裸のクラウドに組み敷かれたような状態になってしまったリーナは、顔を真っ赤にして口をパクパクさせるしかなかった。
 好きだと、慕っていると自覚しても、はいそうですかと、この状況を許せるわけがない。
 そんなリーナから、クラウドが身を離した。手早くベッドのリネンを身体に巻き付けると、そのままベッドに腰かける。

 「来い。腹が減っている。食べさせてくれ」

 「あっ、はいっ!!」

 食べさせるだけなら。
 バスケットを持ってクラウドに近づく。

 「どうぞ……」

 一切れ取り出して、おずおずと差し出す。
 受け取ってくれればいい。
 そう思っていたのに、空いていた手を引っ張られクラウドの隣、ベッドに並ぶように座らされた。
 そして、差し出したハムのサンドを素早く口にされる。その食べ方は、まるで猫。

 「あっ、あのっ……」

 抗議の声も上手くあげられない。
 クラウドがサンドを食べる振動だけが、手に伝わる。それだけで、リーナの身体はどうにかなりそうだ。

 「……美味いな」

 「そっ、そうですかっ!!」

 片方の手は、まだ引っ張られたまま。身動きが難しい。

 「もっと食べさせてくれ」

 「あっ、はいっ!!」

 どうにもならない動悸を押さえて、バスケットの中身を探る。

 「どうぞっ……、あっ!!」

 サンドを差し出すより早く、引っ張られていた手に、クラウドが唇をおとした。

 「クラウドさまっ……‼」

 手を引っ込めることも出来ずに、その口づけを受ける。

 「……こんなに傷をつけて」

 ピリッとした痛み。唇が、クラウドの舌が、手の甲に出来た傷をなぞる。傷は、彼を探していた時にいつの間にか、ついていたもの。その傷跡をなぞられると、痛みよりも違った感覚が全身に伝わる。
 手の甲を這い、そのまま指の付け根へ。

 「あっ……、ンッ!!」

 身体が震える。ゾクゾクとした、悪寒めいたものが背筋を走る。
 熱く、しびれるような心地よさ。

 「リーナ……」

 皮膚を通して、クラウドの声が響く。低くかすれたクラウドの声。
 その声で名前を呼ばれるだけで、泣きたいくらい幸せな気分になる。思考がかすれ、頭の奥がジンジンしてくる。
 ちゅぷっと音を立てて、指を咥えられた。人差し指、中指……。一本づつ丁寧に味わうようにしゃぶられる。

 (あつ……い……)

 クラウドの口腔内の熱を、指の先から感じる。その熱がリーナにも伝わり、身体の奥に火が灯る。

 「あっ……‼」

 カリッとクラウドが中指を噛んだ。
 痛いはずの指は、なぜか別の感情をリーナに伝える。
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