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第17話 衝撃。

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 次にリーナが意識を取り戻した時、部屋には誰もいなかった。
 白く明るい日差しに照らされた、自分だけの部屋。

 (……あれは、夢……、だったの?)

 ちょっと生々しすぎる夢。
 同じような色を持つアッシュを抱いて眠ったから、寝ぼけてそんな夢を見たのかもしれない。
 寝る前にクラウドのことを話していたから。アッシュのことを考えていたから。
 何度も何度もそう思い込もうとする。
 起きて自分の身体を確認するが、特に変わったところはない。
 いつも通りの身体。いつも通りの寝癖、夜着。
 ベッドに残されていたのは、自分の温もりだけ。

 (やはり、夢だったのよ)

 考えれば考えるほどありえない状況だった。
 髪にブラシをかけ、おくれ毛一つ残さずきっちり結い上げる。昨日のうちに用意しておいたお仕着せの黒い服と大きめの白いエプロンを身にまとう。
 手早く身支度をすませて階下に降りる頃には、リーナのなかで今朝の出来事は夢として片づけられていた。
 それなのに。

 「リーナ。若様がお呼びだ。書斎ライブラリーに行ってくれないか」

 朝食を終えたリーナに、アルフォードが声をかけた。

 「若様が? こんな時間に?」

 不審がるエレンたちと違って、リーナはもう一度意識を手放したくなった。

 (あれは夢じゃなかったの?)

 文字を習うのは、いつもリーナが仕事を一通り終えた後。こんな朝早い時間にクラウドに呼び出されたことは一度もない。

 (ああでも、もしかしたら、若様もお忙しくてこの時間しか空いてないのかもしれない)

 何に忙しいのか、具体的に思いつかなかったけれど、もしかしたらこの時間しか空きがなくて、たまたまこの時間に文字の学習が充てられた、それだけのことかもしれない。

 (うん、そうよ。そうに違いないわ)

 ちょっと夢で見た相手だから。それもとんでもなく大胆な夢を見てしまった相手だから。
 だから、ドキッとするだけ。驚いてるだけ。
 でなければありえないもの。メイドの部屋で主が寝ていただなんて。それも、は……裸で。
 なるべく楽観できるように、あれは夢と自分に念押しをして書斎ライブラリーのドアノブに手をかける。あれは夢とわかっていてもドキドキする。

 「――失礼、します」

 そこには今朝見たのと同じ、銀灰色の髪、青い瞳のクラウドがリーナを待っていた。いつもと変わらない、紳士らしい装いで。
 その姿に、肺に溜まっていた息を深く吐き出す。

 「よく来たな。まあ、そこに座れ」

 「あ、はい」

 勧められるままに、長椅子に腰を下ろす。執務机ではなく、長椅子に座るように促された。
 向かい合うようにクラウドが座るが、所在なく手を組み指をもてあそぶ。
 コチコチと時計の音だけが響く部屋。
 こちらから話しかけたほうがいいのだろうか。
 しかし――。

 「今朝は、……その。すまなかった」

 どう切り出そうか考えあぐねていたら、少し視線をそらしたまま謝罪された。

 ――今朝?

 「お前が起きるまでに部屋を出るつもりだったんだが……」

 ――起きるまでに、部屋を? 出ようと?

 その言葉に、落ち着きかけた心臓が早鐘のように鳴り出した。

 では、あれはやはり夢ではなく……。

 「おい。今度は意識を失うなよ。ちゃんと説明するから」

 「……はい」

 そうだ。説明だけは聞かないと。クラクラと遠のきかけた意識を必死につなぎとめる。

 「そうだな。まずはどこから話せばいいのか……」

 クラウドが、話しあぐねているといった顔をした。

 「これから話すことは、すべて真実だ。心して聞いてくれないか」

 リーナも腹を据える。

*     *     *     *

 「ヴィッセルハルト公爵家には、代々伝わる呪いがある」

 「呪い?」

 「猫の呪いだ。公爵家の者は、18の誕生日を過ぎると、猫の呪いをその身に受けることになる」

 (猫? それって、もしかして……)

 リーナの顔に浮かんだ言葉を読み取ったように、クラウドが頷いた。

 「猫の呪いは、日没とともに訪れる。夜になると、身体が猫に変わるんだ」

 「そ、それでは、あの、猫は……」

 「アッシュは俺だ」

 ああ、なんてこと。
 的中してしまった予感に目まいを感じる。
 銀灰色の髪、青い瞳。
 クラウドはアッシュによく似ていた。クラウドを猫にすれば、あるいはアッシュを人間にすれば、こういう容姿になるであろうと想像できるぐらいに。

 (それを、私は抱いて……、ね、寝てたの?)

 それが、どれだけとんでもないことなのか。リーナにも容易に察しがついた。抱いただけではない。身体を撫で、額に口づけた。その上、一緒に寝て……。
 顔を赤くすればいいのか、青くすればいいのか。思考がグルグルと渦を巻く。

 「猫の呪いは、あるものを得ることで解くことが出来るんだが……」

 クラウドが真っすぐにリーナを見た。
 深い青色の瞳がリーナを射貫く。

 「リーナ、それにはお前の協力が必要なんだ」

 協力!? 

 「猫の呪いは、その猫を愛してくれる乙女の純潔を持って解かれる」
 
 「じゅっ、純潔っ……‼」

 「人であっても猫であっても変わらず愛してくれる乙女、その乙女の愛と純潔が、この呪いを解く鍵となるんだ」

 愛、純潔、乙女……。

 ――クラウドにかけられた呪いを解くために、クラウドに純潔を捧げる――

 クラウドにかけられた呪いを解くために、彼の夜伽の相手をせよと? 
 純潔を捧げるとはそういう意味だ。愛を持って、彼とそういう行為に及べと。
 主であるクラウドがそう命じれば、リーナに拒否する権利はない。拒否すれば解雇され、路頭に迷う未来しか残されない。 
 生き抜くために、伴侶でもない彼に純潔を散らすか、それとも、おのれの身持ちを崩さず、矜持を守って生命を散らすか。

 「あ、あの、そういうのはもっと別の方にお願いしてもよろしいのでは?」

 リーナのような下賤の者を相手にしなくても。クラウドの容姿、立場なら、喜んで純潔を捧げてくれる相手もいるだろう。
 何も自分でなくても。

 「いや。俺はお前がいい」

 逃げ場を必死に探すリーナのかすかな希望を打ち砕くような即答だった。

 「お前は、猫であった俺にも分け隔てなく優しかった。どこかの誰かのように、窓から捨てたりしなかったからな」

 マルスリーヌのことを言っているのだろうか。リーナがアッシュに出会ったときのことを。

 「この屋敷の掟で、猫を飼えないと知っても俺を捨てなかった。それどころか、守ろうと必死になっていた」

 「そ、それは……」

 「自分のことだけを考えるなら、俺を捨ててもおかしくないのに、だ。俺はそんなお前だからこそ、好きだとも思えるし、呪いを解いてもらいたいと思っている」

 アッシュを手放したくなかったのは、自分の寂しさを紛らわすため。
 なんて言い訳をしても許してもらえそうになかった。

 (私を好き!? クラウドさまが!?)

 ありえない言葉に、激しく動揺する。耳の奥で、心臓がうるさいぐらいに鼓動を鳴らす。

 「無理強いはしない。ただ、いつか、お前が呪いを解くことを許せる日が来たら、その時はお前の純潔を、俺に捧げてくれないか」
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