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第18話 賭け。
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――クラウドにかけられた猫の呪いを解くために、クラウドに抱かれる――
彼と共に一夜を過ごし、その身の純潔を捧げることで呪いを解く。
(そんなこと、私に出来るの……?)
この歳になるまで、好きになった異性すらいない。ただひたすらに、生きることだけを考えてきた人生だった。
自分が恋をすることなんて、想像もしたことがない。ましてや、誰かに抱かれるなど……。
(――――っ!! でも私、何度もアッシュをっ……‼)
あれが、クラウドだったとは夢にも思わなかった。
行く先々で出会う、不思議な猫。その程度の認識。自分の人生で出会えた、数少ない友だち。そう思っていた。
そして、猫だから。猫だから気を許して一緒に寝てた。
(―――――っ!! ダメッ!! ダメダメッ!! 考えちゃダメッ!!)
あれは、猫。猫だったのよと何度も自分に言い聞かせる。でないと、クラウドと何度も夜をともにしたことになってしまう。
(私、どうしたらいいの?)
こんなこと、誰にも相談できない。エレンにだって、ミセス・アマリエにだって。
グルグルと訳の分からない感情だけがリーナのなかで渦巻く。
その日一日、仕事の合間、何度もリーナは顔を赤く青くするしかなかった。
* * * *
(あれで良かった、のか……?)
リーナに事情を説明し終えたクラウドは、自問自答をくり返した。
――無理強いはしない。ただ、いつか、お前が呪いを解くことを許せる日が来たら、その時はお前の純潔を、俺に捧げてくれないか――
ヨロヨロと部屋から出ていったリーナ。
主従の関係であることをいいことに、リーナに強要することだって出来る。あんな風に説明せずとも、無理やり乱暴に彼女を抱くことは簡単だ。この場で純潔を散らすこともできたし、なんなら彼女の部屋で、彼女が猫だと油断しているすきに行為に及ぶことだってできた。
だがクラウド自身、そんな気は毛頭なかった。
(そんなことをしても、呪いは解けないからな)
呪いを解くには、乙女の純潔と献身的な愛が必要なのだ。一方的にその身体を奪っても、呪いを解くことにはならない。それに、強要したことで呪いが解けても、次の問題が待ち受けている。それをクリアしなくては、完全に呪いは解けない。いや、むしろ呪いは最悪の結果を見せることになる。
「まったく、やっかいな呪いだな」
呪いの存在は、幼いころから知っていた。18になれば呪いを受け、猫になることも覚悟していた。ヴィッセルハルト公爵家を継ぐ者としての試練。
しかし、ここまで大変なことだとは思ってもみなかった。
この屋敷で暮らすようになって5年。夜になれば猫になるこの身では、社交界に顔を出すことは難しい。使用人たちにも呪いのことを知られるのも好ましくない。この屋敷は、そういった事情から用意された、呪いを受けた者だけが暮らす避難所となっている。使用人は最小限とされ、他者との交流も制限された屋敷。
早くここから出て、元の生活に戻りたい。
そう思い焦るのだが、成功させるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。
「お話は、終えられたのですか」
いつものように、お茶を運んできたアルフォードが訊ねた。
「ああ、とりあえずは。呪いのことは話した」
「さようでございますか」
この老執事は、呪いのことを知っている唯一の使用人である。現公爵であるクラウドの父の代でも、呪いにつき合ってこの屋敷に勤めていた。
「クラウドさまも、成功なさるとよろしいですね」
「ああ」
彼の用意したお茶を飲む。
手元にあるのは、量を減らしてもらったスコーン。
リーナに「もったいない」と評されてからは、数を食べられるだけにしてもらっている。スコーンを残すことが「もったいない」と思ったことなど一度もなかった。
「まだ時間は、かかるかもしれないが、必ず成功させてみせる」
カップの中身をグイっと飲み干し、決意を言葉にする。
この呪いを受け、呪いを解くのに成功した者、失敗した者。この公爵家の血筋には、さまざまな結末を受けた者がいる。
愛してくれる女性を見つけられず、生涯猫で過ごした者。猫であることに絶望し、命を絶った者。愛した相手が純潔でなかった者。呪いのことを相手に話し、その地位と金にあかして政略的に女を見繕った者。そして、真実の愛で呪いを解いてもらえた者。
イルゼンド伯爵家の令嬢は、その地位といい、相手としてふさわしいのではないか。こちらに対しても好意を持っている。そう思って猫となった時に忍び込んだのだが、結果として窓から捨てられてしまった。
(だが、その代わりにリーナを見つけた)
たった二枚しか持っていなかったビスケットを、惜しげもなくクラウドにくれた優しい少女。放り投げられた自分を大事に受け止めてくれた少女。
イルゼンド伯爵家が、孤児を短い期間しか雇わないのは知っていた。だから、彼女が解雇されても困らないように、斡旋所にここを紹介するように指示した。
ここならば、俺なら、彼女に仕事と生きていく場所を与えてやることが出来る。
そして、彼女がどういう女性か見極めることが出来る。
(リーナは見立て通りの女性だった)
孤児ということも関係しているのか、少し寂しがり屋のリーナ。捨てられることを極端に恐れているが、根はしっかりした気立てのいい優しい娘だ。
何事にも一生懸命で、頑張ってみせる。
(文字を教えた時もそうだった)
クラウドが教えた文字を、何度も夜遅くまで練習をくり返していた。覚えたいという知的欲求もあるのだろうが、何よりクラウドのかけた期待に応えようと必死になっていた。
(少し、張り切りすぎなところもあるがな)
アッシュとして構ってもらえなかったのは、少し複雑だったが、それでもその真摯な姿は好意が持てた。
(それに、一番に覚えたいと言うのが、〈アッシュ〉と〈クラウド〉とは……)
どちらも自分の名前だ。本当の名前が猫より後に出てきたのは癪だったが、それでも一生懸命その名前を練習しているのは悪くない。
自分を大事にしてくれているようで、こそばゆい不思議な感覚が胸に訪れる。
本当は、もう少しリーナを知り、心を許してもらってから呪いの話をするつもりだった。
いつもなら、彼女が眠っている間に部屋を出て、事なきを得ていたのだが。
(さすがに、あそこまで熟睡するとは思っていなかった)
軽い内省のため息を漏らす。
日中の久々の乗馬で疲れていたのだろう。でなければ、リーナと眠る夜がどれだけ心地よかろうと、あんなに寝入ることはなかったはずだ。
毎晩、彼女の腕に抱かれ、胸に頬を寄せて眠っていたことを思い出す。
優しい香り。柔らかな肌。クラウドを呼ぶ、温かな声。
猫の姿ではなく、本来の姿で、何度それを味わいたいと思ったことか。
リーナに呪いのことを話したのは、ちょっとした賭けだった。これを聞いて彼女が自分を拒むかもしれない。だが、その身を許してくれたなら、俺は……。
「アルフォード。当分の間、誰からの招待も受けるな。しばらくは、この屋敷のなかだけで過ごすことにする」
無言のままアルフォードが一礼する。
そうだ。今は何よりリーナの心を射止めることが大事だ。彼女と過ごす時間を、誰にも邪魔されたくない。
* * * *
カリカリッ……。
その日の夜も、リーナの部屋の窓に、いつもの合図がもたらされる。
「クラウドさまっ……‼」
その窓の向こうの相手、猫の姿のクラウドに、リーナは絶句し、手にしていたブラシを落っことす。
呪いのことを話し、アッシュの正体が自分であると打ち明けたくせに、それでもこの部屋に入ろうと、やって来たのだろうか。リーナと眠るために。
(冗談じゃないわ)
いくらリーナの主でも、これ以上一緒に眠るなんてことは出来ない。
ましてや、相手はリーナの純潔を求めている。そんな人と、猫とはいえ、許せるはずがない。
(絶対、無理)
アッシュを拒むかのように、ランプの明かりを吹き消す。
真っ暗になった部屋のなか、一人でさっさとベッドにもぐり込む。
一人で眠るのは少し寂しかったが、それでもグッとこらえて目を閉じる。
窓の外からアッシュが、クラウドが見ているのは知っている。
しかし、その夜。リーナは絶対に窓を開けようとしなかった。
彼と共に一夜を過ごし、その身の純潔を捧げることで呪いを解く。
(そんなこと、私に出来るの……?)
この歳になるまで、好きになった異性すらいない。ただひたすらに、生きることだけを考えてきた人生だった。
自分が恋をすることなんて、想像もしたことがない。ましてや、誰かに抱かれるなど……。
(――――っ!! でも私、何度もアッシュをっ……‼)
あれが、クラウドだったとは夢にも思わなかった。
行く先々で出会う、不思議な猫。その程度の認識。自分の人生で出会えた、数少ない友だち。そう思っていた。
そして、猫だから。猫だから気を許して一緒に寝てた。
(―――――っ!! ダメッ!! ダメダメッ!! 考えちゃダメッ!!)
あれは、猫。猫だったのよと何度も自分に言い聞かせる。でないと、クラウドと何度も夜をともにしたことになってしまう。
(私、どうしたらいいの?)
こんなこと、誰にも相談できない。エレンにだって、ミセス・アマリエにだって。
グルグルと訳の分からない感情だけがリーナのなかで渦巻く。
その日一日、仕事の合間、何度もリーナは顔を赤く青くするしかなかった。
* * * *
(あれで良かった、のか……?)
リーナに事情を説明し終えたクラウドは、自問自答をくり返した。
――無理強いはしない。ただ、いつか、お前が呪いを解くことを許せる日が来たら、その時はお前の純潔を、俺に捧げてくれないか――
ヨロヨロと部屋から出ていったリーナ。
主従の関係であることをいいことに、リーナに強要することだって出来る。あんな風に説明せずとも、無理やり乱暴に彼女を抱くことは簡単だ。この場で純潔を散らすこともできたし、なんなら彼女の部屋で、彼女が猫だと油断しているすきに行為に及ぶことだってできた。
だがクラウド自身、そんな気は毛頭なかった。
(そんなことをしても、呪いは解けないからな)
呪いを解くには、乙女の純潔と献身的な愛が必要なのだ。一方的にその身体を奪っても、呪いを解くことにはならない。それに、強要したことで呪いが解けても、次の問題が待ち受けている。それをクリアしなくては、完全に呪いは解けない。いや、むしろ呪いは最悪の結果を見せることになる。
「まったく、やっかいな呪いだな」
呪いの存在は、幼いころから知っていた。18になれば呪いを受け、猫になることも覚悟していた。ヴィッセルハルト公爵家を継ぐ者としての試練。
しかし、ここまで大変なことだとは思ってもみなかった。
この屋敷で暮らすようになって5年。夜になれば猫になるこの身では、社交界に顔を出すことは難しい。使用人たちにも呪いのことを知られるのも好ましくない。この屋敷は、そういった事情から用意された、呪いを受けた者だけが暮らす避難所となっている。使用人は最小限とされ、他者との交流も制限された屋敷。
早くここから出て、元の生活に戻りたい。
そう思い焦るのだが、成功させるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。
「お話は、終えられたのですか」
いつものように、お茶を運んできたアルフォードが訊ねた。
「ああ、とりあえずは。呪いのことは話した」
「さようでございますか」
この老執事は、呪いのことを知っている唯一の使用人である。現公爵であるクラウドの父の代でも、呪いにつき合ってこの屋敷に勤めていた。
「クラウドさまも、成功なさるとよろしいですね」
「ああ」
彼の用意したお茶を飲む。
手元にあるのは、量を減らしてもらったスコーン。
リーナに「もったいない」と評されてからは、数を食べられるだけにしてもらっている。スコーンを残すことが「もったいない」と思ったことなど一度もなかった。
「まだ時間は、かかるかもしれないが、必ず成功させてみせる」
カップの中身をグイっと飲み干し、決意を言葉にする。
この呪いを受け、呪いを解くのに成功した者、失敗した者。この公爵家の血筋には、さまざまな結末を受けた者がいる。
愛してくれる女性を見つけられず、生涯猫で過ごした者。猫であることに絶望し、命を絶った者。愛した相手が純潔でなかった者。呪いのことを相手に話し、その地位と金にあかして政略的に女を見繕った者。そして、真実の愛で呪いを解いてもらえた者。
イルゼンド伯爵家の令嬢は、その地位といい、相手としてふさわしいのではないか。こちらに対しても好意を持っている。そう思って猫となった時に忍び込んだのだが、結果として窓から捨てられてしまった。
(だが、その代わりにリーナを見つけた)
たった二枚しか持っていなかったビスケットを、惜しげもなくクラウドにくれた優しい少女。放り投げられた自分を大事に受け止めてくれた少女。
イルゼンド伯爵家が、孤児を短い期間しか雇わないのは知っていた。だから、彼女が解雇されても困らないように、斡旋所にここを紹介するように指示した。
ここならば、俺なら、彼女に仕事と生きていく場所を与えてやることが出来る。
そして、彼女がどういう女性か見極めることが出来る。
(リーナは見立て通りの女性だった)
孤児ということも関係しているのか、少し寂しがり屋のリーナ。捨てられることを極端に恐れているが、根はしっかりした気立てのいい優しい娘だ。
何事にも一生懸命で、頑張ってみせる。
(文字を教えた時もそうだった)
クラウドが教えた文字を、何度も夜遅くまで練習をくり返していた。覚えたいという知的欲求もあるのだろうが、何よりクラウドのかけた期待に応えようと必死になっていた。
(少し、張り切りすぎなところもあるがな)
アッシュとして構ってもらえなかったのは、少し複雑だったが、それでもその真摯な姿は好意が持てた。
(それに、一番に覚えたいと言うのが、〈アッシュ〉と〈クラウド〉とは……)
どちらも自分の名前だ。本当の名前が猫より後に出てきたのは癪だったが、それでも一生懸命その名前を練習しているのは悪くない。
自分を大事にしてくれているようで、こそばゆい不思議な感覚が胸に訪れる。
本当は、もう少しリーナを知り、心を許してもらってから呪いの話をするつもりだった。
いつもなら、彼女が眠っている間に部屋を出て、事なきを得ていたのだが。
(さすがに、あそこまで熟睡するとは思っていなかった)
軽い内省のため息を漏らす。
日中の久々の乗馬で疲れていたのだろう。でなければ、リーナと眠る夜がどれだけ心地よかろうと、あんなに寝入ることはなかったはずだ。
毎晩、彼女の腕に抱かれ、胸に頬を寄せて眠っていたことを思い出す。
優しい香り。柔らかな肌。クラウドを呼ぶ、温かな声。
猫の姿ではなく、本来の姿で、何度それを味わいたいと思ったことか。
リーナに呪いのことを話したのは、ちょっとした賭けだった。これを聞いて彼女が自分を拒むかもしれない。だが、その身を許してくれたなら、俺は……。
「アルフォード。当分の間、誰からの招待も受けるな。しばらくは、この屋敷のなかだけで過ごすことにする」
無言のままアルフォードが一礼する。
そうだ。今は何よりリーナの心を射止めることが大事だ。彼女と過ごす時間を、誰にも邪魔されたくない。
* * * *
カリカリッ……。
その日の夜も、リーナの部屋の窓に、いつもの合図がもたらされる。
「クラウドさまっ……‼」
その窓の向こうの相手、猫の姿のクラウドに、リーナは絶句し、手にしていたブラシを落っことす。
呪いのことを話し、アッシュの正体が自分であると打ち明けたくせに、それでもこの部屋に入ろうと、やって来たのだろうか。リーナと眠るために。
(冗談じゃないわ)
いくらリーナの主でも、これ以上一緒に眠るなんてことは出来ない。
ましてや、相手はリーナの純潔を求めている。そんな人と、猫とはいえ、許せるはずがない。
(絶対、無理)
アッシュを拒むかのように、ランプの明かりを吹き消す。
真っ暗になった部屋のなか、一人でさっさとベッドにもぐり込む。
一人で眠るのは少し寂しかったが、それでもグッとこらえて目を閉じる。
窓の外からアッシュが、クラウドが見ているのは知っている。
しかし、その夜。リーナは絶対に窓を開けようとしなかった。
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